第39話-夢の終わりのその先
「あの絵、福田さんが前世で見たかった光景だと思うんです」
応接間には昼下がりの柔らかい日差しが射しこんでいる。
ヨゼの背後の壁に飾られた食卓の絵を眺めながら、祈吏はダージリンティーを一口飲んだ。
「祈吏くんの話を聞いた限り、そうだろうね」
福田の夢前世を見た翌日、祈吏の枕元には幸せそうな食卓を真上から俯瞰した絵が置かれていた。
緑に塗られた木製のテーブルには黄色いテーブルクロスが敷かれており、置かれた鍋にはグラーシュ、右側で女性の手が配膳し、絵の下側に子供用だろう小さな食器が2セット置かれている。
その隅にはピンク色のバーベナが花瓶に飾られ咲き誇り、上中央では男性の節だった大きな手が、食卓を優しく眺めるかのように組まれているものだった。
「福田さん、その絵を見て『良い絵だ』って褒めてくれていたね。吾輩もひとめ鑑賞してみたいものだ」
「自分で描いた記憶がないので他人事みたいな言葉しか出てきませんが、とても素敵な絵ですよ」
「にしても、本当に当カウンセリングが絵を貰い受けてよかったのかい? 福田さんに渡しても良かっただろうに」
ヨゼは自身の背後に飾られている絵を見上げる。
目が見えていないからフリではあるが、ヨゼにとっては周囲の人間へ分かりやすく伝えるためのジェスチャーのひとつだ。
「もちろんです。自分が持っていても、仕方ないものなので。それにこれは福田さんの前世の絵で……今世とは関係のないものですから」
夢前世から帰ってきたあと、福田本人は夢の内容を覚えていなかった。
それは通常のことであって、夢前世の持ち主は基本夢の内容を忘れてしまうらしい。
ただ『夢を見た』という感覚はあるらしく、入眠療法から目覚めた時は訳も分からず涙が溢れたと言っていた。
「ではありがたく頂いておこう。それに祈吏くんの言う通り、前世は前世でしかないからね」
そう言いヨゼは手元のころんとした焼き菓子、バーチ・ディ・ダーマを口へ放り込む。
「でも、フーゴさんの魂は福田さんの魂と一緒になれたってことでいいんですよね?」
先ほど帰った福田の背後に、前世の魂――フーゴの姿はなくなっていた。その代わり、身体の中心にあった緑色の魂に薄赤い光が加わり、2色がぐるぐると渦巻いていた。
「サングラス越しに見えただろう? 魂自体はひとつにまとまった。あとは馴染んで融けあうのを本人が頑張るしかないのだよ」
「そっか……なら良かったです」
『眠りが深くなり、悪夢にうなされなくなった』と晴れ晴れした表情で言っていたのを思い出す。
福田が安心して眠れる日々がやってくる――その事実に祈吏はほっと胸を撫でおろした、が。
「……自分はどうしたらいいのでしょうか」
「不思議だね。『フーゴさんの絵』を描いたあと、しばらくは安眠だったのだろう?」
「そうなんですよ。ですが1週間経った今朝は、また『黒い絵』がありました……」
福田の夢前世に入った後。色彩豊か食卓の絵を描いた日以降、祈吏は喉から手が出るほど欲しかった快眠を手に入れられた。
だがそれも一時的な事象に終わる。今朝は枕元に『絵と呼ぶには憚れる黒い絵』があった。頼る伝手は1人しかおらず、寝不足のなか再び世前夢見カウンセリングに訪れたのだった。
「だが祈吏くん。今朝は寝不足だと言っていたが以前来た時より断然快活だよ。やはりこの前は体調が万全ではなかったのだね」
「やっぱり分かりますか。1週間前までは寝不足続きだったので、常に思考が追いつかない感じがしてました」
「フーゴさんの絵を描いた朝の眠気はどうだったのだい?」
「あの晩は熟睡できました! なのにあんな素敵な絵を描いていたのだから、驚きましたよ」
そう言い、祈吏はもう一度飾られた絵を眺める。
「自分の前世……一体どんな未練を抱えていたんですかね。何故フーゴさんの望んだだろう景色を描いたのでしょうか」
「それは——……もしかしたら祈吏くんの『前世の魂の残滓』が、他者の前世を視たがっているのかもね」
「……そんなこと、あります?」
「『黒い絵を描く夢遊病』が1週間は治まっていたのだろう。もう一度、『誰かの前世を見せろ』と言っているのかもしれないよ?」
「自分の前世がそんな野次馬気質なのは嫌です」
「あはは! 吾輩の『根性』には負けるからダイジョーブ! さあ、次の相談者が来られるよ。安眠が欲しければ働くのだ」
ヨゼは楽しそうに手を鳴らし、祈吏は『負けた』と頭を抱えた。
こちらにて1章は終了となります。
ここまでお読みくださった方々、ありがとうございました。
他者の前世に飛び込み、未練や事件を解決していくストーリー、祈吏の夢遊病、正体不明の『ヨゼ』という人物。いかがでしたでしょうか。何かひとつでも琴線に触れる謎がありましたら光栄です。
夢前世の融解者は結末まで考案済みです。次章では1章冒頭で登場した『パンク青年』が登場します。
今後の更新につきましてはマイペースに更新していきます。以降の展開にご興味を持ってくださった方がいらっしゃいましたら、引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。