UFOの日の真実 その3
「ごきげんよう」
「おはよー」
「ごきげんよう、獅子王様、有栖さん」
翌日の早朝、教室までの廊下を歩きながら、麗奈たちは前から来た女生徒と挨拶を交わした。
去年までであれば、これは滅多に見られない光景だった。なにせ麗奈はほとんどの生徒に恐れられていて、例えるならばクラスカースト最底辺なのにヤンキーから「おい、手前」と声を掛けられたような反応をされるからだ。西暦二千年にオタクに優しいギャルなんて概念は存在しないし、オタクと仲が良いヤンキーなんて概念もまた存在しないのだ。
こうして普通に挨拶が返ってくることに、麗奈は言いようのない喜びを感じていた。最近は、こういった相手も少しずつではあるが増えている。
その理由は、やはり異文化部の活動だろう。
わずか一ヶ月の間に、百人近い留学生が雪崩れ込んだのだ。自然、留学生との、あるいは留学生同士での文化的衝突が多発し、麗奈を始めとする異文化部の面々は、その問題を解決するために奔走することになった。
そうして交流が強制的に増えた結果、麗奈をよく知らない生徒たちによる、学園を裏から統治する恐怖の帝王というイメージから、日本最大のエリート校・花山院学園の中ではという注釈がつくものの、ごくごく普通の女生徒の一人である、という印象に更新されていったのだ。
(これも、ある意味ブレイクスルーですわね)
良い傾向だ、と麗奈は思う。こうやって普通に挨拶をして、普通に会話ができるような相手が、六華以外にももっと増えてくれれば、と願う。
とはいえ先の挨拶から分かる通り、麗奈は苗字を様付けで、有栖は名前をさん付けだ。まだまだ壁は厚いのだろう。
そんなことを考えながら足を進め、自分の教室にたどり着き、
「ごきげんよう、みなさ
「ライナス・ロンゴミニアド! 貴様に決闘を申し込む!!」
スパァン!!(勢いよく教室の扉を閉めた音)
カラカラカラ……(反動で締めた扉が少し戻ってくる音)
トッ(両手で丁寧に扉を閉めた音)
引き手を両手でしっかりと抑えた姿勢のまま、ついにこの瞬間が来てしまったかー……と麗奈は思う。頭の中でマリアが≪キターーーーーー! っぱ乙女ゲームと言えば決闘なんだよなぁ!≫と騒ぐ声を余所に、麗奈は早くも頭が痛くなってくる。
(……いえ、むしろ遅すぎるくらいなのかも知れませんわね)
ライナスが転校してきて早二ヶ月弱。最初の頃はライナスと目が合うだけで倒れ、あるいは発情していた女生徒たちは、早くも順応しライナスを追いかけまわす女戦士へと変貌した。
その女戦士問題が改めて問題とならなかったのは、より大きな問題、つまり大量の留学生によって発生した文化摩擦を解決することが優先されたからなのだろう。
逆に言えば、その問題の多くが解決した今だからこそ、ライナスに関するかねてからの厄介事が、こうして表面化したのだ。
ちなみに麗奈は教室内の声が聞こえないようにと現実逃避気味に扉を閉めたのだが、はっきり言って全くの無駄である。なぜなら教室と廊下を繋ぐ扉は二つあり、麗奈が抑えるのとは別の扉は全開で、そちらから教室内の会話が聞こえてくるのだから。
「ほう、決闘ですか。ところで、貴方はどこのどちら様でしょうか?」
「二年の鍋島喜一だ! 貴様がたぶらかした周防鈴里の婚約者の!!」
≪誰よその女!? いや本当に誰?≫
「ちなみにあの先輩、ボクシング部な」と五十鈴の声。
「ほう、ボクシング! いいですねぇ」とライナスの嬉しそうな声。
「あの、鍋島先輩。決闘は法律で禁止されているんですけど」と麗奈の従姉弟にして警視庁長官の息子、石川春光の声。
「黙れ石川! 花山院学園は治外法権! 下等国民のための法律ごときでこの俺の怒りが止まると思うな!」
「そうですよ、シュンコウ。野暮を言ってはいけません。それに決闘を拒否したともなれば、それはブリテン王族の名折れ。いいでしょう、ナベシマ先輩! その決闘、受諾いたしましょう!!」
「よく言った、ライナス・ロンゴミニアド! 時は今日の放課後、場所は武闘館! 首を洗って待っていろ!!」
そう声が聞こえた数秒後、扉を抑える麗奈の手に、反対側から扉を開こうとする力が加わった。とっさに麗奈は力を込めて対抗してしまう。
「うん? なんだ、立て付けが悪いのか?」
ガタガタと扉が数度揺れ、はっと気付いて麗奈が引き手から手を離すと、直後に勢いよく開いた。
「うおっ!? な、あ、し、獅子王麗奈!?」
「ええっと……ごきげんよう、鍋島先輩?」
「あ、ああ。おはよう」
「…………」
「…………」
向かい合い、奇妙な沈黙が間を満たす。そうして麗奈がようやく、自分が立っているから鍋島が出ていけないのだ、と気付いて一歩を下がり、ばつが悪そうにしていた鍋島は一度教室へと振り返った。ライナスをびしりと指差して、
「首を洗って、待っていろ!!」
≪大事なことだから二回言いました≫
そう言い残すと、肩を怒らせながら去っていった。
鍋島がいなくなった教室の中を、麗奈は出入り口に立って見渡した。
事態の中心人物であるライナスは、遠巻きに注目を浴びている。だが、それらを全く意に介していないようだ。隣に座る五十鈴や後ろのガーランと、実に楽しそうに会話しながら笑っていた。身長が優に二メートルを超えるガーランの巨体のせいで麗奈からは死角になっているが、先ほどの声からして、春光も一緒にいるはずだった。
麗奈の初めての友人、野亜六華の姿は見えない。電車通学の彼女は、まだ登校していないのかもしれない。
ライナスから離れた場所では、いくつかのグループが出来ていた。
一体どちらが勝つのかと、早くも賭けを始めた生徒たち。
いい機会だ、ライナスを痛い目に遭わせてくれと鍋島に願う男子生徒たち。
もしかして、もしかしてだけど、ライナスの上半身の裸が見れるのではないかと今から鼻息を荒くする女生徒たち。
興奮が行き過ぎて鼻血を噴き出しながら倒れた女生徒と、それを介護する生徒たち。
先ほど鍋島が麗奈の名を出したにもかかわらず、麗奈に注意を向ける者はほとんどいなかった。普段であれば、例え無言で教室に入ったとしても、誰もが麗奈を注目するのに。自意識過剰などではない。初等部から九年続く客観的かつ主観的な事実である。
つまりそれだけ、ライナスの決闘騒ぎは、誰も彼もの関心を、強く集めているということだった。
早くも頭痛がしてきた頭を押さえながら、麗奈はようやく教室に足を踏み入れた。
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