魔剣の話をしよう その4
「おいおいいきなりじゃねえか。まだこっちは喋ってる最中なんだぜ?」
後退した先、麒麟はびしりと竹刀を改めて構えた。先と変わらぬ正眼の先には、やはり先と変わらぬ姿勢のままの五十鈴がいる。
(何をされた?)
覚えのある感触だった。けれどもすぐには思い出せない。今起きたのは竹刀の刀身、その根元へと突然インパクトが走ったのだ。
思い出した。鍔迫り合い。それも、鍔迫り合いに移行する際に起きる、竹刀同士が拮抗し合う瞬間の感覚だ。
同時に麒麟には見えていた。五十鈴が腕を振ったのが。けれども同時に、竹刀が振られていないことも見えていた。ならば、今起きたのは―――
「柄尻で、私の初動を叩いたのか!?」
「おうよ、大正解。大太刀術、喰連。柄尻を使った突きだな。単に長物を振り回すだけだと思ったか?」
「ふざけたことを……! 実戦で軌道を誤れば両腕を落とされることになるぞ!?」
そう麒麟に言われた五十鈴は、何を言われているのか分からない、という表情になった。
「馬鹿かお前。実戦じゃ盾なり装甲なり付いてるに決まってんだろ」
機介剣術とは、ドール・マキナに搭乗することを前提とする剣術である。
改めて、麒麟は思う。普通の人間は、全長3メートルもの刀を振るうことは不可能だろう。聞くところによるとその重量は成人男性一人分相当。鍛えた人間であったとしても、それより軽い成人女性を横抱きし続けることすらも困難だ。ましてやそれをブンブンと振り回すとなれば、肩が引っこ抜けるだろうことは想像に難くない。
だが、それは、生身の人間に限った話である。
では、ドール・マキナの場合はどうだろうか。
果たしてドール・マキナは、全長の2倍もの大剣を振るうことは出来るか。
分からない。麒麟はドール・マキナには詳しくない。せいぜいが徳川十五代将軍全員の名前と搭乗機の組み合わせを覚えている程度だ。ちなみに麒麟の密かな自慢でもある。
だからこそ、
(成立するのか……!? 人が、3メートルの刀を振るうことを前提とする剣術が、本当に……!)
「どしたぁ? 来ねえのか? 来ねえなら……」
五十鈴が若干、重心を前へと移し、
「こっちから行くぜぇ!!」
異常に極端な超前傾姿勢で、突進した。
(な、低過ぎ……!)
それは、傍から見ていても異様な光景だった。
姿勢が低過ぎる。あまりにも前傾過ぎる。まるで出発寸前のクラウチングスタート。身長170センチメートルの人間が、その膝より低い高さで走るという、まるで単なる転倒だと錯覚しそうな体勢。
これこそが、五十鈴の狂人的な体幹があって初めて可能となる特異移動術。五十鈴だけの個人技能。九名いる彼の者の師、その一人によって与えられし銘は、
―――魔剣・幹狩。
ただ、移動するだけの魔剣である。
ところでここで、剣道のルールについておさらいしておこう。
剣道における有効打突部位は三つ、無いし四つ。すなわち”面”、”小手”、”胴”。加えて高校生以上になると解禁される喉への”突き”だ。そして、これら四点その全てに共通するのは、有効打突部位は、必ず上半身にのみ存在する、ということである。
そう、剣道に足払いはない。正確に言えば警察剣道では足払い等が認められてはいるものの、通常、下半身への攻撃は、剣道のルールにおいては反則負けとなる。
これは、剣道の理念から考えれば当然のことだ。極論を言えば剣の道とは、『殺される前に殺す』の一点に集約される。ちんたらと足へと刀を振るっている間に、無防備な頭を叩き切られるのは道理といえよう。
なお、実を言うと、示現流には下段に対する技も存在する。これは示現流の仮想敵がタイ捨流であるからだ。タイ捨流を端的に説明すれば、何でもありの剣術である。体術もあれば寝技・関節技もある。暗器どころか毒物すら使う。無論その中には、座った姿勢からの斬撃、というものも存在する。故に対タイ捨流を考える示現の技には、座った相手を切るための技術も蓄積されている。惜しむらくは、麒麟はまだそれらの技を学ばせて貰えていないことだった。学生の身である麒麟に変な癖を付けまいとする師の愛が、五十鈴を相手に対処できないという事態を招いてしまったのは皮肉といえよう。
だが、今は剣道の試合ではない。道場破りの野試合である。そもそも五十鈴が拾を振るっている時点でルールもクソも無い。
例えばだが、プロレスなどに見られる低空タックルの場合、容易な対処法がある。例えば膝。例えば足裏。足に向かって自ら近付いてくる得物に、こちらからも距離を縮めてその無防備な顔面に一撃をくれてやればいい。
なれども、ただの低空タックルに魔剣の名は冠されない。忘れてはならない。五十鈴が持っているのは、全長3メートルもの超長物である。
超低空姿勢のままで五十鈴が身を捻る。膝も、足裏も、三尺八寸すらも届かぬ遠間から、
「シャアアア!!!」
拾が、振るわれた。
おそらくは、運が良かったのだろうと麒麟は思う。対処に迷い、竹刀を正眼に立てたままだったからだ。拾とサンパチが激突する。下手に位置を動かしていれば、そのまま胴を打ち抜かれていたに違いない。
腕ごと持っていかれそうな衝撃が伝わる。より強く竹刀を握りしめ、少しでも反動を逃がすために、さらに遠く後ろへと距離を取り、
ドン、と、
その背中に、道場の壁がぶつかった。
(……厄介ですわよねぇ)
壁際に追い込まれた麒麟を見ながら、麗奈はそう思案していた。
五十鈴の振るう魔剣・幹狩は、それ単体で見れば単なる移動手段に過ぎない。それを魔剣の領域たらしめているのは、
(ステップを介さない、横滑りのような移動歩法)
まるで、格闘技におけるダッシュ移動のようだ。
(パンテーラを使って観測しておりますが、なんであれで移動できるのか、やっぱり理解できませんわね……)
人が普通に歩くのとは異なり、軸足という概念が存在する剣道において、高速での移動にはステップを介する必要がある。まっすぐ歩いて切る、という動作は実は難しい。歩くたびに軸が左右にブレてしまうからだ。そしてステップという移動方法には、歩きや走りとは明確に異なる部分が一点存在する。
緩急だ。
飛び、着地し、再び飛ぶ。飛んだ瞬間に加速し、着地の際には減速する。これは、剣道に置いて一気に距離を詰める際の大原則だ。
五十鈴は違う。等速・加速・減速・急停止を行える幹狩は、実際に使われるとだまし絵でも見せられているような感覚を覚える。
(そしてそこに加わるのが、あの拾の存在。緩急自在の移動から、上中下段の三択を強いられる)
そして当然のことではあるが、こちらも拾を持っていなければ、そもそも反撃が届かない。
では、仮にこちらも拾を持っているとしよう。
五十鈴の接近に合わせてのカウンター? まず無理だ。麗奈には超高速思考能力があるから対処は出来るだろうが、そうでない者たちにはカウンターを合わせるのはまず不可能の速度である。
近付いてくるのに対して槍のように拾を置く? これは下策だ。その場合、五十鈴は拾を狙って剣を振るう。手から弾き飛ばされるか中程でへし折られてしまう。
拾を用いた大太刀術の立ち合いに置いて、獅子王道場総勢十一名で最強と評されたのが、鷹谷五十鈴という男である。




