神は此処にありて 3
麗奈と五十鈴。この2人の関係性を説明するのは実に面倒くさい。
難しい、ではない。
面倒くさい、だ。
まずはストレートに、「2人は恋人ですか?」と聞いてみるとしよう。
麗奈からは可哀想に未知の病原菌に脳を侵されてありもしない幻覚を見ておられるのですわねという目で見られる。
五十鈴からはその腐った目ん玉を穿り出してドール・マキナ用の高感度光学結像装置と脳を直結させてやろうかという目で見られる。
そもそもとして、麗奈は将来の伴侶を祖母が探している真っ最中なのだ。緋蜂に婚約者を紹介されたときに麗奈が心身共に穢れていたら、それは緋蜂の顔に泥を塗りたくることに他ならない。
おまけに五十鈴も獅子王家の事情を知っているものだから、この2人が是というはずがない。
では、「2人は友人ですか?」と聞いてみるとしよう。
麗奈はものすごく微妙な顔で「それは違いますわ」と答える。
五十鈴はものすごく微妙な顔で「それは違うぞ」と答える。
まずは麗奈の事情を見てみよう。
そもそもとして、麗奈には同性の友人がいない。
有栖はどうなんだと思われるかもしれないが、麗奈にとって有栖は姉のようなものだ。生まれた頃から同じ家で生活していれば、家族としか思えなくもなる。
そして同性に友人がいないにもかかわらず、異性にだけ友人がいるという状況は、なんだか酷く破廉恥なことではないか。麗奈はそう思わずにはいられないのだ。
次に五十鈴の事情を見てみよう。
西暦2000年の15歳男児にとって、異性の友達というのは、
一歩進めば恋人で、
二歩進めば「今夜は私をた・べ・て」とハートマーク付きで家に誘われ、
三歩進めば人生の墓の下まで真っ逆さま。
これはなんだか酷く恥ずかしいことではないか。五十鈴はそう思わずにはいられないのだ。
言うなれば腐れ縁以上友達を飛ばして恋人未満という関係性であり、2人を9年間すぐそばで見守り続けてきた有栖にしてみれば、お互い好き同士なのは丸わかりなのに、つまらない意地を張り続けている関係性であった。
早く付き合っちゃえばいいのに。
有栖はいつもそう思う。
●
圧に屈した五十鈴がばるばすばうに入店するドアベルの音を聞きながら、有栖は麗奈の隣に移動した。
五十鈴と一緒に石川春光が歩いていたなら、有栖は春光と結託して五十鈴が麗奈の隣に座るように誘導していた。そうしなければこの男は要らない意地を張って有栖の隣に座るのだ。それで麗奈が少し機嫌を損ねるのだ。有栖は詳しかった。
そしてそうなるくらいなら、五十鈴を2人の正面に座らせた方がマシなのだ。
「マスター、俺いつものでー……どしたんだお前それ」
有栖の狙い通りに五十鈴が2人の対面に座った直後、麗奈の額を、前髪で隠れた絆創膏を指差した。
「少しぶつけただけですわ」
「そりゃなんでまた」
「……貧血で」
まさか本当のことを言うわけにもいくまい。しかし、他に良い言い訳を思いつかなかった。
「貧血ゥ? お前が貧血起こしたことなんて」
五十鈴は一度そこで言葉を止めた。成程これに間違いないと確信する。真実はいつも一つであり、すなわち犯人はお前であると麗奈を指差し、
「生理だな!」
机の上、麗奈がノータイムでその指を掴んだ。五十鈴が麗奈の手の温度を感じる間も無く、あらぬ方向へとへし曲げた。
机の下、有栖はジーパンで守られた五十鈴の向こう脛を蹴り上げた。小さい体躯から繰り出したとは思えない、靴に重りでも仕込んでいるんじゃないかと疑いたくなるような激痛が五十鈴を襲った。
