竜獅相搏 その5
昼休み終了前を知らせる予鈴が鳴るのを、麗奈は特別教室棟の中で聞いていた。六華とライナスに学園内を案内していたところだ。有栖と春光も一緒にいる。
「あら、もうこんな時間ですか」
案内出来たのはまだ一部だけだ。昼休みだけで案内するには時間も足りないし範囲も広い。しかも、
「あっ」
廊下を曲がると、二人の女生徒の姿があった。その一人とライナスの目が合うと、「お゛う゛っ!?」という奇妙な声と共に、目が合った方の女子が腰砕けになって崩れ落ちる。
「渡会さん!? どうされたんですの!?」
「い、今、排卵いたしましたわ……! 聞こえましたわ! プリっ♡と! 排卵する音が!! あの御方との子供を作るために……! 危険日……!!」
「正気に戻って、渡会さーん! 排卵時にそんな音は出まわんわー!!」
渡会にテンポよく叩き込まれる往復ビンタの音が廊下に響き渡るのを背景に、麗奈たちはその場を急いで離れた。
「あぁっ、お待ちになって紫髪の君! 私の全て、奪ってみせて……♡」
●
「有栖ちゃん、今ので何人目だっけ……?」
「分かんない。10人超えてからはボクもう数えてないよ……」
「麗奈さんもいるから囲まれたりすることはないけど、女子と会うたびにこうなるんだと、何か対策を考えた方がいいかもね」
今回のように数人と出会って、正気を保ったままの生徒が残っているのはまだ良い方だ。
女子一人だけと出会って発情したら、ライナスに距離を取らせて麗奈たちで介護する必要があったし、その最中に別の女子がライナスと目が合ってしまい、さらに被害が拡大したこともあった。
周囲を警戒するのに、春光一人だけでは目が足りない。とはいえ、よもや元凶たるライナス本人に警戒させる訳にもいくまい。目と目が合った瞬間には既に手遅れになるからだ。
学園案内を始めてからはずっとこんな状況で、予定していた範囲の半分も進んでいなかった。
「ライナス君、こんなんでどうやって日常生活送ってたの?」
あきれ顔で六華が問う。
「意外とどうにかなるものですよ。時間が経てば皆さん耐性が付くものですし」
「ライナス君の顔はウイルスか何かなのかな?」
「リッカさんのように最初から正気を保ってくれる方は貴重なので、これからも仲良くしていただきたいですね」
《正気言うなよ。目が合うとSANチェックでも入るのか?》
「私以外にもいるでしょ。獅子王さんとか有栖ちゃんとか。さっきだって一人は即堕ちだったけど、もう一人は大丈夫だったじゃない」
《おお、困ってる困ってる。あれ、仲良くなるのはいいけど自分の交流に影響が出るからどうしたもんか悩んでる顔だぜ。間違いない。そういうテキストとスチル作ったの覚えてるもん》
「いえ、経験で分かります。先ほどの場合は先に正気を失った人がいて、その子の面倒をみるために私に注意が向いていなかっただけです。目が合っていたら、無事だった少女の方も正気を失っていたでしょう」
「いやな経験則だなぁ……」
5人は無事に特別教室棟から一般教室棟に戻ってきた。幸い、道中にも周囲にも、他に女子の姿は見当たらない。
「さて、残りの案内はどうしましょうか。放課後にでも残りをやります?」
「あ、ごめん。放課後はお父さんの手伝いとか家事とかやらなきゃだから、私はすぐに帰らないとなんだよね」
「あら、それは偉いですわね」
「全然そんなこと無いと思うよ。どう考えても獅子王さんのほうが偉いし」
「いえ、家事が出来るのは十分凄いことですわよ。この学園の生徒、寮暮らしの人たちも含めて殆ど家事なんて出来ませんし」
「寮なのに、そんなんで困らないの?」
