第14話 ~あなたが治癒できない程の致命傷を負ったら……私……っ~
布の擦れる音が耳に届き、ノイシュは瞼を開けた。
周囲は真っ暗であり、視界の先でどうにか天幕を認める。
ノイシュは物音のした方へと顔を向けた。
横倒しになって広がる幕舎の入り口からは薄明かりが漏れており、そこには大柄な人影が佇んでいる。
その姿をこちらが視認した途端、彼はまっすぐに近づいてきた――
「起きていたのか、ノイシュ」
「……ウォレン、見張りの交替だね」
ノイシュは横たえていた身体を起こし、掛け布を引き剥がした。
「緊張するのは分かる。けど、少しは眠らないと毒だぞ」
背中でウォレンの声を聞きながらノイシュは素早く鎖帷子を装着した。
次にひとつなぎの戦士服を頭から被ると剣帯に巻いていく。
鞘を吊してから巨躯の戦士に向き直ると、もう彼は寝床に臥していた。
ノイシュは小さくかぶりを振った。やっぱり僕には、君が持つような胆力は無いよ――
「……行ってくる」
ノイシュは入口へと視線を向けるとそのまま歩み出していく。
幕をめくって外に出ると、薄黒い木々の隙間から白みかかった空が視界に入った。
下草から湧き上がる虫の鳴き声を聞きながらノイシュはゆっくりと息を吸い込んだ。
澄んだ空気が心地良い。
こうしていると、これから激戦が繰り広げられるなんて嘘みたいだった。
あれから味方の主力部隊は聖都のすぐ近くに陣を張った。
それに対し、自分達は敵軍の出現を見届けた後、彼等とは離れたこの森に身を隠すことにした。
その間にも両軍は陣容を整え終えており、すでに三日もの間、睨み合いが続いている――
「ノイシュ」
不意に後方から声がかかり、振り向くと隣接する幕舎の前で修道士の少女が立っていた。
「ビューレ、どうしたの…」
思わずそう告げて回復術士に向かって歩を進める。
彼女の表情は固く、疲れているのが分かった。やはり眠れないのだろう――
「……ごめんね、甲冑の音がしたから」
眼前で佇む少女が目尻を下げ、悲しげな表情でうつむいている。
ノイシュはとっさに彼女へと微笑みかけた。
彼女を見ていると、何とかしてあげたいという思いがいつも胸によぎる――
「――見張りに行ってくるよ。両軍とも、いつ動き出してもおかしくないから」
そう言って彼女から視線を外し、向かう先へと身体をひねる――
「あのっ、ノイシュ……ッ」
再び自分の名前を呼ばれ、振り返るとビューレは真っ直ぐにこちらへとまなざしを向けていた。
「私達の決死突撃、成功するかな……」
修道士の少女はそう言って自らの両掌をきつく握りしめている。思わずノイシュはうつむいた。
――決死突撃、か……
不意に胸中で黒いものが広がるのを感じ、ノイシュは奥歯を噛んた。
敵陣の最奥部――それも国王を護衛する精鋭部隊を襲撃するのだから、自分達は無事で済むはずがない。
今回の戦いは彼女の言う通り、死を覚悟して臨まなくてはならない――
「ノイシュ……」
消え入りそうな修道士の声にノイシュは顔を上げた。
彼女の悲愴な面持ちを見て、再び微笑んでみせる――
「――不安なのは僕も同じさ。でも、僕達を信じてヨハネス校長や、他の味方の部隊が敵の猛攻を受け止めるんだ。僕達だってやらなきゃ……っ」
「でも、でも……ッ」
そう言ってビューレがかぶりを振った。
「もしもノイシュがっ、あなたが治癒できない程の致命傷を負ったら……私……っ」
――ビューレ……
思わずノイシュは彼女を見据えた。
修道士の少女はその瞳を大きく濡らしている。
彼女のまなざしを受け止め切れず、静かにうつむいた。
奥歯を強く噛み、胸中で湧き上がる感情を無理に隅へと追いやる――
「ビューレ、僕は……っ」
次の瞬間、森の奥から響き渡る低音が耳朶を打った。
ノイシュは眉尻を吊り上げながら周囲を見渡す。
今のはたぶん角笛の音だ。
もしかして敵軍が動き出したか――
「……様子を見に行くよ」
そう口にすると彼女の強い視線を感じながらも背を向ける。
「ありがとう、ビューレ……」
ようやくそれだけ言葉にすると、敵陣が眺め渡せる場所へとかけ出していった。
~登場人物~
ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手
マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手
ウォレン・ガストフ……ヴァルテ小隊の隊員で、戦士。男性。あらゆる術を無効化する術耐性の持ち主
ノヴァ・パーレム……ヴァルテ小隊の隊員で、術士。女性。様々な攻撃術の使い手
ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手
エルン・ルンハイト……ノイシュおよびミネアの義妹。術増幅という超高位秘術の使い手