声にならない悲鳴が上がり、加害者二人は道端で酒を飲み過ぎてゲーゲー吐いているハゲ親父を見るような目で、
「五十鈴ちゃんサイテー」
「そんなんだからモテないんですわよ」
散々な言われようだった。実は五十鈴の感知できぬ場所で追撃は続いており、
《なんかあんまパッとしないヤツだなコイツ。乙女ゲームの攻略キャラが纏う輝きの向こう側オーラが無いっつーか、悪役令嬢のパシリオーラがバンバン出てるっつーか》
黒髪黒目の中肉中背。どこにでもいそうな平々凡々を絵にかいたような少年。それがマリアが五十鈴に抱いた第一印象である。おまけにマリアの記憶にこんな人物は存在しないものだから、マリアはとある確信を得た。
《顔面偏差値50! 汝はモブ!》
神にすらもモブ判定された男。それが鷹谷五十鈴という少年であった。
「お、俺がモテないことはお前に関係ねぇだろ……」
五十鈴は弱々しく反論し、関係ないという言葉に腹を立てた有栖に脛をもう一度蹴り飛ばされた。
「~~~~~~ッ!!?」
余りの痛みに、椅子の上でぴょんこぴょんこと跳ね回る。
「おい有栖マジでやめろよ! お前の蹴りって冗談抜きで痛いんだよ!!」
「ふーんだ。五十鈴ちゃんが悪いんじゃない。……あ、でも考えてみたら五十鈴ちゃんがモテない方が都合がよくは」
「ところで五十鈴。先ほどのはそちらが圧倒的に有利だったのでノーゲームでいいですわよね?」
これ以上有栖に喋らせると、話が変な方向に進みそうだ。即座にそう判断した麗奈は、強引に話を割り込ませた。
「あぁ? 何言ってんだお前。俺だって誰かに話しかけられるリスクあったからな。俺の勝ちだ俺の勝ち!」
「素直に負けを認めればいいものを」
「いや負けを認めてないのどう見ても麗奈の方だからな? そうだろ有栖?」
「どっちでもいいよそんなの」
有栖にとって重要なのは2人がいちゃつくことであって、つまらない勝負の勝敗には毛ほども興味がない。
「んでお前ら何してんだ? さっきの電車にはいなかったよな?」
「あ、うん。ボクたち車だったからね。森林堂からの帰りにここに寄ったの」
「森林堂に行ったのは分かってるよ」
「……ストーカー?」
麗奈は思わず呟いていた。
「五十鈴ちゃん、そこまで自分を追い詰めていたなんて……」
有栖は己の努力の至らなさを嘆いていた。
「ちっげえよ! その紙袋、森林堂のやつだろうが!」
叫びながら五十鈴はソファの上、麗奈と壁に挟まれた場所に置かれた紙袋を指差した。ああ、と二人は納得する。
「話には聞いておりましたけれど、本当に大きかったですわね。あんなに大きな本屋さん、初めて入りましたわ」
「そもそもこの辺、本屋どころか何にも無いもんな。コンビニと喫茶店が一件ずつしか無ぇし」
「ところで麗奈ちゃん、駅からの道は覚えてる?」
麗奈は一瞬固まった。脳内シミュレーター起動。まず駅を出て真っすぐで、大きな道路で右に曲がって、次に左に曲がるのは一つ目か二つ目の信号で、ええと、
「え、ええ。大丈夫ですわ!」
ぐるぐる目の麗奈を見て、こりゃ駄目だなと有栖は思った。
同時に、都合がいいとも思った。
「五十鈴ちゃん五十鈴ちゃん。麗奈ちゃんがまた森林堂に行きたいって時、一緒に行ってくれる?」
「いや、お前と行けばいいだろ」
「ボクがモデルのバイトしてるの知ってるでしょ。ボクの都合で麗奈ちゃんに我慢させたくないし。麗奈ちゃん一人で行かせるのは不安だし。麗奈ちゃんケータイ持ってないし。ねっいいでしょ? ウチの車出していいからさ! お願い!」
有栖は音を立てて両手を合わせた。
