獅子王麗奈の憂鬱 その8
キラキラと輝く舞台の上で、ピンク色の髪をした一人の少女が歌い踊っている。多数のカメラがその姿を撮影し、サングラス姿のベテラン司会進行役を、音楽グループを、アイドルユニットを別のカメラによって撮影し、その映像はリアルタイムで各家庭のお茶の間のテレビに流れている。
そして、ライナスとインド人の双子が裏方の空間でオタ芸していた。
テレビスタッフも司会も他の参加者や観客たちも、謎の三人組を意識しないように逆に意識しまくっている。今は生放送音楽番組の真っ最中。あの異常者たちを間違ってでも一瞬たりとも映してはいけない。オタ芸中の三人を除いて、誰も彼もがそう思う。唯一幸いなことに、三人ともに顔を白いキツネの面で隠しているので、ライナスが原因で女性の大暴走は発生していなかった。
歌が終わり、アイドルの出番が終わる。オタ芸も終わる。誰も彼もが安堵の息を付く中、揃いの法被を着たオタ芸三人組の仲間と思われたくないので、一緒に来ていた有栖や六華、六華の妹の優美と共に、離れた場所に立っていた麗奈は、なんでこんなことになったんでしたっけ、と回想していた。
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事の発端は昨日、エーリカとエレオノーラと会っていた最中に発生した戦闘、その後のことだった。
ちょうど会ったことだしと、インドからの双子の留学生、ルドラ・マハーラージャとアージュン・マハーラージャ、そして二人の従者のハリシャにも、何か困っていることがないかと尋ねたのだ。そこでマハーラージャ兄弟から全く予期せぬ相談を受けたのである。すなわち、
アイドルというものに興味がある
と。
幸か不幸か、いや今から考えるとどう考えても不幸の方でしたわねこれと麗奈は思うのだが、花山院学園には現役アイドルが通っている。そして日本でもトップクラスの人気を誇るピンク髪アイドル芸名ノダミミ本名野田美海とは、モデル業を通じて有栖と個人的な交流を持っていた。
というわけでその翌日、すなわち本日、有栖が相談に行ったのだ。「みっちゃん、留学生の子たちが日本のアイドルに興味があるらしいんだけど、会ってもらって大丈夫?」と。
すると野田がこう返したのだ。「今日の夜に歌番組の収録あるんだけど、じゃあ見に来る?」と。
そして、地獄が顕現した。
野田の両親はともに、日本のテレビ業界と芸能業界に絶大な影響力を有する夫婦である。その二人の娘である野田が連れて来た客人ともなれば、顔をキツネ面で隠した怪しさ百万点の三人組だとしても失礼を働く訳にはいかない。野田の機嫌を損ねたことが野田の両親に伝わりでもすれば、番組は消滅するし音楽グループは活動終了になるしアイドルユニットは解散になるのだ。
幸いなことに、野田本人は自身の影響力を自覚しており、くわえて良心的な人格者で、立場を悪用するようなことは一度たりともなかった。
≪平成のラクス・クラインか? いやよく考えたらラクス・クラインは平成だわ≫
不幸なことに、そんな野田が連れて来たのだから、誰も彼もが大丈夫だろうと見学を受け入れてしまった。
≪やっぱ平成のラクス・クラインだろこいつ。駄目だ先生ー! よかれと思ってしたことで国が滅茶苦茶になっちまうー!!≫
そして番組が始まり、ノダミミが舞台に上がろうとする寸前に三人はそれぞれが持ってきていた紙袋から取り出した法被をおもむろに着込み、ペンライト(撮影の迷惑になるので灯りはオフ)を取り出して、完璧なオタ芸を披露したのである―――!
あの三人のために頭を下げるの嫌だなぁと麗奈が心底思ってると、番組は無事にCMに入った。顔を赤くしたノダミミがズンズンとオタ芸三人組の元へと向かう。三人組を引っ張りながら楽屋に向かうのを見て、「わたくしたちも後を追いましょう」と声を掛けた。
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「あっはっはははは! だめ、ちょっと待って待って待って! ゴッホ! クフフフフッ! ひーっ!!」
麗奈たちが楽屋に入ると、野田が大爆笑していた。スタイリストの「ノダさーん、あんまり笑うと化粧がー」と言う声が、法被三人組を見て再び発生した笑い声にかき消される。
≪ゆ……許された≫
「ええっと、野田さん? 大丈夫ですの? 呼吸出来てます?」
笑い声は止まらない。
「ちょっと男子、あっち向いてもらえます? このままでは野田さんが笑い死んでしまいますわ」
法被三人組が背中を向ける。法被の背中には左から順に「愛」「Love」「YOU」の文字が描かれており、それをみた野田がさらに引きつった笑い声を上げる。
「ちょっと男子ィーっ!!」
それからしばらくして、
「ぐっふ、ふふっ、ごめん、やっと落ち着いてきた……。あなたたち凄いわね。バックダンサーとしてデビューしてみない?」
≪止めろ止めろ! アイドルバックダンサーなんてケッタイなルートはねぇ!!≫
「やめてくださいまし、野田さん。特にライナス様の顔が全国放送なんてされたら冗談抜きに国が傾きますわ」
「あー、学園ヤバいよね。私はヤバい気がしてたんで直に見ないようにしてたけど。で、そっちの二人はもしかして例の特待生? 獅子王サマと、聖女サマのお気に入りの」
「あ、うん。そうそう。この子みっちゃんのファンなんだって」
「そうなんだ、ありがと! 握手する? サインいる? チューしていい?」
「あ、はい! 握手します! サイン欲しいです! え、チュー? チュー!?」
「あははははは! あー、ヤバい! テンションめっちゃ上がってる!」
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「辣的! 辣的! 辣的!」
