獅子王麗奈の憂鬱 その4
コンビニ店員三栖の朝は早い。夜中の三時には目を覚ます。顔を洗い、飯を食い、身支度を整えると外出する。新聞配達とすれ違いながらチャリを漕ぎ、向かう先はコンビニではなく物流センターの倉庫である。
倉庫に到着すると馴染みの守衛に身分証を提示し、パスコードを入力し、指紋認証と網膜認証を行い、三栖にはよく分からない謎の赤い光で全身をスキャンされ、消毒スペースで全身を消毒し、ようやく敷地内に立ち入ることが許される。今の職場に入ってから約半月、最初の頃は面倒くさいと思っていたものだが、いまやすっかり慣れたものだった。
「っはよぅざいまーっす」
いつものように制服に着替え、いつものように倉庫に入り、いつものように銃を肩にかけた迷彩服の陸軍兵たちに挨拶し、
「おはよう、三栖君。早速で悪いのだが、今日は出る前にこれを身に着けておいてくれ」
しかして、今日は何やら様子が違った。三栖が班長から渡されたのは、目の前の陸軍兵たち三名が来ているのと同じ迷彩服だ。上着だけでズボンはない。
「うっす」
特に歯向かわず、素直に制服の上から着る。
三栖の働くコンビニは、なんと自給五千円である。相場の約五倍だ。これだけ聞くと怪しい仕事にしか思えないが、二週間を働いて、何の変哲もない普通のコンビニ店員の仕事であることを三栖は理解しているし、これより割のいいバイトとなると、都市伝説に出てくる死体洗いくらいのものだろうとも三栖は思う。このとんでもない額の給料がもらえることを考えれば、何の説明も無しに迷彩服を着る事に、抵抗する気はさらさら起きなかった。
「次にこれを」
迷彩柄の帽子。特に歯向かわず、素直に頭にかぶる。
「その次はこれを」
色の濃いサングラス。特に歯向かわず、素直に装着する。
「そして最後にこれ」
黒のマスク。特に歯向かわず、素直に紐を耳にかける。
「……芸能人のお忍びすか?」
冗談半分で言った三栖の軽口に、目の前の軍人は大真面目な顔で頷いた。
「そちらの方が楽かもしれんな」
「マジすか。何起きてんすか?」
「何、見れば分かる。では各員、搭乗!!」
「「はっ!」」
二人分の敬礼の声に遅れて、三栖が「うっす」と返事をする。その頃にはトラックの運転席に兵士の一人はもう乗り込んでおり、班長が運転席の隣に座っており、その隣に三栖が来るのを待っている。三栖がいつもの場所に座れば、最後の一人が乗り込んで扉を閉めた。
「右カギ、ヨシ!」
「左カギ、ヨシ!」
「エンジン、始動せよ!」
「エンジン、始動します!」
ブルルンと振動を尻に感じる。班長は車に備え付けられたトランシーバーを手に取り、
「こちらKCゼロゼロフタ、出発準備ヨシ。オクレ」
『KCゼロゼロフタ、準備完了を確認。出発せよ。オワリ』
「KCゼロゼロフタ、出発せよ!」
「KCゼロゼロフタ、出発します!」
いつものやり取りののち、KCゼロゼロフタ、もといコンビニの商品を搭載したトラックが動き出した。道中は全員無言だ。左右を固める兵士はともかく、民間協力者である三栖は私語を咎められるわけではないのだが、なんだかんだでこの男は中々に肝が太く、無言の車内を気まずく思う社会性など三日目辺りには放り投げていた。
倉庫から職場であるコンビニまでは約二時間。なんとこの移動時間中も時給が発生する。そして肝がゴン太の三栖は、三日目辺りには移動時間に仮眠していた。二時間寝ているだけで一万円である。若干の申し訳なさもあるのだが、そもそも出発時間が滅茶苦茶早いのだから大目に見てもらいたいと割り切っている。
しかしながら、今日は仮眠を取らなかった。自分がこんな格好をしなければならない理由を知りたかったからだ。だが、フロントガラス越しに見える風景は、十日ほど前まで見ていたものと大差はない。新聞配達員。ジジババ。ランニング。犬の散歩。ドール・マキナの攻撃で開いた大穴。そうして何の変哲もないまま一時間ほどが経過し、やっぱ寝ときゃよかったかな、と三栖が思い始めた頃に、それらは現れた。
「うわ……何すかアレ」
場所は奥多摩204号線、その途中にある巨大な鉄門だ。三栖は知っている。その門は普段、日本陸軍が24時間警備している場所であると。だが今日に限っては、その門の正面には、到底軍人には見えない人間たちが大勢詰め寄っていた。薄暗さと分厚いサングラスの組み合わせのせいで細かい部分まではよく分からず、まるでゾンビ映画のようにも見える。
「マスコミだよ」
「マスコミぃ? なんで今さら」
三栖は知っている。自分の職場のすぐ近くには、その職場の数千倍はあるのではないかと思えるようなバチクソにデカい学校がある事を。