ここで余計なことは言わない。車の中で乳繰り合っててもいいんだよとか、ちょっとくらい変なところに連れ込んでもいいんだよとか。
そもそも車を出すんだから駅からの道は関係ないとか、森林堂の店内でも運転手に付き添わせればいいんじゃないかとか、解決策をいくつも思いついたが、有栖はその全てに見なかったふりをした。
五十鈴は腕を組んで唸っていた。天井でゆったりとシーリングファンが三回転半するだけの時間が過ぎ、そろそろしびれを切らした有栖がどうせオッケー出すんだからさっさと了承しろよと追加で五十鈴の足を蹴り飛ばそうかと考えた頃、
「仕方ねえなぁ……」
有栖に頼まれたから仕方なく引き受けたのだ。五十鈴はそんな雰囲気を出しながらも頷いた。
よし、と有栖は心の中でニヤリと笑う。2人には見えない角度でガッツポーズまで取った。
だって、これで麗奈たちは大義名分をもってデートが出来るようになったのだから。
だって仕方がないのだ。有栖に五十鈴と一緒に行けと言われたから。有栖に麗奈のことを頼むと言われたから。
だから途中でちょっとお茶をしたり、ついでに服とかを見に行ったり、うっかりホテル街に迷い込んで疲れたから少し休憩することになったとしてもそれはきっと仕方がないことなのだ。
こういうお膳立てをするのも、獅子王家の分家筋の一人娘、在須有栖の役目である。
早く付き合っちゃえばいいのに。
緋蜂が麗奈の婚約者を探しているのは有栖も知っている。だがそんなこと知ったことかと有栖は思う。
有栖にとって重要なのは妹分の幸せだけで、獅子王家の繁栄など二の次だ。もし二人が結ばれたことで問題が起きたのなら、有栖は最初から自分が代わりに結婚するつもりですらあった。
獅子王家の権力目当ての豚野郎に、麗奈ちゃんのダイナマイトボディはもったいない。ボクの身体で十分なのだ。
●
自室に戻った麗奈は、後ろ手にふすま戸を閉めた。
狭く、物が少ない部屋だ。
六畳一間の畳部屋。中央にはすっかり使い込まれた焦げ茶色の座卓。ついでに青い座布団。
片方の壁には天井まで届く巨大な本棚があり、その横幅は壁全体の実に7割近くを占めていた。半分ほどが埋まっている本棚に収められているのは馬鹿みたいに分厚い辞書だったり、昭和62年版の六法全書だったり、はたまた実用書だったりで、漫画や小説などの娯楽本は一冊もない。
本棚の隣にあるのは、その半分の高さもない桐箪笥だ。その上には目覚まし時計と3つの写真立てが並んでいる。
名家のお嬢様の私室とは思えない、質素な部屋であった。なおこれは余談だが、有栖の部屋はこの5倍くらい広くて数え切れないくらい大量の物であふれていたりする。
麗奈は座布団に座り、座卓の上に今日の戦利品を取り出した。合わせて十冊の文庫本。1冊残らず唐草模様のブックカバーで包まれ、タイトルも表紙も隠蔽されている。
1冊の例外なく、全てライトノベルである。
その1冊を手に取る。カバーを外して表紙を見れば、黒いマントの少女が、両手を輝かせながら正面へと突き出しているイラストが描かれていた。本屋でマリアがやたらと絶賛していた一冊だ。『ライトノベルの金字塔! こいつだけは間違いないライトノベル・オブ・ライトノベル! 絶対に買え! 私を信じろシンイチ! マジで数字に出るから!』と。
シンイチって誰だろう。数字に出るって何だろう。そこはもう出てるんじゃないのか。麗奈のそんな疑問は、直後にマリアが次々に紹介し始めたタイトルの羅列に一瞬で押し流された。
