神は此処にありて 6
そして、場面は冒頭に戻る。
ローズ・スティンガーが、バイソンチェストの片腕を拘束していた。森から飛び出し赤レンガの塀を乗り越え、腕を振り下ろすバイソンチェストの横から、腕で挟み止めたのだ。
誰も彼もが注目していた。ようやく人の群れから抜け出した五十鈴も。体格のせいで人の流れに飲み込まれてしまった有栖と春光も。騒動を聞きつけ多目的ホールから飛び出してきたアルキン梅崎も。
極一部を除き、二つの相反する感情を抱いていた。
安堵と、不信だ。
まだテロリストが目の前にいるにも関わらず、全員が確信していた。助かった、と。誰一人としてローズ・スティンガーの敗北を疑ってなどいない。負けるかもと、わずかに不安に思う者さえいない。
皆が知っているからだ。ローズ・スティンガーという存在を。護国の英雄機という存在を。
同時に誰もが知っていた。ローズ・スティンガーがかつて成したことを。だから不安に思っていた。自分たちを殺す相手が変わっただけではないのかと。
『なんだ……、サソリ!? 世露威か!?』
そこに、大池の苛立った声が響いた。この場でただ一人だけ、状況を理解していない男の声が。
『クソッ! 護衛のドール・マキナはいねえって話だったじゃねえか! まあいい。所詮は骨董品だ! 放しやがれ!』
バイソンチェストが腕を拘束するハサミを剝がそうと抵抗するが、もう片方のハサミが残る腕までも掴まえた。両腕を両腕で拘束する形になったことで、横から割り込んだローズ・スティンガーは、バイソンチェストの正面へと立ち位置を変える。麗奈の身体の真上へと、麗奈を守るように。
さらに、ローズ・スティンガーはその状態から両腕を外へ広げようとした。
『なんだ、こいつ……旧型の分際で、新型機相手に力比べする気かぁ!?』
対するバイソンチェストが抵抗する。
『勝てると思ってんのかダボが! こちとらクルスだぞ!!』
そして、バイソンチェストは容易く力負けした。まるで磔のように。
『ば、馬鹿な……! 旧型だろうが! 変形してないから戦闘出力も出せてないはずなのに!?』
ローズ・スティンガーは両腕を拘束したまま身体を持ち上げた。身体を上に上げた分だけ腕を下ろした。そうすれば、
『カロロロロロロロロロ……』
目が、合った。
大池は、確かにそう感じた。バイソンチェスト系列のトレーラー型クルスは、トレーラーヘッドを胸部に収める形で人型に変形する。だから、運転席の様子は外から丸見えなのだ。
そしてついに、バイソンチェストの両腕が爆発した。挟み潰されたのではない。ローズ・スティンガーの両腕、挟み込んだ物だけという非常に狭い範囲にではあるが、強力な破壊力を発揮する内臓兵器、プラズマ・ショックカノンが放たれたのだ。
『うおおおっ!?』
強化ガラス越しとは言え、操縦席の至近で起きた爆発に大池がひるみ、バイソンチェストが後退った。
その一方で、麗奈は全くひるまなかった。頭上で発生た爆発に長い金髪が乱れたが、それを軽く押さえて払い、胸の下で腕を組んだ。そのまま、前へと歩を進める。ローズ・スティンガーの庇護下から抜け出す。
『サソリの、世露威……』
大池が無意識に呟く。30年も昔の記憶をほじくり返す。小学一年生から9年間続いた、毎年毎年のくだらない平和学習の記憶を。その虫食いだらけの記憶の中に、その中途半端な記憶は残っていた。
『おいおいおい、俺みてえな学のない奴でもしってるぜ……。戦争で暴走して、ポツダムの連中を皆殺しにした欠陥兵器じゃねえか!』
失笑。
「0点ですわね。何もかも間違えてますわよ」
ローズ・スティンガーとバイソンチェストに挟まれた麗奈は、無慈悲な採点結果を出した。それだけで、大池の顔がひどく引きつった。大池は自分より劣っている連中から、特に年下の女から間違いを指摘されるのが、ひどく我慢ならない男だった。
「一つ目の間違い。単にポツダムと言うだけでは、ドイツのポツダムを指しますわ。朝鮮半島のことを指したいなら、ポツダム半島と呼びなさいな」
―――かつて、戦争があった。
第二次世界大戦。大日本帝国は、この戦いを戦勝国側として終えた。アメリカ、イギリス、そしてドイツがローズ・スティンガーを恐れ、日本との同盟を最優先にした結果だった。
特にドイツとイギリスは戦争の真っ只中で、日本と同盟のために即座に講和条約を結ぶなど、当事の者たちは誰も予想だにしていなかっただろう。
だがその終戦に、待ったをかけた男がいた。その男は大韓帝国の再独立を目指す運動家であり、安重根を英雄視する若者であり、第二次世界大戦で日本が負ければ夢がかなうと考えていた夢想家であった。
だから、その男は日本が戦争に勝つことが許せなかった。
