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馬鹿が裸でやってくる その9


「チカヅクナ! ばすノウシロニイロ!!」


 バスの中、ナイフを突き出しながら、身なりの良い東洋人らしき男がカタコトの日本語で乗客に命令していた。男自身も、自分の人種が何なのかは分かっていなかった。


 ポツダム半島、すなわちローズ・スティンガーによって旧大韓帝国が滅ぼされ、その跡地に世界中から国を捨てた犯罪者が集まったことで生まれた、世界で最も治安が悪いとまで言われる地球のスラム街。


 そこで生まれた者の多くは、己の人種の把握すらおぼつかない。このバスジャック犯も、典型的なその一人だった。日本人なのかもしれないし、中国人なのかもしれない。よもや絶滅したと言われる朝鮮人ではないだろう。


 クソをションベンで煮詰めた様な人生だった。そんな男の人生に転機が訪れたのはつい先日のことだ。


 仕立ての良いスーツを着た、キツネ目の男。


 キツネ目から今日この日、バスジャックを行うように指示されたのだ。莫大な前金と成功報酬を提示されて。この仕立ての良い服も、大振りのナイフも、全てキツネ目が用意したものだった。


 そして目的地に到着したらキツネ目が用意しているという船で再びポツダム半島に戻り、あとはキツネ目の伝手で戸籍を偽造してもらい、別の国で新たな名前で新たな人生をやり直す。そしてようやく男の人生が、人間らしい文化的な生活を営む日々が始まるのだ。


 実を言うと、今どこを走っているのかが男には分からない。本当に運転手は支持した通りの道を進んでいるのか分からない。男はまともな教育すら受けれなかったので、英語も中国語も日本語も読めないのだ。そもそもバスに乗ることすら初めてで、運転手に苦笑されながらやり方を教えてもらった。


 親切にしてくれた運転手に刃を向けることに、良心の呵責は感じなかった。そもそも、良心なんてものが育つ生き方など出来なかったのだ。逆に、妙な興奮すら感じていた。


「イッタトオリノミチヲススンデイルンダロウナ!?」


「ひぃっ! 進んでます、進んでますよぉ!」


 身を捻って運転手を見ていた身体の向きを、再び後部車両側へと向ける。


 ―――キン、という音が手元から鳴った。


「?」


 手元を見る。



 ナイフが、なかった。



 妙だ、とバスジャック犯は思う。ナイフが無い。だが奇妙なことに、ナイフを握っている感触は、まだ手の中にしっかりとあるのだ。


 床を見れば、根元から断たれたナイフの刃が転がっていた。


 そして、横一文字に床が開き、刃が目の前から遠のいていく。


 いや、違う。遅れて男はそう思う。男の目の前の位置で、バスが二つに分離したのだ。床と床の間、恐ろしい勢いでアスファルト舗装の道路が流れていくのが見える。


「ハ?」


 視線を上げれば、車両の後ろに集めていた人質たちと視線が合った。誰も彼もがポカンとした顔をしていた。強い風を感じ、握っていたポールをより強く握りしめる。


「オ、オイオイウンテンシュ!? ばすノウシロガ―――」


 思わず振り向く。運転手がいなかった。否、



 ()()()()()()



 男が振り向いた先、運転手はおろかバスそのものが消失していた。残っているのは、男が乗っている1メートルにも満たない幅のバスの一部分だけだ。運転手もタイヤ部分も消失しているのに、バスの一部分だけが宙に浮かび、これまでと変わらぬ速度で道路を移動している。


 意味が、分からなかった。意味が分からないと言えばもう一つ、自身が感じる風の強さだ。どう考えても目に見える速度と身体を襲う風の強さが一致していない。まるで何かが大気そのものに干渉して、男が落下して人肉ミンチにならないように守っているのではないかと思う。


 そして男はようやく、ゆっくりと、ゆっくりと、姿勢を戻し、右上を見た。


 赤い巨大な女神が、こちらを覗き込んでいた。


『あら、ようやくお気付きになりまして?』


 男は知っている。その存在を。世界最強にして世界最悪。わずか一匹で国一つを滅ぼした、ポツダム半島が生まれた元凶。


 バスだったものの速度がゆっくりと落ち、静止する。ローズ・スティンガーは変わらず男を見下ろしている。


『さて、投降していただけますわね?』


 男は思い出す。もし捕まった時にこう言えとキツネ目の男に教えられていた、よく意味の分からない謎の言葉を。


「エッ、ココカラデモハイレルホケンガアルンデスカ!?」


 あるわけが無かった。


   ●


 海の見える道路に、多くの人が集まっていた。警官に救急隊員、そしてマスコミたちだ。場所はローズ・スティンガーがバスジャック犯を投稿させた場所からはさほど移動していない。現場の周辺には、大量のパトカーや救急車、マスコミの自動車が駐車していた。


『おーおーさっすが九州最大の都市。あっという間に人が集まるな』


 麗奈は引き続きローズ・スティンガーのコックピットで、五十鈴からの通信を受け取った。ローズ・スティンガーは人型に変形したままだ。ローズ・スティンガーにはコックピットはあるがコックピットハッチが無いので、変形を介さないと搭乗者の乗り降りが出来ないのだ。もっとも、麗奈は今バニーガールの恰好をしているので、最初から降りるつもりはなかったわけだが。


 ローズ・スティンガーの近くに、やはり人型に変形した燕撃(イェンジー)が待機していた。ローズ・スティンガーが切り離したバスの前方部分、運転手ごとローズ・スティンガーから受け取るために、人型形態に変形していたのだ。


『これでラプソディ・ガーディアンズへの緊急依頼は達成ってところだな。あ、おい、あのテレビカメラこっち取ってねえか? ピースでもしてやったらどうだ?』


「他の皆さんの出番はありませんでしたわね。ヴァイスエルフでこちらに向かってるんですのよね?」


『あーっと、ちょっと待て。……………………。今まだ広島辺りらしい。揚空艦ってどんくらいのスピード出るんだ? いつ頃到着するのか全然予想できねえな』


「さすがに戦闘機よりは遅いでしょうけれど、それほど遅くはならないでしょうね」


≪―――妙だな≫


 その時、麗奈の脳内に、これまでに聞いたことが無いほどに深刻な声色のマリアの声が聞こえた。


≪覚えてるぜ、2000年のゴールデンウィーク初日に起きたバスジャック。けど時間が違う。あの事件は確か昼を回ってから発生したはずだ。遅すぎる昼飯を食いながら店のテレビでニュース見たのを覚えてるから間違いねえ≫


 現在時刻はまだ午前中のはずだ。正確な時間は麗奈には分からないが、出発時間から考えるに、まだ11時にもなっていないだろう。


≪つまり、今回のはそれとは全くの別物……。いや、待てよ。そもそもこの世界はロボットものの世界。つまり演出から逆算すると……≫


 そして、



≪……! 気を付けろ麗奈ぁああーっ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!≫



 マリアが叫んだ直後、ローズ・スティンガーが背中から剣を引き抜き、突如として海の果てから飛来した巨大な砲弾を切り払った。


バスジャック犯に悲しき過去―――!


というわけで次回から戦闘回です。

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