神は此処にありて 4
今回「クリーク・ヒエラルキー」という言葉が登場しますが、これは2000年時点ではまだ「スクールカースト」という言葉は存在しないためです。意味はスクールカーストと同じです。
花山院学園について説明しておこう。
財界・政界・芸能界における要人、その子女たちが数多く在籍する日本屈指の名門校として知られる小中高一貫校制だ。
その前身は300年以上昔から存在する、世露威操縦訓練施設である。世露威というのは、昔の日本での人型兵器の呼び名だ。
そんな前身を持つものだから、今でもドール・マキナが余裕で取っ組み合い出来る程に広い敷地を有している。
普通の人間は立ち入ることはおろか、近付くことすら不可能。なにせ学園に通じる道路には検問所が存在し、そこを警護するはよもやよもやの日本国防陸軍である。下手に強行突破しようとすると無警告で発砲してくる。自称マスメディアが無謀な突撃を敢行して射殺されたことも一度や二度ではない。
敷地全体は高さ4メートルにも届く赤レンガの塀で囲まれていて、おまけに周囲を銃器で武装した兵隊が警護しているものだから、口さがない生徒の中には「有刺鉄線がないだけの刑務所」なんて揶揄する者もいたりする。
しかしながら、その塀の中はどうやっても刑務所には見えたりしない。ここが奥多摩の森の中だとは到底思えない空間が、広大に過ぎる西洋庭園が存在するからだ。
実は花山院学園の校門はヴェルサイユ宮殿と繋がるワープ装置になっており、ワープ装置の出所は花山院学園の理事長を務める獅子王家であり、その獅子王家は先祖がアメリカ大陸を発見したことからアメリカ政府と未だに特別な繋がりがあり、そのアメリカ政府は宇宙人から密かに技術提供を受けており、アメリカ政府から横流しされた技術の正体がこのワープ装置なのだ、という都市伝説まで存在する。
そして、件の校門から歩いてすぐの所には、一人ぽつねんと途方に暮れた様子の少女が立ち竦んでいた。
麗奈と有栖は校門の手前で、その後ろ姿を見ていた。3人以外には生徒の姿はない。麗奈たちは警備員に視線で問うが、その全員から首を横に振られてしまった。
他に生徒が見当たらない理由は実に簡単だ。ここが花山院学園だからである。
より詳細に説明するならば、花山院学園は、マウントと礼儀とクリーク・ヒエラルキーが支配する空間だからである。
故に電車通学をする生徒は長期休暇の際には寮生に比べて遥かに不利であり、その不利を補うために入学式や始業式の日はかなり早い時間に登校するのが常識であり、だから今みたいな時間に来るような生徒はあまりいないのだ。
遅くとも1時間前にはまず全員が登校しているし、気合を入れ過ぎて自家用車で始発電車より早く登校する猛者まで出てくる。
しかして世の中にはやはり例外はいるもので、そういった下々の者たちの日々の営みを一顧だにしない支配者層も存在する。
例えば、花山院学園の歴代理事長を輩出し続けてきた獅子王家の後継者、獅子王麗奈はまさしくその一人である。
実際は、単に話す友達がいないだけではあるのだが。
だからだろう。麗奈は目の前の少女の心中など全く考慮せず、
「ごきげんよう」
その後ろ姿に普段通りに挨拶し、
「ぎゃわあああああ!?」
花山院学園の女生徒が上げるには相応しくない悲鳴を聞くことになった。
少女が振り返る。鞄を母親が赤ん坊を凶悪犯罪者から守るかのように腕の中に抱きしめている。
知り合いのいない異世界に突然放り投げられて今にも泣きだす寸前のような表情は、麗奈にも有栖にも、全く見覚えのない顔であった。
もし五十鈴がこの一部始終を見ていたならば、「お前そんなんだから友達の1人も出来ねえんだぞ」と言っていたことであろう。
そして、この場にいない五十鈴に代わり一部始終を見ていたマリアが、
《やっぱ主人公と悪役令嬢って、普通は相性悪いのかね?》
錯乱した少女に対応する麗奈には、その言葉を追求する余裕はなかった。
●
少女を何とか落ち着かせることに成功した頃には、残り時間は30分を切っていた。
「野亜、六華さん」
つい先ほど知ったばかりの名前を麗奈が呟く。聞き覚えのない名前だった。
「六華ちゃんって外部生?」
「あ、うん。本当は別の学校に入るはずだったんだけど、急に花山院に入ることになっちゃって」
「あー、よくあるよくある~」
「よくあるの!?」
現在時刻は8時34分。新入生は出欠確認が始まる9時までに教室に入っておかねばならないのだが、この学園はやたらと広い。あまり悠長にしていては本当に遅刻してしまう。
「有栖、野亜さん、今は先に教室に向かいましょうか」
「あ、待ってください。入学式の前に学園を案内するって言われてて。でも私、電車の乗り継ぎに失敗しちゃって、本当は一つ前ので来てるはずだったんですけど」
「あーそっか。普通は知らないよね。普通は奥多摩で終点だし、こっちまで来る電車はちょっと特別な乗り換え方法なんだよね」
「そうなの! だから先に進めなくなって、どうしたらいいのか全然わからなくって!」
「有栖、」
皆まで聞かずとも、有栖は麗奈の言いたいことを理解していた。
「はーい。案内役は生徒会だったはずだから、豊菱先輩に連絡しとくねー」
麗奈はそう言いながら、鞄から携帯電話を取り出した。
「よしなに。では野亜さん、行きましょうか」
麗奈は六華の手を引いて歩き出す。有栖は携帯電話を耳に当てながら後を追う。が、すぐに、