だから、その男は戦争を終わらせないために行動した。それが、どんな結果をもたらすかを予測できずに。
時は1945年9月2日。東京湾に停泊するアメリカ海軍戦艦ミズーリ艦上にて、中国との降伏文書調印が行われた。
男が取った手段は、自爆テロだった。多数の死者が出た。GHQ最高司令官が死んだ。大日本帝国政府全権外務大臣が死んだ。そして当時の獅子王家当主、獅子王豪蔵が死んだ。
それが、全ての悲劇の始まりだった。
「2つ目の間違い。ローズ・スティンガーは世露威ではなく、MetalAbsorbNotablyTraitIdentify……マンティと呼ばれる生き物ですわ」
その男は知らなかったのだ。ローズ・スティンガーが物言わぬ兵器ではないことを。自我を持つ、金属生命体であるということを。
故に、ローズ・スティンガーが取った行動は豪蔵を殺されたことへの報復だった。だが、主を殺した張本人は、自爆テロにより自ら命を絶っていた。
ローズ・スティンガーが人であったなら、ここで終わりだった。ローズ・スティンガーは、人ではなかった。故に、動く道理が人のものとは違っていた。
ローズ・スティンガーは、卑劣極まる手で主を殺した男が殺せないならと、その代わりに、その男と同じ民族をことごとく殺し始めたのだ。個への報復を、群れへ代替した。
「そして最後に、3つ目の間違い。ローズ・スティンガーが殺したのは当時の朝鮮半島にいた全員ではありませんわ。殺したのは朝鮮人のみで、日本人も中国人も西洋人も、他は誰一人殺しておりません」
ローズ・スティンガーは如何なる手段をもってしてか、日本人も中国人も殺さず、朝鮮人だけを識別して一人一人を殺して回った。
この惨劇に対し、世界各国は何もしなかった。否、何も出来なかった。
日本の場合は、国民感情が理由だった。獅子王豪蔵は天皇陛下の懐刀と呼ばれる英雄であり、その英雄を殺した者たちに対して、これは当然の報いだと思う者が多かった。
日本以外の場合は、軍事的疲弊が理由だった。世界中を巻き込んだ世界大戦の直後で、どこもかしこもが疲弊していた。そして何よりも、ローズ・スティンガーの邪魔をして、今度は自分たちが狙われては堪ったものではなかった。
だが、問題はこれだけでは終わらない。この世界の住民にとって、本当に重要な問題となったのは此処からだった。
獅子王豪蔵が朝鮮人の自爆テロにより死亡したという情報は、瞬く間に全世界に広まった。本来であれば、戦争終結を知らせるために準備された情報網によって。
その情報に、20世紀初頭にアメリカ・ヨーロッパに移民していた朝鮮人たちが歓喜した。周りの者たちに自慢して回った。ざまあみろと。英雄安重根の再来だと。
ローズ・スティンガーが朝鮮半島で虐殺しているという情報が知れ渡ったのは、その3日後のことである。
アメリカ人たちとヨーロッパ人たちは、自分たちも巻き込まれることを恐れた。当時は混乱の極みで、ローズ・スティンガーが朝鮮人以外は殺していないということが判明していなかった。
だから、巻き込まれる前に、自分たちで朝鮮人を排除することにした。
しかして、ここで更なる問題が発生する。西洋人はローズ・スティンガーと異なり、朝鮮人とそうでない東洋人を、判別出来なかった。判別出来なかったから、疑わしきを殺して回った。
朝鮮人の自爆テロをきっかけに、アメリカ及びヨーロッパで発生した東アジア人の大量虐殺―――これらを総じて、ポツダム動乱という。
その後、大日本帝国は朝鮮半島で発生した虐殺の責任を取るために2つの宣言を行った。植民地支配していた全地域の解放宣言と、昭和天皇の人間宣言だ。
前者は、荒廃し、住民の大半がいなくなった朝鮮半島を復興する経費が馬鹿にならないことが真の理由であった。
後者は、ローズ・スティンガーが再び暴走したとしても止めることが出来ない故の、責任を放棄することが真の理由であった。
結果、国家主権を喪った朝鮮半島には、世界各地から逃げてきた犯罪者たちが集まり始めた。今では世界で最も治安が悪い地域として知られている。
今では朝鮮半島は、原因となったポツダム動乱からその名を取り、ポツダム半島と呼ばれている。
《ヘイトスピーチ……! いや待てよ? 絶滅してるんならそもそも言い出しっぺもいないのか?》
《質問:マスターが用意した設定ではないのですか?》
《流石にそこまではやらねえよ。だいたいローズ・スティンガー自体が本来は存在しない機体だし。デカい作品だと中国あたりを大陸ごと消滅させたりしてるやつはあるけどさ》
それを、
『あ゛ぁあ!? マンテーだの何だの訳分かんねえこと言ってんじゃねえぞクソガキャア!! 俺が中卒だからってデタラメ言いやがってよぉ!!』
