第3話 婚儀
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それから、セリスは介添人に案内をされて侍女のオリビアや彼女の専属近衛騎士らと共に、婚儀が行われる礼拝堂へと足を踏み入れた。
その控え室では既にアルベルトが待ち受けており、椅子に腰掛けたセリスを一瞥すると介添人に声をかけられ一足先に礼拝堂へと足を運んで行った。そして一分も経たないうちにセリスも声をかけられた。
「それではセリス様、ご入場をお願い致します」
「はい」
セリスは頷くと立ち上がり、ゆっくりと礼拝堂へと歩みを進めた。
足を踏み入れると、視界の先には真っ赤な絨毯が敷かれ、控えめに目線を上げてみると、聖母が描かれた見事なステンドガラスが目に入った。
(ああ、やはりこの光景にも見覚えがある。完膚なきまでに同じだわ。そして、絨毯の先には……)
ドレスの裾を踏みつけて、転ぶなどと言う失態を両脇の席に座り傍観している各国からの主賓や我が国の貴族に見せることなど無きよう、白の薔薇のブーケを手に持ち、ゆっくりと一歩一歩を確実に踏み締めた。
その際、セリスのベールの裾を、介添人がしっかりと握り歩みを合わせてくれている。
加えて、前方を向き表情を崩さないよう心がけながら、胸の鼓動の高鳴りを何とか抑えた。
そして、主祭壇の真下まで歩み進めるとゆっくり立ち止まり、既に背筋を正し立っているアルベルトに対し、自然な間をとって並んだ。
(正直なところ、以前と違って幸福感など全く無く、何故、陛下と婚儀など行わなければならないのかと言うドス黒い感情が沸き立って来る)
けれど、表情に出したら婚儀が台無しになり、たとえ今が死後の世界なのか現実なのか判断がつかない状況とはいえ、軽はずみな行動をすることは出来ない、それは直感で悟った。
「我がラン王国国王、アルベルト・エメ=フランツ陛下。貴方様は今、バレ公爵家のご令嬢であられるセリス・バレ様を妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝、健やかなる時も病める時も喜びの時も悲しみの時も、これを愛し敬い共に助け合いその命ある限り、真心を尽くすと誓いますか」
「はい、誓います」
アルベルトのその低く響き渡る声は、戸惑うところは一切なく、神聖な礼拝堂中にまるで真冬の朝のような洗練さを連想させた。
けれど、セリスの心の靄もやは深く、例え透明で清廉な声でも晴らせそうにない。
──嘘つき。あなたはわたくしを見限り、別の女性を選んだくせに……!
「バレ公爵家のご令嬢であられるセリス・バレ様。貴方様は今、我がラン王国国王、アルベルト・エメ=フランツ陛下を夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝、……真心を尽くすと誓いますか」
心臓が跳ねた。嘘を言いたくはない。……けれど、本心を口に出すにしては、今自分の置かれている状況が非常に不利なことは否めず、それは憚はばかられた。
「……誓います」
これまでは、張り詰めたような面持ちで誓約の言葉を読み上げていた神父の表情が少し和らぎ、主祭壇の上からリングピローを取り出した。
「それでは、両者指輪の交換をお願い致します」
スッと、アルベルトがセリスの方を向いたので、彼女も自然にアルベルトの方を向くと、鼓動が再び高鳴っていく。
(先程お会いしたばかりなのに、恐らく、陛下がわたくしの目の前にいるということ自体が│稀有なことなので慣れないから、このように身体に現れるのでしょうね)
ゆっくり自身の左手の甲を差し出すと、陛下がその手を伸ばして、受け取っていた結婚指輪を左手の薬指に嵌めた。
(ああ、嵌められてしまった……)
この結婚指輪は、控えめに細かな装飾が施されており、以前のセリスはとてもこの指輪が好きだった。なので、この指輪を嵌めてこんなにも心に暗雲が立ち込めることがあるとは、思いもよらなかったのだ。
ともかく、この流れを断ち切るわけにもいかないので、セリスも結婚指輪を受け取ると、既に差し出されているアルベルトの大きな左手に両手で触れて、ゆっくりと薬指に嵌めていく。
嵌め終わった後に何気なく顔を上げてみると、この礼拝堂で会ってから初めてアルベルトと視線があった。その目は普段通り無表情だと思いすぐに目を逸らそうとしたが、少しだけ和らいで見えたので、思わず目が離せなくなった。
「それでは、新郎様には新婦様のベールを上げていただけますようお願い申し上げます」
その言葉を合図にアルベルトが近づき、セリスは反射的に膝を少し折り曲げて、ベールアップを行いやすいように姿勢を低めた。ただ、アルベルトは長身な方で、セリスは元々背丈が低い方なのであまり屈み過ぎないように注意を払う。
アルベルトは両手でベールの裾を持ち、それをセリスの額まで上げた。
