助祭ハルツ 後編
「買い物狂いの聖女」
「なんという冒涜!」
ハルツは大声で叫んだ。聖女様をそんな名で呼んでいいはずがない。
「わ、わたくし…」
ああ、おいたわしい。身に覚えのない汚名に聖女様が涙を浮かべていらっしゃる。
「冒涜? 誰が誰に対してかい?」
いくら変り者の法王猊下でも聖女様にこの扱い。もちろん許しておくことはできない。
「もちろん聖女マリア様に対しての冒涜でございます」
胸を張ってそう言える。そんな言葉で貶めてよいお方ではない。
「ハルツ、そもそもその金は魔王を倒して欲しいと望む者たちから寄付されたもの。旅に不必要な物を購入するためではない」
何一つ不要な物などない。全て聖女様に必要な物だ。
「一人で着れない豪華なドレスに野盗に狙ってくれと言わんばかりの宝飾品、旅に不向きな靴、これの何処が魔王討伐に必要なものだと?」
聖女様がお選びになられて、聖女様に相応しい装いが必要ないと! その考えがおかしい。
「各国の王からも苦情が来ている。そんなもののために出資したわけではない、と」
違う。聖女様のためにもっと出資するべきなのだ。
「それは必要な物でございます。聖女マリア様が聖女様として在られるために必要な物でございます」
怒りで頭が沸騰しそうだが、冷静になってこの変わり者の法王猊下を説得しなければならない。こんな者でも神殿の法王猊下なのだから。
「では聞くが、その必要な物で魔物を、魔王を退治できるのか?」
何を馬鹿なことを聞くのだ。聖女様は安全な場所にいていただくに決まっているではないか!
「聖女マリア様をお守りするのは我らの役目。魔物の前に聖女マリア様がお立ちになることはありません」
ふっ。と法王猊下が笑った。分かってもらえたようだ。
「では、この町から勇者リューとは別行動をとってもらう」
何を言われたのか分からなかった。
「法王猊下、何故ですか? 何故リュー様と離れなければいけないのですか?」
聖女様の仰る通りだ。何故、勇者様を別行動にするなど、勇者様は聖女様の側にいなければならないのに。
「勇者は唯一魔王を倒せる者。危険から遠ざけるのは当たり前のこと。勇者の護衛は冒険者たちにさせる」
怒りで目の前が真っ赤になる。危険だと。聖女様の側が何処が危険なのだ。我々が守っているのに。
「法王猊下、理由をお訊ねしても?」
聖女様の護衛として着いて来た剣士タキが口を開いた。そういえば、クスタリアの騎士たちも聖女様の荷物はなるべく少なくと言っていたが情けない。聖女様を守れる自信が無いからだろう。
「野盗たちが手を組み、その聖女の必要な物を狙っていると情報が届いた」
そんな与太情報に惑わされたのか? 法王猊下とあろうものが。
「それは何処からの情報でしょうか?」
「兄上、ヨークハサラからだよ」
ハルツは固まった。先代当主レラベマが死に権力は衰えたが、ヨークハサラの情報は今も信憑性高くどの国からも評価されている。野盗の件は本当なのだろう。けれど、ヨークハサラの人間は仲が悪いと聞いていた。だから、そこから情報が届くとは思ってもいなかった。
「兄上から色々情報を回してもらっていてね。本当に同じことかと思うこともあり、毎回事実確認が大変だよ」
ああ、知られている。クスタリアに勇者様と聖女様が仲睦まじいと報告していることが。
だが今は野盗のことだ。そんな奴ら、我々が簡単に蹴散らしてやる。
「で、剣士タキよ。野盗に襲撃されるならどのタイミングだと思う?」
何を当たり前のことを。勇者様と分かれ、戦力が分散された直後だ。
「この国を出るとしばらく野営が続きます。夜間に襲ってくるか、魔物を殲滅した直後、そのどちらかかと。可能性が高いのは、魔物を殲滅した直後、我々が疲弊している時と思います」
ハルツは考えもしなかった答えに呆然と剣士タキの顔を見た。
「魔物殲滅で勇者様も我らも疲弊しております。その直後に襲われたら、野盗を撃退できても被害は甚大となるでしょう」
た、確かに強い魔物と戦った後に野盗に襲撃されたらそうなってしまうかもしれない。けれど野盗も魔王が倒されなければ困るはずだ。襲ってくるはずがない。
「いくら野盗といえ、魔王討伐隊を襲うわけがありません」
今までも路銀目当ての野盗に何回か襲われたが、あれは魔王討伐隊だと知らぬ者たちだ。分かっていたら襲うはずがない。
「彼らは捕まれば極刑。魔王がどうこうなど関係なく捕まれば死ぬ。だから、今を楽しく生きる金が手に入れば十分な者たちだ」
