UFOの日の真実 その8
ライナスは、正拳突きを放った姿勢で残心したまま、鍋島に追い打ちを掛けることはなかった。
鍋島はロープから離れ、再び構えを取った。だがダメージは深刻だ。先ほどまでの軽やかなフットワークは見る影も無い。
対するライナスは対照的に、挑発するようにステップを踏みながらシャドーボクシングをしている。どうやら鍋島の回復を待つつもりらしく、小漆間は果たしてK-1のルールに柔道でいうところの消極的指導にあたるものがあっただろうかと判断に迷うはめになった。
結局このラウンドは、そのままインターバルを迎えた。そして続く第5ラウンド。
鍋島は3分間、ライナスのサンドバッグになった。
かろうじて耐え、這う這うの体でインターバルを迎える鍋島の姿を見ながら、青コーナーで椅子に座るライナスは、セコンドを務めるガーランに気分良さげに話しかけた。
「いやぁ~いいですねぇ、この人を殴る感触。合法的に人を殴れる機会なんてなかなかありませんからね。ナベシマ先輩には悪いですが、もう少し堪能させていただきますか」
「ま、ようやく火種が一つ燃え上がったからな。けどよライ、いいのか?」
「何がです、ガル?」
「このままお前があいつを殴り倒しちまったら、せっかく燃え広がりそうな他の火種にまとめて水をぶっかけることになっちまわねえか?」
「……おお、いけないいけない。危ないところでした。殴るのが楽しくて、つい忘れていましたね」
ビープ音が鳴る。インターバル終了10秒前。
「ま、ほどほどにな」
「ええ。まぁ、上手いこと着地させますよ」
グローブ越しに両拳を合わせながらライナスはそう言って、第6ラウンドへと向かう。
そして再びライナスが鍋島をサンドバッグにしているのを見て、あいつやっぱなんも分かってねえんじゃねえか、とガーランは一人思った。
●
もはや、誰の声も聞こえなかった。ただ、ライナスが鍋島を殴る音だけが聞こえている。
前の第5ラウンドでは、鍋島が殴られるたびに周防グループの誰かしらが悲鳴を上げていた。けれども第6ラウンドでは、鈍い打撃音が聞こえる度に、彼女たちは怯えるように身をすくませるだけだ。
鍋島のセコンドについていたボクシング部1年、井部はタオルを握りしめながら、歯を食いしばっていた。
タオルは投げるなと、鍋島は井部に言明していた。
決闘だ、などといったところで所詮はガキの喧嘩である。そして自分から売った喧嘩を後輩の手で止められる。これほどみっともないことはねえだろ、と。
だから井部はタオルを投げれない。先輩が一方的に殴られるのを見ながら、無事にコーナーに戻ってくることを祈る事しか出来ない。
打撃音が連打する。鍋島のガードがこじ開けられ、ねじ込まれたアッパーが鍋島の顔を上に弾いた。ライナスが追い打ちをかけようと接近し、鍋島もライナスに合わせて近付き、抱き着く。クリンチだ。が、
「ご、ぼっ!?」
首相撲からの猛烈な膝蹴りが、鍋島の腹に叩き込まれた。これはボクシングではなくK-1だ。蹴り技は認められている。グローブで殴るのとも異なる肉同士がぶつかった音に、周防グループは再び悲鳴を上げた。
鍋島は慌ててクリンチを解いた。がむしゃらに拳を振り、ライナスが近付けないように牽制する。
(つ、強い……!)