「うちの寮、寮っていうより殆どホテルみたいな感じだからね。掃除とか洗濯物とか、頼んだら全部プロにやってもらえるから。ちなみに麗奈ちゃんも料理は出来ないし、ボクは料理どころか掃除も出来ません! エッヘン!」
「サービス過剰過ぎる……。有栖ちゃんも簡単な掃除くらいは出来るようになろうね? あ、そうだ。ライナス君、この学校って一般常識が全然通じないから、普通の学校もこうだって思わないでね」
「薄々そうなんじゃないかと感じてはいましたが、やはりそうなんですね。……ところで一つ、よろしいでしょうか? 放課後も案内してもらえるということは、レイナさんは放課後でも時間を取れるということですか?」
「大丈夫ですわよね、有栖?」
「うん、スケジュールはしばらく空いてるよ」
なるほど、とライナスは一つ頷いた。足を速め、麗奈の正面に回り込んで止まったことで全体の移動が停滞する。そして、
「ではレイナさん、放課後はデートに行きませんか?」
「待って、ライナスちゃん!」
突然のキラーパスに反応できたのは、有栖ただ一人だった。が、
「おや、駄目ですか、アリスさん?」
「その台詞、五十鈴ちゃんがいる時にもう一回初めからやってもらっていい!?」
パスがさらに変な場所へ飛んだ。
「何言ってますのー!?」
「ええ、いいですよ」
「ライナス殿下もそんなことしなくていいですわよ!」
「私は別に、イスズが来てからでも一向に構いませんよ」
「そうだよ麗奈ちゃん。五十鈴ちゃんが来てからにしようよ」
「二人とも、一体何を考えておりますの!?」
「だって、そっちの方が面白そうじゃない」
「だって、そっちの方が面白そうじゃないですか」
麗奈は遠い目になった。
「まさか、ライナス殿下まで有栖と同じことを言うとは思いませんでしたわ……」
「えっと、獅子王さんって五十鈴君と付き合ってるの?」
「付き合っておりませんわよ!」
「おぉう」
麗奈はハッとする。
「あ、ごめんなさい。つい大声を出してしまって」
「あー、いいよいいよ。気にしてないから」
なるほど、と六華は思う。まだ付き合っているわけではないんだな、と察したのだ。
《今なんか攻略ルートが追加されなかったか?》
《感想:気のせいです》
その時、六華は巨大な人影を視線の端で捉えた。あんな巨体、六華が知る限りでは一人しか思い当たる人物はいない。そしてガーランは五十鈴と共に別行動だということを既に春光から聞いている。
「し、獅子王さん! 五十鈴君たち戻ってきちゃったよ!?」
「おーう、何やってんだお前ら? そんなところで立ち止まって。教室行かねえの?」
「ああ、イスズも来ましたし、ではリクエスト通りに」
麗奈も六華も止める間無く、
「レイナさん、放課後はデートに行きませんか?」
近付いてきていた五十鈴の足が、その場で止まった。
早速やりやがったなこいつ、とガーランはため息をつきながらかぶりを振る。
有栖は五十鈴の反応を注視し、六華の視線は麗奈と五十鈴とライナスの顔を忙しなく移動している。
チャイムが鳴り始めた。それでも誰もが移動出来ずにいる。
「……あなたたち、何してるの? もうチャイムが鳴ってるから、教室に入ってくれる?」
そこに通りがかった戸鴨燈子が注意した。黒縁メガネをかけた、スーツに猫背の女性教師だ。胸元に教材を抱えている。いつも自信なさげに俯いており、生徒が相手でも目を合わせることがない。
戸鴨が通りがかったのは偶然ではない。麗奈たちのクラスの次の授業の担当教員だからだ。
皆が無言で歩き出し、それを見た戸鴨は安堵の吐息をついて後を追う。
「あはは、ゴメンねトガちゃん」
