竜獅相搏 その7
青梅線を走る電車の中に、麗奈たちの姿はあった。奥多摩駅で通常路線に乗り換え、麗奈たち以外の花山院学園生の他、一般利用客だって無数にいる。
青梅線を走る普通電車は、横一列に座るタイプではなく、二人掛け用のシート型だ。その背もたれを逆側に倒すことで四人が向かい合わせで座れるようになる。麗奈たちはそうやって四人席を作り、男女別に座っていた。
ただし、ライナスはフルフェイスヘルメットを装着したままだし、ガーランは二人掛けの椅子では身体が収まらないから通路に中腰で立ってポールを掴んでいる。中腰なのは立ち上がると天板に頭をぶつけてしまうからだ。
物凄く注目されていた。
注目されているのは、この二人が原因なだけじゃないよなーと優美は思う。ちらりと目を向ければ麗奈と目が合い、微笑みと共に首を傾けられた。
駅に着くまでの道中で、それぞれの自己紹介は既に終えている。イギリスの王族にドイツの帝族。帝族という聞き覚えのない言葉に優美が首を傾げると、どうしてこの中に混じっているのか分からないくらいに地味で特徴のない先輩が「皇帝の一族って意味だ」と補足してくれた。警察庁長官の息子だっている。
特に極め付きがこの人だ、と優美は思う。レムナント財閥の総統と自己紹介した金髪美女。
最初は総帥のご令嬢様かと尋ねたら、違うと否定された。じゃあ総帥夫人か愛人かと胸を見ながら尋ねたら、苦笑交じりで、やはり違うと否定された。ついでに姉に「いくらなんでも愛人はないでしょ」と頭を叩かれ、姉が金髪美女に謝った。
どこの世界に、15歳の女子高生で財閥の総統なんてものがいるだろうか。自分は悪くないと優美は思う。
そしてフルフェイスヘルメットとゴリラだけでなく、優美たちが座っているシートまでじろじろと見られているのは、絶対にこの金髪美女が理由に違いなかった。
実際には少し違っている。実はこの場で、麗奈と同程度に注目を集めているのは優美である。
今年の中等部ただ一人の外部性が、あの獅子王様と一緒にいる。同じ電車に乗っていた花山院学園中等部の生徒たちは、誰も彼もが優美に注目していた。
特に優美と同じクラスの女生徒の一人なんて顔面蒼白だ。電車の音がうるさくて、一体何を話しているのか全く聞き取れない。さりとて安易に近付けるわけもない。獅子王様と仲が良いと知っていれば教室で積極的に交流を持ちに行ったのにと、数時間前の自分自身に後悔の声を送っている。
「そういえば今日、授業ばっかりで委員とか全然決めてないよね。ロングホームルームも無かったし、放課後もすぐ帰っちゃってるし。いつ決めるんだろ?」
一週間前、父親が政府の人と一緒に帰ってきた時までは、ちょっと正義感が強いだけでどこにでもいるような、普通の姉だった。
その姉が、なんてことない態度で金髪美女の高校生総帥とおしゃべりしているのを見ると、たったの一週間で、姉がものすごく遠い所へ行ってしまった気がしていた。
「ええっと、委員、ってなんですの?」
「えっ、学級委員とか、風紀委員とか、図書委員とか」
なお、六華は中学の三年間、ずっと風紀委員を務めていた。三年前に部活勧誘で揉みくちゃにされたのだが、どの部活にも入らず、ひたすら風紀委員の活動だけをやり続けていたのだ。
六華の言葉を聞いて、麗奈は思いだした。マリアに言われるがままに買ったライトノベルの中に、委員会がどうこうという話があったことを。
「もしかして、花山院には委員会って存在しないの?」
「ありませんわね。そういう制度が他所にはあると聞いたことはありますが、わたくし、正直よく知らないんですのよね。有栖は知っています?」
「えーと、普通の学校だと、職員の仕事を生徒が代わりにやるらしいね」
「職員の仕事を? 生徒が代わりに? ……じゃあ、例えば、学級委員って何をやるんです?」
「いや、ボクもそこまでは知らないよ。何やるの、六華ちゃん?」
「え、あー、ロングホームルームでの司会進行とか、担任の手伝いとか?」
「それ、日直でよくありません? では風紀委員というのは?」
「名前の通りで、学校の風紀を守る委員だけど」
「風紀を? 守る???」
「えーと、髪を染めてないかとか」
「花山院はそのあたり、自由ですわね」
