第5話 ~彼女は義妹でもあるんだ……行かなきゃ……ッ~
「ヨハネス猊下……っ」
そう叫ぶマクミルの声を聞きながらノイシュは視界に映る光景から眼を離すことができなかった。
――そっ、そんな……っ
ノイシュは思わず唇を噛んだ。
ミネアに対抗すべく大神官ヨハネスは仲間と術連携を組み、巨大な竜を発現させた。
それは間違いなく桁違いの霊力を誇っていたはずだ。
しかしそんな超高位秘術でさえ、彼女の霊力の前に敗れ去った。
そして今は暗紅の悪魔の攻撃により、眼前で夥しい数の魂が略奪されている――
――ミネア……ッ
思わずノイシュがその場から駆け出した。
自分がその場に行って何ができるのかなんて、関係ない。
向かう先にかけがえのない義妹がいる。
あの残虐な行為を止めさせなくては――
ノイシュが全力で土を躙っていくと、視界の景色はまるで糸を引くように流れた。
未だに自らの身体は敏捷増強術の影響を受けているらしい。
このまま一気に義妹のもとまで駆け抜けていければ――
「うっ、うわああぁあ――――っ」
突如として向かう先から大きな悲鳴が上がり、ノイシュは疾走しつつも前方を見据えた。
そこではレポグントの戦士らしき一人の男が武具を捨てて駆け出している――
「暗紅の悪魔だぁぁァァ――ッっ」
そう言って逃走する彼の姿を見た両軍の戦士達の間で、一気に動揺が広がるのをノイシュは感じ取った。
「――魂を取り込まれる……ッ」
「死にたくないっ……」
彼等の中で口々に恐怖の言葉が溢れ、次々と術戦士や術士達が持ち場から逃げ出していく。
両軍の隊列が乱れ、瞬く間に戦線が崩壊していった――
「「死の御使いだぞぉおァァ――ッ」」
「「イヤだァァァッ」」
数え切れない程の戦士達による恐慌が耳朶を打ち、ノイシュは奥歯を噛んだ。
視界の先では大混乱に陥ったレポグントの大集団が大挙してこちらへと駆けてくる。
もはや戦いどころではなく、彼等が危害を加える事はないだろう。
しかし――
――本当は僕だって、暗紅の悪魔が恐い。でも、彼女は義妹でもあるんだ……行かなきゃ……ッ――
「うっ、うわああぁぁッ」
そう叫ぶとノイシュは駆けながら跳躍した。
マクミルの増強術と義妹の術増幅の支援を受けた脚力により、自らの身体が軽々と飛翔していく。
慣れない浮遊感に鼓動が早くなる。
思わず足許に眼を向けると、レポグントの戦士や術士達が自陣へと逃げていく様子を視認できた――
――あっ、あれは……っ
前方から強い明度を感じ、ノイシュは視線を上げた。
そこでは髪の長い少女が暗紅の輝きを放ち、中空に漂っている――
「ミネア……ッ」
ノイシュが声を出した次の瞬間、浮遊感が途絶えた。
自分の身体が落下するのに気づき、再び視線を下に向ける。
そこにはもうレポグントの戦士達はおらず、一気に迫ってくる地表と斃れている数多の術士達の姿だった――
――あれはっ、暗紅の悪魔に魂を奪われた人達……っ
直後、ノイシュは足許から地面へと着地した。
強い衝撃が身体中をかけ巡る。筋力を増強していなかったらただでは済まなかったかもしれない――
――ひどい……っ
ノイシュは静かに周囲を見渡していった。
地に伏した自軍の術士達の中で動く者は誰もいない。壊滅状態と云ってよかった――
――あ、あれはっ……
ふと視界に縹色の法衣が移り、ノイシュは急いで駆け寄った。
うつ伏せに倒れたその人物は動く気配がまったく無い――
――ヨハネス様……っ
ノイシュはその身体を抱き起こし、揺さぶった。
「猊下っ、ヨハネス校長……ッ」
しかし、いくら呼びかけてもこの国唯一の大神官は眼を開けることも、僅かに言葉を発することさえ無かった。
きつく両眼を閉じたその死に顔は、最期まで苦悩に満ちていた事を物語っていた――
――ヨハネス先生、今まで本当にありがとうございました……ッ
ノイシュは両眼を閉じてうなだれた。
これまで僕達が窮地に立たされた時、彼が何度も手を差し伸べてくれた。
尊敬すべき指導者だった。
偉大な神官を失い、これから僕達はどうしていけば良いのだろう――
「――貴様らも私の力になるがいい……ッ」
~登場人物~
ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手
エルン・ルンハイト……ノイシュおよびミネアの義妹。術増幅という超高位秘術の使い手
ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹かつエルンの義姉。魂吸収術という超高位秘術の使い手。通称『暗紅の悪魔』
ヨハネス……リステラ王国の大神官であり、メイ術士学院の校長。術士。男性。幻の蒼き竜を召喚する超高位秘術の使い手