魔剣の話をしよう その3
「なんだあれは!? 竹刀が長い! 異常に長いぞ!!」
≪ワーーー! ワーーー! ワーーー! 着物を割かれた程度では、赤子は……あれ、これコラの方だっけ? まぁいいや≫
マリアの意味の分からない言葉を無視し、麗奈は狼狽する麒麟を落ち着かせようと声を掛けた。
「超長竹刀―――拾。五十鈴が最も得意とする得物ですわ」
一般的に、竹刀は全日本剣道連盟によってその長さが規定されている。広く使われているのが三尺八寸で、これはおよそ117センチメートルの長さを持つものだ。獅子王道場の竹刀立てに立てられている竹刀も七割ほどがこのサンパチだし、麒麟が手にするマイ竹刀もやはりサンパチである。
対する拾の長さ、実に十尺―――すなわち、およそ3メートル。サンパチの約2.6倍もの規格外品である。
麒麟は思う。あれは本当に竹刀なのか、と。
柄だけでも普通の竹刀の刀身相当の長さがある。中結の数も三倍はあり、長さだけを見れば槍にしか見えないそれは、長さにさえ目をつぶればだが、間違いなく竹刀の形そのものではある。
しかして竹刀とは読んで字のごとく竹の刀―――刀の代替品なのだ。鍛錬の延長線上には、実際に本物の刀、真剣を振るうことを想定されている。
そして麒麟が知る限り、世界で最も長い刀はおおよそ350センチメートル。拾をも超える超長刀だ。しかして同時にこの刀は、人が振るうことを想定されていない祭刀でもある。なにせ大人が十人がかりで運んだと伝えられているのだ。およそ普通の人間が単身で扱えるものでは決してない。
だから麒麟はこう思う。あの長さの真剣があったとして、果たして人はそれを振るえるのか、と。答えは否だ。重過ぎる。振ったが最後、手元からすっぽ抜ける事間違いない。
であれば、あれは何か。その答えの導べとなり得る経験を、麒麟は過去に得ていた。鹿島神傳直心影流。かの流派には、巨大な鍛錬専用の棍棒を振るって体幹と筋肉を鍛える鍛錬法がある。麒麟も実際に見せてもらったことがあったのだが、人を撲殺できそうな代物であった。なるほど鍛錬専用になるはずだ。あんなもの、人に振るえば首の骨くらいは簡単にへし折れるだろう。
つまるところ、あの超長竹刀・拾は、実戦に使うことを想定されていない、鍛錬専用の一振りなのではないだろうか。
(安直な……。長物有利とみたか)
古今東西あらゆる武術において、リーチの長さとはそれだけで大きく優位を取れる要素である。
底が見えた気がした。そんな姑息な手に頼るから、63連敗などという無様を晒しているに違いなかった。
五十鈴と麒麟、二人が対峙する。五十鈴の方がわずかに背が高い。
「五十鈴、防具は要らないんですの?」
「オイオイ、俺にも男の意地っつうもんがあるんだぜ? んじゃあ、とっとと始めっか」
「ああ、さっさと終わらせよう。後も使えている」
わたくしのことはお気になさらず~、という麗奈からの返答をよそに、二人はそれぞれに構えを取った。麒麟が取ったのは正眼。剣道における基本の構え、その一つだ。対する五十鈴の構えは、
(……なんだ、あの奇妙な構えは)
麒麟も初めて見る構えだった。けれども奇妙なことに、どことなく既視感もある構えだ。
(ああ、そうだ。たしか野球のバッティングフォーム、だったか? あれにどことなく似ている)
左半身を前に、腰を軽く落とした構え。バッティングフォームと大きく違うのは、3メートルもの長竹刀を、縦ではなく横に寝かしていることだろう。
(それに、刀身がまるで見えない。霞と置き蜻蛉の融合、いや、実際に見たことはなかったが、あれは新陰流系の八相か……?)
長大な柄は、手を大きく広げて、その上端と末端を握っている。さらに横に寝かせた刀身は、まっすぐ水平というわけではない。切っ先が下がるように角度が付けられていた。麒麟の視線の高さからは、柄頭くらいしか見えない角度だ。
五十鈴の最も得意とする獲物だ、と言うだけはある。初見の相手に対し、見事に刀身を隠すことに成功している。五十鈴が近付くまでにその長さを視認してはいるものの、こうして実際に見えないと、
(間合いが、掴めん……)
見たはずなのに。知っているはずなのに。これまで三尺八寸相手に戦ってきた経験が、麒麟の認識に齟齬を生もうと介入してくる。
二人が構えたのを見て、麗奈が二人から距離を取った。手をヒラヒラと振りながら、
「道場破りですので、開始の合図を送ったりはいたしませんわよ。好きにおっぱじめてくださいな」
その通りだ、と麒麟も思う。だいたい眼前の男を倒したら、麗奈の番では宣言する者が伸びている可能性だってあるのだ。
けれども眼前の男の無防備な画面に竹刀を振り下ろす前に、せめて剣士として、最低限の礼儀は払うべきだろう。
「―――示現流門下生、東郷麒麟」
対する五十鈴は訝しげに眉を寄せつつも、口を開いた。
「―――獅子王流機介剣術皆伝、鷹谷五十鈴。いいのかよ、正眼で。示現流といったら蜻蛉だろ」
蜻蛉。示現流における基本。両の手を右肩に寄せ、切っ先を天に向けた構え。左腕を左胸にぴったりとくっつけて固定することでブレーキの役割を与え、その反動で剣速を速めるための合理の型。示現流が目指す神速の斬撃、魔剣・雲耀のために生み出された構えである。
余談であるが、示現流、および示現流から派生した獅子王流では『蜻蛉の構え』とは言わず、『蜻蛉を取る』という。蜻蛉とはそもそも構えを意味する言葉であり、この『取る』とは『構えを取る』の取ると同義だ。例えばサハラ砂漠を翻訳したら砂漠砂漠になるように、ミシシッピ川を翻訳したら川川になるように、『蜻蛉の構え』では『構えの構え』という意味になってしまう。
五十鈴の疑問に対し、麒麟も心底からの疑問で返した。
「馬鹿を言う。この後に本命が控えているのだ。手の内を見せるわけがなかろう?」
「ハッ、蜻蛉らなかったから負けたなんて言い訳す―――」
それは、五十鈴が話している最中のことであった。
麒麟が一切の躊躇なく、五十鈴の額目掛けて竹刀を振るい、
「!?」
竹刀越しに帰ってきた奇妙極まりない感触に、大きく後ろへと距離を取った。




