助祭ハルツ3 前編
助祭ハルツは焦っていた。
嫌がる聖女様を説き伏せ、魔王の城に向かうことをやっと了承させた。だから、今から聖女様にお話した″それ″を現実にしなければならない。
本来なら″それ″はもう現実になっていなければならなかった。今の状態が不自然でおかしいのだ。勇者様が聖女様を疎うなどあってはならないことなのにあの勇者様は……。
駄犬に散々邪魔をされ、やっと見つけた勇者様は相変わらず助祭ハルツの言葉を聞き入れてくれない。誠心誠意言葉を尽くし、分かりやすく説明しても理解しようとしない。おまけに勇者になりたくなかったなど戯けたことを言い出す。
さらには、
勇者になったことを呪っている
だと!
まったくもって困ったお方だ。何故神はこのような者に金色の瞳をお授けになられたのだろう。いやいや、神のなさること、深い意味がおありなのだ。助祭ハルツごときでは考えに及ばない真意が隠されているのだろう。
困ったお方でも誠心誠意お仕えするのが助祭ハルツの役目。その役目もあと少しで終わってしまう。それまでに勇者様のお気持ちを正しく導いてさしあげなければならない。そう、聖女様に寄り添うのが当たり前だと分かっていただかなければ。
やはり低俗な冒険者たちと一緒にいたからこうなったのだ。早々に冒険者たちから離しておかなければならなかった。そうすれば聖女様との仲も良くなっていたことだろう。
『もうあんたと話すことはない。出発の時間はサーフさんに伝えてくれたらいい』
勇者様は走り去ってしまった。追いかけて諭したいのに邪魔をする者たちがいる。
こちらは時間が限られているというのに!
『あんたはどれだけリューを傷つけたら気がすむんだい』
カカラとかいう生意気な女A級冒険者だ。そして、助祭ハルツの背後で土を踏む音がする。S級冒険者、タスクだ。勇者様から信頼厚い二人。勇者様の先程の戯言も恐らくこの二人に何か吹き込まれたからだ。このような者たちを信頼なさるから勇者様が正しい姿になられないのだ。
だが、この二人の実力は本物だ。この二人がいたからこそ、討伐隊に今の人数が残ったといえる。だから、まだ処理は出来ない。勇者様が魔王を倒されるまで魔物が我らを襲ってくるかもしれない。邪魔だが貴重な戦力をまだ失うわけにはいかない。
「リュー様には現実を分かってもらわねばならない」
それで多少傷つかれてもきっと近い将来、助祭ハルツの言葉が正しかったと理解される。
「平民の、それも底辺にいた者が人並みの幸せを得ることがどれだけ大変か、あんたが知らない訳がないだろう?」
女冒険者の言う通りだ。身分制度があるこの世界、下にいる者ほど搾取され幸せとは程遠い生活を強いられる。
小作人の息子に生まれた助祭ハルツもよく分かっている。
苦しい生活から抜け出したくて家を出ていった兄は身を崩し窃盗団の一員となっていた。憲兵に捕まり兄は処刑され、縁坐で処刑はされなかったが家族も犯罪者扱いされ蔑まれた。父は小作人を辞めさせられ、住む家も取り上げられ、家族は路頭に迷うことになった。生まれたばかりの弟はあっけなく死んでしまった。
巡礼中の司祭様に運良く拾われ、体格の良かったハルツは神官兵となり、家族は新しい地で職に就くことが出来た。妹はその地で知り合った男と夫婦になれたが、余裕のない暮らしをしている。それでも妹夫婦は家族が一緒に暮らせているから幸せだと言っている。けれども助祭ハルツが訪ねる度に持っていく手土産をご馳走だと妹の子供たちは喜んでいる。質素倹約を掲げる神官兵が持っていく物など大した物ではないのに。それなのに大はしゃぎで喜ぶ姿をいつも哀れと思っていた。
「たからこそ、この幸運を喜ばれるべきなのだ」
勇者様と聖女様は結ばれるべきなのだ。幸せになると決まっているのだから。そして、今世の聖女様は王女殿下であらせられる。輝かしい将来が保証されているのに、何故価値のない平民の娘を選ぶのか。勇者様のお気持ちが理解できない。
自らお選びになった者だから思い入れがあるのかもしれないが、取るに値しない娘だということを早く自覚してほしい。それにたとえ一時の気の迷いだったとしても聖女様を差し置いて勇者様は妻を娶っていた。早く決別して聖女様の許しを乞わなければならないのに。
「幸運? どこが? どう考えても不幸じゃないか」
不幸だと。神から勇者に選ばれた栄誉を、聖女様と婚姻出来る幸運を不幸だとこの女冒険者は言うのか。なんたる冒涜!
