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マリアの子 その1


 天知る、地知る、我知る、人知る

  ―――楊震(ヨウシン)(中国:54 - 124)


   ●


《これまでのあらすじ》


《花山院学園の入学式を襲ったテロリストを撃退したのは、第二次世界大戦末期に暴走し、大量虐殺を引き起こした人類史上最強最悪の金属生命体、ローズ・スティンガーだった!》


《再び世に現れたローズ・スティンガーを危険と考える者たち、その力を利用しようとする者たちに注目され、一歩先んじたヨーロッパから、ドイツ帝族のガーラン・リントヴルムと、イギリス王族のライナス・ロンゴミニアドが転校してくる》


《さらに、朝鮮半島、この世界ではその歴史からポツダム半島とも呼ばれる一帯を不法占拠する犯罪者たちに対抗するため、日本政府はガーランとライナスを取り込んだ多国籍防衛部隊、ラプソディ・ガーディアンズを設立》


《ローズ・スティンガーを中心に、世界各国の思惑が重なる特異点が誕生したのだった》


《パパパパーパパーパパパパーパパー、デーデン!》


《『マリアの子』》


感想(レビュー):また何か余計なことしてる……》


《寂しかったの……!》


《感想:昼ドラみたいに言っても駄目です》


《じゃあドライコインがSEだけでも鳴らしてくれよ~》


   ●


「ふぁ……」


 東京湾沖合、極短円柱状の艦橋部を海上に浮かべたドイツ軍工作艦ルスタンハイツ・ヴァイスエルフの艦長席で、ソフィア・バベッジは大きなあくびを嚙み殺したところだった。


 赤い髪にいつもの白衣。しかして普段の凛とした佇まいは微塵も見えない。何故ならば現在時刻は午前5時23分。典型的な夜型研究職のソフィアにとって、徹夜でもなしにこんな時間に起きていることは拷問にも等しい。もしこれが完徹の真っ最中なら、逆に元気が有り余っているところであるのだが。


 頬杖を突き、艦橋の横窓から見える巨大な黒い塊をなんとなしに見ていた。美人というのは得である。だらけた姿勢をしていても、服さえまともに来ていれば絵になるのだから。


 その視線に、横からマグカップが差し込まれた。白い湯気が立ち上がり、どこか安っぽい珈琲の香りが鼻腔をくすぐる。


「はい、室長」


「ありがとージェシカちゃん」


「安物のインスタントですよ」


「だからいいんじゃない。お上品なドリップコーヒーの味じゃ、カフェインを摂取してる気にはなれないわ」


 ソフィアはマグカップを受け取って口を付ける。ジェシカも自分のマグカップから珈琲を飲みながら、


「素、出てますよ」


「おっと、いけないいけない。ありがとう、ノイベルト曹長。それと艦の中では艦長と呼びなさい。……ふわぁ」


「眠そうですねぇ」


 溜め息。


「流石に管理者一人じゃ目も回るわよ。副長も一緒に連れてくればよかったわ」


「研究室を空にする訳にもいきませんからね。ところで、何を見てたんです?」


 ジェシカも窓の外を見る。巨大な黒い塊にしか見えなかった。


「まさか、この子がアメリア軍の空母の隣に停泊する日がくるなんてねぇ。でっかいわよねぇ……」


 窓から見える黒い塊は、空母だった。アメリカ海軍所属タイコンデロガ級航空母艦18番艦、『サウスアイランド』。全長は700メートル余りと、約300メートルのヴァイスエルフの2倍強。しかも現在のヴァイスエルフは耐水試験のため、艦橋のみを海上に浮かべ、艦体は海の中へと沈めている。傍目には、その差は2倍どころか10倍以上だ。


「大きさじゃ負けますけど、開発費と運用費はヴァイスエルフの方が勝ってますよ」


「揚空艦って滅茶苦茶コストかかるからねぇ。信じられる? 400年以上前、マリア・フォン・ゴルディナーとかヴィネリア・ロンゴミニアドが生きていた時代には、揚空艦がバカスカ飛んでたらしいって」


