助祭ハルツ3 後編
助祭ハルツは痛む足を引き摺って自分の天幕にどうにか戻った。傷を手早く手当てし、暗い気持ちで聖女様に謝罪に向かった。
聖女様は快く助祭ハルツを許して下さった。助祭ハルツが信じられないくらいだ。きつい叱責は覚悟していた。それなのに聖女様は残念そうにしながらも慈愛の心で許して下さった。
やはり聖女様は素晴らしい方だ。
「お父様がリュー様のお心は魔王を倒してからしか手に入らないと教えて下さったの」
助祭ハルツが勇者様の元に行っている間、エルフの鏡で父上であるクスタリアの王と話をされたそうだ。そこでそう教えていただいたらしい。
助祭ハルツは、今までの苦労は? と思わないわけではないが、やはり勇者様と聖女様が結ばれる運命にホッとした。
ほんとうに細やかな激励会が終わり、助祭ハルツは自分の天幕で寛いでいた。とうとう明日でこの旅が終わる。最後の大仕事が待っているからまだまだ気を緩められないのだが、二年に及ぶ旅の終わりを感慨深く思ってしまうのは仕方がないだろう。
「ふう」
助祭ハルツは深くため息を吐いてしまう。
思い出されるのは聖女様を頑なに拒絶する勇者様の姿。何度もそれが間違いだと正しても聞き入れてもらえなかった。この旅で二人の仲は進展すると、いや進展させるつもりであったのに……、出発の時より悪くなってしまった。
聖女様の仰られる通り、本当に魔王を倒したら勇者様のお気持ちは聖女様に向かれるのか? そう疑問に思うほど今の勇者様の態度は最悪だった。
『愚かじゃ、愚か』
助祭ハルツはギョッした表情で天幕の中を見渡した。そして見つけた。天井に黒い小さなものが浮かんでいるのを。
さっきまではなかった。何だ、あれは? 虫ではないな?
助祭ハルツがそれを見つけたからか、黒いものは下に降り大きくなっていく。そして、あの時現れた神官服を着た煤のように黒い頭部を持つ魔物の姿になった。
『最後であったのに、ヌシが変えれる、未来を大きく変えられる最後の機会であったのに』
助祭ハルツは逃げようと足を動かそうとした。急に駄犬に噛まれた所が酷く痛みだした。さっきまでなんともなかったのに。痛くて足を動かすことが出来ない。
『だが、これで時が来たれば憂い無くヌシと代わることが出来る』
代わる? 冗談じゃない、そんなことお断りだ!
『お主はどんな魔物を生むのであろう? ワレのように小さいものではなさそうじゃの』
ぬうっと真っ黒い頭部が目の前に来て、助祭ハルツは声にならない悲鳴を上げた。
黒い頭部には口が無いのに生臭い息を顔に吹き掛けられたような気がする。気持ち悪くて肌が粟立ち吐き気がする。
「ま、ま、おうは、ゆ、ゆう、しゃ、さまに、た、たたお、され、る。わ、わ、たし、が、お、おま、えに、なる、か、か、かのう、せ、いはない!」
腰が抜けた助祭ハルツは手で必死に後退りしながら、どうにか言い切った。明日、勇者様が魔王を倒す。そうなれば魔物がすべて消え失せるはずだ。目の前にいるのもそうなるはずだ。
『ワレもそう思っておった。ジルベの犠牲で平和になった、と』
「ジルベ?」
聞き覚えのある名前か頭に引っ掛かるが、恐怖のほうが勝っていた。
『ワレは今でも悔いておる。ジルベに話すべきであった、と』
そのジルベに話していたら何かが変わったというのか?
『必要ないと言われ、知りたがっていたジルベに何も教えなかった』
何故そんな話をする? それが自分が魔物にされてしまうのとどう関係しているのか?
『ワレが教えておれば、憐れなパースはあのような姿にならずにすんだ。パースはただジルベの幸せを願っていただけじゃ』
パース? この名前にも聞き覚えがある。誰だったか?
