冒険者たち7
「ったく、クスタリアは愚かすぎる」
鏡を見ると法王が椅子に体を預けて疲れた表情をしていた。リューに見せていた優しげな雰囲気は微塵も残っていない。それどころか整い過ぎた容貌は無機質に光る抜き身の刀剣のように冷たく何もかも切り捨てているように見えた。
「にしても、祈れ、とはな」
何も出来ないリューには救いの言葉だったが、タスクからしたらこの男からそんな言葉が出るとは思いもしなかった。
法王はふんと鼻を鳴らす。
「今のリューに出来ることはそれしかないだろう。それから神などに祈っても無駄なだけだ」
この男が神を信じていないことは分かっていた。だがこうもはっきり言われると呆れの方が勝つ。この男は、曲なりにも創造神の代理人だ。
「法王猊下なのにか?」
「私だからだ。その時出来る最善を探す方が有効だ」
その言葉に納得する。なんでもかんでも神の思し召しとするより現実的だ。
「本当は側に行かせてやりたいが」
確かに。これが城を出て数日ならタスクも戻ることをリューに勧めた。だが、馬を交換して強行で戻ったとしても一ヶ月以上かかる。その間に勇者の妻の容態は、いや、勇者の妻がどうなるか分からない。あの国の者と神殿の者たちは勇者は聖女と結ばれるべきだと信じている。邪魔な妻を事故として殺せるこの機会を逃さないだろう。
「ヒナは死なない。アレもまだ殺さないだろう」
タスクが最悪なことを考えていると法王が不思議なことを言った。
「(アレ)?」
法王に何かを聞こうと声にしたはずなのにその何かを忘れ言葉に出来ない。何故だ? それが分からないのがとてつもなく気持ち悪い。
法王が残念な笑みを浮かべてタスクを見ている。そんな目で見られることが不満で不安で落ち着かない。
「ヒナさんは助かるということか?」
「たぶん、としか言えないが。本人の体力的なこともある。クスタリアも必死で治療している」
あの国が? と思ったのが顔に出たようだ。
「あの王はリューに約束している。リューが勇者となり魔王を倒す代わりに魔王が倒されるまでのヒナの衣食住は保証するとな。ヒナが死に、勇者が魔王を倒せなかったり倒さなかったら約束を守らなかった自分の責となる」
保証したのは衣食住だけか……。安全は保証していないから、死なない程度なら何してもよい? その考えに虫唾が走る。
「今回のことは王も予想していなかっただろう。虐げられヒナが勇者の妻でいることを諦めるのは狙っていたと思うが……。それも愚かすぎる考えだ」
リューが知らなければそのまま勇者の妻を見殺しにし、魔王討伐まで生きていたように装うつもりだった……。だが、リューは知ってしまった。だから、慌てて治療に力をいれている。本当に腐っているとしかいいようがない。
「ヒナの容体が安定するまでリューは戦えないだろう。だが、完治するまでこの町に逗留させられない」
皆一刻も早く魔王が討伐されるのを待っている。勇者が怪我をしていないのに同じ場所に長逗留するのは許されない。それが勇者の大切な者のことであっても。それほどまでに皆が魔王が倒されるのを切望していた。いや、勇者は魔王を倒すためにいる、とほとんどの者がそう思っている。皆、勇者に心が感情があるなど思っていない。
「そうだな、五日。五日が限度だろう。武器の整備や防具の補修などを理由としても」
この町に留まれる日だ。刃毀れした武器をしっかり直すとなるとそれくらいの日数は欲しいが町の者たちが納得するかは別だ。
「それまでに容態が好転してくれればよいが……」
その言葉に勇者の妻が本当に危ない状態なのが伺える。
「この町を出たら、日に一度は必ず報告させる。ヨークハサラでも今はクスタリアの王城を探るのは難しくなっているから明細なことは送れぬが」
その言葉に目を剥く。情報収集能力に長けるヨークハサラの者が探れない?