一撃が重い訳でもない。動きが早い訳でもない。自分の動きが見透かされているような、奇妙な感覚。向こうの攻撃ばかりが当たり、こちらの行動はことごとくが裏目に出る。全て、この男の手の平の上で踊っているようだった。よもや自分が決闘を挑んだことさえも、この男によって誘導させられたのではないかとまで思う。
負けられない。
そうだ、負けられない。
けど、あれ―――
(なんで…………)
なんで、負けられないんだったっけ。
立っているのに、意識が遠のきそうになる。
無意識に腕が下がり、ガードが解かれる。
目の焦点すら定まらない。
経験からの確信。あと一発でも貰えば、倒れる。
ああ、次で、楽に―――
その瞬間、
「……ばって」
周防が、初めて、
「頑張って、鍋島君!!」
鍋島のことを、応援した。
反射的に、拳を振るっていた。
ただ、男の意地だけで振られたテレフォンパンチだった。膝は砕けかけているし、肩も腰も入っていない。腕の高さも足りなくて、例え当たったとしても頑丈な胸骨に阻まれる。
見え見えの動きだった。ライナスのこれまでの立ち回りを見てきたのであれば余裕で避けれるだろうと、誰だってそう思う。現にライナスは、既に回避行動に入っていた。最後の男の意地は、届かない。
もっとも―――
「あ?」
―――それは、ライナスが汗で足を滑らせなかったら、の話ではあるが。
高さが足りないはずだった。
重心が前に乗り過ぎていた。
けれどそれは、スリップしたライナスの顎に、ピンポイントで突き刺さり―――
「ダウン!!!」
「あ?」
ライナスが床に倒れている。鍋島は拳を振り抜いた姿勢で固まっている。鍋島自身、何が起きたのかを理解できていない。小漆間のカウントダウンが進む中、当たるはずがないパンチが当たったらしいということだけを一人遅れて実感する。
ライナスは仰向けの体勢からうつ伏せになり、ゆっくりと、ゆっくりと、身体を起こした。ファイティングポーズを取ったのは、8カウントまで進んだところだった。
「ロンゴミニアド留学生! まだやれるか!?」
小漆間の問いに、ライナスは無言で両拳を合わせて戦意を見せた。けれどもかなりいいところに入ったようで、両足はガクガクと笑っている。
ライナスは、笑っていた。
鍋島も、笑っていた。
そして、泥仕合が始まった。
ライナスが殴れば鍋島の顔が吹き飛ぶ。
鍋島が拳を振るえばライナスの顔が苦痛に歪む。
もはや回避も技術も何もない。一発殴れば一発殴り返す。もうこれはK-1とは言えないかもしれない。見る人が見れば「なんでこいつらプロレスやってんだ?」と言い出しかねない光景だった。
誰も彼もが声を上げていた。先ほどまでの冷徹な空気で満ちた雰囲気などどこにも残っていない。最初から興味なさげにしていたエレオノーラでさえも「オラァーもっと腰いれて殴らんかぁー!! そんなんで女を取り戻せると思うなよー!! アンタセックスの時でもそんなへっぴり腰で腰振るつもりかぁー!!!」なんて叫んでいた。
ラウンドが進んでいく。1分休んで3分殴り合う。二人の間で成立しているルールは、もはやこれだけだ。
そして、男同士の意地の張り合いは、第10ラウンドの半ばで終わりを迎えた。
ライナスが倒れている。四つん這いで、身体を無理矢理に起こそうとして、途中で、崩れ落ちた。
ゴングが激しく連打される。小漆間が両腕を大きく交差させた。リングの上に涙で顔を濡らした周防が、井部が乗り込んで、ふらふらの鍋島へとタックルでトドメを刺すかの勢いで抱き着いた。
最初は鍋島を全く応援せず、ライナスへと黄色い悲鳴を上げていたのと同一人物だとは到底思えなかった。
≪クソ女やんけ~~~~~~!!≫
(いい感じに着地しそうなんですから黙っていてくださる!?)
こうして、ライナスの決闘騒ぎは、ひとまずの終わりを迎えた。
(……けれどもライナス様、何であの時足を滑らせた演技をして、わざとパンチを食らったんでしょう?)
最初から事情を知っていたガーランを除き、高速思考能力でその真実に唯一気付いた麗奈の疑問を残したままで。
ブックマークや評価、お待ちしてます!