「芸能人とかもいるもんねぇ。ほら、ノダちゃんとか髪ピンクに染めてるし」
「え、ノダちゃんってあのノダちゃん!?」
非日常ばかりだと思い込んでいた空間に、突如として放り込まれた聞き覚えのある名前に優美は驚いた。学生の間で爆発的な人気を誇るアイドルだ。
「そーそー。あのノダちゃん」
「ノダちゃんって、たしか通ってる学校は非公開って話だったけど、花山院だったんだ……。えーと、頼んだらサインとか」
「大丈夫だと思うよー。ボクとはモデル仲間だし、今度一緒に会いに行く?」
「行く行く!!」
「ちょっと優美、アンタ相手は先輩なんだから敬語使いなさい敬語!」
「いいよいいよー。小さい子の面倒見るのは慣れてるし」
クスクスと、麗奈が上品に笑うのを六華が見た。
「ああ、いえ。ごめんなさい。今朝の六華さんと表情がそっくりだと思って」
姉たちの会話を聞きながら、優美はノダちゃんのサインを貰ったら友達に自慢してやろうと考えて、すぐに自慢できるような友達たちは、みんな別の学校に行ってしまっていることを思い出した。
先週の事件を理由に優美も携帯電話を持たされていたが、中学生になったばかりの友達たちまでもが持っているはずがない。電話帳に登録されているのは、家と姉と両親の職場の電話番号の三つだけだ。
もしこれで、友達の家に電話してサインを自慢でもしようものなら、自慢を通り越して嫌味としか取られないだろう。それくらいのことは優美にも想像が付いた。
知らず知らず、優美はため息をついていて、
「優美さん? お加減がすぐれませんか?」
「いっ、いえ! 大丈夫です!」
「そうですか? 何か困りましたらなんでも言ってくださいね? 力にならせてもらいますから」
ふと思う。もし、この美人の先輩に、クラスに馴染めそうにないと相談したらどうなるかと。
優美のクラスにいきなり乗り込んでくるかもしれないし、クラスメイトが突然優美の舎弟みたいに振舞いだすかもしれない。
小学校を平々凡々と過ごしてきた優美の想像力程度では、財閥総統女子高生というのはよく分からなくても何か絶大な権力を持っているような気がしてならない。
「あ、えと、その……部活!」
何かを言わなければ。本心を悟られることなく話題を逸らさなければ。そう考えた優美が飛びついたのは、三年前にもみくちゃにされた姉の姿だった。
「委員会はないみたいですけど、部活ってどうなんです? 入学式で部活を全部紹介したりとか、その後で勧誘があるんじゃないかなって思ってたんですけど。でも入学式は無くなっちゃいましたし」
「そういうのは聞いたことありませんわね。一貫校だからでしょうか」
「部活は結構いろいろあるよ。掲示板見に行ったら勧誘ポスターたくさん貼ってあると思う。あ、それと運動部は基本的に男女も別で小中高も別なんだけど、文化部は男女混合で、小中高も混合ってところが多いかな」
「獅子王さんたちは何かやってたの?」
「中等部では、DMMAをやっておりましたわ」
「おおー、いいじゃん。優美もDMMAやってみたら?」
「あー、いえ、その、女子DMMA部は人数不足で、わたくしたちの卒業と同時に廃部になっておりまして……。後輩も入ってこなかったので、中等部には経験者が一人もいないから、難しいと思いますわ」
「ついでに言うとだけどよ」
麗奈の頭の上、五十鈴が膝立ちで顔を覗かせ、
「麗奈たちが色々やらかしたせいで、女子DMMA部の評判は、まぁ結構ヤバい。麗奈たちに後輩入らなかったのもそれが原因だし、メンバー集めんのにはマジで苦労すると思うから止めといた方がいいと思うぜ」
「あ、委員会がないのって、もしかして部活が代わりに受け皿になってるのかな?」
「受け皿?」
「そうそう。例えば図書委員の仕事は文芸部が代わりにやってたりとか、飼育委員の代わりに生物部が動物の世話をしてたりとか」
「確かに、そういうことしてるかな」
「じゃあさ、風紀部とかって無いのかな? 学校の風紀を守る部活」
「いや、野亜さん。それは難しいと思うよ」
有栖の頭の上、五十鈴の隣に春光が顔を覗かせた。
「もしそんな部活を作ったとしても、うちの学校は家格がかなり強い影響力を持つからさ。家格が低いと注意しても相手にされないどころか、逆に報復されてもおかしくないんだ」
