冒険者たち17
デッカは無の境地をひたすら目指した。天幕の一番端に立ち、必死に壁(布)と同化しようとした。
聖女の侍女がとうとう一人となり仕事が回らなくなったと駆り出された。着替えの侍女、髪結の侍女、食事の侍女など役割毎に侍女がいたようでとてもじゃないが一人で回せないと。自分のことは自分でしているデッカとしては信じられない話だ。小さな子供じゃあるまいし靴までまだ履かせてもらっているなんて。
だからといってデッカが駆り出されても出来ることなんてほとんどじゃなくて全くない。お貴族様、それも王族様のお世話なんて分からない。
出来ても配膳くらい? と思ったけど料理を一気に出してはダメとか、出す順番が違うとかイチイチ煩い。いつ魔物が襲ってくるか分からないのだから、食べられる物を素早く食べてくれたらいいのに。
今は一人になってしまった侍女が靴を並べて聖女に選ばせていた。履きたい気分の靴が無いらしい。どうやら昨日出発した野営地で積み忘れたみたい。毎回バタバタとしているから積み忘れも出てしまう。
出そうになるため息を必死に我慢する。師匠のカカラは笑いを堪えるのが辛いからと洗濯する方を選んだ。デッカも出来るならそっちが良かった。
「取りに行きなさい」
「申し訳ございません。マリア殿下」
侍女は平伏叩頭している。今ある靴を履けばいいのに。ここに無い靴が良かったと無茶を言ってくる。
「これでは外に出られないわ」
悩ましげにため息を吐く姿。手入れされた金色の髪、憂いを帯びた薄紫の瞳、形のよい小さな唇。精巧に作られた人形のように綺麗で目を奪われるけど、中身がね。
「何ぐずぐずしているの! そこの冒険者と早く行ってきなさい」
デッカは堪えきれなくなって息を吐いた。何を言っているのか理解に苦しむ。
野営地に取りに戻れ? 昨日は魔物の襲撃もなくけっこう進めた。そう簡単に取りに行ける距離じゃない。魔物も出るのだから、女二人(一人は非戦闘員)では絶対に無理、死にに行くようなもの。
それにもうすぐ出発。取りに行っても戻るのはここではなく何処になるか分からない次の野営地。もしかして戻って来るな! と言われてる? 一人じゃ何も出来ない人に。
「マリア殿下、どうかお考えを」
「そうねぇ、靴がないのなら馬車まで抱き上げて連れていただかないと。そうでしょう」
何がそうなんだろう。デッカにはわからない。ある靴を履けばいいだけなのに。
キッと侍女がデッカの方を向いた。
「リュー様が馬車までマリア殿下をエスコート出来るようにしなさい! 出来ないのなら今すぐ靴を取りに行きなさい!」
何をバカなことを言ってるんだろ。履ける靴が他にもあるのに。それに靴を履いていなかったら、もしもの時にどうするんだろ。
「早くしなさい! 優しいリュー様です。マリア殿下をエスコートされることを選ばれるでしょう」
あー、つまり靴を取りに行きたくないのなら勇者に馬車まで聖女を抱いて行くのを頼み込んでこいってこと? 言いに行ってもいいけど、それすると余計嫌われると思う。それでもいいのかな?
「マリア殿下」
天幕の外から声がかかった。この声は剣士だ。
デッカはやっと救いの主が来たと喜んだ。剣士だけは聖女に無理なものは無理だと言って宥めてくれる。靴もある物で選ぶように言ってくれるだろう。
「殿下はまだ身支度中です」
侍女がキッと答えてるけど、その声は焦っている。あー、剣士にバレると反対されるから。
「リュー様がこれを」
天幕の裾を少し上げて入れられたのは一足の靴。聖女が履きたいと言っていた探しても無かった靴。侍女が戸惑いながら取りに行っている。これで計画が無くなったからね。
けど、聖女は…………。
「まあ、リュー様が」
頬を染めて嬉しそうにしている姿は可愛らしい。姿だけは。けど、喜んでいいの?
