3-26話 猫背の職人
(この方が桃楼宮の桃の木について、何か知っている……?)
薄浅黄色の作務衣をまとい、長い前掛けをしている。その風貌からしてすぐに『何かしらの職人』であることが伺えた。気だるげな目元には色濃い隈があり、先ほど話の中で聞いた激務の様子が祈吏の脳裏に駆け巡る。
「お忙しいところすみません。自分、今日から桃楼宮に仕える祈吏と申します。桃の木について少し伺いたいことがありまして――」
「そんなの、アナタが知ってどうするんですかあ。どうともならないしワタシの時間がもったいねーです」
祈吏を一瞥し、すぐに興味もなさげに視線が逸れる。長い前髪を後ろに掻き分け、無造作に結われた髪はぼさぼさだ。そして星花包子をカウンターからふたつ受け取ると、先ほどの木札を懐にしまおうとした。それは桃の木が彫られた、祈吏の持つ札と異なる絵のものだった。
「あれ。失礼ですがその木札、自分が持っているものと柄が違いますね」
「はあ? ……待て。なんでユエリャン様の札を持ってんですか」
ピンと呼ばれた男は祈吏の腰に下がる木札に気付くと、今まで猫背だった背中を大きく直し、怪訝そうに祈吏を見下ろす。姿勢を正した身の丈は2メートル近いだろう。その迫力に祈吏は一瞬息を呑んだが、迷わずに口を開いた。
「これはユエリャンさんにいただきました。ええと……自分は心力の炎が出なかったので、それの代わりにと」
「ああ……じゃあ噂の人はアナタでしたか。灯らずの花というのは」
「灯らずの花……ですか?」
「卯月様のお気に入りは『花』と呼ぶんですよ。そして心力の炎が灯らなかったので、そのまんまです」
ピンは興味なさげにそう言うと、片手に包子をふたつ持ち、大きな口を開けて食べ始める。
「そうだったんですね。なんだかこそばゆい気もしますが……。にしても、よくこの木札がユエリャンさんのものだって、気付かれましたね」
「それ、ワタシが作ったものなので」
「えっ」
頬張っていた包子をごくんと呑み込むと、面倒そうな視線が祈吏に向けられた。
「仮にも同じ場で働く者なので教えてあげましょう。ワタシはピン。桃楼宮に仕える木工の職人です」
「この木札を作られた方だったんですね……! 素晴らしいです!初めて見た時からとても素敵な札だなって思ってました」
「はっ。安い言葉だ」
きらきらした瞳で見上げた祈吏を、ピンは虫を蹴散らかすかのように鼻で笑う。
「それは桃楼宮の高官にあたるものが持つものです。アナタのような炎が灯らない人間にはふさわしくない。なにより、その木札はユエリャン様のために作られたものなのですから。……『それ』が可哀想だ」
「ユエリャンさんのために、作られたもの……それってもしかして、皆さんそれぞれで柄が異なるのでしょうか?」
ちょうどひとつめの包子を食べ終えたピンが骨ばった親指についた餡を舐める。そして祈吏をじろりと睨んだ。
「だったらなんです」
「とても素敵ですね! 持ち主をイメージして作られているのでしょうか。贈られた方はきっと嬉しかったと思いますよ」
祈吏は腰に下がる木札を手に取り、その精巧に彫られた桃の花を眺め――力強く頷いた。
「確かにこの札はユエリャンさんが持っているべきですね。今度お会いした時にお返ししておきます」
「は……思ってもないことを言う。だったら今、その札をワタシに返しなさい」
ピンは眼鏡越しに目を細めて意地悪気に笑う。その様子を見て、祈吏は腰にくくっていた木札の紐を解き、ピンに差し出した。
「ではお手数おかけしますが、よろしくお願いします」
「なっ……」
すると想定外だとでも言うように目を見開いた。
祈吏はピンの含みを感じ取っていたので、どう言えば誤解を生まずに済むか言葉を選びながら口を開いた。
「貴方……ピンさんのお話を聞いて、思ったんです。この木札自体が、ユエリャンさんの元に帰りたがっているかもなって」
「は……」
「さっき、ピンさんは『それが可哀想だ』って言ってましたよね。確かに札の視点に立ってみたら、ユエリャンさんのために生まれてきてずっと一緒にいたのに、突然持ち主が変わったら驚くだろうなって。物にも『心』があるのだとすれば、きっとそうなんじゃないかなと思いました」
身体を猫背にし、祈吏の言葉に静かに耳を傾けている様を見て、祈吏ははにかんだ。
「いただいたものを返すのはちょっと申し訳ないですが、ユエリャンさんのやさしさは受け取ったので、ご本人も分かってくれるかなと。……この世界は『思いやり』で成り立っているとのことでしたし」
「……分かったような口を利きやがりますね」
ピンは苛立ったように言い捨てる。祈吏から受け取った木札を懐に仕舞うと、小さな声で呟いた。
「……明日、ワタシの工房に来なさい」
「え? 工房ですか」
「そうです。桃楼宮の1階にあるので」
「寝る暇もない程超多忙な身ですが、その聞き分けのよさと潔さに免じて桃の木について話しましょう。ただし、茶を一杯飲む間だけです」
「あ……ありがとうございます!」
祈吏が頭を下げると、ピンは小さく溜息を吐く。『なんで今頃出てくるんですかねぇ』とぼやき、ふたつ目の包子を口に詰め込む。そして、すぐにカウンターの方へ顔を上げた。
「ミンミンさん。夜食に4つ包んでください」
「え――」
聞き覚えのあるそれは――夢前世に入る前、伊吹のカウンセリング時に耳にした名前だった。祈吏はミンミンと呼ばれた方を見る。そこには包子の店主である女性の姿があった。