「警察の一番偉い人の息子でも駄目なの?」
「警察庁長官ね。僕なら言うことを聞かせるくらいは出来るだろうけど、僕一人じゃ到底手が足りない。人の手を借りるにしても、虎の威を借る狐状態だ。それにそうなっちゃうと、僕じゃなくて、家格が低い子を狙って報復してくる可能性が高くなるからね」
「そもそもウチってある程度の制服の改造は認められてるし、結婚相手を探す場所でもあるから不純異性交遊で取り締まったりも出来ないし、というかちょっと締め付けると、憲法違反だーって裁判持ち出す子がいてもおかしくないんだよね」
「……そんなんで、学校の風紀って守れるの?」
「流石に法と公序良俗に反することは駄目だけれど、そもそもそれらを守っているなら風紀は守れているっていうのが学園側の考えだね」
「……そうなのかな? ……そうなのかも?」
正義。正義って何だ。六華が考えこみ始める。
「優美さん、他に何か聞きたいことはありますか?」
「あ、じゃあ」
優美は指差した。麗奈の頭の上にある五十鈴の顔、その隣。有栖の頭の上にある春光の顔、その隣。席を立ち、五十鈴と春光の顔の間に移動していたフルフェイスヘルメットを。
「それ、電車でも外さないの?」
途端に周り皆が微妙な顔になった。ヘルメット男はヘルメットを着けたまま、奇妙で伊達なポーズを取り、
「ふふふ……。これは私の力を封印するためのもの。もしこのヘルメットを外そうものならば、この世界に災厄が訪れるでしょう……」
ちなみにこのヘルメット、春光が休み時間の間にひとっ走りして、バイク部から借りてきたものである。
「まぁ、間違ってはないね」
「陣之内と仲良くなれそうだなお前」
「ジンノウチ? クラスにいましたっけ?」
「いや、別クラス。あいつも寮暮らしだから、帰ったら紹介してやるよ」
「おお、それは楽しみですね」
五十鈴はまだ知らない。中二病患者であった陣之内俊彦は、ローズ・スティンガーにガチビビりして目を付けられないように中二病を封印し、一般的な生徒に溶け込むことにしたことを。
「つかよ、駅前にコンビニあっただろ? あそこでサングラスとマスク買えばよかったんじゃねえのか?」
三人の背後から、のっそりとガーランが上半身を傾けてそう言った。
「……ガル。どうしてそのことを、もっと早く言ってくれなかったんです?」
「いや、お前が脇目も振らず駅に突っ込んでいったからだろうが」
「なぁガーラン。ライナスってイギリスの学校でどうやって生きてたんだ? さっき話してたろ? 留学中はライナスのところで世話になってたって」
「知らん。オレサマは確かにイギリスに留学はしていたが、ライとは別の学校だ」
「え? 留学してるのに別の学校て、そんなことある?」
「ああ、ガルが今朝、自己紹介の時に天才だと言っていたでしょう? あれは自称でも何でもなく、純然たる事実なんですよ」
「……つまり?」
「話の途中でしたね。確かにガルは6歳から10歳の間までブリテンに留学していました。飛び級で、ケンブリッジ大学のドール・マキナ工学部に、です。ちなみに主席卒業ですよ」
五十鈴がガーランを見た。
「……いや、いくら何でも盛り過ぎじゃね?」
ガーランは上腕二頭筋を盛り上げてにっかりと笑った。
次の瞬間、まだ次の駅までは距離があるにもかかわらず、突如として電車が緊急減速を行った。筋肉を魅せるためにポールから手を放していたガーランが耐えきれず体勢を崩し、男子三人がその下敷きになる。
「痛っててて……何だぁ? 日本名物の飛び降り自殺でも起きたのか?」
「お、重い……」
「下らねえ冗談言ってねえでとっとと退け……!」
電車が完全に止まると、圧縮空気を吐き出す音と共に、全ての扉が解放された。
そこらじゅうで携帯電話が一斉に鳴り出す。鳴った時間は短い。電話ではなくメールの着信。
「うわっ、麗奈ちゃん見て見て。羽村でドール・マキナが暴れてるって」
携帯電話を持っていない麗奈に、有栖がメール文を見せた。
「は……ハムラ? ……私たちが下りる駅も、ハムラという名前でしたよね?」
然り。花山院学園から最も近い大型書店と言えば、羽村駅から徒歩10分のところにある森林堂だ。今回の目的地はそこである。