三栖は知っている。そのバチクソデカい学校に先週、ヨーロッパのどっかの国から王子たちが留学してきたことを。
三栖は知っている。その王子たちが留学早々にドール・マキナを使って、銀行強盗と聖女誘拐事件を解決したことを。
そして三栖は知っている。先週、それだけの大事件が起きたにもかかわらず、この鉄門にマスコミが押しかけたりはしていないことを。この鉄門を通る時だけは、三栖は爆睡していようが叩き起こされて本人確認をされるからだ。
「また来たからだろう。新しい留学生が。それも王族帝族と違って、多少の無礼を働いても国際問題には発展しない程度の」
「じゃあなんで俺こんな格好させられてんすか」
班長の話によれば、マスコミ連中の目的は三栖ではなく、留学生たちのはずである。
「マスコミに顔を見られて、君の安アパートにマスコミが殺到する事態になってもよかったのかい?」
「……そりゃ嫌っすね」
「マスコミの倫理観に善性など期待しないことだ。連中の手にかかれば卒業アルバムから交際歴、果てはAVのレンタル履歴に昨日はマスかいたかまで暴き立てられるぞ」
「……そりゃ嫌っすね」
雑談している間に、トラックがマスコミたちに取り囲まれた。門を警備する兵士たちが離れるように注意するが、一向に事態は改善しない。ますますゾンビ映画っぽい。
だが、突然にマスコミたちの注意の矛先が門に戻った。カメラを構えている。シャッターを連射しているのかも知れないが、厚いサングラスもあってフラッシュの判別が難しい。
「また馬鹿が出たか」
班長の愚痴を聞きながら、三栖はマスコミの注意が逸れているのをいいことにサングラスを外した。
鉄門の近くに、人が倒れていた。それも、手前側ではなく奥の方に。
よくよく目を凝らせば、門の向こうを走っている人影が
発砲炎。
サングラスを外したことで、三栖はようやくその光を認識した。つい先ほどまで三栖が見ていた、門の向こうを走っている人影が倒れる。門を乗り越えたマスコミを、兵士が射撃しているのだ。
「えっ、撃って、撃ってる!? 撃ってる!」
「落ち着け、三栖君!!」
至近距離からの大声に、三栖はびくりと体を震わせた。
「サングラスを付けるんだ。足を狙って撃っている。運が良ければ死んでいない」
言われた通りにサングラスを付ける。まだ発砲しているのかどうかは分からない。運が良ければ死んでいない。「じゃあ、運が悪ければ?」とは聞けなかった。実はあの銃の弾には第二次世界大戦の最中に開発されたが歴史の闇に葬られたゾンビウイルスが入っていて、ゾンビになって復活するとかだろうか。
「正規の手順を踏まず、強行突破を図ったんだ。この時点でスパイかテロリストの容疑者さ。あとはとっ捕まえて取り調べが終わったら、真偽はともかく容疑者の文字が消えて晴れて彼らの人生は終いだ。本物の特権階級ならいざ知らず、自分たちもそうだと思い込んでいる愚者の末路だよ」
三栖は無言のまま、淡々と説明する班長を、まるでその正体が人の姿をした怪物だと知ったような目をしていた。幸いなことに、分厚いサングラスがその目を隠してくれている。
トラックの外では、兵士がマスコミたちへ銃口を向けていた。誘導に従うように指示、もとい警告をしている。『スパイ』や『テロリスト』の仲間がいる可能性があるから、と。もちろん単なる名目で、本当の目的は、先ほどマスコミが撮影していた写真を全部消すためだ。時は西暦2000年。クラウドなんてネットワークサービスは、その概念すら存在しない時代だ。よもや普通のマスコミが、撮影した写真を撮った先から携帯電話とFTPを使って外部のサーバーに飛ばすようなガチの軍事スパイみたいなことはしないだろう。この場で全員確保してしまえば、ここでの凶事の証拠が表に出ることは無い。
「さて、道が開いたな。前進再会」
「はっ、前進を再開します!」
のろのろと徐行し始めたトラックの座席の上で、時給五千円のコンビニ店員三栖は、今更ながらにこう思う。
俺のバイト、死体洗いよりヤバいかも。
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五十鈴の夢に、麗奈が出てきた。
本人の名誉のために子細は伏せるが、エッチな夢であったことだけはここに記しておく。そして五十鈴は目覚めると嫌な予感と共に布団をめくり、ズボンをめくり、その惨状を見て、朝から最高に死にたい気分になった。
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麗奈の夢に、五十鈴が出てきた。
