UFOの日の真実 その7
ゴングが鳴った直後、お互いに左手を軽く出してのグローブタッチ。
鍋島が動いたのは、その直後の事だった。引きかけの左でジャブを放ったのだ。スウェーで回避されるも、即座にストレートを撃ち込む。ブロッキングで防がれた。
鍋島のワンツーをしのいだライナスは、すぐに反撃に転じた。
ジャブ、ジャブ、ストレート。
鍋島はパリングとブロッキングで全て防いだ。
鍋島側の赤コーナー、気でも狂ったかのような奇声を上げながら、ボクシング部の仲間や周防グループの女生徒たちが声援を飛ばす。男子生徒の鍋島を応援する声もあるが、その多くはライナスのファンたちである女子の声にかき消されていた。ちなみに周防は鍋島ではなくライナスの方を応援している。
対する青コーナーは静かなもので、声を出しているのは有栖だけだ。「いけーっ! 砕けーっ! 正面から殴り砕けーっ!!」と叫んでいるが、パンチで骨も肉も砕けるのは戦闘用義肢を装着している有栖くらいのものだ。六華はハラハラしながら戦いの行方を見守り、エレオノーラは興味なさげに窓の外に視線を移していた。他の5人は、冷静に観察している。
そして、外から見ている限りはあっという間に3分が経過した。ゴングが鳴り、インターバルの時間を迎え、リング上のライナスと鍋島は、それぞれのコーナーへと戻っていく。
「静かな滑り出しですわねぇ」
「まーお互いの手の内も分かっちゃいねえしな。あと1、2ラウンドくらいは様子見じゃね?」
「ていうか皆もっと盛り上がって応援しようよ!」
「応援って言われてもなぁ」と五十鈴。
「正直、あの男の自業自得だろう」と詩虞。
「この後も同じことがきっと起きるだろうし、いちいち応援なんてしてらんないよ」とやさぐれ気味の春光。
「あたしもう帰っていい?」とエレオノーラ。
「外に出た瞬間に質問攻めにあいますわよ」と麗奈。
ガーランはコーナーを上がり、ライナスに水とタオルを渡してセコンド中だった。
インターバルが終わり、再びゴングが鳴る。戦いが再開された。
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五十鈴の予想通り、第2、第3ラウンドになっても、二人は様子見に徹していた。そして合計9分間分の戦いを経て迎えたインターバルで、鍋島はいくつか気付いたことを頭の中で整理していた。
まず一つ。ライナスが、鍋島が予想していた以上に動けている。正直なところを言えば、試合開始直後に放ったワンツーで沈むんじゃないか、とまで考えていた。
鍋島はドール・マキナに興味がないので知らないことだが、ドール・マキナの操縦には、操縦者の身体操作能力や武術経験が強く反映される。生身で弱いモヤシはドール・マキナに乗っても弱く、喧嘩が強い不良はドール・マキナに乗っても強い。
そしてライナスがK-1参加競技を一通り習っているというのは、単なる趣味の横好きレベルのものなどではない。ドール・マキナ先進国の一つ、世界を先導するイギリスの王族の一人として、各種格闘技のプロ・トレーナーの指導のもと、かなり密度の濃い鍛錬をガッツリとこなして来たのだ。
ボクシングだけに限れば経験時間は鍋島の方が長いが、武術全般というくくりにしてしまえば、身体を鍛えてきた年月は、ライナスの方が上回るのである。鍋島も薄々と、そのことに気付き始めていた。
次に気付いたことは、ライナスはストレートを打つ頻度が低いということだ。正確には、ストレートを使うのは必ずジャブの後だ。第2ラウンドの終わり際にこのことに気付いた鍋島は、第3ラウンドを使って、このパターンに確信を得ていた。特にジャブを2回打った後、高確率でストレートが飛んで来る。
(他の格闘技の応用で立ち回れてはいるようだが、ボクシングそのものに対する経験の浅さが見えてきたな)
狙い目だ。ライナスの癖を利用して決着をつける。そして夏休みは鈴里と一緒に二人で過ごすのだ。ライナスとの試合に集中し過ぎる余り、婚約者の周防が一度も自分への声援を送っていないという事実に気付かず、鍋島はそう画策する。
インターバルが終わり、鍋島は椅子から立ち上がった。対面、金髪巨漢のセコンドから送り出されたライナスが同じく立ち上がるのを見ながら、頭の中で戦略を組み立てた。
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第4ラウンド、互いに決定的な瞬間が訪れないままに半分近くの時間が経過した。やはりこのラウンドでもライナスは、ストレートは二度のジャブの後ばかりだ。
手癖になってきていると、鍋島はそう判断した。もう10分以上戦っているのだ。3分ごとに1分の休息では、脳に酸素がいきわたるものではない。
退屈な展開に飽きたエレオノーラが大あくびをしたのと同じタイミングで、その瞬間は来た。
ジャブ。
ジャブ。
フック。
ジャブ、ジャブ。
(ここだ!)
ライナスの右肩がピクリと動いたその瞬間、鍋島は拳が飛んでくるより先に回避行動を取っていた。
ダッキング。身を屈めて懐に入り込み、ボディブローを入れてその澄ました面を歪ませてやろうと
―――紫。
その色を認識した瞬間、鍋島は見慣れた天井を視界に入れていた。
自分に一体何が起きたかを、認識できていない。
慣れ親しんだグローブの感触。
慣れているとは言い切れないヘッドギアの感触。
間延びした感覚の中、女子の悲鳴が聞こえているのは分かった。
女子。何故、女子の声が。
ここはボクシング部の部室のはずで、女子がこんな場所に来るはずがなくって。
そうだ、女子と言えば鈴里だ。2年に進級してから、全然話せていない自分の婚約者。
なんで話せていなかったんだっけ。
そうだ、留学生だ。イギリスからの留学生を、鈴里の友達が取り乱した様子で話題に出していて。
紫色の髪の、イギリス王子。
その顔を思い出した瞬間、鍋島は、つい先ほど自分の視界を埋めた紫が、ライナスが装着していたボクシンググローブの色であることにようやく気付いた。
己はまだ、リングの上に立っている。身体を伸ばし、両腕を中途半端に上げた形で、リングに残っている。
何が起きたのか、何をされたのか、鍋島は直感的に理解した。
読まれていたのだ。自分の動きを。目的を。ダッキングで懐に入り込もうとする鍋島を、アッパーで打ち上げたのだ。
―――身体を、動かさなければ!
まだ終わっていない。そう気付いた鍋島は、反射的にガードを上げた。無理矢理に跳ね上がった顎も下てグローブで守りを固める。
そこで鍋島が見たものは、右拳を腰だめに構えるライナスの姿だった。明らかに、これまでに見せたボクシングのスタイルではない。
待て、と反射的に鍋島は思う。いつか見たK-1雑誌に載っていた、K-1参加格闘技の中で、一番強力なパンチを打てるのはどの格闘技のどの技か、という記事を思い出したからだ。
その記事には、こう結論されていたのを覚えている。
―――空手の、正拳突き。
ガードの上から、凄まじい衝撃が鍋島を襲った。
倒れる。
経験から鍋島はそう確信する。だが、かろうじてのところでそうはならなかった。ロープに身体が引っかかったからだ。




