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マリアの子 その4


 チャイムが鳴ると同時、社会科教師の戸鴨(とがも)が教室に姿を現した。


「はーい、授業を始めますよ。皆さん席について、ロンゴミニアド君は顔を隠して、リントヴルム君は変なポーズを取らないで」


 何かがおかしい。戸鴨を中等部から知っているエスカレーター組は、戸鴨の振る舞いを見た瞬間に揃ってそう思った。


 戸鴨燈子(とうこ)という人物は、事なかれ主義を通り越し、超腰抜けのヘタレ教師である。生徒たちが騒いでいる場面に遭遇したとして、その親の権力を恐れるあまりに、碌に注意することすらできずに顔を伏せて見て見ぬふりをする程度には。


 だからニコニコと笑いながら王子と皇子に注意など出来ようはずもない。席に着けという程度ならともかく、他国の帝族を相手に「変なポーズをするな」と堂々と正面から言い切る度胸など持っているはずがない。


 随分と上機嫌な様子で、いわゆる『調子に乗っている』の実例を目の当たりにしているようだった。生徒たちの数人は不安になる。戸鴨が正気に戻った瞬間に、思わず世を儚んで自殺してしまうのではないだろうか、と。


 麗奈もその負担を抱いた一人で、有栖に顔を寄せて小声で問う。


「あの、有栖。昨日はあれから何かありましたの?」


 昨日、ライナスに発情して腰砕けになった戸鴨を保健室まで運んだのは有栖だ。わずか一日で中身が別人と入れ替わったかのような変貌っぷりには、昨日の出来事に原因があるとしか思えなかった。


「いや知んないよ。あの後は保健の先生に任せてすぐ戻ったし」


 当のライナスを見る。春光がどこからともなく取り出したフルフェイスヘルメットを被り、しっくりと収まるように微調整の真っ最中である。


 そうして、生徒たちから疑念のこもった視線を向けられていることに気付くことも無く、戸鴨は授業を開始した。


「えーと、皆さん出席してますね? 昨日は急に自習にしちゃってごめんなさい。で、今日はですね、昨日の自習でやってもらったレジュメの解説をする、予定でした」


 戸鴨はそこまで言うと、教卓の上に両手を乗せ、顔を伏せ、小刻みに震え始めた。


「が!! つい先ほど連絡がありまして! マリウス教の聖女、ラセリハ・マリウス様が中等部に留学することが決まりましたので、今日は順序を変えてマリウス教についての授業をしたいと思います!!」


 がばりと顔を上げる。喜びを隠しきれない表情をしていた。



「―――は?」



 ガーランの発した不機嫌な声は、声量を抑えたひそひそ話ばかりが行われていた教室の中、はっきりと響いた。


「おいババァ、そりゃ一体どういうことだ……?」


「ババアって言わないでください。私、まだ二十代です」


 おぉ、と教室中がどよめいた。中等部の頃、男子にババア呼ばわりされた時には顔を伏せ、反論することすらなかったのに。凄まじい進歩である。


「どうもこうも、学園に連絡があったのもつい先ほどのことですので、先生もどういう()()が行われたのかまでは知りませんよ。あ、ちなみに聖女ラセリハ様ですが、リントヴルム君の婚約者です」


 ババア呼ばわりされた戸鴨の報復のような言葉。再びガーランに視線が集まる。五十鈴なんかはわざわざ真後ろを振り返り「お前婚約者いたの?」と聞いていて、その姿を見た有栖は、そういえば麗奈ちゃんの婚約者、瑞器(みずき)親王の正体を探すのを忘れていたなと思い出した。


「オレサマは認めてねえ! クソジジイ共が勝手に言ってるだけだ……!」


「ドイツ皇帝とローマ教皇をまとめて『クソジジイ』なんて呼べるのは、世界広しと言えどもリントヴルム君だけでしょうねぇ……。あ、ちなみにリントヴルム君はローマ教皇のお孫さんでもありますので、ラセリハ様とは従兄妹(いとこ)の関係でもありますね」