法王猊下は呆れた視線をハルツに向けていた。
「ですが、勇者様と聖女様を襲うはずが……」
我々ならともかく勇者様や聖女様に危害を加えようとするはずがない。特別な存在だとわかっているのだから。
「剣士タキよ、どう思う?」
何故、剣士タキに聞く? 法王猊下が二人は大丈夫だと答えてくれたらいいだけだ。
「魔物を葬る勇者様を見ているなら、脅威に思い最初に戦えなくなるよう襲うかもしれません。勇者が回復せぬうちに、魔物のように倒されぬうちに、と。マリア殿下を始めとした女性の方は売るために狙われる可能性もあります」
法王猊下がその答えを満足そうに頷いている。
そんな馬鹿な。勇者様を殺そうとするなんて有り得るはずが……。それに聖女様を売るだと、そんなこと許されない。
「け、賢者が、賢者が魔法で」
そ、そうだ。あのエルフがいる。魔法で勇者様と聖女様を、いや魔王討伐隊を守らせたらいい。
「で、魔力を使いすぎて魔王との戦いで使えなかったらどうするのだ? 魔力がないこの世界ではエルフの魔力は回復しない。賢者として来ることの出来るエルフは一人だけ。賢者も代わりがいない」
ハルツは目を見開いて固まった。もう何を言っていいか分からない。何を言っても否定されてしまう。
「勇者の力は魔物しか効かない。野盗相手では剣を少し使えるだけの普通の者だ。避けられる危険は避けたほうが良い」
そう言われてもハルツは頷くわけにはいかない。勇者様がいなくては魔物殲滅に時間がかかりすぎ、盾にする冒険者がいないのではこちらに被害か出る。その上野盗に襲撃されるだと! 我々に死ねと言うのか!
「わ、わたくしが野盗を引き寄せたように仰らないで! 野盗は路銀も狙いますわ」
聖女様の仰る通りだ。品物よりも金のほうが使い勝手がいい。だから、野盗に狙われるのは聖女様の荷物のせいではない。
「確かに。だが、マリア。馬車二台分の荷物と路銀では野盗たちのリスクも違うのだよ」
「マリア殿下、野盗たちは荷馬車の方が狙いやすいのです。こちらもお守りしなければならないマリア殿下とリュー様に集中します。荷馬車の守りは薄くなり、馭者を殺して奪えば良いだけですから」
法王猊下と剣士タキの言葉に苛立ちが募る。そのために冒険者を雇ってある。やつらに馬車を守らせたらいいだけではないか!
「ところでハルツ、聖女マリアは自分のことは一人で出来るようになっているのかい?」
呑気に聞いてくる法王猊下を睨み付ける。侍女がいるのにそんなこと聖女様がしなくてもいいだろう。
「な、ぜ、わたくしがそんなことを…」
聖女様も不思議そうにされている。
「魔王の城に近付くにつれ宿は無くなり、水や食料も貴重となる。魔物も今まで以上に強くなり、戦えない侍女たちは町に置いていくことになるだろう」
ハルツはハッとした。
今までは疲れない程度で馬車を走らし、ゆっくりと休憩を取れた。町では最上級の宿、その土地での最高級の料理、着替えの度に湯船に浸かり身を綺麗にし、時間をかけて豪華なドレスに身を包み、きらびやかな宝飾品を身につけ、早く走ることの出来ない靴を履く。今まではそれが出来る環境だった。だから、そう出来た。
これからはそれが出来るかどうか分からない。いや、出来ない。続く野営に安全を考え急ぐ旅となる。
長時間馬車に乗り、馬の疲れを取るだけの休憩、天幕での寝泊まり、もちろん風呂などなく濡れた布で体を清めるがやっとだ。
不自由な不便な生活が続くことになる。それに聖女様は堪えていただけるだろうか?
「魔王の城に着くまでに負傷者も出るだろう。その時に何人の者が隊に残っているか分からない。そんな状況になるのにそれは聖女にどうしても必要な物なのかい?」
さーと血の気が引いていく。まだ旅は始まったばかりといえる距離だ。野盗に襲われ、人数を減らしている場合ではない。そのような危険を作るべきではなかった。
「魔物に備えて誰もが素早く行動しなければならない。人にしてもらわなければ何も出来ない者はその時とても苦労するだろうね」
ああ、聖女様に苦労させないようにとはこのことだったのだ。早急に不自由な不便な生活に聖女様に慣れていただかねばならなかった。私はそれを怠った。
私は最初から間違えていた。
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