最終話 アルベルトの変化
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化粧直しが終わり、ティアがそっと離れると丁度扉の外からノックの音が響いた。
「王妃殿下。そろそろお時間でございます」
再度意思を固めたから、この後陛下とお会いしてももう陛下に情が移ることはない。
民衆の前に出ることが久方なのもあり緊張するけれど、王妃として初めて公の場に出るのだもの。
何よりも、民の顔をしっかりと見ておかなければ、きっと「王妃としての責務」を本当の意味で真っ当することが出来ないのではと、直感が過った。
「承知しました。そろそろ参りましょう」
「かしこまりました」
ティアや、他の二名の侍女たちが恭しく辞儀をするのを合図に、わたくしはスッと立ち上がり、介添人がベールを手に持ったの確認すると、ゆっくりと歩いて開かれた扉から再び室外へと出た。
室外には既に三名の近衛騎士が待ち受けており、共に王宮のバルコニーへと向かった。
これから行うお披露目には、確か観覧を希望し抽選で選ばれた王都民が招待されていた筈ね。
……鼓動が高鳴って来た。とても緊張する。何しろわたくしの意識では、自分はつい先程まで閉鎖的な牢獄に見窄らしい姿で生きていた存在なのだ。このような公の場に今更ながら出て行っても良いものなのか……。
「万が一の事態に備えて、バルコニーには魔宝具での結界も張ってはありますが、私共も常に隙が無いように待機をする様に心がけますので」
「……頼もしいですね。よろしく頼みます」
「御意」
隙が無いように……。先程陛下も同じことを仰っていたけれど、その御心は見習って、常に細心の注意を払って行動しなければ。
◇◇
バルコニーの手前の廊下まで到着すると、既にアルベルトは到着しており、セリスに気が付くと姿勢を正したまま視線を逸らさずセリスを眺めた。
「そなた、体調はどうなのだ。顔色が優れないようだし、披露目の時間を短縮することも可能だが」
「……お心遣いをありがとうございます。ただ、本日はとても体調は良いのです。どうか、国民と接する数少ない機会ですので、変わりなく参加をさせていただきたいと思います」
「そうか、承知した。何かあったらすぐに近くの者に伝えるように」
「はい。ありがとうございます」
そう言って、背を向けバルコニーの方へと向かって行った。
(陛下がわたくしを気遣ってくれた……? 今回の言葉だけでは無く、先程から心なしかわたくしを気遣ってくれているように感じるけれど、……思い違い、よね。そうだ、あの陛下がわたくしを気遣われるわけが無いのだ。予てから陛下は、わたくしがどんなに具合を悪くしても気に留めることは無かったのだから)
セリスはそう思い直すと小さく息を吐き出した。
「本日は、誠におめでとうございます」
「王太后様」
アルベルトの母のソフィーが優雅な仕草でセリスの前まで歩み寄った。
銀色のスレンダードレスがとても良く似合っていて、美しい銀髪と藍色の瞳がより映え、穏和な表情にその人柄が現れている。
ソフィーは先代の国王の王妃であり、長年に渡り国母と民から慕われている。一年程前に前国王が崩御し、当時王太子だったアルベルトが即位をしたのでその際にソフィーは王太后の位に就いたのだが、今でも王太后を慕っている民は多い。
「ありがとうございます。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
先程の婚儀の席にも当然参列しており、挨拶をする時間はなく歯痒い思いをしたが、こうしてご挨拶が出来て本当に良かったとセリスは思った。
「義姉上。本日はおめでとうございます」
「……レオニール殿下。ありがとうございます。お心遣いに痛み入ります」
「いやいや、今日から王妃となられたのですから、僕に敬称は不要ですよ」
「いいえ、そうはいきませんわ。……これからも、殿下と呼ばせていただきますね」
「殿下か。何だかむず痒いな」
無邪気に笑ったレオニールは気さくな男性で、ソフィーと同様の銀髪に涼しげな目元が印象的だ。
年齢は二十二歳で、現在十八歳の年下のセリスにも普段から気さくに話しかけてくれたのだ。補足をするとアルベルトは二十五歳である。
普段から無表情で何を考えているのか読みづらいアルベルトとは違い、レオニールは幼き頃からセリスと良く一緒に遊んだものだった。
(王太后様とレオニール殿下がいらしてくれたから、わたくしの王妃生活は決して寂しいばかりでは無かった。……ただ、お二方ともお立場があるからか、獄中のわたくしには直接面会には来られなかったけれど、王太后様からは一度励ましのお手紙をいただいたわ。あのお手紙が、どれだけ心の支えになったか……)
「それでは、お時間になりましたので、国民へのお披露目を始めたいと思います」
侍従が声をかけると、前もって近衛騎士がバルコニーへ出て警備に当たっているので、セリスはその中央へゆっくりと歩みを進めた。
ワアアアアアアアアアアアア
セリスとアルベルトが外へ足を踏み出した途端、これまで固唾を呑んで待っていたであろう民達が一斉に歓声を上げた。
(……ああ、懐かしい……。目前には、我が国の民が中央に蘭の花が象られた国旗を思い思いに降っている。皆わたくし達の結婚を、わたくしの即位を祝ってくれているのね。……以前はどこか当然のように思っていたけれど、今では知っている。これがどれ程特別なことなのか)
思わず涙が溢れそうになったが必死に抑えた。今涙を流してはいけない。先程のアルベルトの言葉のように、人に対して隙を見せてはいけないのだ。
「国王陛下、王妃殿下ご結婚おめでとうございます‼︎」
「ラン王国に永遠の栄光あれ‼︎」
「本日は本当にめでたい! 生きていて良かった!」
……けれど、やはり民の姿を間近に見ると、感極まって再び涙が溢れそうになる。……気丈であらねば。
若い夫婦に子供たち、老夫婦に働き盛りの男性……。様々な民を目に焼き付けていく。
それから、民に向かって笑みを浮かべ手を振っていると、ふと視線を感じた。思わずその視線を辿ってみるとアルベルトがセリスを凝視していた。
(どうしたのかしら……)
「あの、どうか致しましたか?」
あんまり見るものだから、思わず訊いてしまった。
「……いや、そなたが民を熱き眼差しでみていると思ってな」
「はい。わたくし達が守るべき大切な、愛しき民ですから」
「……そうだな」
アルベルトは小さく頷くと、少しだけセリスの方に寄って、まるで民たちの顔を眼に刻みつけるようにしばらく眺め続けたのだった。