そうしてマリアに言われるまま、ライトノベルを手に取ること実に十冊。それらは全てレジを通し、唐草模様で隠蔽され、森林堂の紙袋に秘匿され、旧華族たる獅子王家本宅に密輸される今日この時この瞬間を迎えたのだ。
全ての発端は、マリアにあった。
どうやら一晩中よからぬことを考えていたらしく、起きぬけに『今のお前がどれだけオイシイ状況にいるか教えてやろう! でもそのためにはお前に知識が足りてないからちょっと本を買いに行こうか』と言い出したからだ。
マリアが麗奈から分離した自我だと仮定するなら、おそらく無意識化で読みたいと思っていた本があるということだろう。麗奈はそう考えた。
ついでに、読み終えたら満足して消滅するかもしれないという期待もあった。加えて、今まで話に聞くだけで実際に行ったことが無い森林堂にも興味があった。よって、本日はお出かけと相成ったのである。
そして手に入れた十冊を机の上に並べ、麗奈はこう思うのだ。
……買い過ぎましたわね。
マリアに紹介されるまま、次々と本を手に取った結果だった。とは言っても森林堂まで行くのは結構な手間だし、これはこれで正解だったのかも知れない。
ふと思う。あの店員には何と思われただろうか。和服を着た金髪碧眼の女がライトノベルをまとめて十冊もレジに持って行ったのだ。きっと内心奇異の目で見ていて、休憩時間になったら他の店員相手に「さっき変な客がきてさー」と嘲笑していたのかも知れない。なんだか顔が熱い気がする。
《いや一周回って潔かったよお前さん。男はエロ本買う時は参考書と参考書でエロ本をサンドイッチしてレジに持っていくからさ》
なんでそんなこと知ってるんだこいつと思い、そういえば何年か前に五十鈴がそうやって本を買っている姿を目撃したせいだと思い出した。ついでにその時に感じたモヤついた気持ちまで思い出した。
廊下から足音が聞こえてきて、足音は麗奈の部屋の前で止まった。
「麗奈ちゃーん、今大丈夫ー?」
有栖だ。ふすま戸越しに話しかけてくる。
「ええ、構いませんわ」
有栖が戸を開けた。出かけた時と同じ格好だった。ただし手にはバッグではなく、折りたたまれた服を持っている。
「今日はお夕飯の前にお風呂に入る? それとも後にする?」
腕時計を見ると、5時30分を少し過ぎたところだった。
ところで、麗奈は小説を読むときは一気に読みたい派である。今から読み始めると途中で夕飯に呼ばれるだろう。なので、
「今日は先に入りますわ」
「うん。じゃあ行こっか!」
「ええ。すぐに用意しますわね」
箪笥から浴衣を取り出し、有栖と共に浴室へ向かう。広い屋敷だ。自然、浴室までは長く歩くことになる。時折家政婦とすれ違う。
「今日はお姉ちゃんびっくりしちゃったよ。いきなり大きい本屋さんに行きたいなんて言うからさ」
「確かに、わたくしの方から有栖を誘うのは珍しいですわね」
「殆どボクからだからねー。最初は冗談言ってるのかなって思っちゃった。ほら、今日ってエイプリルフールだし」
「エイプリル、フール……」
「あれ、麗奈ちゃんもしかして知らない?」
「さすがに知っておりますわよ、エイプリルフールが何かくらいは」
しかし、そうか。今日はエイプリルフールだったか。麗奈は少しだけ考え、「ねぇ、有栖」と真面目な顔で名前を呼び、
「実はわたくし、ご先祖様のマリアの幽霊に取り憑かれて、彼女の声が聞こえておりますの」
有栖は一瞬、呆気にとられた顔になった。すぐに「あははは」と笑い、
「もう、何言ってるの麗奈ちゃん。エイプリルフールで嘘を言っていいのは、午前中までなんだからね?」




