3-28話 恐怖を紐解く
『祈リンは見ようと思えばすぐに視えるから――けど怖がりでしょう。だから視えてないだけ』
歓迎会で耳にした言葉を思い出し、背筋に悪寒が走った。
(……晃満さん、どうしてあんなこと言ったんだろう)
晃満やヨゼは恐らく、普通の人には見えない世界が視えている――それは双方と接していればなんとなく察しがつくことだった。
その世界を『祈吏も視える』と言ったのは、どういった意図があったのだろうか。自身に対してそういった素質があると感じたのであれば、それは何かしらの間違いであって欲しい。万が一、視える素質があったとしても自分は何も視えなくていい――祈吏はそう思いながら、桃の木を見上げる。柔らかな風に揺られざわめく桃の木は、まるで何か囁いているように感じられた。
(あ……そういえば、晃満さん。他にも気になること言ってたな)
『精霊や神といった存在は物理的な肉体を持たずとも、存在し続けられるしどんなものにでも魂を寄らせることができるんだ。色んなパターンがあるけどね』
(あの発言はびっくりしたけど、おふたりには幽霊とか以外の……そういった不思議な存在も知覚できているのかな。っていうことは、本当に精霊や神様がいるってこと……? すごいな)
そんな存在が視える人はそう多くは存在しないだろう。あの2人は一体どんな経緯で知り合ったのだろうか――と、改めて晃満とヨゼの関係に謎が深まる。夢前世から帰った際、聞く機会があれば聞いてみようと思いつつ、祈吏は手元の包子をひと口かじる。そして咀嚼しながら思考を張り巡らせた。
(物理的な肉体を持たず、どんなものにでも魂を宿らせることができる。例えば何があるのかな……人々が信仰の対象にするものとかは含まれてそうかも。それこそ、きっと――)
――動かしていた口元がふいに止まる。今まで考えたこともなかった仮定が、祈吏の直感として全身に駆け巡った。
――もしかして。この世での伊吹さんの前世は『目に見えない存在』なのでは。
目前にある大きな桃の木は風に揺られざわめく。
(ヨゼさん。そんな、ことって……あるのでしょうか)
冷や汗が頬を伝う。ヨゼが言った通り、前世の姿が『樹木』であることは間違いないのだろう。その樹木に魂を宿らせているとしたら、それは晃満の言っていた通常であれば目に視えない――精霊や神といった存在なのかもしれない。
(もし、伊吹さんの前世がそうなのであるならば。……詰んだ)
祈吏は子供の頃からホラー的なものが大の苦手だった。一番最初に自覚したのは、週末の夕方にやっていた昔のホラー映画だった。その映画は主人公の女性が幽霊につきまとわれる話で、結末的にはその霊が昔亡くした親友で、己を気付いて欲しがっていた――というヒューマンドラマ系だったが、まばたきの仕方を忘れるほど緊張しながら観たのを覚えている。
その話自体が怖いのではなく、自分には視えない存在が、近くで己を見ている――その感覚が、日常生活の中で時折感じる違和感にとても近かったからだ。それまで言語化できなかった感覚を、自覚させられた瞬間だった。
(暗闇とか押し入れの隙間とか、夜のトイレとか……1人暮らしをして少しずつ恐怖耐性はついてきていると思うけど、やっぱりまだダメだ)
大きく溜息を吐いて、桃の木を見上げる。うすぼんやりと光る花々は優しげに見えた。
(……でも、なんで怖いんだろう。よく考えてみれば見えてるか見えてないかの違いと言われれば、そこまでな気もする)
得体のしれないものを視る――となると、尋常ではない怖さがあるが、己がよく知った相手が視えたとしたら。胸を満たすのは恐怖ではなく郷愁だろう。
ふいに脳裏を『四つ足のあの子』がよぎった。
「あ……あはは。自分は何を怖がっていたんだろう」
顔を伏せてひとりごちる。
そして大きく息を吸い――真っ直ぐ顔を上げた。
「……お願いします。どうか姿を視せてください」
――その瞬間、目の前が明るくなる。それはまるで両手で覆い隠されていた視界が開けていくような感覚で。
祈吏の心臓が熱く鼓動する。一陣の風が吹き、桃の花びらが濃霧のごとく視界を奪う。そして光の渦に包まれ――祈吏の角灯に透明な炎が灯った。