視界がクリアになり、よりアルベルトの表情を読み取ることが出来るようになったが、既に普段通りの無表情に戻られていて眼光は鋭く、思わずぞくりと背中に冷たいものが過った。
(ああ、先程の柔らかい表情はきっと見誤りだったのだわ)
「それでは、誓いのキスを」
冷や汗が止まらなかった。だが、確か以前は手の甲に口付けるのみだったから、今日もきっとそうだと思った。これが終われば、もうすぐ式自体も終わる。
内心、式が終わった後のことを考えながら右手を差し出していると、不意にアルベルトの顔が近づいてきてその唇がセリスの額に優しく触れた。
瞬間、今まで静かに見守っていた来賓客や貴族から感嘆の声が漏れる。
(何故、……今まで殆どわたくしに進んで触れようともしなかった陛下が、公衆の面前でこのようなことをされたのだろう。──何よりも、どうして前回と陛下の行動が変わってしまったのか)
混乱しているセリスに気づいているのかは判断がつかないが、アルベルトはそっとセリスから離れるとそっと口角を上げた。つまり、微かに笑んだのだ。
セリスは、その衝撃を受け止めるだけで精一杯で、何より背筋も凍りついたが何とか微笑み返した。だがその顔は引きつっていたのだろうとセリスは思った。
アルベルトが微かに微笑んだと認識した矢先、彼はすぐさま主祭壇の方へ向きを直したので、セリスもアルベルトに続いて神父の方へ身体を向き直した。
神父は小さく頷いて、今度は書類を差し出した。
「それでは、結婚誓約書にそれぞれサインをお願い致します」
差し出された誓約書に腕を伸ばすと、フワリとペン立てから羽根ペンが浮き上がり、セリスの右手に収まった。
これは羽ペン自体に、予め「浮遊魔術」がかけられた魔石が埋め込まれているためなのだが、この羽がまるで意思を持っているようでドキリとする。
加えて、字を書くこと自体が久しぶりなので、おぼつかない手つきでペンを走らせ、何とか自分の名前を書き終えた。
アルベルトの方をチラリと覗いてみると、既に書き終えたのか、誓約書を神父に手渡すところだった。
ラン国では王族の婚姻も「クロノス教会」が管轄をし、教会が認めなければ婚姻を結ぶことが出来ない。そのため、この誓約書はセリスたちの婚姻に関する正式な提出書類となるのだ。
──もう、これで引き返すことは出来ない。
「私は、お二人の結婚が成立したことを宣言致します」
(ああ、とうとう宣言されてしまった……。いくら微かに笑まれたと言っても、陛下が陛下たることに変わりはなく、わたくしが陛下に心を開くことはこれからも無いわ)
そう固く改めて決意をしながら、神父の穏和な表情を眺めていると、彼は再び小さく頷いた。
「それではこれから、たった今王妃となられたセリス王妃様の戴冠式を行わせていただきます」
セリスは結婚と同時に王妃となったため、結婚式の後に戴冠式が執り行われることとなっていたのであった。別の日程で行う国もあるのだが、今回の場合はクロノス教会の強い意向で決定したのだ。
「それでは陛下」
アルベルトは頷くと、神父からティアラを慎重に両手で受け取った。そして側で控えていた侍女が、セリスの足元付近にクッションを敷き、それを合図に反射的にセリスはその場で跪く。
「……そなたが、良き王妃であらんことを」
「ありがたき幸せにございます。王妃としての責務を全うしたく存じます」
セリスがそっとわたくしの頭部にティアラを乗せると、幾つもの宝石が煌くそれはズシリとした重量を感じた。
(このティアラを、再び身につけることが出来る日が来るとは思わなかったわ)
この重さを、今度は忘れないようにしようという想いが漠然と湧き上がった。
そして、たちまち参列者から拍手が起こり、礼拝堂中にその音が響いた。
──王妃としての責務……。
(過去のわたくしは、王妃として責務を全うすることが出来ていたのだろうか……。何より、これから陛下にはぞんざいに扱われ、カーラには貶められる未来が待っているのだ。王妃としての務めを全うして生きるには、その未来とも対峙していかなければならない)
絶対に同じ轍は踏まない。セリスはそう決意をしながら、差し出されたアルベルトの腕にゆっくりと自分の腕を絡ませ、今度は二人で赤い絨毯の上をゆっくりと歩いて行く。
(再び緊張して来たわ……)
不本意ながら、腕をアルベルトの腕に絡みつかせていること自体に嫌悪感が怒涛の勢いで襲って来て、心臓が持ちそうに無い。
早くアルベルトから離れてしまいたいけれど、出入口の扉までの距離が先程よりもとても長く感じられて、当分離れることは難しそうだった。
心の中で、「陛下の足でも踏んづけてやろうかしら」と、半ば自棄になりそうになりながら歩いていると、突然冷たい刺すような視線を前方から感じた。
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