「ええ、早朝、殿下に指示された神官が岩影に置いていた、と」
一瞬にしてその顔から色が無くなる。
「そ、そんなこと、わ、わたくし、が、する、と、でも」
いえ、その言い方だと身に覚えがある、て言っているようなもの。カカラが笑いたくなる気持ちも分かる。
「殿下、私がその場で神官を取り押さえ詰問致しました」
剣士の悲しそうな声に聖女の顔がさっきとは違う赤に染まる。
デッカは慌てて耳に手を当てた。
「う、嘘を仰い。わ、わたくしはそのようなことをしておりません」
怒りまかせに甲高い声で叫ぶから、耳を塞いでもキーンとくる。
「失礼を申しあげました。天幕を片付ける時間ですので早くご準備を」
大きく吐かれたため息の後に言われた言葉。ワナワナと震えている聖女の体。
怒ってる、怒ってる。怒っている理由が靴を隠したことがバレたことか、勇者に抱き上げて運んでもらうことが無くなったからなのかは分からないけど。あれで好かれると思うのはお貴族様、いや王族様だから? 平民のデッカには到底理解出来ない。
デッカは聖女を見ないようにして並べられた靴を手早く片付け出した。とばっちりを食いたくない。それに早く片付けないと天幕を畳めない。
「今日はさっきの青い靴にするわ」
えー! さっき片付けたばかりなのに! で出すと片付けた違うのをと言い出すんじゃあ。
「殿下、早くされないと」
侍女が急かすが聖女の眦が上がるだけ。
『聖女って、やっぱこんなんだ』
急に男の声がした。この広い天幕には聖女と侍女、デッカの三人しかいないはずなのに。
「だ、誰ですか!」
侍女が震えながらも聖女の前に立ち、問いかけている。それよりも聖女を連れて天幕を出てくれたらいいのに。外には剣士がいるはずだから。
あっ、靴を履いていないから歩けないんだ。
デッカは手に持っていた靴を投げると腰の細身の剣を抜き、声がした方を向いた。
その間に近くにある靴を履いて逃げてくれたらいいんだけど。
『あっ! 戦いに来たんじゃないから』
そこには色黒で色褪せた茶色の髪の青年、不審者が立っていた。顔が整っているから見たことがあれば覚えているのに。
こんな男、知らない。それにさっきまでいなかった。
不審者がいる場所はさっきまでデッカが立っていた所。近くに誰かいたのなら気がついた。それに聖女の天幕は神官と騎士で厳重に警護されている。見知らぬ者が簡単に入って来れるはずが……ない!
「失礼!」
異変を感じ取った剣士が入ってきてくれた。
『人数が増えるのは嫌だな』
その声と同時に外が騒がしくなる。
『大丈夫。少しの量しか呼んでないから。それも弱いヤツらだし』
ヒラヒラと手を振って話す不審者の口調は凄く軽い。
「魔物だ! 聖女様をお守りしろ」
デッカは外へと思ったが、剣士がいるからって不審者を残して魔物の方に行けない。ここには守りたくないけど聖女がいるんだから。
『お前が今回の剣士か』
よお! と手をあげた不審者の言葉が理解出来なかった。
『今回も無事代替り出来そうだとは聞いていたけどさー。まあこんなことオレにはどうでもいいんだけど』
代替り? 何の?
『オレの次のヤツ、見てみたいじゃん。』
オレの次? 誰が誰の次?
『今回頑張ってるからさー、あっちも早く動けるようになってて。まあ、終わるんならそれもいいだろうし』
頑張ってる? あっちも早く動く? 終わる?
意味が分からない。
不審者の容貌が変わっていく。目は吊り上がるを通り越して縦に、口は耳元まで裂けていく。
「ま、魔物!」
剣士が剣に光を纏わせて斬りかかって行く。デッカは不審者(魔物?)に剣先を向けながら、聖女たちの方に行く。外の様子は分からないけど、人型の魔物にはデッカでは敵わない。剣士が相手を引き付けている間に二人を安全な場所に……。それは何処?
『だから、戦うのはまた今度』
ヒョイと剣を避けて、不審者(魔物?)は目の位置まで口角を吊り上げた。その有り得ない顔に肌が粟立つ。怖い。
一瞬天幕の中が真っ暗になった。聖女の甲高い悲鳴で耳が痛い。すぐ明るくなったんだから、叫ばないでよ。剣士の剣は見えていたでしょ。光っていたのだから。
『お前は間違えるなよ』
「消えた?」
剣士が構えながら辺りをキョロキョロと見回していた。不審者(魔物?)の姿が何処にもない。その代わり天幕を突き抜けて現れたのは。
「あ! 鼠!」
「こいつか!」
剣士に魔物の鼠が突進してきた。剣士が難なく串刺しにして仕留めてる。隠れる場所などないのに不審者(魔物?)は何処?
「どうかしましたか!」
助祭ハルツが天幕に飛び込んで来た。あの甲高い悲鳴を聞いて心配で見に来た。
「鼠の魔物が出た」
「取り零しが…。聖女マリア様、怖い思いを。申し訳ございません」
剣士が剣を鞘に戻しながら話している。
不審者(魔物?)のことは?
「ええ、急に現れて。タキ様が仕留めて下さいました」
侍女が胸を撫で下ろして答えている。
えっ? 不審者(魔物?)は? あの意味の分からない言葉を伝えなくてもいいの?
「早く剣を仕舞わぬか!」
凄い剣幕で助祭ハルツに言われて、デッカはとりあえず剣を鞘に戻す。
「量も少なく鼠ばかりでしたが、早くここから移動致しましょう」
助祭ハルツの言葉に聖女は侍女が差し出した靴を履いてさっさと天幕を出ていく。魔物のいた場所にはいたくない。て感じアリアリで。
デッカは何も言えないまま聖女の物の片付けに戻った。言っても誰も信じてくれない? なんかそんな感じがする。
人の記憶が急に消える
師匠が言っていたことはこれなの! と思いながら。
お読みいただき、ありがとうございます。
レビューいただきました。
評価・いいね・感想・誤字脱字報告。
拙い本作にいつもありがとうございます。