真っ赤な顔で麻婆豆腐をかき込みながらも、丁詩虞は喜びの声を上げていた。赤と金の回転テーブルの上、四川料理が大量に並んでいる。詩虞だけではなく、五十鈴と春光、ガーランもが同じテーブルの上で、顔に汗をかきながら料理を口に運んでいた。
何をしているのかと言えば、これが詩虞の悩みである。すなわち、
「うむ、いい店を紹介してもらえた。やはり四川料理と言えばこうでなくてはな!」
「ヒーッ、かっら! 口ン中が焼ける!! おい春光、ガーラン、大丈夫か?」
「食べれるか不安だったけど、すっごい美味しく感じる!」
「オレサマはぁ! 天才のォ! ヒーッ! ガーランッ様だぁ!!」
ガーランは限界っぽいなー、と、五十鈴は思う。意外なのは春光だ。真っ先にダウンすると思っていたが、詩虞に次ぐ勢いでもりもりと食べている。
「やっぱ学食の外国料理、俺たちの舌に合わせたアレンジが入ってんだろうな」
「うむ、美味いことは美味いのだが、どこか一歩物足りない。オレにはこのくらいでちょうど良い」
「立地もいいしな。中国大使館の近くだし、つーか完全に中国大使狙いの店だろここ」
故郷の味を食べたいというのが、詩虞の悩みであった。
「ふぅ、ふぅ……。大使館の連中にゃ、紹介されなかったのかよ?」
ガーランの問いかけに、詩虞は首を横に振る。
「何、オレのような若造が気に食わないのだろう。いや、派閥が違う、というべきか。彼らは役人で、オレは軍属だからな」
「フゥーン」
「興味が無さそうだな。そうだ、ところでインドの二人、彼らは一体なぜアイドルに興味を?」
「いや、俺も知らん。俺いなかったし。春光はいたんだよな。なんか知ってるか?」
「えーっとね」
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「私たちは祖国で、超人学園という特殊な教育施設に所属していた。簡単に言うと、何らかの天才的才能を有する子供しか入学できない、天才のための学校だ。その、数年前に卒業した先輩なんだが、卒業した瞬間に、『アイドル王に、私はなるっ!』などと与迷いごとを言い出してな」
黒髪青メッシュの白キツネ面、背中にLoveを背負った男、アージュン・マハーラージャが、野田にそもそもの始まりの理由を説明していた。金髪赤メッシュの白キツネ面、背中に愛を背負った男、ルドラ・マハーラージャは隣で腕を組み、無言で頷いている。
「その人は、アイドルの天才? いやアイドルの天才ってなんですの? いえ、何の天才でしたの?」
「数学だ。確か、統計学だったか」
「で、そのアイドル先輩は今何してるの? アイドルデビューしたとか?」
有栖の問いにアージュンは困ったように苦笑した。
「いや、ううん、なんというか……」
「今は軍の広報をしている。専用のガネシタラを乗り回してな」
と、ルドラがアージュンが濁した言葉を引き継いだ。
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「あ、俺その人知ってるかも。たぶん見たことある。インド軍の紹介映像で歌って踊ってる若い姉ちゃんのことじゃね?」
「ああ、あの人か。えーっと、なんだっけ、インドの女の人が顔とか肌を隠すのに使ってる布、あれ着てなくて顔を見せてたの覚えてる」
「ヒジャブだな。イスラム教徒の。いい話じゃねえか! 宗教からの解放最高! 飯がうまい! ……これ以上はもうオレサマの腹ン中には入りそうにねえが」
「あ、デザートありますよ」
「貰う」
「五十鈴と詩虞さんは?」
「俺にもくれ」
「オレはまだいい。ああ、思い出したぞ。バニシング・マキャヴェリーが否定されたあの公報か」
「バニシング・マキャヴェリーって?」
「ガネシタラの別名。今はもう呼ばれてないけど」
「?」
「ガネシタラ自体は20年以上前に発表されたんだけどさ、数年前までは写真や映像が全く出なくてな。第二次大戦以降も中国とインドは何度か小競合い続けてるんだけど、インド側が『こっちはこんな凄いドール・マキナを開発したんだぞ』って発表したのがガネシタラ。でも誰も見たことないもんで、中国の侵略をためらわせるためだけのブラフなんじゃないかって長年言われてたんだよ。だから存在しない・マキャヴェリー」
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「結論から言うと彼女の目論見は大成功。インド軍への志願者は初年で3割増しになり、以降もほぼ横ばいになっている。……が、なぜ急にあんなことをやり始めたのか、私たちでは全く理解が及ばなくてな。彼女の研究室には日本のアイドルビデオがいくつもあったので、それに何か影響を受けたのではないかと私たちは思ったわけだ」
「……あなた方の方が影響受けてません? なんでしたのあの踊り」
その言葉に三人が口を開く寸前、ノック、というには少し乱暴に扉が叩かれた。
「すいませんノダミミさーん! そろそろ戻ってくださいー!」
という扉越しの声に、面々は顔を見合わせる。
「とりあえず話はあとにしよっか。えーと、マハーラージャ君だっけ? 私となりの2組だから、なんか聞きたいなら来ていいよ。そんじゃちょっと行ってくるねー」
野田が飛び出し、楽屋の中に静寂が戻る。野田のマネージャーが後を追う。部屋に残ったスタイリストのこいつらいつまでいるんだという視線を余所に雑談を続けていると、有栖の携帯電話に五十鈴からの着信があった。食い終わったんで合流しよう、という連絡だった。
とりあえず帰ろう、と麗奈は思う。少なくとも、この法被姿の三人組をここに残すわけにはいかなかった。




