法王 書庫
『年表』と『法王 書庫』を本日投稿しました
法王は用意された部屋に駆け込むとすぐに人払いをした。
ブルブルと体が震える。そんなはずは、そんなことは、と思いながらも湧き上がる怒りを押さえきれない。手当たり次第物を壊したくなる衝動を必死に抑え込んでいた。
何故こんなことに? どうして? うまくいったはずだったのに!
法王は信じていない神を何度も罵った。
九十三代法王クレイサ・フン・ヨークハサラ
ミタルナ公国の有力貴族ヨークハサラ侯爵家の六男に生まれた。
母は傾国美女と唱われたミーサ。澄んだ泉のような水色の髪と瞳の可愛らしい小さな顔は男性の庇護欲を誘い、メリハリのついた魅惑的な体は男性の色情を掻き立てた。多くの男性を虜し破滅させたミーサもレラベマ・フン・ヨークハサラに目に止まったのが運のツキだった。レラベマに四人目の妻として囚われたミーサは人々の前から姿を消し再び現れることはなかった。
レラベマの名は各国の有力者なら知らぬ者はいなかった。目を付けられたら最後次の朝日は見られないだろうと云われるほど恐ろしい存在だった。
元々ヨークハサラ家はミタルナ公国の暗部を纏めていた家であった。優れた情報収集能力を持ち、暗殺術にも長けていた。各国の弱味を探り時には脅し時には排除してミタルナ公国を影から支え守ってきた。が、いつしかミタルナ公国を影から操るようになり、歴代当主の中で一番恐ろしいと言われたのがレラベマ・フン・ヨークハサラであった。
そんなヨークハサラ家でも弱味を握れない場所があった。神殿だ。神殿だけは優れた者を何度送っても戻って来ることは一度もなかった。
ミーサの息子クレイサは母親に似てとても美しい子供だった。髪だけはレラベマに似て焦げ茶色だが、それでもその美貌を損なうことはなかった。
だが、クレイサはヨークハサラ家の者としては大人し過ぎた。上の兄弟たちが貪欲過ぎたと言うべきか家では容姿しか目立たない子供だった。
クレイサは六歳になると神職になるよう神殿に送られた。神殿を探るためだ。高位神職になればなるほど見目の整った者しかいない。それにレラベマが目を付けたからだ。年老いても見目が良い者はそのままの役職に、衰えた者は下位に降ろされる。あのレラベマが見た目も高位神職の条件なのかと疑うくらいにそれは徹底されていた。
クレイサは順調に位を上げていた。クレイサ自身は騒がしいことが嫌いで一人でいることを望む者だった。美しすぎる容姿は人々を惹き付け、ヨークハサラ家の名は逆に人々に近づくことを躊躇わせた。実家の名に怯まない強者は極僅かでクレイサの静かな生活はほぼ守られていた。
クレイサは神殿にある書庫で本を読んでいるのが日常だった。まだ下級神官の上位であるクレイサが入れる書庫などそこら辺の王家の図書室より劣る品揃えだ。それでも入れる書庫で文献を読んでいると言えば、実家はレラベマは納得してくれた。
「クレイサ、今日は何を読んでいるの?」
クレイサに声を掛けてくる者は数少ない。ほとんどが気に入らない奴だが、書庫で声を掛けてくるのはクレイサが珍しく好ましく思う者だった。
「今日は誰から逃げてきた?」
「南の祭司様」
ふうと息を吐いてクレイサの隣に座るのは彼に負けず劣らずの容姿を持った者だった。
明るい金色の髪をしているから陽の君と呼ばれている彼はクレイサと違いいつもニコニコと人々の中心にいる。そんな彼でも苦手な者がいて、そんな時は書庫に逃げてくる。いや、彼はクレイサと違い本当に本を読むことが好きだ。彼の場合、周りが離さず書庫に来る時間が中々作れないだけで。
「ああ、あのくどい奴」
南の司祭は、何処かの宮殿より広い本神殿の南側を管轄している神官だ。捕まると何度も聞かされている勇者と聖女の話をくどくどと言ってくる。欠伸でもしようものならまた最初から。本人は勇者と聖女の素晴しさを教え説いている、司祭として当然のことだと思い込んでいるからまた質が悪い。そんなに話したいならなら床でも磨いてろと思っているのはきっとクレイサだけではないだろう。
神殿ではこの世界を作った創造神を祀っていた。
創造神は魔力という物と使ってこの世界を造った。この世界は魔力で溢れていたが、創造神が最後に造った人間には魔力が宿らず、この世界では一番脆弱な存在だった。人間を愛し憐れに思った創造神は魔力を宿す生き物をこの世界から追い出し、魔力を無くした。この世界を愛しい人間のものとしてくれた。
だが、ある時、魔力を宿す者・魔王が現れて、この世界を再び魔力溢れる場所としようとした。それを阻止したのが、創造神から力を与えられた勇者と聖女だ。剣士は魔王が作り出す魔物を倒すために、長い時間を生きるエルフは賢者として二人を助けるように遣わされた。
勇者と聖女は創造神から力を与えられた特別な存在。その二人を祝福するのは神殿として当たり前のことだった。特別な二人が結ばれ子を成すことも。だが、代々の勇者と聖女が結ばれているのに子は一度も授かっていない。魔王の呪いだと神殿では云われており、特別な二人の間に特別な子が生まれるのは必然であり、その誕生は神殿の悲願でもあった。
だからか書庫には勇者と聖女の文献がうんざりするほど多かった。
「勇者と聖女って、そんなに結ばれなきゃダメなのかな?」
クレイサにとってそれはどうでもいいことだった。本当に人の色恋沙汰なんか面倒で関わりたくもない。けれど、クレイサが生きている間に勇者と聖女が現れたらとても面倒臭いが二人が結ばれるようにしなければならないのだろう。
「仕事だから仕方がない」
割り切っていくしかない。勇者に思い人がいても。
「勇者はなんで最後に聖女を選ぶんだろ」
クレイサは肩を竦めた。利権が絡むと本人の気持ちなど関係ない。利権の方が大事だ。勇者と聖女、国まで関わってくる大事となる。平民だろうが王族だろうが勇者は思い人の安全のためにも聖女を選ばざるを得ないだろう。相手のことを大切なら尚の事。
「聖女もなんで勇者なんだろ。他にいい男もいるだろうに」
最初に大切な人がいるのは勇者の方、聖女にはそんな記述残っていない。不思議なくらいに。
「さあな、面倒だから生きてる間に現れないことを祈るさ。現れても関わらなくても済むならそれでいい」
魔王が十三番目の勇者に倒されてから数百年経っている。もうそろそろ魔王が復活してもおかしくなかった。
「クレイサ君らしい。僕もそう割り切れたらなー」
はあ、と吐かれる息は納得がいかないからだろう。
はい、お前が探していた本。
ポンと陽だまりのような頭に薄い本を置く。この前書庫に来た時に彼が読みたいと探していたものだ。
有り難うと嬉しそうな声が隣から返ってくる。
パラリ
静かな書庫に紙を捲る音だけが響く。
パラリ
追いかけるようにクレイサもページを捲る。
クレイサはこの時間が一番好きだった。
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