「生徒のプライベートをバンバン暴くなぁー! なんでそんなに詳しいんだ!?」


「だって先生、大学での専攻はマリウス教でしたから。……それに、少しマリウス教を調べれば、こんな情報くらいは得られますよ?」


「ぐぬぬぬぬ……!」


「はい、それでは授業を始めますね。マリウス教の始まりは一世紀初頭、ヨーロッパを発祥とする世界最大の宗教です。仏教、イスラム教と合わせて世界三大宗教とも言われますね」


 そう言いながら、戸鴨は黒板に二重円を描いた。大きさは同じくらいで、二ヶ所が交差している。一つは完全な円形で、もう一つは交差点の近く、一部が欠けている。


「で、これがマリウス教のシンボルマークです。マリウス教が日本で二重円教とも呼ばれる所以となったシンボルですね。この二つの円ですが、それぞれ異なるものを示しています。欠けの無い方の円は、マリウス教。これはマリウス教が完全であり、永遠であることを表しています」


「んで、傲慢さの表れだな」


 ガーランが茶々を入れた。戸鴨は発言者をびしりと指差し、


「そう! そうなんですよ!」


「人を指差すな」


「あ、これは失礼しました」


 戸鴨は素直に手を下ろした。


「マリウス教は決して認めはしませんが、彼らは度々余計なことを仕出かして、ヨーロッパ中を何度も危機に陥れています。と言っても悪いことばかりではありません。16世紀半ばのイタリア戦争がいい例ですね。この時、現ドイツ出身のマリア・フォン・ゴルディナー公爵令嬢と、イギリス王族のヴィネリア・ロンゴミニアド王女が魔女裁判に掛けられそうになりました。ですが二人は裁判から逃げ、さらにはヨーロッパを大西洋側に脱出。そしてアメリカ大陸を発見した結果、大航海時代が始まりました」


「で、その後の30年戦争で疲弊して、ヨーロッパ全土の文明が300年は遡ったなんて言われてるな」


 ガーランが度々入れる冷やかしについて解説する戸鴨の声を聞きながら、麗奈はチラチラと向けられる視線の気配にむず痒さを感じていた。マリア・フォン・ゴルディナーが獅子王家の先祖であるというのは有名な話だ。たとえ義務教育で習わなくても、花山院学園では常識と言ってもいい。


「それでは話を戻しますね。もう一つの欠けた円が表すのは人、マリウス教徒です。この欠けは始点と終点、つまり誕生と死を表し、同時に人は不完全であるということを表しています。最後に、この二つが交錯しているのは、マリウス教は人の側にあるという意味ですね」


 戸鴨は続けて、円の欠けた部分を埋めて閉じた円を二つにした。


「このタイプの、二つの完全円で描かれたシンボルを見たことがある人も多いと思います。これもマリウス教のシンボルですが、使われるようになったのは最近ですね。第二次世界大戦の終結後からです。ちなみにですが、一部の方々はこちらをシンボルとは認めておらず、クレームを入れてくる場合があります。あぁ、そうだ。リントヴルム君、これって、ラセリハ様はどちら派なんです?」


「知るか!! いいか、いい機会だから教えてやる! オレサマはな、宗教ってやつが大っ嫌いなんだ!! 存在しちゃならねえ害悪だ!! 今度オレサマに下らねえ質問しやがったらぶっ殺すからな!?」


「わぁー、先生の研究全否定ー。でもリントヴルム君の考え方とは別に、一般常識として知っておくべきこともありますので、このまま授業を続けますねー」


「意外と強かだなこの女……!?」


「さて、マリウス教を語るうえで、最も重要な二名がいます。一人目がマリウス教の教え、その根幹となる部分を説いた救世主。当時の言葉で『メシア』と呼ばれていた人です。このメシアの名前は秘匿されており、教皇と枢機卿、つまりマリウス教で一番偉い人と、その次に偉い人たちの集団のみが知ることを許されています。もしかしたらリントヴルム君が知っているかもしれないので聞きたかったのですが、先ほど釘を刺されてしまいましたからね……」


