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第2話 ~……残念ですが現在、我々はレポグント軍に和睦を持ち掛けております~


窓硝子ごしに水滴が撥ね落ちる様子をノイシュは見つめていた。朝方から降り始めた雨はますます勢いを強めており、自分達がいる屋敷の中でさえ肌寒く感じられる。ふと脳裏に今朝の炊き出しで出会った幼い姉弟の姿を思い起こし、ノイシュは眼を細めた。

――この冷たい雨露を、あの子達はどうやって凌いでいるのだろう――


「遅いですね……まだヨハネス様はいらっしゃらないのでしょうか」


 背後から馴染みある攻撃術士の声を聞いてノイシュが振り向くと、まず視界に飛び込んできたのは深い青の色彩を基調とした壁や家具だった。更に周囲には優美な塑像や調度品が設えられており、改めて大神官の屋敷が持つ政治的、経済的な意味合いを思い知らされる。そして室内のほぼ中央に意匠を凝らした造りの長椅子が据えられており、そこには刺繍など華やかな礼装をまとうノヴァが礼儀正しく座っていた。麗しき容姿の少女が絢爛な邸内に佇むその姿は、まるでそれ自体が美しい絵画の様だった――


「お忙しいのだろう。仕方ない」


 脇から別の声が差し込まれてノイシュが視線を移すと、剣呑な表情で視線を落とすマクミルの姿があった。外見的には大きな傷も見当たらず包帯もしていないので安心したが、きっとここまで回復するには相当の回復術士による献身があったのだろう。そう思いノイシュは隊長のすぐ傍に立つビューレへと双眸を向けた。ノヴァとは正反対に黒ずくめの修道服を着込んだ彼女はこちらの視線に気付いたのか、不意に眼差しを向けてくる。お互いの視線が一瞬だけ絡み、そして彼女はうつむいた――


「ヨハネス様、お越しにございます」


 突如として使用人の声が室外から聞こえてきた。


「来たぞ……っ」


不意に低い声が耳に届き、視界の隅でウォレンが手を胸に当てながら素早く立ち上がった。礼儀作法に則り他の仲間達も次々とその場で直立していく。ノイシュは速くなる鼓動を抑えつつ腰を上げた。木材の重厚な扉が開いていき、まず近習達が中に入ってくる。やがて彼等に囲まれながら(はなだ)色の法衣をまとい、錫杖を握った老人物が姿を現した――


――ヨハネス校長……っ

 ノイシュは眼を細めながらこの国で一番の権力者を見据えた。大神官は歩を進めて前に出ると、不意に片手を上げて合図を送るのが分かった。主人の意図を酌み取った従者達が無言のまま退席していく。大扉の閉まる音が聞こえ、部屋の中には大神官と自分達だけが残った。


「皆さん、どうぞ楽にして下さい」


 自席に立ったヨハネスがそう声をかけてくるが、仲間達は誰一人着席せずに大神官を見据えいている。ヨハネスは微笑みながら仲間達と一人ずつ顔を見合わせていった。やがてこちらに顔を向けた時、僅かに彼が小さく頷いた気がした――


「久し振りですね、皆さん。あの戦いからもう半月以上が経ちましたが、無事にこうして再会できたことを嬉しく思います」


 彼の言葉を聞き、思わずノイシュはグロム河畔の戦場での出来事を思い返した。敵術士隊から湧き上がる美しい死の輝き、迫り来る敵術戦士隊の喚声、そして超高位秘術を放つミネアの後ろ姿――


「よくぞあの激戦を生き延びてくれました。きっと死を覚悟した事もあったでしょう」


――ミネア……ッ

 ノイシュは自分の胸を強く掴み、迫り上がる感情をどうにか抑えようとする。眼前の仲間達も皆うつむき、小刻みに震えていた――


「皆さんは本当によくやってくれました。リステラの術士隊が大きな被害もなく撤退できたのは、偏に敵軍の奇襲をいち早く注進してくれた皆さんのお陰です。もはや皆さんを罪人扱いする者は、どこにもいないでしょう」


「ヨハネス様……っ」


 背後から少女の震える声が耳に届き、ノイシュは顔を向けた。そこには頬に涙粒を溢れさせるビューレがいた――


――ビューレ……

 ノイシュはそっと目を細めた。きっと彼女は安堵したのだろう。云われのない罪が赦されたからだけではない。あの時彼女は僕の言葉を信じ、注進すべく必死になって駆けて行ってくれたんだ。本当は戦場に留まり、深傷にうめく戦士達を一人でも救いたかったはずなのに――


「しかしです」


 突如として言葉を切るヨハネスに気づき、ノイシュが振り返ると大きく嘆息する大神官の姿をとらえた――


「残念ながら前線の術戦士隊は各方面でレポグント軍の追撃を受け、大きな被害を出してしまいました」


そう告げるヨハネスの眉間には深い皺が刻まれており、大神官という苦しい立場をノイシュは強く感じた――


「レポグント軍は更なる攻勢の構えをみせています。それに対し、わが軍の戦力は守備隊と残存兵力を合わせてもほんの僅かしか残っておりません」


 言葉を続けるヨハネスの眼差しは暗く、鈍い灰色をたたえている。大神官の口から告げられる祖国の絶望的な状態に、ノイシュは一気に背筋が粟立つのを感じた――


「……もしも今の状況で敵軍の攻勢を受けた場合、聖都の防衛さえ危ういと言わざるを得ないでしょう」


 いつしか周囲の空気が緊張を孕んでおり、ノイシュは強く掌を握った。不意にヨハネスが眼を細めていく。


「賢明なる女王陛下は窮する民や国の行く末を深く案じており、神官団とともに合議を重ねてきました。そして結論は……」


 そこでヨハネスが強く眼を閉じた。ノイシュは強く奥歯を噛み、大神官からの続く言葉を待つ。暫しの間沈黙が周りを支配した――


「……残念ですが現在、我々はレポグント軍に和睦を持ち掛けております」


 その言葉を聞いた途端、ノイシュは思わず脱力した。張り詰めた緊張が悲愴へと変じていく。しばし誰も言葉を発することができず、誰かの嗚咽する声だけが室内に響いた――


「勿論、和睦締結の条件は我が国にとって圧倒的に不利なものとなりましょう。皆さんが命を賭して戦ってくれたというのに……本当に申し訳ありません」 


 深々と頭を下げていく大神官の姿にノイシュは思わずうつむいた。胸中から様々な思いが浮かび、積み重なっていく。この国での人々の平穏な暮らしも、戦場で斃れた戦士達の遺志も、たった一人の義妹(いもうと)でさえも僕は守ることができなかった……ッ――


「実はその事で、皆さんにお願いがあります」


 不意にヨハネスの声が耳朶を打ち、ノイシュは顔を上げた。そうだ、こんな内密な話をしてまでもヨハネス様が自分たちに話したい事とは――


~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手


 ウォレン・ガストフ……ヴァルテ小隊の隊員で、戦士。男性。あらゆる術を無効化する術耐性の持ち主


 ノヴァ・パーレム……ヴァルテ小隊の隊員で、術士。女性。様々な攻撃術の使い手


 ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手


 ヨハネス……リステラ王国の大神官であり、メイ術士学院の校長。術士。男性。



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