「な、なんということを!」
この女冒険者は許しておけない。腰にある剣に手が行く。刺し違えても許しはしない。
「ハルツ殿、貴殿は妻のいるリューが何故勇者に選ばれたのか、考えたことはないのか?」
助祭ハルツはハッと手を止めた。
ここにはS級冒険者のタスクがいる。女冒険者だけでも手に余るのにタスクまで相手に出来ない。
助祭ハルツにはまだ使命がある。聖女様たちを魔王の城に送り出すという大切な使命が。
「歴代の勇者たちにも最愛の人がいた。何故、相手がいる者しか勇者にならないのか、考えないのか?」
「それは聖女様の素晴しさを実感するため。その証拠にどの勇者様も魔王を討伐された後は聖女様と婚姻なされている」
何故、こんな簡単なことが分からないのか。低俗な娘よりも聖女様の方が素晴らしいと理解されるためにわざと勇者様になられる前は聖女様ではない女に惑わされるのだ。だから、今世の勇者様も最後は聖女様をお選びになる。ただ助祭ハルツが聖女様の素晴しさを勇者様にお教えたかった。
「魔王の城に入る直前まで聖女ではなくその人を思っていたのに?」
なら、魔王との戦いで聖女様の素晴しさを理解されたのだ。勇者様は聖女様と必ず結ばれるのが運命なのだから。
「リューは普通の平民だった。剣も持ったこともない、本当にどこにでもいる若者だった。そんな若者が金色の瞳になり魔物を倒せる力を持ったからといって、魔王を倒そうと、倒せると思えるか? この世界を滅ぼすことが出来る力を持った魔王を」
「そ、それが勇者様の役目だ」
魔王を倒すのは勇者様に与えられた使命だ。思える、思えないのではない。しなければいけないものだ。
「そうだねぇ、そう簡単には思えないのが普通だねぇ」
「バ、バカな! 勇者様に選ばれたのだ、すぐに使命を果たすと思うことが自然で当たり前だ!」
何を言い出すのだ。神に選ばれたのだぞ、最初はその栄誉に戸惑われるかもしれないが、我ら神官の導きですぐに使命の尊さを理解されたはずだ。
助祭ハルツの前後で大きく息を吐く音がする。
「あのリューの叫びを聞いてもそう言うとは」
「結局、人の言葉なんて何にも聞いていないんじゃない?」
呆れた二つの声に怒りが湧く。勇者様は勇者様であらねばならぬのに!
「リュー様は魔王との戦いの前に気が立っておられただけだ」
そうだ。その通りだ。魔王との決戦が目前となり、勇者様とはいえ少し不安になられたのだろう。早く目を覚ましてほしいと願うばかりに真実とはいえきつく言い過ぎたかもしれない。旅の最後の夜になると思って気が急いてしまっていた。それは反省せねば。
「にしても、聖女様の素晴らしさ、ねぇ」
呆れているようにもとれ、感心しているようにもとれる言い方に苛立つ。
確かに今世の聖女様は私の導きが悪かったのかまだまだ未熟なところが有られるが。
「聖女様も聖女様で頑張っておられる」
「ふーん、頑張って、ねぇ。」
いちいち煩い女冒険者だ。聖女様の頑張りも認めぬとは。辛い旅を文句も言わず堪えてみえたのだ。可愛らしい些細な泣き言で我慢されていた。むしろここまで頑張られたことを誉めてさしあげるべきだろう。
勇者様と聖女様は神に選ばれし者。特別な存在。まあ、低俗なこの者たちにはそれが理解出来なくても仕方がない。そう仕方がないのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
9月になりました。今月も残暑が厳しいらしいです。体調にはお気をつけください。
明日、ハルツの後編を投稿します。
ハルツ3は中編・後編になりました。
誤字脱字報告、ありがとうございます。