ガーランの下から抜け出したライナスは、有栖の言葉が信じられないと自分の携帯電話を取り出して着信メールを確認する。ヘルメットに隠された視線が二度、三度と同じ文面を繰り返し移動する。何度読んでも文面が変わらず、ついに膝から崩れ落ちた。
続いて、緊急車内放送を知らせるチャイムが鳴った。
『現在、羽村駅、周辺で、ドール・マキナが、暴れています。近隣の、シェルターへ、避難、する方は、ご降車、ください。本車両は、5分後に、後退し、安全のため、途中停車せずに、奥多摩駅まで、戻ります』
車内放送は続けて、同じ内容をやたらと流暢な英語で伝え始めた。その放送を背景に、
「くそっっったれぇ!!!」
ライナスの叫びが車内に響く。拳が何度も床を叩く。
「許せねえ……許せねえぞダボカスども……! 木っ端風情が私の楽しみの代わりになるとでも思ってんのか……!?」
五十鈴と春光は少し距離を取った。
「ライナスのやつ、なんか性格変わってない?」
「あいつ、キレると口が悪くなるんだよ」
なおも怨嗟を叫ぶライナスの暴言を聞き流しながら、麗奈は解放された扉から外へと降りた。敷き詰められた砂利が音を鳴らす。
「って麗奈さん! どこ行くの!?」
それに気付いた春光が慌てて後を追う。が、
「あ、わ、わ……!?」
背の低さが災いして着地に失敗した。砂利に足を取られる。たたらを踏んで前のめりに倒れ込みそうになる。そして倒れると思った瞬間、物凄く柔らかいものに顔面を包まれた。
「大丈夫ですか、春光さん?」
麗奈の胸だった。顔を上げると、至近距離で目が合う。
「うわわわ! ゴメン!」
慌てて離れたせいで、砂利の上に尻餅をついた。尻に石が刺さる間隔が微妙に痛気持ちいい。
「そんなに慌てて、どうなさったんですの?」
「どうなさったも何もないよ! 麗奈さんこそ何処に行く気!?」
「何処にって」
麗奈はまず、奥多摩の山の方を見た。
続けて、目的地である羽村駅がある方を見た。
「ちょっとローズ・スティンガーを呼んで、叩き切ってこようかな、と」
《呼んだら来るまでに30秒はかからんと思うぞ》
麗奈の言葉を聞いた春光は、慌てて起き上がって抗議する。
「叩き切ってこようかな、じゃないよ!? 街中で前みたいに叫んだりしたらお年寄りがショック死しちゃうよ!」
「いえ、むしろ逆に喜ばれそうな気がしますけれど」
なにせ老人世代は第二次世界大戦時にローズ・スティンガーが活躍するのを実際に体験していた最後の世代である。平和教育によってローズ・スティンガーの恐怖を刷り込まれたりもしていないし、それどころか英雄視すらしている節があるため、例えすぐ近くでドール・マキナが暴れていたとしても、ローズ・スティンガーが相対していれば、外に出て日本国旗を振り回し、大声で軍歌を歌い応援するくらいのことは平気でやりかねない。
「そうだぞ、春光。止めんなよ。だいたい警察の部隊は動きが遅いんだし、ローズ・スティンガーにやってもらった方が良くないか?」
「そう言うわけにもいかないんだよ、五十鈴。ていうか麗奈さん、忘れてるでしょ。あの部隊の話」
「あ」
麗奈は、そのことをすっかり忘れていた。
「あの部隊?」
五十鈴は何のことか分からず、オウム返しに繰り返した。
「そうよ。そこでオレサマたちの出番ってワケよ!!」
ガーランが電車から飛び降り、砂利を爆ぜ飛ばしながら着地した。
「この手で、クズどもに制裁を与えたやるのも一興ですね」
電車の中、ライナスは不敵な笑みを浮かべながらヘルメットを外す。頭を振って長髪を揺らせば、
「うわっ、顔面偏差値たかっ!?」
「アンタ、どこでそんな言葉覚えてくるの?」
どうしてライナスがヘルメットを付けていたのかを優美がついに理解し、六華は妹の言葉で呆れた顔になった。
春光が起き上がり、尻をはたきながら麗奈を見上げる。
「というわけで、ここは僕たちに任せてよ」
そして、羽村の方へと顔を向けた。その顔は少し緊張を帯びながらも、どこか自信に満ちているようにも見える。
「……いや、朝も言ってたけどさ。あの部隊って、何?」
そしてやはり、五十鈴の疑問に答える者はいなかった。