「スクールで習いましたよね。でも100年と持たずに廃れたって。他でもない、そのマリアがアメリカ大陸を発見したことで始まった大航海時代と、更にヨーロッパ全土を巻き込んだ30年戦争が始まって、その辺の技術体系が断たれたせいだって」


「30年戦争が終わった頃には、ヨーロッパではフライハイト鉱石も採掘出来なくなってたらしいしね」


「揚空艦が復活したのって、第一次世界大戦の頃でしたっけ」


「そう。オーストラリアからフライハイト鉱石が発掘できることが分かったからね。……にしても、400年も昔の人間はどうやってあんな制御が複雑極まるもんを管理していたのかしら。当時はまだコンピュータなんて存在しなかったはずだし」


「やっぱ人力じゃないんですか?」


「一つ間違えれば墜落して、艦に乗ってる人間全員死ぬわよ。私だったらストレスで胃に穴が開くわよ」


「いやぁ、室長だったら胃に穴開く前に艦体に穴開けて脱出してると思います。そうだ、胃に穴開くと言えば」


 ジェシカは通信管制席に足を向けた。椅子には座らず腰だけを曲げてキーボードを叩く。


 ソフィアはジェシカのその後ろ姿を、自分に向けられた尻を見て思う。安産型だわ、と。


「あ、やっぱり。副長からメールが届いています。処理する書類が多過ぎるって抗議の内容で」


「適当に応援の返事しといて。時間のある時でいいから」


「はいはい」


 ジェシカは椅子に座る。すると当然だが、ソフィアからは安産型の尻が見えなくなり、


「ちょっと、何してんの」


「何って、副長への返信を」


「そんなの後でいいわよ後で。言ったでしょ、時間のある時でいいからって。あいつなんかより私の方が重要な案件よ」


「はぁ」


 仕方なしにジェシカは椅子を回転させ、ソフィアが座る艦長席の方を向いた。高さが低いので、ジェシカからはソフィアのタイトスカートの中まで見えていた。今日は赤か……。


「幼馴染なんでしたっけ、副長と」


「そうよー。けど幼馴染ってだけで、あいつとは何もないからね」


「でも人気ありますよ、副長」


「はぁ!? あの陰湿インテリ気取り腹黒眼鏡が!? 確かに見た目だけはいいけどさぁ、どいつもこいつも見た目に騙され過ぎでしょ!」


「ライナス殿下が同行するって分かった時も凄かったですからねぇ。おかげで女性の通信管制官、私だけしかいないんですよ。そのせいで嫉妬が凄いんですよ。オマケにアッヘンバッハ先輩まで艦橋に引っ張り出される羽目になってますし。どうにかなりません?」


「私の本職は艦長でも人事でもカウンセラーでもなくって、キャバリエの研究者なのよ……?」


「ガーラン殿下に目を付けられたのが運の尽きでしたねー」


 そのガーランとライナスは、昨晩、日付が変わろうかという頃に、それぞれの専用機をヴァイスエルフに着艦させた。


 ラーメンもチャーハンも用意されて無かったので、えらくご立腹だった。


 そのまま艦に一泊して、つい先ほど花山院学園へ向けて登校したところだ。サウスアイランドが停泊しているのと反対側の窓を覗けば、陸へと向かう豆粒のようなヘリがまだ見えた。


「元気よねー、二人とも。これが若さってやつなのね……」


「いや、室長もまだ24歳じゃないですか。ガーラン殿下に次ぐ天才じゃないですか。聖女様と婚約してなかったら、ガーラン殿下のお相手はソフィア・バベッジで間違い無しなんて言われてるの知ってますよ」