有栖は歩調を緩め、最後尾を歩く戸鴨の隣を歩く。戸鴨は麗奈たちが中等部の頃にやってきた教師だ。花山院の中等部と高等部は、教員が掛け持ちすることもある。だから麗奈や有栖は、戸鴨のことを既に知っていた。
戸鴨は首を横に振る。
「あなたたちは、聞き分けが良くて助かるわ。親御さんが親御さんだから、生徒たちには、あまり強く言い聞かせることも出来なくて……」
「あ~、確かに腕白な子たちは困るよねぇ」
有栖が戸鴨の方に顔を向けながらそう言うと、戸鴨は視線を逸らし、
「もしよろしければ、私に言ってください。私の方から言い聞かせますので」
逸らした先で、腰を曲げて下から戸鴨の顔を覗き込んだライナスとばっちり目が合った。目が、合ってしまった。
戸鴨が脚をもつれさせる。胸に抱えていた教材が廊下に散らばり、前のめりに倒れ込んだ。
「ライ、お前な……」
「ああっ、すみません! 困っている女性を見るとつい……」
「えっ、戸鴨どうしたの!?」
五十鈴は一人だけ状況が分かっていない。病気か何かかと本気で心配するが、
「ライの顔見て発情しただけだ。よくある事だから今から慣れとけ」
ガーランは自分の体を使って、ライナスの姿を戸鴨の視界から隠した。今これ以上ライナスの姿を見ては命にかかわると判断したからだ。
「発情!? いや慣れねえよこんなの!」
「僕たちはもう慣れたよ……」
散らばった教材を麗奈たちと拾いながら春光がぼやく。
「慣れたの!? つーかよくあることなの!?」
「せ、生徒相手に発情なんてしていません……!」
戸鴨は顔を赤らめたまま、壁に手を付いて自力で立ち上がろうとする。が、腰はカクカクと不規則に動き、膝も笑っていてまともに立てない。生まれたての小鹿の方が幾分かマシだ。
《俯いてるから見えねーけど、これ瞳の中にハートマーク浮かんでると思う》
「トガちゃん、大丈夫?」
有栖が回収した教材をひとまとめにして近付くと、戸鴨は震える手で教材の一つ、レジュメが入った透明な書類ケースを掴み、麗奈へと差し出した。
「ふーっ♡ ふーっ♡ し、獅子王さん……。今日は、自習と、みんなに伝えて……!」
《教師の鑑……!》
《感想:本当に教師の鑑なら、男子生徒の顔見て発情したりはしないと思いますよ》
《しょーがねーだろ乙女ゲームのイケメンなんだから》
麗奈が書類を受け取るが早いか、戸鴨は腰が抜けて尻餅をついた。その衝撃で熱の篭った荒い息を何度も漏らし、腹を両手で抱きながら、ビクンビクンと痙攣するのを抑え込もうとして失敗している。
「麗奈ちゃん、ボク、トガちゃん保健室に連れていくね」
「ええ、頼みますわ……」
「あっ、私もてつだ―――」
六華が言い終わるより先に、有栖は軽々と戸鴨の身体を抱えた。戸鴨は女性のなかでも背が低い方だが、それでも有栖よりかは高身長だ。にもかかわらず、有栖はバランスを崩すことなく走り出し、
「一人でヘーキヘーキ! 麗奈ちゃんのことよろしくねー!」
「あっ、在須さん……! ゆっくりっ♡ 振動がっ♡ お腹に響いてっ♡ お゛っ……♡」
《ライナスのやつ、乙女ゲームの攻略対象キャラじゃなくて、抜きゲーの特殊能力持ちの主人公なんじゃないかって気がしてきたわ》
人数が減った廊下で、残された者たちはその後ろ姿を見送った。
「……ライナス君はあれなの? 顔が良すぎたせいで国から追放されて日本に来たの?」
六華の言葉に、ライナスは無言で肩をすくめるだけだった。
デートの話は、戸鴨の尊い犠牲によって、いつの間にやら有耶無耶になっていた。
ライナス、高確率でエースボーナスに「女性に与えるダメージ+20%」みたいなのを貰うタイプ。
そしてロン毛ーズには逆に「お前の顔は破壊力が高過ぎるから駄目だ!」と加入を断られるタイプ。