《おいおい、俺がマンティを発見したのって450年くらい前だぞ。こいつ元より馬鹿になってね? いや、それとも作品が違うから認識できてないのか?》
『だいたいなんだその姿はぁ!! 俺相手には変形していなくても十分ってかぁ!? 変形しやがれってんだ!!』
大池が操縦桿から手を放し、ローズ・スティンガーを指差し、唾を飛ばしながら叫んだ。
大池が今もなお、ローズ・スティンガーを世露威だと勘違いしているのにも理由がある。日本がかつて使用していた世露威は、その全てが動物から人型への変形機構を有しているからだ。動物骨格を参考に移動性能を向上させ、戦闘時には人型へと変形するために。
このコンセプトは、現在日本で運用されている自動運転車変形機構式ドール・マキナにも引き継がれている。
同時に、大池がローズ・スティンガーに変形しろと言っているのにも理由がある。
世露威もクルスも、その変形機能は戦闘中に変形するものではなく、戦闘前に変形することを前提にしている。どちらも、変形するには時間を要するのだ。
大池の狙いはそこにあった。特に相手は旧型機。バイソンチェストよりも変形には時間がかかるに決まっていると考えた。不用意に変形を始めた瞬間、何もかもをぶち壊してやる腹積もりだった。
麗奈はバイソンチェストから目を離し、ローズ・スティンガーを見上げた。露骨にバイソンチェストを脅威と感じていない態度で、大池の怒りはさらに高まっていく。
「……そうですね。その提案に乗りましょう。この子に任せていては、あなたを殺してしまいますものね」
丸見えの運転席の中で、大池は粘着質な笑みを浮かべていた。ほら乗ってきた、と。やはり高校に進学するやつは馬鹿なのだ。やはり女が勉強するのは金の無駄なのだ。だから、こんな簡単な罠にも気付かないのだ。
自分が正面から挑発されたことにも気付かず、大池はローズ・スティンガーが変形するその瞬間を待った。両腕は砕かれている。だが、まだ『とっておき』が残っているのだ。
《ひゃははははは! それじゃあ400年振りにご主人様と感動の再会といこうかぁ!!》
バイソンチェストを正面に、麗奈の体に影が落ちる。ローズ・スティンガーが前に出たのではない。光源が、太陽が隠されていくのだ。雲ではない。日食だ。日本にのみ存在する第二衛星、天照によって太陽が秘されていく。
大池は、その瞬間を今か今かと息を荒くして待った。
麗奈は胸の下で組んでいた腕を崩し、人差し指を口の前に立て―――
《さぁ麗奈ァ! 唱え詩を! 開闢の詩を!》
その顔に、微笑を浮かべ、その言葉を唄った。
《―――善因には善果あれかし》
―――善因には善果あれかし
《―――悪因には悪果あれかし》
―――悪因には悪果あれかし
それは、獅子王家に伝わる家訓。大池は意味も分からず首を傾げる。しかして、麗奈がマリアの言葉をなぞる形で同じ言葉を口にした直後、
内側から爆発したかのように、ローズ・スティンガーが無数の体片に分解した。
当作品に特定民族を侮辱するような政治的意図は一切ありません。
とは言っても炎上しそうな設定なので消去することも考えたのですが、後の展開を考えるとどうしても削除できない、ターニングポイントの元凶となる伏線なので消すこともできません。
ですからせめてもの抵抗にと、放火される前にこの設定の意図を説明したいと思います。
だって仕方がないのだ。主人公機は最強で、最強ということは第二次世界大戦で日本が負けたりすることはなくて、第二次世界大戦で日本が戦勝国側になると朝鮮民主主義人民共和国も大韓民国も建国自体がされないのだ。
ところで北朝鮮と韓国が建国されなかった場合の歴史考えるの面倒くさいね。
そこで作者は閃いた。
今後の展開のために「ローズ・スティンガーは暴走して虐殺した過去を持ち、危険性が非常に高い」という設定がどうしても必要なので、つまり出会ってはいけない二つの条件が揃ってしまったというわけなのだ。
ついでに日本の近くに地球で一番治安が悪い非国家地域があることでそこからいくらでも敵を引っ張り出せるし国じゃないから遺憾の意砲だって効果がないので『日本を舞台としたロボット作品モノ』として見るとこの設定はものすごく便利なのだ。
ね? 仕方がないでしょ?
重要なのはローズ・スティンガーが暴走したという伏線だけなので他の土地も考えたのですが、
中国・ロシア・モンゴルは広すぎるという理由で不適切。
台湾は今後の展開を考えると遠い問題がある&実行する動機がないので不適切。
その他の国や地域は遠すぎて不適切。仮にヨーロッパとかアフリカとかに空白地帯が出来たとしても、周辺国で土地取り合戦が始まるだけで、遠く離れた日本にまで来てちょっかいを出す余裕がありません。
つまり朝鮮半島以外に適した場所が無いという致し方ない理由もあります。




