市場
いつも通りリューは仕事をしていたはずだった。
「ヒナちゃん、こっち!」
「はーい、お待たせしました」
そんな声が聞こえふと声のした方を見ると藍色の髪の少女が大きなバスケットを重たそうに持って運んでいた。
「子豚亭の配達か」
「俺も一回取ってみてぇ」
「すっげ美味しいって評判だもんな」
一緒に仕事をしていた者たちが次々と口を開く。頑張っているヒナの姿を見るとそれが何故か嬉しくて、リューも頑張ろうと自然に気合いが入った。
ヒナの姿をよく見るようになった。昼時に配達する姿、市場で台車を重たそうに押す姿、友達と仲良く歩く姿。リューが今まで気づかなかっただけで、ヒナは意外と近くに来ていたことを知った。自然とヒナの姿を探し見つけると張り切り、見つけられないと落胆するそんな毎日をリューは送るようになっていた。
ある日、市場近くでヒナがベンチに座りため息を吐いていた。側には車輪が取れた台車がある。台車の中から市場で買っただろう荷物が頭を出している。ヒナでは持ち上げて運ぶのは難しそうに見えた。
「こんにちは、ヒナさん」
リューは恐る恐るヒナに声をかけた。台車が壊れて荷物が運べないのだろう。運ぶと言ったら嫌がられるかな?
「あっ、リューさん、こんにちは」
「台車、壊れたの?」
うん、と頷いてヒナはハッとしたようにリューを見てきた。
「リューさん、お時間ありますか?」
この問いかけにリューは荷物を運ぶのを頼まれるのかな? と思った。頼まれたのならもちろん快諾するつもりだった。
「あるよ。今日の仕事は終わったから」
リューの答えにホッと息を吐くとヒナはリューが思ってもいなかったことを言った。
「少しの間、荷物を見ていてもらえませんか? 弟を呼んで来るので」
「ヒナさん!」
ベンチからサッと立って走り出そうとするヒナを慌ててリューは呼び止めた。
「運ぶよ」
ヒョイと台車を持ち上げる。港の荷物に比べたらすごく軽い。子豚亭まて余裕で運べる。
「け、けど、もう一つ買い物が」
「行ってきたら? 荷物は見ているから」
リューがそう言ったのにヒナは動こうとしない。荷物が心配? やっぱり客として一回会っただけだから信用できないのかな? そう思うと悲しく感じる。なら荷物を持って一緒にその買い物に行けば不安も無くなるだろう。
「一緒に行こうか?」
ぶんぶんと頭を横に振り、ヒナは申し訳なさそうにリューを見上げてきた。その姿にドキリとする。
「リューさん、本当にいいの? 混んでるお店だから時間がかかるから」
「大丈夫だよ。じゃあ、荷物は日陰に置いた方がいいね」
リューはすぐそばの木陰を指さした。
「あの木陰にいるから」
ヒナは申し訳なさそうにして、すぐ戻ります。と走っていった。
慌てないでと背中にかけた言葉に振り向いて手を振る姿がまた可愛い。
リューは荷物を木陰に運ぶと木にもたれて座った。リューに日が当たるようになったら、荷物を移動させると決めて人で賑わう市場を見ていた。
『やっと春か?』
ルハの言葉が頭を過るがリューにはよく分からない。自分は結婚は出来ないと思っているから。だけど、ヒナは見ているだけで嬉しくなる。話せるともっと嬉しくて楽しいのも分かった。これがみんなが言う恋なのかリューにはよく分からない。分からないけど深く考えずに今はこのポカポカした暖かい感じに浸っていたかった。
二回目荷物を移動させようとした時、ヒナが戻ってきた。背中にあの時なかった袋を背負っている。
「リューさん、ありがとうございます。これ、どうぞ」
はあはあ。息を切らせてリューに差し出してきたのは市場で売っている果汁が多いパテオの実。けれど、これが必要そうなのは汗だくのヒナの方だ。リューが食べるように言ってもヒナは遠慮して食べないだろう。
「ありがとう」
リューは受け取ってパテオの実を捻り半分に割った。果肉がとても柔らかく手で握り潰しやすいパテオの実。けれど、この実はある向きに軽く捻るだけで簡単に半分に割ることが出来る。
「はい、ヒナさん」
「えっ、リューさんに買ってきたものだから」
リューが差し出した半身を両手を振って要らないと言っているが、滴り落ちる果汁にゴクリとヒナの喉が動いている。
「果汁が勿体ないから」
ヒナの手にパテオの実を押し付けるとリューは残った半分に齧り付いた。
「すごく甘い。ヒナさん、選ぶの上手いね」
早く食べないと手が果汁でベタベタになるよ。そう言うとヒナはやっとパテオの実に齧り付いた。美味しいと頬を弛ませている。
美味しそうに食べる姿が可愛い。凄く可愛い。
じっとヒナが食べるのを見ていたことに気が付いて、慌ててリューは視線を逸らせた。女性の食べる姿をじろじろ見ると嫌われるぞ! と職場の者たちが言っていたのを思い出したからだ。けれど、可愛いから見ていたくてついチラチラと目がヒナの方に向いてしまう。
ヒナはヒナで喉が渇いていたとはいえ、リューの前で大口を開けてパクパク食べていたのに気付き恥ずかしい思いをしていた。顔に熱が溜まってくる。恥ずかしい、けどもう見られている。チラリチラリと感じる視線に顔を上げられない。けれど気を取り直して何事もなかったように顔を上げると少し頬を赤らめて眩しそうに自分を見ているリューがいた。呆れた顔でなかったことにホッとする。
「食べ終わった? じゃあ、行こうか」
リューはフイっと顔を逸らし台車を持ち上げた。見ていたことに気付かれてとても恥ずかしい。嫌な奴と思われていないといいんだけどと内心焦りながら何も感じてないように必死に装う。心臓は早鐘を打っていてとても煩く、耳が熱いけど。
「あっ、ヒナさん、背中の荷物もここに」
「いえ、これは軽いし、いつもこうして運んでいるから」
二人は子豚亭に向かって歩き出した。他愛のない話をしながら歩く。どちらということなくその歩みがとてもゆっくりなことに二人とも気が付いていなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
パテオの実のモデルは桃です。
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