『ワレは知っておった。ジルベが昔からノーラ様を嫌っておったことを。それは旅の終わりまで変わらなかったことを聞いておったのに』
ノーラ、さ、ま? この名前はたしか……。
「まさか?」
浮かんできた答えを首を振って否定する。そんなはずはない。幸せに暮らした、となっていたのだから。
『ノーラ様は、変わることが出来ぬかった、変えることも出来ぬかった。最後まで愚かで傲慢なだけの小娘であった』
ち、違う。先代聖女様はそんな方ではなかったはずだ。だから、別人だ。
『ジルベの絶望は国を終わらせた』
「だ、だから、何の話をしているんだ!」
助祭ハルツは叫んだ。この声が外に聞こえたら誰か来てくれる。も、もしかしたら昼間のことを反省した勇者様が謝罪にここに向かっているかもしれない。あの勇者様ならそうなさるはずだ。なら、じ、時間さえ稼いだら……。
『無駄じゃ、無駄じゃ。ヌシの声は外には聞こえぬ。そしてのう、勇者はヌシのためにもう剣を抜かぬ』
そ、そんなことはない。お優しい勇者様だ。異変に気が付いたら駆け付けて下さる。
『愚かじゃ、愚か。あれだけ勇者を蔑ろにしてのにのう。助けて欲しい時だけ縋るとは』
「わ、私は勇者様に誠心誠意尽くしておる!」
黒い頭部は面白そうに嗤い声をあげた。
『勇者の全てを否定し貶めておったのに誠心誠意とは』
「そ、そんなことはしていない。私は勇者様のことを思って行動していた」
勇者様が正しい位置にお立ちになるよう導こうとしていた。何一つ間違ったことはしていない。
『愚かじゃ。だから、ヌシはワレとなる』
「誰が貴様のような存在に」
魔物になどなるものか。
『そうじゃのう。ヌシはワレにはならぬかもしれぬ。後の者たちが間違えなければ』
助祭ハルツは目を見張った。間違えなければ魔物にならずにすむということに。何を間違えてはいけないのか、それを聞き出さなければならない。
『ワレは間違えた。ジルベに絶望を与え、パースを異形の姿とさせてしまった。ワレが間違えなければ、パースだけでも助けられたかもしれぬのに』
何を間違えたのだ。早くそれを話せ。
『おお、そうじゃ、そうじゃ。まだ、ヌシにも機会が残されておった』
何だ、それは。勿体をつけずに早く話せ。
『明日、正しく出来たなら、ヌシはワレにならぬかものう。無理な話しじゃが』
そ、それなら大丈夫だ。勇者様と聖女様に最後まで誠心誠意尽くすだけだ。お二人の幸せを祈り、憂いを無くしておく。
ホッと息を吐いた助祭ハルツは次の言葉でギョッと目を剥いた。
『ほんに愚かじゃのう。だからこそ間違いに気づかぬ』
「わ、私は間違っていない!」
『それは近い将来証明されるじゃろう』
黒い頭部の神官服を着た魔物はすうっと消えていった。
助祭ハルツはニンマリと嗤った。まだ恐怖で体は震えていたが、腹の底から笑いが込み上げてくる。
愚かなのはあの魔物だ。何を間違えたのかはわからなかったが、先代勇者ジルベ様に関わりがあった者なのだろう。先代聖女ノーラ様を悪様に言っていた。だから、魔物に身を落としたのだ。先代剣士パースも先代聖女ノーラ様に楯突いていたらしい。なら異形の姿に落とされても仕方がない。
助祭ハルツは間違えていない。正しく使命を果たそうとしている。魔物になどなるはずがない。だから、安心して寝ることが出来た。
翌日、助祭ハルツは気合いを入れて、魔王の城に向かう者たちを見送った。
勇者様はまだ怒っておられるのか、助祭ハルツと目も合わせず返事もされなかった。時が来れば助祭ハルツが正しかったことを分かられ悔いられることだろう。いつまでも悔いておられぬことを祈るばかりだ。
聖女様には勇者様との将来を祝福した。そのお幸せな姿を拝見したいが、大仕事でどうなることやら。生き残るつもりではあるが。
勇者様たちの姿が魔王の城に吸い込まれるように消えた。あとは城の消滅を待つだけだ。魔王が倒されると魔王の城も消滅するとなっている。
その間に最後の大仕事の準備に取り掛からねばならない。助祭ハルツは自分の天幕に急いで戻った。
『やはり………、愚かじゃったか……』
お読みいただき、ありがとうございます。
サブタイトル『助祭ハルツ』で始まる話はこれで最後です。




