3-33話 工房での雑談2
「……アレは狙いたくても狙ってはならない代物ですね」
それまで不機嫌そうだったピンの表情がふっと脱力する。そして『そういえば』というふうに言葉を続けた。
「アナタ、桃の木について知りたいとのことでしたね」
「はい!ええと、ここに来てから桃の木を多く見かけるので、なんでかなと思いまして……」
嘘は言ってはならないが、本質的なところは避けよう。そう思うと祈吏の言葉はしどろもどろになった。そんな祈吏を見たピンは、黒い前髪を鬱陶しそうに掻きあげた。
「ワタシの知る限りでは、桃楼宮のあそこにある木はこの地で最も古くから存在している木です。樹齢はざっと……120はくだらないでしょう」
「それはまたご長寿ですね。そんなに長生きしているだなんて、やっぱりこの桃源郷だからこその奇跡、なのでしょうか」
奇跡、という言葉を口にするのはやや抵抗があった。何故人々が永久の命を手に入れられるのか、その超常現象を『奇跡』という言葉で片づけるのは思考停止しているような気がしたからだ。
「あの桃の木は特別なんです。この地に生えている桃の木は全て、あの木から株分けされている。言うなれば、この地の桃の木全ての『母』なのですよ」
「それは……知りませんでした」
(つまり、モモチさんの身体をいくつにも分けられてる……みたいなことなのかな。人の身体だったら絶対できないことだけど、樹木となるとそれも可能なのか)
にしても最近似たフレーズを聞いたな、と祈吏は記憶を遡る。この地に来たばかりの時、ユエリャンが言っていた言葉。卯月がこの地をすべる母だと言っていたのを脳裏によぎった。
「では、あの大きな桃の木は大切なものなんですね。ですがこんなに桃の木があれば、桃が沢山採れそうでいいですねえ」
「何をおっしゃる。この地の桃は実りませんよ」
「えっ……そうなんですか?」
「元の木に実がなったことがないのでね。品種的には実るはずなのですが、不思議なものです」
「そう、なんですね……」
桃も好物の内のひとつだったため、祈吏は肩を落とす。けれど自分がモモチの桃を食べてみたかった、と言ったらモモチはどんな顔をしただろうか。己の身体の一部を食べられる、という感覚なのだとしたら、良い気はしないかもしれない、とぼんやり考えた。
(そういえば、商い通りに桃が置かれているのは一度も見かけなかったな……この場所は桃の木はあったとしても、桃はないってことなんだ)
その時、ふと思い出す。桃楼宮の中庭でユエリャンから話された桃の木の話を。
『この地で最も古い桃の木だ。背も規模も、他で見るのとは一線を画しているだろう。まあ、しばらく実は生っていないがね』
(あの口ぶりだと、昔は桃が実っていたってことになる。……ということは、ユエリャンさんは昔の桃の木を知っているのかな?)
だが、そうなるとユエリャンの年齢が分からなくなってきた。目隠しをしていることから恐らく『永久人』なのだろう。当時の桃の木を知っていても可笑しくはない。
「でも、少し残念ですね。永遠に桃が実ったとすれば、桃食べ放題だっただろうに」
「突拍子もないことを言いやがりますね。それはそもそも無理な話です。人の不死は必然ですが、それ以外の存在には限りがありますので」
その言葉に祈吏は無意識に、一瞬息を呑む。
「至る所に生えている桃の木にも寿命がある。だから、いずれ死ぬ――枯れる前に切り倒し、加工し、道具にする。あっけなくもワタシたちの一生に、なくてはならない存在です」
ピンは湯呑みの中を見つめながら、静かな声でそう言う。茶に映るその眼差しは、桃の木という存在に対して畏敬の念を抱いているようにさえ見えた。