本人の名誉のために子細は伏せるが、エッチな夢であったことだけはここに記しておく。そして麗奈は目覚めると即座に布団をめくる。寝間着がはだけて胸が丸出しになっていた。さらに一緒の布団で寝ていた有栖が片方を揉みながらもう片方の先端に吸い付いている。あんな夢を見た原因を確信する。そして実に幸せそうなその寝顔を見て、麗奈はなんもかんも五十鈴が悪いと責任転嫁した。
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「……お、おはよう」
「……ご、ごきげんよう」
「どしたの二人とも。ついに付き合い始めたの?」
「いやいやいやいや、んな訳ねえじゃん。なぁ麗奈?」
「そ、そうですわよ。おほほほほ……。それに、もし、万が一、極めて近く限りなく遠い世界で無ければそんなことは起こり得ないでしょうが、そうなっていたら真っ先に有栖には伝えますわよ」
実に気まずい。昨日の機介水泳術の後、宴会の場では大人たちの目もあり、何も起きなかった風を装っていた。正確には、麗奈が到着した頃には、先に合流していた五十鈴がとっ捕まってろくに話す機会が無かったというだけだが。
そして二人揃って一晩経てば頭も冷えるだろうと気楽に考えていた所で、二人揃ってあんな夢を見てしまったのだ。相手の顔を見てしまうと、冷えるどころか頭が沸騰しそうだった。
「……それもそうだよねぇ。にしては何かギクシャクしてない? プールでおっぱい揉んだ?」
鋭いと、二人はそう思う。さもありなん。なにせ長年一緒にいるのだ。何かがあればすぐに気付く。
麗奈はパンテーラを盛大に無駄使いしながら、ひどく深刻そうな表情を作り、
「よく分かりましたわね、有栖……」
「えっ、本当に揉んだの!?」
「ええ。五十鈴は乳首が弱いということが分かりましたわ」
「どんなプレイしてたの二人とも!?」
五十鈴は無言で乳首を庇っていた。
「事故! 事故だから!」
「男性の水着は無防備ですからね、事故も起こり得ますわ」
「いや起きないでしょ! どんな事故起こしたら五十鈴ちゃんの弱点が乳首だって判明するの!?」
有栖が追及を続けるが、二人とも中々に口を割らない。これは間違いなく昨日何かあったなと有栖は確信を深める。バイトに行っている場合じゃなかったかと思うが、同時に自分が麗奈の側にいなかったからこそ起こったハプニングの可能性も高い。
「こう言うの、痛し痒しって言うんだよね」
「何したり顔で言ってんだよお前……」
そうしていると、春光と六華が教室に入ってきた。なぜか春光の顔には濃い疲労の色が見えており、隣を歩く六華は今にも倒れそうな春光を心配そうに様子を見ている。
「やぁ……、おはよう、みんな……」
「お、おはよー」
春光と会うのは先週ぶりだ。毎年、春光も花見に参加していたのだが、今回は何か用事が入ったらしく欠席だった。どんな用事なのかは鍛錬の後で春光の父親、勝機に聞こうと麗奈たちは考えていたのだが、五十鈴が宴会の場に顔を出した時には、勝機は既に酔いつぶれていたので聞けず終いだった。
「ごきげんよう。春光さん、随分とお疲れのようですわね。政府からのお仕事と聞いておりましたが、一体どんな内容だったのかお聞きしても?」
「ああ、うん……。ところで、麗奈さん……。南アメリカには、いくつ国があるか、知ってるかな……?
脈絡のないクイズ。春光は急にこんなことを言ってくるような人間ではないのだが、もしかしたら疲労のあまりに奇行に走っているのかも知れないと麗奈は思う。
「ええっと、12ヶ国ですわよね」
「ふふふ、大正解だよ麗奈さん……」
「はぁ。それで、先ほどの質問にはいったい何の意味が?」
「という訳で、今日中に南アメリカから来た留学生12組と顔合わせしてもらうね!」
春光が右手を高く上げると指を弾く。高い音が響いた直後、20人もの黒人たちがぞろぞろと教室内に入ってきた。
「12組……。なるほど、インドのマハーラージャ先輩たちのように、一国から複数人のパターンが何ヶ国かあるということですか。それで、どの方がどの国から来られたんですの?」
「うん? 何か勘違いしてない?」
「……え?」
「紹介するね! 彼らがブラジルU18DMサッカーチーム、『オブリガード・フチボゥ』の代表選手たちだ!!」
「ってこの20人全員が一組目ですの!?」
≪もうちょっとこう、手加減というか、なんというか……≫
「ちょっと、春光さん、これで12組って、一体全部で何名が来られましたの!?」
「いやぁ、国際色豊かになりそうだねぇ。ちなみに来週になるとアフリカ54ヶ国からの留学生たちも来る予定だよ」
「とんでもねえ事態ですわね!?」




