第1話 ~一人の従軍司祭の死~
オドリックが長刺剣を握りながら丘陵に視線を送ると、黒地に金色の獅子を綴った軍旗がその地を埋め尽さんばかりに広がっていた――
――レポグント軍……ッ
オドリックは思わず目を細めた。数多の兵を揃えた敵軍の本隊は整然と隊列を組み、槍で地を叩きながら一斉にこちらへと進軍してくるのが見える。
レポグントの軍旗は風を受けて激しくなびき、まるで本物の獅子達がこちらへと駆けてくる様だった――
「――隊長ッ、オドリック隊長……ッ」
不意に自らの名を呼ばれ、顔を向けると鱗状の甲冑で固めた男がすぐ傍に立っていた。
副官のヴィンテだ。年齢的にはすでに老境に入っているはずだが、その筋骨は逞しく力に溢れている――
「隊長っ、左陣が脇から崩れそうです……ッ」
そう告げながら緊張した面持ちの副官が前方を指し示していく。
つられる様に視線を向けると、そこでは縦列陣形を敷いたレポグント軍と自軍の前線部隊が激突していた。
突如として最前線の喧噪を意識が拾い、激しく耳朶を打つ。両軍のけたたましい喚声、絶えず打ち鳴らされる剣戟と飛び散る火花――
「――我が術戦士隊よ、敏捷増強術を詠唱せよっ」
そう言葉を発すると、術式を口ずさみながらオドリックは後方へと振り返った。
そこには隊列を組む二十人程の精悍な戦士達がおり、彼等もまた次々と詠唱を始めている。
これまで数々の戦役をともにくぐりぬけてきた部下達だ。
オドリックは己の体内から霊力が高まっていくのを感じながらも、更に術句を紡いでいく。
次第に自らの身体を薄い黄色の輝きが包み始める――
「次っ、筋力増強術の詠唱を開始ッ」
すかさず次の指示を飛ばすと、先程とは異なる術式を組み始める。
手勢の部隊からも一斉に大詠唱が湧き起こり、今度は紫色の光が隊内に広がっていく――
――この丘陵を敵軍に越えられたら、我らリステラ王国の都メイを守るのはバーヒャルト城塞のみとなる。敗れる訳には絶対にいかないっ……
「目標、前方左翼っ、私に続けっ」
そう声を張り上げると、オドリックは黒い僧服を翻しながら真っ先に最前線へと疾走した。
視界の先では既に敵戦士の数人が味方隊列の一角へとなだれ込み、分断しているのを視認する。
オドリックは瞬く間にその距離を縮めると敵戦士のうち一人へと狙いを定め、長刺剣の握る手を大きく引いた。
こちらの接近に気づいた敵戦士もまた剣を構え、その攻撃を受け流そうとするのが分かるーー
「はああぁぁッ」
気合いを発しながらオドリックは大剣を素早く突き出した。
既に術の輝きは消失しているものの長刺剣が異様な唸りを上げていく。
その刀身は敵戦士の武具を瞬く間に折り曲げ、その胸骨をも穿っていった。
そのまま相手を組み伏せながらオドリックは彼の背中に達するまで剣先を刺し込んでいく――
「う……がぁ……っ」
やがて敵戦士の瞳孔が剥いていくのを視認すると、オドリックは素早く剣を引き抜いた。
噴き出た返り血でその身を濡らしながら、そっと両眼を細める――
――願わくば彼の魂に、永遠の安らぎを……っ
「隊長、危ないッ」
聞き覚えのある声を耳にした直後、自分の前へと躍り出るヴィンテの姿を視認した。両手で握った戦斧を大きく薙ぎ払うと、自分の脇にいた敵戦士の頭蓋を宙へと吹き飛ばしていく――
「オドリック隊長をお守りしろッ」
なおも構えたまま副官が叫ぶと、部下の戦士達が次々と破られた隊列の一角へと殺到してその隙間を埋めていく。
戦局が安定していくのを見届け、オドリックは思わず小さく息をついた。
ふとヴィンテに眼をやるとこちらを睨んでいるのが分かった。戦闘中にも関わらず鎮魂の祈りをあげた事が気に入らないのだろう。しかし死者に対して自分は戦士ではなく、司祭でいたい――
「……ッ」
不意にオドリックは激しく身体を震わせた。何故かは分からない、だが……確かに何かを感じた――
――これは、一体……っ
次の瞬間、どこからか激しい閃光が放たれるのをオドリックはとらえた。
視界が純白に染まっていき思わず両手で顔をかばう。
それでも何とか光源をさぐると、遥か後方の敵陣に人影を視認した。
それは修道服姿の集団と、彼等の先頭に立つ法衣らしきものをまとった人影だった。
最前線の戦士達は皆が一様に動きを止め、そのてん末を注視している――
「じゅっ、術連携だッ」
誰かが絶叫するや、戦士達の表情が一気に緊張したものに変わっていく。
思わずオドリックが額の汗を拭った時、ふと周囲の温度が一気に上昇していることに気づいた――
――まさかッ……っ
思わずオドリックは戦慄した。
大気の温度はみるみる上昇していき、やがて周囲の戦士達からうめき声と水を求める声が湧き起こる――
「オドリック……隊長、これ……は……っ」
呼吸しづらそうに喉に手を当てたヴィンテが、驚愕と恐怖を混ぜた表情を向けてきた。灼けた空気に喉奥をやられたか――
「……間違いない、敵術士隊による術連携だ……ッ」
そう告げたオドリックはふと自分の声が低く、震えの止まらない声をしているのが分かった。
「巨大化させた霊力で、この一帯の温度を急上昇させているのだろうっ……おそらく、ここにいる全員を灼き尽くすつもりなのだ……ッ」
「そんなっ……」
ヴィンテが絶望した様に両眼を大きく開いた。
瞬く間に外気温は人の耐えうる限度を超えていき、次第に周囲から何かが焦げた臭いが漂う。
戦士達の熱いッ、助けてくれッ、と絶叫してのたうちまわる光景が、敵味方の部隊を問わずに繰り広げられていく――
――ノイシュ、ミネア……ッ
自らの身体が焦げていく臭いを嗅ぎながらも、オドリックは強く目を閉じた。
脳裏に年若い二人の姿が浮かぶ。まだ彼等が独り立ちするには数年を要するだろう、しかし――
オドリックは不意に瞼が熱くなるのを感じた。決して敵の攻撃ではない、内なる魂から生じた想いによるものだった――
――父がいなくても、義兄妹で力を合わせて強く生きるんだぞっ……
オドリックは膝から崩れ落ちた。
耳元にも誰かが倒れていく音が次々と聞こえる、そしてオドッ、という副官の奇声と倒れ込む音が聞こえた瞬間、視界が暗転したのに気づく。
身体が燃えていく疼痛も聴覚も次々と意識から消えていき、全てが闇に包まれていった――
~登場人物~
オドリック・ルンハイト……ノイシュの父親であり、ミネアの義父。従軍司祭かつ中隊を預かる隊長。術戦士。男性。増強術という支援術の使い手
ヴィンテ……オドリックが統率する中隊の副官。術戦士。男性。増強術という支援術の使い手