第1話 ~澄んだ翠色のまなざし~
――はるか昔に神が人を創造せし時、一つの完全な魂を男と女に分けて宿した。
それ以来、常に両者は相手の魂に惹かれ合い、探し求める宿命となった。
ついに二人の魂が運命の相手と出逢った時、ひたすらにお互いを欲して離れようとしない――
『イアヌ大陸創造記 第一章 第十三節』
ノイシュが歩を進めていると、不意に少女の微かな声が耳元に届いた。
――起きたの、ミネア……
背に負った義妹へと視線を向けるが、返事はなく素直にその身体をこちらへと預けたままだ。
ノイシュは自らの身体を揺らして体勢を整えると、再び狭い廊下の床を踏みしめていった。決して軽くはないが、何とか救護室まで運び切れそうだ――
ノイシュが安堵の息をついた直後、鼻先に何かが触れた。目で追うとそれは褐色をした長い髪であり、すぐにミネアのものと分かる。
彼女の毛先からほのかに甘い香りが漂い鼻腔をくすぐった。鼓動が激しく高鳴り、思わずノイシュは目を細める。歩を進める度に彼女の髪が優しく頬に触れる――
ふとそこで、背負った義妹の身体が細かく震えるのにノイシュは気づく。
「あっ、動かないで……っ」
振り落とさないよう何とか平衡を保つと、やがて彼女の身体から徐々に力が抜けていくのが分かった。
「私、どうして……」
「覚えてない……? 式の最中、急に倒れたんだ」
「そうなんだ……ごめん」
背中越しにミネアの息が伝わり、彼女の額らしきものが自分の肩へと預けられるのが分かった。何も言葉が出せず、ただ歩を進めていった――
「……夢を、見てた」
不意にミネアの声が耳に届き、ノイシュは頷いた。
「……そう言えば、何か小さくつぶやいていたよ」
義妹は黙っていた。肩越しで彼女の指から力が入っていくのが、ノイシュには分かった――
「……あの子達と、別れた日の夢……」
思わずノイシュは足を止めた。それだけで誰の事を言ってるのかが分かった。司祭だった父が引き取ってきた孤児達を、自分は捨ててしまった……――
「ワッツ、ルエリ、ザザキ……今はどうしているかな……」
ミネアの声は震えており、ノイシュは強く奥歯を噛んで胸のさざ波に耐えた――
「ごめんね、こんな話……っ」
そうつぶやく彼女の声を聞き、ノイシュは静かに息を吐いた。そして何とか思いを落ち着けると再び歩み始める。
「……学院の課程は全て修了したし、僕たちもこれで独り立ちできる。だから……」
自分に言い聞かせる様に、ノイシュは再び心中でつぶやいた。
――そう、明日から僕達は術戦士なんだ。支度金も貰えるし、毎月給金だって入る。きっといつか、あの子達を迎えに行くことだって――
「ノイシュ、ここじゃない……?」
義妹の声にノイシュが顔を上げると、眼前には救護室の札を下げた扉があった。
何とか扉を開けると足を踏み入れていき、室内を覗う。当直の回復術士はおらず、窓から注がれる優しい陽光だけが自分達を出迎えていた。内部の造りはいたって簡素で、一人用の寝台が幾つか据えられている他は木製の机や椅子があるだけだった。
ノイシュは一番窓際の寝台まで来ると静かに腰を屈め、義妹の身体をそこに横たえた。少しためらいながらも胸元の鋲を外していくと、やがて彼女の唇から安堵の息が漏れた。
「本当にごめんね、卒業式の日に倒れちゃうなんて……」
そう告げてくる義妹に、ノイシュは努めて微笑んだ。
「ミネアはずっと術を発現させるために訓練してたから、これまでの疲れが出たんだよ。すこし休もう」
ミネアがゆっくりとうなずく。
「私は大丈夫だから、早く講堂に戻って。きっとみんな待ってるから」
「分かった。また来るよ」
そう応えると、ノイシュは入口のドアへと向かう。
「……ノイシュ……」
ささやく様な義妹の声にノイシュが振り返ると、彼女は静かにこちらへと視線を向けていた。 彼女の澄んだ翠色のまなざしに見つめられ、自分が消えていく様な錯覚にとらわれる。強く脈打つ鼓動が耳許にまで届いた。そのまま手を伸ばし、彼女の頬に優しく触れられたら――
「――どうしたの……?」
ふいに我に返り、困惑の表情を向ける義妹からノイシュは慌てて視線をそらした。
「いや……ミネアこそ、何か言いたかったんじゃないのかい」
「卒業、おめでとう」
そう告げる彼女の声を聞き、ノイシュは強く眼をつむった。様々な思いが一気に胸を交錯したせいで、もう何も考えられなかった――
「……明日は久し振りに帰郷するんだ。無理しちゃダメだぞ」
分かってる、と言う彼女の声に応じることも出来ないまま、ノイシュは急いで部屋を出た。
~登場人物~
ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手
ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で、霊力を自在に操る等の支援術の使い手