第4話 ~偉大なる神官ヨハネスの死~
――あっ、あれは……ッ
不意にヨハネスは眼を大きく見開いた。
上空に舞う暗紅の悪魔が身体を大きく仰け反らせていく。
直後に、彼女の身体を包む煌きが膨張していった――
――まさか、今までの攻撃が本気では無かったと……っ
刹那の後、ミネアが上肢を勢いよく戻すと同時に両手に握る槍斧を振り下ろした。
瞬時に彼女の身体から、新たな光の槍が次々と放出されていく。
ほとんどその形状が判別できない程の膨大な数だった。
飛瀑の様な無限墜槍が上空から降り注がれ、幻竜へと迫っていく――
「ギャエオィィエエアアェ――ッ」
断末魔を響かせる幻竜の姿にヨハネスは眼を細めた。
同時に自らの身体を更なる激痛が駆け巡っていく。
不意に幻竜が大翼の動きを止めた。
尻尾が力なく垂れ下がり、頭部を下に向けながら巨躯を地面へと落下させていく――
――そ、蒼幻竜……ッ
自らの秘術が創造したものの最期を見据えながら、ヨハネスはかぶりを振った。
槍で貫かれた様な痛覚が身体中に広がり、上手く身動きが取れない。
不意に幻竜の巨躯から蒼い煌きが発せられ、その全身を包んでいく。
次の瞬間、無数の輝く粒子が宙に激しく爆ぜる。
光が四散した後には、何も残されていなかった――
「――さぁ、今度こそ我が霊力となるがいい」
暗紅の少女の声が頭上に降り注がれ、ヨハネスは身震いを覚えながらも暗紅の悪魔へと視線を向けた。
眼前には濁った血の様な色の輝きが広がり、舞空する少女を包んでいく――
――ま、まさかっ……
ヨハネスが両目を大きく見開いた瞬間、少女の身体を包む暗紅の煌きが幾つもの帯状に変じていく。
やがてそれらは蛇の様に這う動きを見せ、思わず生理的な嫌悪感を覚える――
――やはりっ、魂吸収術……ッ
「皆さんっ、ここを離れなさいッ」
ヨハネスがそう叫んだ瞬間、悪魔の身体から幾つもの暗紅の光の帯が放射されるのを視認した。
人の魂を喰らう使い魔達がうねりながらこちらへと殺到してくる。
しかし、もう自分には僅かな霊力さえ残されていない――
「ヴァヴァォォガエ――ッ」
「アエィゲデッエアビ――ビッッ」
暗紅の使い魔達が次々と術士達の身体に齧りつき、その魂を貪っていく。
周囲に絶叫が響き渡り、魂を抜かれた術士達が一人、また一人と倒れていった――
「ヨハネッ……いェイやャアメァ――ッ」
突如として自らの名前を呼ばれて振り向くと、そこではエイシアの両胸に魔蛇が喰いついていた――
「エイシア……ッ」
ヨハネスは若き高等神官を見据えると唇を震わせた。
澎湃と涙を溢れさせながら、彼女が大きくかぶりを振っている。
きっともう、自分は助からないと気づいている――
「かラ、ダ……あァツウゥ、イィィ………」
眼前でエイシアが全身が細かく痙攣させ、眼を剥いていく。
とっさに彼女が腕をこちらへと伸ばしてきた。
ヨハネスは、その掌を包む様に握ってやる――
「せン……セェ……ェぇアァ……」
そう言葉を発したまま若き弟子が倒れていった。
まるで糸の切れた人形の様に――
――またしても、私は……っ
胸中に強い感情が湧き上がり、ヨハネスは皺だらけの頬に涙をこぼした。
――弟子の命を、救えなかった……っ
不意にヨハネスは全身に重い衝撃を感じ、ゆっくりと視線を下に向けた。
視界の先では魂を吸い取る使い魔どもが、自分の両肩に深く喰い込んでいる――
「ぐっ、がああアァァェ……ッ」
突如として血潮が沸騰するかの様な熱感に襲われ、ヨハネスは叫び声を上げた。
不意に平衡感覚を失いそのまま崩れる。
身悶える程の倦怠感に顔を地面へと擦りつけるものの、視界だけは空中に舞う悪魔へと向けようとする。
しかしそれさえも網膜の中に広がっていく濃い血の様な染みに阻害されていった――
――私の役目は、ここまでの様ですね……
静かにヨハネスが眼を細めていく中、ふと脳裏に最後の教え子達の姿が浮かんできた。
マクミル、ノヴァ、ウォレン、ビューレそしてノイシュ――
――皆さん、後を……たのみ……まス……
それが偉大な神官の胸中に去来した、最期の意識だった――
~登場人物~
ヨハネス……リステラ王国の大神官であり、メイ術士学院の校長。術士。男性。幻の蒼き竜を召喚する超高位秘術の使い手
エイシア……リステラ王国の高等神官。ヨハネス率いる術士部隊の副官であり術士。女性