3-17話 大切なもの
案内人の眼差しが祈吏に向けられる。祈吏は遂に自分の番が来てしまったと内心緊張しながら、階段を上り門の下に立った。
「よろしくお願いします」
「まあ、だいぶ緊張されておりますね。大丈夫ですよ。至極簡単なことをしていただくだけですから」
「が、頑張ります」
(とは言っても……なんだろう。健康診断の採血の時みたいな気持ちになっちゃうんだよな)
己の内なるものを可視化するという行為が、祈吏にとってはどことなく気後れすることだった。今までの人たちは燃え方や大きさは異なれど、誰もが綺麗な色の炎を燃やしていた。それを眺めるのは他人の内側を暴くようで後ろめたさがあったが、鮮やかな炎は視線を奪われる美しさだった。
「大切なものを思う時、この炎は燃え上がります。この灯籠に手をかざし『大切なもの』を思い浮かべてください」
「大切なもの……ですか。分かりました」
(……自分にとっての大切なものって、なんだろう)
灯籠に手をかざし、目を閉じた祈吏の脳裏によぎるのは――苦学生ゆえに、それしかなかった。
(どう考えてもお金だ)
祈吏が手をかざしてから20秒が経とうとしている。辺りはしんと静まり返り、額に冷や汗を浮かべた案内人が祈吏に声をかけた。
「炎、出ませんねぇ。もし差支えなければ今思い浮かべているものについて、お伺いしても?」
「あ、はい。お金のことを考えていました」
「お金、ですか……。それも大切ですね。ですがあなたの心を温める、もっと大切なものはございませんか?」
「はあ。心を温める、ですか」
そう言われ考えるが、浮かぶのは帰る家がある安心感や、夢前世から帰った後にあるだろう安眠への期待といったものばかりで。
(いや。今求められてるのは、多分『他者との繋がり』的なものの気がする。それで言うと……?)
「例えばあなたのご家族や恋人、身の回りの大切な方を思い浮かべてみてください。あなたが永久に共に在りたい方を」
しびれを切らした案内人がそう声をかける。大切な人については『杏』という心当たりがあったが『永久に共に在りたいか』と聞かれると、なんとも微妙な気持ちになってしまい、上手く想像ができなかった。
(永遠に一緒っていうのは、何か違う。……どうしよう。このままだと炎が点かないぞ)
そもそも祈吏は周りに比べ、永久の命に対して熱度が低いのだ。険しい表情で灯籠に手をかざし続ける姿に、周囲からざわめきが生まれ始める。
「難航しているようだね」
門の向こう側から男の声がして、祈吏は目を開けた。
(この雰囲気……もしかして)
黄緑色の髪を掻きあげ、襟足から伸びる2本の三つ編みが印象的な人物だった。薄緑色のゆったりとした華服をたなびかせながら、颯爽と祈吏の元まで歩んでくる。
「ユエリャン様……!」
案内人は血相を変え、両手を合わせ礼をする。ユエリャンと呼ばれた男はその様子に目も止めず、祈吏の背後に立ち――語り掛けた。
「君がもう一度見たい景色はある? その光景を思い浮かべるんだ」
「もう一度見たい景色、ですか。……それなら、あるかもしれないです」
「うん。きっとあるはずだよ」
男の言葉は自然と祈吏の耳に入ってきた。それはいま隣にいないあの人物を彷彿とさせる声色で。祈吏は言われた通り己の内に耳を傾け、今までのことを思い返した。
(自分がもう一度、目の当たりにしたいもの……それは)
目を閉じ、その暗闇の向こうに見たい景色を探す。すると次第に暗がりから一筋の光が射し――芝生の香りと、こちらに駆けてくる四つ足の姿が映った。
「――あ」
その瞬間、灯籠からまばゆい光が爆音と共に放たれた。