「電話に出ない……。あんのゴキブリオールバック野郎、ボクからの電話だからって無視してるな……!?」
メール連打で爆撃してやる、と言いながらすごい勢いで携帯電話を操作し始めた。周囲に他に誰もいないのをいいことに、前も見ずに歩きながら携帯電話を注視する。メール送信ボタンを連打する。送信済みメールボックスから同じメールを再送信する作業を指運により自動作業化し、そこでようやく画面から目を離して前を向き、麗奈に手を引かれたまま歩く六華の後ろ姿に声をかけた。
「でも六華ちゃん、電車組なのに事前に説明とかなかったの?」
「あ、うん。花山院に入ることになったのも昨日の夕方のことで、もーすっごいバタバタしちゃってて」
「……それはまた、本当に急な話ですわね」
「そう、そうなんですよ! 急にお父さんが政府の人と帰ってきて、急に明日から花山院に入学してくれって言われて、もう手続きも全部終わってるって言われて、お父さん変な詐欺にでも遭ってるんじゃないかって思って! 私本当なら奥高に入るはずだったのに!」
「……六華ちゃん、そこからどうやって信じたの?」
「奥高と出身校に電話で確認したの。そしたらどっちも政府からの要請で入学先の変更を認めてるって言われて」
六華は有栖に答え、今度は麗奈の方を向いて、
「……その、本当に詐欺とかじゃないんですよね?」
「電車に乗って来られたのですわよね? 生徒手帳を駅員に見せて」
「あ、はい」
「それなら安心していいですわよ。その生徒手帳は本物ということで、であれば当園の生徒で間違いありませんわ」
その言葉を聞いて、六華はホッと息をついた。
「よかったぁ~~~。これで詐欺だったら私、高校浪人になるところでしたよ」
「まぁ、花山院に入学詐欺はまずないと思っていいんですけれどね」
「そうなんですか?」
「ええ。発覚したら十中八九死刑ですもの」
ピタリ、と六華は足を止めた。麗奈はそれに気付かず足を進めてしまう。繋いだまま外すタイミングが分からなくて地味に焦りを募らせていた手が自然と離れ、麗奈は内心安堵した。
「し、死刑? えっと、リンチ的な意味の『私刑』じゃなくて」
麗奈たちも足を止めて振り返り、
「デスペナルティの方の『死刑』ですわ」
「た、たかが学校の入学詐欺程度で死刑になるんですか!?」
「花山院は要人の子女の多くが通ってますからね。そこに偽造入学なんて、悪事を企てていると思われても致し方ありませんわよ。ポツダム半島だってありますし」
「私、とんでもないところに入学してしまったかも……」
「ほらほら、止まってないで行こう行こう」
今度は有栖が六華の手を取って、3人は再び歩き出した。
「分かってないみたいだから言っとくけど、六華ちゃんも『要人の子女』の一人だからね」
「……はい?」
そう言われて、六華は目を瞬かせた。
「昨日急に入学が決まったって言ってたでしょ? さっきも言ったけど時々だけどそういうことあるのウチの学校って。海外に流出したらヤバい技術を開発したとか、そんな時にはその人の子供を政府権限で無理矢理にでも転校させちゃうの」
「えーと、それって人質……ってこと?」
「それも一部は含まれているのでしょうが、単純に危険だからですわね」
「誘拐とかも時々はあるらしいね。でも本命はスクールジャック対策だと思う。誘拐の方はぶっちゃけ身の安全が保障されてるわけだし、SPが隠れて近くから守ってるし」
「スクールジャック?」
「学校をテロリストが襲う妄想とかしたことない? あれ、こっちの界隈だと妄想とか笑い話とかじゃなくって、普通に現実的に起こりうるんだよ。本命以外にも使い捨ての人質が山ほど手に入るわけだからね。見せしめなりカモフラージュなりで使い道は沢山あるから」
「政府もその危険性は理解しておりますわ。だから、こうやって花山院に集めて、周囲を軍が守っておりますのよ」
「そんでもって一番危険なのは学校だから、みんながみんな寮に入るわけじゃないんだよね。さっきも言ったけど道中は隠れSPがいるし。電車とか自家用車で投稿してる子も結構いるよ。遠くから大変だよねー。都心からだと車で2時間くらいかかると思うよ」
なお、獅子王家から花山院学園までは徒歩10分程度である。
「……あれ? でも有栖ちゃん、私が乗った時、電車はガラガラだったんだけど」
「あー、うちの学校って寮があるからね。長い休みがあると電車組は色々出遅れちゃうから、入学式とか始業式の日だけ皆すごく早く学校に来るんだよね」
「……私、盛大に遅れちゃったんだけど」
「大丈夫大丈夫。お姉ちゃんがちゃんと面倒見てあげるから。それにボクたちの学年には特大の不発弾があるからね」
何か普通では聞かないような単語が聞こえた気がした。花山院で使われている隠語なんだろうかと六華は考えたが、
「困った時は遠慮なく、わたくしたちを頼ってくださいな」
そのことを聞くより早く、麗奈にそう言われてしまう。今更先の話を蒸し返す訳にもいかず、
「いえ、有栖ちゃんなら兎も角、獅子王先輩にまで頼るのはちょっと申し訳ないかなって、」
「えっ?」
「えっ?」
「……え?」
全員の足が止まる。全員が顔を見合わせる。
思い返せば、と麗奈は思う。六華は有栖にはタメ口で話しているのに、麗奈に対してだけ敬語だった。
「……わたくしも新入生ですわよ」
魂が肉体から脱出したような音が聞こえ、麗奈は人生で初めて、人が土下座する姿を目にすることになった。