「それだけクスタリアには不思議な力が働いている、ということだよ。私がヒナに付けた者も全て排除されている」
「それは……」
何か聞こうとしたはずなのにまたそれが何か分からなくなった。そのことがもどかしく、とてもイライラする。
もう一度何を言ったのか聞こうと法王を見て、タスクは目を見開いた。鏡に糸のようなものが映っていた。それは法王に絡み付き縛り付けるように巻き付いている。
「どうかしたか?」
法王の声にハッとする。それと同時に糸のようなものは消え、訝しそうにこちらを見る法王の姿だけが目に映る。見間違い? いや、確かに糸のようなものがあった。
あれは何だ?
問いを口にする前に鏡の向こうで法王を呼ぶ声がした。
「これ以上は無理なようだ」
法王が残念そうに息を吐いた。こちらは聞きたいことがまだまだある。
「情報は私を通すと遅くなる。直接、ホーエンス卿にも伝えるように言っておく」
「どうやって?」
目印は? 知らない者からいきなり聞いても信用出来るわけがない。
鏡の中の法王が少しずつ薄くなっていく。
「ホーエンス卿なら分かる方法だ。いつまで私でいられるか分からない。だが、打てる手は打っておく。では、リューを頼むよ」
「お、おい! 待て!」
いつまで私で? それはどういうことだ?
見る見る間に鏡の中から法王の姿は消え、普通の鏡に戻っていた。見計らったように神官が来て、宿の方で勇者がいないことで騒ぎになっていることを知らされる。
自分の顔が映っているだけのそれを睨み付け、タスクは急いで宿に戻った。
「勇者様はご一緒では? 聖女様がお呼びなのです」
「リューは安全な場所で妻の無事を祈っている。場所は教えない」
というよりタスクは知らない。あの神官たちが何処に家を借りているか。
「そんなどうでもいいことよりも聖女様の方が優先であろう」
タスクの答えに怒気で顔を赤くする神官を冷たく一瞥する。
「どうでもいいこと? 生まれていなかったとはいえ一つの命も失われたんだ。神官のあんたがよくも軽々しく言えるな」
「あんな女の子供など……、ひぃぃ」
タスクは無意識に剣を抜いて神官に突き付けていた。
リューは生まれてくる子供をとても楽しみにしていた。男の子、女の子どちらが生まれてもいいように名前も二つ二人で考えてきた、と。側にいられないことが不安で、支えられないことがとても残念だと。だから、出来るだけ早く魔王を倒して三人で暮らすと自分に言い聞かすように話していた。
それなのに何故ここまで踏み躙るように蔑ろにされなければならない? リューの気持ちもその妻のことも。
「ともかく勇者はここにはいない。法王には許可を取ってある。文句があるなら、法王に言え」
適当な言い訳など出来るはずがない。法王の名を出しても目の前の神官は納得していない。法王もそれが分かっている。だから、タスクが出来るのはリューが戻ってきたらいつでも出発出来るように準備をしておくことだ。
「し、しかし」
「出発までには戻ってくる。その間、俺たちも武器の整備をしておきたい」
「そうそう、この前の飛び蜥蜴で欠けたからね」
カカラが愛用の双剣のうち一本を手に取り、鈍く輝く剣先を神官に向ける。
「ここが欠けたんだよねー。だから鍛冶屋に行きたいんだけど」
あくまで刃を見るふりをして、神官をギロリと睨んでいた。
「あっ、俺も鎖鎌がさー」
冒険者の男が前に出てきて、周りに下がるように言っている。ジャラリと鎖を短く手に取り、鎌の部分を回す。
「ちょっとバランス悪くてさー、調整か必要でね」
男が手を離せば鎌は真っ直ぐ神官に飛んでいく。神官がブルリと体を震わせた。
「ゆ、勇者様はいないのだな!」
「そう言っているだろ」
神官は後退りながら、その場を去っていった。
それからも神官や騎士が来たり、タスクが呼び出されたりしたが、全責任を法王に丸投げしてやりすごした。
三日後、こっそり宿にリューが戻ってきた。
良かったな。と肩を叩くと疲れた表情をしながらも嬉しそうに頷いたことにホッとした。
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