「私より若い子にまだ若いなんて言われても、嫌味にしか聞こえないわよ」


 色々な部分を無視して、ソフィアが返したのは最初の一つだけだった。そして、ソフィアはジェシカの顔をジッと見つめ始めた。


 離れていても分かるプリップリの肌。


 朝日を反射するキューティクルの効いた髪。


 ぱっちりと開いている眠気を感じさせない瞳。


 おかしい。昨晩からは自分と同じくらいの休息時間しかなかったはずなのに、2歳しか違わないはずなのに、この差は一体何なんだろう。


「……これが、若さってやつなのね」


 三度目のあくび。ソフィアは涙の浮かんだ瞳で、再びサウスアイランドの姿を目に納める。


 あの空母は間違いなく、ラプソディ・ガーディアンズに参加するためにやってきたのだろう。


 だけれども、あの黒の軍艦の中に、花山院学園に送れるような学生がいるとはどうしても思えなかった。


   ●



 学校に行きたくない。



 花山院学園中等部1年、野亜(のあ)優美は、生まれて初めてそう思った。


 昨日の帰宅中に発生したテロでシェルターに避難した時には、姉の友人の自分より背が小さい先輩に連れられて、一緒に避難していた同じ教室の生徒と、少しばかり会話はした。


 母親に連れられて公園デビューを果たした幼児か、と優美は思う。


 惨めだった。


 こんなはずじゃなかった。


 教室に足を踏み入れた瞬間に、指でさされて笑われるかもしれない。


 教室で誰かに挨拶しても、誰も返事を返してくれないかもしれない。


 姉の周りには大勢の人が集まっているのに、これから自分はずっと一人で生きていくのかもしれない。



 学校に行きたくない。



 だから学校に行くふりをして、昨日よりも30分も早く家を出て、そして花山院学園前駅への乗り換えがある奥多摩駅方面ではなく、その反対へと向かう電車に飛び込んだ。



 これが、後々の大騒動につながることを、優美は知るはずも無かった。


   ●


「あっ、麗奈!」


 始業前の教室に麗奈が入ると、先に来ていた五十鈴が挨拶もせずに近付いてきた。五十鈴は麗奈の正面に立つと、豊満な胸を持つ上半身を見て、タイツに包まれた下半身を見て、最後にとんでもなく整った顔を見て、


「ちゃんと服着てんな! 全裸じゃねえな! よし!」


「よしじゃありませんわよ」


 快音一発。麗奈が五十鈴をビンタしたのだ。


《そういや麗奈には暴力ヒロイン属性持たせてたな……。しかしこいつもこいつでノコノコと近付いてきて、わざわざ殴られに来たのか?》


 麗奈はマリアの声を無視した。


「出会い頭に何言ってるのかしら、この男は」


「出会い頭にビンタするお前も大概だよ!?」


 ちなみに麗奈が花山院学園で恐れられているのは、この暴行癖も原因の一つである。


 麗奈本人からすれば理不尽に殴っていいのは五十鈴だけだと決めてはいるのだが、そのことを周囲に明言しているわけでもなく、当然だが他の生徒が察するわけもないので、近寄る者が激減するだけであった。


「おはよー、獅子王さん、有栖ちゃん」


 五十鈴の後を追って、六華も麗奈たちの下へとやってきた。


「ごきげんよう、野亜さん」


「おはおはー」


「野亜も俺が目の前で暴力振るわれてるのにスルーして挨拶するぅ!?」


「いやー、上流階級特有の、私じゃ理解が及ばない風習があるのかなーって」


「それで、一体どういうことですの?」


「その質問さぁ、人ビンタする前に言ってほしかったなぁ!?」


「五十鈴ちゃんが欲求不満でエッチな夢見た話してるの? やっぱり出てきたのは麗奈ちゃん?」


「見てねえよ!!」


 見た時に出てこないとは言わなかった。変なところで正直な男だった。


「なんか噂になってるの。昨日の夕方、獅子王さんが露出の激しい格好で学園内を歩いてたって」


「夕方? 昨日、わたくしたちが帰ってきたのは夜中でしたわよ?」


 昨晩10時に行われた記者会見。ポツダム半島を支配する者たちによるドール・マキナ犯罪が近年増加している対抗手段として、多国籍防衛部隊、『ラプソディ・ガーディアンズ』の運用が始まったことが告知された。


