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3-31話 呼び名

 草原で桃の木が燃える同時刻、桃源郷の片隅にある湖に大きな魚影が現れた。

 木製の身体に人工的な扉が付いており、内部は貨物船らしい造りをしている。そのうちの小さな一室。食糧が積み込まれた傍らに、黒装束を身にまとった人物の影があった。


 ――翌朝、桃の木が発火したと大騒ぎになったのは言うまでもない。

 桃の木に炎が上がった後、祈吏は大急ぎで火を消そうとしたが、辺りに水場はなく、すぐに騒ぎになる気配がしたのでその場から直ちに離れた。


 祈吏の中に迷いを生んだのは、伊吹の前世の少女が口にした言葉だった。

『わたしを燃やして』と、声はないがはっきりと読み取れたその願い。それは祈吏に大きな衝撃と戸惑いを与えた。彼女は少なからず桃の木と縁があるのだろう。そんな彼女からの望みに、自死を手伝って欲しいと打ち明けられたような――そんな複雑な心持ちになった。

 何故そんなことを望むのか。夜が明けた今でも、祈吏はその意図を想像しきれていない。一夜考え寝不足のまま、再び中庭にある桃の木の元へ訪れたのだった。



「それで……どうして桃の木を燃やしたいのですか?」

「んー、んっ!」


 少女は元気よく両手を天に伸ばし飛び跳ねる。はつらつとした様子は今の祈吏と対照的だ。


「あれ……そういえばお声が出てますね?」

「んー」

「どうしてでしょう……。でも、少しでも声が出るようになったのなら、よかったです」

「ん!」


 嬉しそうにコクコクと頷く。幼い子供のような所作に祈吏は自然と微笑んだ。昨日は調子が悪かったのだろうか。疑問に感じたけれど他に確認しなくてはならないことが山積みなため、すぐに意識は目前の彼女に向けられる。


(昨日、桃楼宮に戻る頃にはこの方の姿は見えなくなっていた。自分が見えなくなったのか、それとも彼女が行方をくらましたのかは分からないけど……一緒にいられる時間が限られているのだとしたら、早めに色々と確認しなくちゃならない)


 だが、相手はいくら『人ならざるもの』といえど振る舞いや見た目は幼い子供だ。

 あれやこれやとこちらの質問を投げかけ、混乱させるのは本意ではないと、祈吏は頭を悩ませていた。


「あ、そうだ……。聞きそびれていたのですが、お名前を伺ってもいいでしょうか?」

「んー? んん」


 少女は短く首を横に振る。それは『名前はない』のだとはっきりと伝わってくるもので。しばらく考えるふうに視線を泳がせると、突然笑顔になり、自身を指さした。


「んー!」


「もしかして、名前を付けても良いってことですか?」

「んっ」


 深く頷いた少女に、祈吏は『責任重大だ』と口元を押さえる。


「……んー」


 深刻そうな顔をして黙ってしまった祈吏を、少女が下から覗き込む。

 そしておもむろに祈吏の首に両手を当てた。小さな手の内側には、なにやら固い感触があり――


(これは――枝?)


 枝は瞬く間にスルスルと伸び、祈吏の首を囲むように成長していく。突然の現象に息を呑んだ。

 伊吹の前世であるこの人物が、自分の命を狙っているはずがない。そう認識しているが、昨晩に桃の木に火をつける様を目撃した直後だ。

 最悪の展開が一瞬脳裏によぎる。反射的に目をつぶり、どうか勘違いであってくれと願った直後、木が擦れる音が止んだ。


「あれ……これって、もしかして」


 そっと目を開け、首元に手を当てる。首を絞めるかと思った枝は、綺麗な曲線を描いて絡まっている。鎖骨のあたりには花びらの柔らかな感触があり、それは首飾りのような形をしていた。


「自分に、ですか」

「んー!」

 満足気な笑みを浮かべた少女は、祈吏の頬を人差し指で持ち上げる。それは『笑って』と言っているのだと受け取れた。


「あ……ありがとうございます。……本当にごめんなさい。一瞬だけ疑いました。もしかしたら、貴方に他意があるのではないかと」


 祈吏の告白に少女は目を丸くしたが、すぐに優しく眉を下げた。それは悟りを開いた者の笑みのようで。祈吏は今まで過去に相対したことのない、不思議な感覚を覚えた。


(小さな子みたいに無邪気だと思っていたけど……全てを包み込むような慈愛に満ちた一面もあるだなんて。不思議な方だな)


 改めて、人とは異なる感覚を持っているのではないか、と祈吏は推察する。

 桃の木の神や精霊――だとすれば。



「お名前ですが。『桃の木の精霊』で『モモセ』さんでいかがでしょうか」


「却下だ」


「えっ――」


 どこからか響いてきた声に、祈吏は目を見開く。目前の少女が答えたのかと思ったが、声は男性だった。その上聞き覚えのある声色だったので、辺りに誰かいるのかと見渡してみる。


「誰もいない、ですね……。何だったのでしょう」

「んー?」


 首を傾げる少女を見る。他の案にするならば……と考えた時、ふと以前授業で習ったことを思い出した。


「では、昔は目に見えない存在の語尾に「チ」を付けていたのですが。それに倣って――『モモチ』さんはどうでしょう」


「んんん……? んー!」


 嬉しそうに少女――モモチが声を上げる。

 今回はどこからか否認の声も降ってこなかったこともあり、祈吏はほっと胸を撫でおろした。


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