第17話 ~あの人の命だって、いつ踏み躙られてしまうかもしれない~
自分の荒い息遣いが耳に強く残るのを感じながら、ビューレは闇の先を進んでいった。
胸中では早く味方の陣に行かなきゃっ、という気持ちと痛覚となって訴えてくる鼓動がせめぎ合っている。
それが更に焦りを生んでひたすらに駆けようとするが、どれだけ進んでも眼前の視界にはただ暗黒が広がっていた。
確かに陽は既に沈み込んでいるものの残照があっても良いはずだった。
果てなくも続く漆黒の光景に、思わず心臓の戦く感覚が湧き上がってくる。
不意に強い木々のざわめきが耳朶を打ち、修道士の少女は弄ばれる髪を抑えながら顔を上げた。
そこでは炭色に染まった枝葉が大きく揺れている。
ビューレは両眼を細めながら、思わず光を全て遮るそれらを睨んだ――
刹那の後、後方から激しい瞬きが湧き起こりビューレは思わず振り返った。
光は強い明度で一気に森中を照らしていき、まるで白昼の様に視界が開けていく――
――あれは……っ
直後、激しい轟音と振動が少女の五感を震わせた。
瞬く間に再び木々が激しく葉を擦り合わせて悲鳴を上げていく。
閃光はますます強烈になっていき、たまらずにその場でうずくまった。
旋風で舞い上がった塵を鼻腔で感じ、苦い味が口中に広がる――
やがて閉じた双眸から少しずつ残光が抜けていくのを感じ、ビューレは顔を上げた。
光源が何かは想像できた。
たぶん対岸のレポグント軍による術連携なのだろう、こうしている間でさえ仲間の戦士は敵の猛攻により苦戦を強いられて――
――ノイシュ……ッ
ビューレは胸が締め上げられる感覚を何とか堪え、すぐに地を蹴った。
再び心臓が強く脈打ち、喘ぐ様に息を吐きつつも脚だけは止めようと思わない。
最前線では 数多の命が奪われている……あの人の命だって、いつ踏み躙られてしまうかもしれない……っ――
直後、ビューレは足をとられた。
思わず肢体をねじ曲げながら、膝を震わす。
おそらく木の根にいたのだろう、平衡感覚を失いそのまま地面へと身体を打ちつける。途端に痛覚が広がり、視界が不意に暗転した。が、どうにか身体を起こすと更に地を躙ろうとする――
「う……ッ」
ビューレはそこで片脚に痺れるような痛みを感じ、顔をしかめた。軽く足首を地につけるだけでも激痛がはしる。もしかして骨折か、それとも捻挫か――
――行かなきゃ……っ
それでもビューレは足を引きずり、前に進んでみせる。脳裏には微笑みながら手を伸ばし、忌まわしい部位に優しく触れるノイシュが浮かぶ――
――きっと、生きて還ってくるから……君のために……
不意にビューレは目頭が熱くなるのを感じ、奥歯を強く噛んだ。
――助けなきゃっ、私がやらなきゃ……ッ
瞼を袖で拭い、這いつくばりながらも進むと不意に森の奥が明るくなっているのに気づく。幾つかの赤い揺らめきが視界に入り、耳許には微かに木材の爆ぜる音が聞こえた。
そこで篝火が焚かれている事が分かり、ビューレは奥歯を噛みながらも懸命に身体ごと前進していく。視界が開けていくにつれて全身にも力が入っていった。
そしてようやく両脇に続く木々が姿を消すと、視界が一気に開ける。そこにはリステラ軍を示す白色の一角獣を綴った軍旗や術士隊の姿がはっきりと視認できた。思わず少女は激しい感情に襲われて唇を戦慄かせるが、それを何とか耐えた。
「注進っ……ヨハネス猊下にご注進を……ッ」
ビューレが喉から出る限りの声量で告げると、数人の術士達がこちらの存在に気づき、次々と視線を投げかけてくる。彼らは驚愕の表情を浮かべながら「あれは」「一体どうしたんだ」と不安の声音を呟いていく。
ビューレは自分の姿が晒された様な気がして思わずうつむいた。しかし同時に無理もない、とも思う。突如としてこの様な姿で皆の前に現れ、助けを求めているのだから――
「ビューレッ」
不意に群衆の中から見覚えのある集団が駆け寄ってくる。ノヴァ、ウォレン、ミネア――
「一体、どうしたのっ……」
ミネアの声を聞き、ようやく仲間達と出会えたという実感にビューレは堪えきれず涙を溢れさせた――
~登場人物~
ノイシュ・ルンハイト……男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手
ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で魂を自在に操る等の支援術の使い手
ウォレン・ガストフ……ヴァルテ小隊の隊員で、戦士。男性。あらゆる術を無効化する術耐性の持ち主
ノヴァ・パーレム……ヴァルテ小隊の隊員で、術士。女性。様々な攻撃術の使い手
ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手