 一緒に、というより強引に付き添った五十鈴も含めて、麗奈たちは記者会見よりも先に解放されたのだが、それでも帰ってこれたのは夜中の9時ごろだ。


「いや、俺も朝、飯食ってるときに聞いたんだよ」


「ストレスで頭がおかしくなって、裸になってその辺を走り回ってたんじゃないかって五十鈴君と話してたんだよ」


 快音二発目。


「一体どうしてそんなことになっておりますの?」


「お前は俺をビンタしねえと発言できねえのか!? クイズ番組じゃねえんだぞ!!」


「てゆーかあれじゃないの? プソガンに新しく参加する子を見間違えただけじゃない?」


「何その略称? それだけで獅子王さんと見間違えるかな?」


「いやだって長いし。ラプソディ・ガーディアンズって。石川のオジサマってネーミングセンスだけは悪いんだよねぇ……。で、この学園、長い金髪って麗奈ちゃんしかいないからさ。髪だけ見て麗奈ちゃんって勘違いしちゃうのはあると思うよ」


《他に金髪の女キャラいたっけかな……? いや、まぁ、ライナスもガーランも俺知らないキャラだし、そいつも俺が知らない奴の可能性は高いけど》


「クッソ、女に囲まれてると分が悪い……!」


 五十鈴が嘆いていると、廊下が急に騒がしくなった。教室まで女子の黄色い悲鳴が聞こえてくる。そしてすぐに、


「よぅ、オレサマが登校してやったぜ。全員五体投地で感謝の意を示しやがれ」


「いつの時代の王様ですか」


「王様になったら学校なんて行けそうにないですねぇ」


 ガーランと春光とライナスが教室に顔を出し、


「「「きゃあああー!! ライナス様ぁー!! 抱いてぇー!!!」」」


 廊下からついてきた、そして教室にいた女生徒にライナスだけが連れ去られ、教室の隅で取り囲まれた。


「……まぁ、命と子種までは取られねえだろうから放っとくか」


 食肉処理場へと連れ去られる子牛が助けを求めるようなライナスの目を、ガーランは無視した。


 春光も視線をライナスから戻し、何故か左右の頬を赤くしている五十鈴の様子に気付いたが、いつもの麗奈とのじゃれ合いの結果だろうとスルーして、


「何の話してたの?」


「麗奈ちゃんが学園で全裸徘徊してたって話」


 快音三発目。


「ちょっとぉー!? 重要な補足情報がいくつも抜け落ちてますわよォー!!」


「痛ぇー! 二度漬けはやめろぉ! てか何で今俺殴られたの!? だからクイズのボタンじゃねえっつってんだろ!!」


 また今日も一日、騒がしくなりそうだ。何とはなしに、春光はそう思った。


 けれど昨日に引き続き、今日も出撃するような事態にならなければいいなとも春光は思う。


 ……多分ならないはずだ。うん。ポツダム半島からの襲撃は散発的だし、そもそもラプソディ・ガーディアンズが出動するのは、基本的にローズ・スティンガーが出動する場合に限られる。麗奈の護衛であり、ローズ・スティンガーが暴走した際の抑止力が本来の役割だからだ。だから大丈夫なはずなのだ。



 春光の願いをよそに、既に事態は走り始めていた。優美が学校に来ていない時点で。優美が一人の少女と出会ったことによって。




 我々の世界にもタイコンデロガ級は存在するのですが、この世界の『タイコンデロガ級』は我々の世界のものと比べて2.5倍くらいデカくなってたりします。


 それもこれも人型兵器が2000年も昔からある世界のせいなんだ。


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