第35話-橋の上で語られる真実
雨の勢いは弱まらず、橋の下の運河はごおごお音をたてて流れていく。
フーゴは悲哀に満ちた双眸で、木箱の子供靴を見つめた。
「ラミシャは地方出の娘で、靴商売で放浪していた時に出会い、俺の故郷であるこの街で結ばれた」
「だからこの街に古い知り合いらしい人間はいなかったんだ。……俺だけが話相手だったんだろう」
「だが、俺は言葉数が少ない自覚がある……寂しい思いをさせていたんだろうな」
「……ごめんなさい。夜警さんの件も、知っているんです」
ぼかしていたことを明確に示すと、祈吏のなかで『もう後には戻れない』という覚悟に似た感情が湧き上がる。
そんな祈吏を横目に、フーゴは諦めたふうに微かに口端を上げた。
「だろうな……ラミシャにそのことが事実か、問いただすことができなかったよ」
「……妊娠はそのあとすぐに発覚した」
「俺の子か、別の男の子供か……込み上げる不安を自分じゃどうにもできなくて、何度も感情をぶつけそうになっては……逃げるように酒に溺れた」
「……出産が近づいてきた矢先に、ラミシャは失踪したんだ」
「そう、だったんですね……」
「ラミシャが亡くなった報せを受けて、初めて何処にいたのか分かった。……もしかしたら、子供は産まれてるんじゃないかと、ずっと考えていたよ」
フーゴは木箱の中に収められたずぶ濡れの子供靴を愛しそうにひとつ手に取る。
「愛する妻の子供だ。どんな子だとしても愛したいだろうと、自問自答を繰り返した」
「そしてその心に偽りはないと信じたくて、子供の靴を作り続けた」
一連の時系列を振り返ると、その言葉は腑に落ちるものがあった。
「だが、いざ子供を目の前にした時を想像すると……全てが崩れ落ちてしまうんじゃないかと、恐くてたまらない」
「……それが、妻の愛が俺にはとっくに無かった証明になる気がして」
大男が欄干でずぶ濡れのまま項垂れる。
その様子は端から見れば異様だろう。だが、そんなフーゴにひとつの事実を突きつける必要があった。
その先がどうなるかは分からない。けれど、祈吏にはフーゴなら受け入れられるだろうという、根拠のない確信があった。
「じゃあ、奥さまが愛していないのか、確認しに行ってみましょうか」
「……ラミシャはもう死んだと言っただろう」
「奥さま、亡くなってないと思うんです」
その言葉に、フーゴは目を見開く。それと同時に、ヨゼが驚嘆の声を上げた。
「何故そう推理したんだい? それは是非僕にも教えて欲しいな」
「はい。さっきお店に行って、修道院からの手紙を見て確信しました」
「まず、修道院からの1通目の手紙。奥さまが亡くなった報せはタイプライターで書かれていました。ですがお子さんが存在する報せは手書きでしたよね」
「勝手な偏見ですが、規律を重んじて生活している修道院であれば、手紙の書き方はある程度ルールがあるんじゃないかなと思いました」
「ああ、なるほど……」
「それに、タイプライターって高価なものでしたよね」
祈吏は食堂の主人が言っていた言葉を思い出す。あの食堂の片隅に置かれたタイプライターも、手紙の代筆という事業的な意味合いで置かれていたものだった。
「だから修道院にはタイプライターがなくて、奥さまは修道院の外でタイプライターを使ったんじゃないでしょうか」
「奥さまの文字を見慣れているフーゴさんに悟られず、奥さまご自身の死亡通知書を作るために」