初代勇者と二人の聖女 ー呪うー
「くっ!」
タスクは唇を噛んだ。ミクラに忘れな草を飲ませられなかったことをこれほど悔やんだことはない。そして………。
ウー、ワンワン
「まったくもって忌ま忌ましい犬だ。せっかく聖女様にその気になっていただけたのに。大人しく勇者リュー様の所に案内せぬか!」
時間切れだった。子犬の唸り声と助祭ハルツの苛立つ声が聞こえた。
リューが顔に手を当てて疲れた息を吐いていた。あの我が儘聖女をどうやってその気にさせたのか。嫌な予感しかしない。
「この馬車の中に!」
ガルルルー、ウーワンワン
「居ないではないか! では、そちらか!」
あの子犬は本当に優秀だ。吠え方や場所で上手く助祭ハルツを違う場所に導いているようだ。このまま大人しく去ってくれればいいが。
「……、タスクさん、答えて欲しい」
リューの震えた声にタスクはゴクリと喉を鳴らした。
「勇者の思い人は勇者が帰って来ているのに会うことなく死んでいる。そして、勇者は聖女と結ばれている、であってる?」
タスクは真実を言いたくなかった。だが、タスクを真っ直ぐに見つめる金色の瞳は易々と嘘と見抜くだろう。
「……。ああ、そうだ。六代目勇者からはそうだったらしい。それ以前は分からないが」
タスクは小さく息を吐いて話を続けた。これも言っておかなければならない。
「勇者たちは旅の間はそれぞれの思い人を思っていた。だから、魔王を倒してからどうして聖女を選んだのかは分からない。その理由を調べることはどうしても出来なかったらしい」
そう、思い人が人質に取られ勇者は仕方なく聖女を選んだ、ということなら分かる。だが、それなら人質である思い人が早々に死んているにも関わらず、聖女と最後まで添い遂げていたことが理解出来ない。勇者に思い人が死んでいることを隠し通せたとは思えないから余計に。
「そっか……、勇者たちは……」
リューは剣ダコが出来た手を見ている。思い人を守るために勇者となることを決め剣を取った。それが無意味になるかもしれない……。
「けど、まだどうなるかは……」
ミクラが躊躇いながら声をかける。
「そうだね。けど、ヒナには俺に構わず逃げて、と言ったことがあるんだ。権力を持つ人は嘘吐きが多いから」
「けど、待ってる、て言われたんだろ」
カカラの言葉にリューは、うん、と笑った。
「(魔王討伐から)戻ったらちゃんと会って話そうって。だから、俺も俺にしか出来ないことを、魔王を倒してくる。じゃないとヒナに胸を張って会えないから」
タスクは何も言えない。二人とも助けてやりたいのにどうやっても力になってやれない。見守ることしか出来ないのが口惜しい。
「も、もし、本当にもしもだけど、ヒナさんを泣かすようなことをしていたら本気で殴ってやるから」
ミクラが泣きそうになっていた。
リューも顔を歪めて、そうならないようにする。と答えていた。
そこに無粋な声が乱入する。あのまま子犬に撹乱されて何処かに行ってしまえばよかったのに。
「リュー様! こんな所にいらっしゃいましたか」
息を切らした助祭ハルツが姿を現した。その足に子犬が噛みついた。助祭ハルツが痛みに顔を歪め子犬に掴みかかろうとした時、タスクの隣で慌てた声がした。
「カリン、おいで!」
カカラが呼ぶと子犬は噛みつくのをパッと止めた。早技で噛みつかなかった助祭ハルツの足に粗相をして、嬉しそうに広げられたカカラの腕の中に飛び込んでいく。まったくもって賢すぎる犬だ。
「こ、この駄犬が!」
青筋を立てながら怒鳴る助祭ハルツにリューの冷たい声がかかる。
「やっと行く気になったの?」
「は、はい。で、ですので、マリア様のお気が変わらぬようリュー様もお話を合わせていただきたく」
どんな甘言を囁いて聖女をその気にさせたのやら。それがリューにとって禄でもないことは容易に想像出来る。
「あんたがあの女に何を言ったのかは知らないけど、俺が愛しているのは妻ヒナだけだから」
助祭ハルツの顔が苦虫を噛み砕いたように歪む。