「ああ? 知ってても教えるわけねえだろ。極東のサルが主の真名(みな)を知ったなんて連中に知られてみろ。暗殺者を寄越すか日本に戦争を仕掛けてくるぞ。教化(きょうけ)のためなら侵略も虐殺も正義扱いするキチガイ集団だからなあいつら」


「うーん、マリウス教を専攻していたから、何一つ否定できないですねぇ。他の人はラセリハ様の前でこんなこと言っちゃ駄目ですよ。本当に国際問題になってしまいますからね。そして、もう一人の重要人物。メシアを処女受胎によって産んだ母、聖母マリア。メシアの名前が秘匿されたため、宗教名には彼女の名が使われることになりました。マリウスというのは、『マリアの子』を意味する言葉です」


 戸鴨の授業は時おり脱線とガーランの野次を浴びながらも続いていく。


 二重円のシンボルが使われるようになったのは、新約聖書が編纂された四世紀と時期が一致しており、編纂と合わせて作られた可能性が高いこと。


 マリウス教が早々に支持を得ることが出来たのは、ドール・マキナの祖とも言えるゴーレムの心臓部となるマリウス・レヴを生産できる唯一の組織であったこと。


 ゴーレムとは、現代のドール・マキナにも使用されているオモイカネ、それが含まれている鉱石を人型に配置しただけの、原始的な構造をしていたこと。


 オモイカネは英語でミスリルと呼ばれ、近年の研究によって人の生体電流に反応することが判明したこと。


 昔は精錬技術が甘かったため、ゴーレムを動かせたのは、生まれつき生体電流が強い者たちだけに限られたのだろうと推測されていること。


 このゴーレムを動かせる体質を持つ人たちは騎士として扱われるようになり、それが転じてゴーレムの発展機の名前には、騎士を意味する言葉が使われるようになったこと。


「マキャヴェリー……先ほども出てきた、ヴィネリア王女によって開発された機種ですね。このマキャヴェリーの台頭によって、ヨーロッパ各地で生まれたゴーレムの発展形、その系統の大半が絶えてしまっています。今でも残っているのはドイツ周辺のキャバリエ、フランスやスペインのシュヴァリエ。それとイタリアのパラディンだけです」


 第二次世界大戦後に国連が制定したドール・マキナ分類において、これらの名前が引き続き使われていること。


 15世紀末にレオナルド・ダ・ヴィンチがマリウス・レヴから電気を取り出せることを発見し、様々な電子機器を開発するまで、ゴーレムの操縦席は剥き出しで、頭部に座る形が主だったこと。


 発電機能を持つようになったマリウス・レヴは、マリウス・ジェネレーターと呼ばれるようになったこと。


 現在、マリウス・ジェネレーターは一年に僅かに三百程度しか出荷されていないこと。


 マリウス・ジェネレーターは極寒環境に弱く、この特性がナポレオンのロシア遠征が失敗する大きな要因になったこと。


 生産数が少なく、極寒環境で使用できないにも拘わらず、未だにマリウス・ジェネレーターが利用されているのは、30年という異常なほどに長期間にわたり稼働し続ける特性を有することが主な理由であること。


 アメリカはこのマリウス・ジェネレーターを目指して、約300年間にわたり研究を続け、大幅な劣化品ではあるものの、ミスリル・リアクターを開発したこと。


 ドール・マキナに関する話も多いのは、マリウス教とドール・マキナが切っても切れない関係だからだ。マリウス教が無ければゴーレムは生まれず、したがってドール・マキナに発展することも無く、そしてゴーレムが誕生しなかったら、マリウス教がこれほどまでに広がることは無かっただろうと考えられている。


 そして順調に授業は進み、チャイムが鳴る直前に、


「やっぱり関係者がクラスにいると進めやすくていいですね~。どうですか、リントヴルム君。他所のクラスでの授業の時に一緒にきてくれません?」


「誰が付いていくかぁ!!!」


 色よい返事が貰えず、戸鴨がぶうたれて授業は終わった。


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