「リュー様、そんなことを仰らずに。マリア様は聖痕が御体に現れた時からリュー様のことを待っていらしたのですよ」
リューは乾いた声で笑いだした。そんなことはない、というように。
助祭ハルツは何故分かって貰えないのかと息を吐いているが、根本から間違っていることに気付こうとしない。
「勇者を待っていたんだろ。俺じゃない、金の瞳を押し付けられた者を待っていただけだ」
「ち、違います。マリア様はリュー様が目覚められることを待っていらして……」
タスクにはリューの言いたいことが分かった。カカラも気付いているだろう。
「俺が目覚める? じゃあ、俺が勇者になることを分かっていたってこと? じゃあ、なんでもっと早く迎えに来なかった? 俺がヒナと出会う前に」
それは今まで溜め込んでいたリューの叫びだった。
妻と出会う前に勇者として迎えが来ていたのなら、妻を今のような辛い立場にすることはなかった、と。掴めた幸せを知らなかったのに……。
「そ、それは……、勇者様はお目覚めになって勇者様と分かるのです。勇者様になられるお方がいらっしゃることは分かっていてもそれが誰かまでは……」
誰が勇者になるのか分からなかった。それならリューを待っていた、とは言えない。そのことに助祭ハルツは気付こうとしない。
「そ、それに勇者様になられたら聖女様と結ばれることは当然のことです」
いつもの言葉にリューが呆れた息を吐く。
「だから、勇者は呪うんだ。あんたたちが押し付けることしかしないから」
その言葉に目を剥いたのは助祭ハルツだけではなかった。
勇者が呪う? 誰を?
「な、何を仰います!」
慌てた助祭ハルツにリューは冷たい視線を向けるだけだ。
「あんたたちは勇者になってしまった者たちの気持ちを分かろうとしない。だから、俺たちは呪う、勇者になってしまったことを」
「勇者様になられることがどれほど誉れなことか分からないのですか!」
誉れ、だろうか? 勇者になることは。魔王という強大な敵を必ず倒さなければならない。思い人の命もかかっている。それがどれだけの重圧なのかは勇者にしか分からない。
「誉れ? そんなもの要らない。それに俺は幸せだった。確かに魔物は怖いけど、ヒナと一緒になれて幸せに暮らしていた。勇者になるまでは」
「勇者に選ばれることは最高の栄誉。そんな幸せと呼べないちっぽけなものとは比べものになりません」
タスクの隣で、はあ! と怒りの息が吐かれた。タスクも同じ思いだ。その幸せがリューにとってどれだけ大切なものだったのかは助祭ハルツには永遠に理解出来ないだろう。
「ちっぽけなもの? 俺にはそんなちっぽけなものでも自分で掴み取った最高の幸せだった。その幸せを勇者になったことで俺が壊してしまった」
リューは淡々と話す。だが、俯いてしまいその表情は見えない。
「それは要らないものですから、壊れて当たり前です。それにもうすぐ本当の幸せが手に入ります。聖女様という最高の伴侶をお迎えになって」
助祭ハルツが笑みを浮かべて自信満々に言い切った。何も心配することはないのだと言うように。その言葉がどれだけリューを傷つけているのか気付かない。
「……」
「リュー様?」
「……… 要らない。あんたたちが押し付けてくる幸せなんか俺には必要ない」
「リュー様、何故お分かりにならないのですか!」
「もうあんたと話すことはない。出発の時間はサーフさんに伝えてくれたらいい」
冷たい声でそう告げるとリューはバッとその場から走り去ってしまった。
「ミクラ!」
「了解です!」
タスクの声にミクラがリューを追いかけて行く。
ワン!
カカラの腕の中から子犬も飛び出してミクラを追い抜いて行った。
「リュー様、何処へ行かれるのですか!」
助祭ハルツもリューを追いかけようとするが、その前に立ち塞がる者がいた。キラリと手入れされた双剣が光を放つ。
「あんたはどれだけリューを傷つけたら気がすむんだい」
カカラの怒りの籠った低い声が響いた。
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