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家を追い出された担任教師が、俺の家に泊まりに来た件について 〜先生と生徒の同棲生活〜

「お願い黒木(くろき)くん、しばらく家に泊めてくれないかな!」


 人生何が起こるかわからないというが、本当にわからないのだと悟ったのは、十月中旬の土曜日のことだった。


 インターフォンが鳴り玄関を開けると、そこには担任の花宮(はなみや)先生がいた。捨てられた子犬のように潤んだ瞳で、両手にはダンボールを抱えている。


 俺はパチクリとまぶたを瞬かせ、少しの間呆然とすると、


「ちょ、ちょっと無言で扉閉めないで! せめて、せめて話だけでも聞いて!」


 花宮先生は器用につま先を滑り込ませて、ドアが閉まり切るのを阻止してくる。


「いやすみません先生、聞きたくないです。絶対関わらない方がいい感じだと思うので」


「そんな冷たいこと言わないで。お願い、黒木くんしかいないの!」


「俺しかって言われましても‥‥‥」


「‥‥‥う、うぅ‥‥‥」


 花宮先生は、目尻に涙を溜め込むと、困り果てた表情を浮かべた。


 大の大人が、今にも泣き出しそうになっている現状だ。さすがに見過ごせず、俺はドアノブを掴む手を緩めた。


「‥‥‥分かりました。取り敢えず入ってください」


「あ、ありがとぉ」


 花宮先生は鼻声気味の声で感謝しながら、玄関へと足を踏み入れる。


 普通なら、先生を家にあげることを家族に説明する面倒なやり取りが発生するのだが。


 俺は一人暮らしをしている高校生だ。だから、説明する必要はない。


 花宮先生は、部屋に入り腰を下ろすと、目尻に浮かんだ涙を指で拭き取る。

 俺はお茶を淹れたコップをテーブルに置き、花宮先生の対極に膝をついた。


「で、一体何の話があるんですか‥‥‥。さっき妙な事言ってた気がしますが」


「‥‥‥あ、うん。話というか、黒木くんにお願いなんだけど」


 花宮先生は、そう言って前置きすると、俺の目を真剣に見つめて。



「先生、家を追い出されちゃったの。だから、しばらくの間、黒木くんの家に泊めてくださいっ」



 と、深々と頭を下げて真面目なトーンで言ってきた。玄関先で開口一番に言ってきたこととほとんど同じ内容だ。


 聞き間違いの可能性をわずかに期待していたが、そう上手くはいかないらしい。


「家を追い出されたって、どういう事ですか?」


「‥‥‥家賃を滞納してて──ついに、大家さんにブチ切れられたの。そしたらあれよあれよと言う間に帰る場所が消失して」


「なるほど、完全に自業自得ですね」


「返す言葉もないよ‥‥‥。それで帰る場所がないので、しばらく黒木くんの家に泊めてもらえないかなぁ‥‥‥と」


 花宮先生は、申し訳なさそうに頬を指で掻きながら上目遣いで俺を見つめてくる。


「いや、絶対に嫌ですけど。なんで俺が先生を家に泊めなきゃいけないんですか」


「だ、だってウチのクラスで一人暮らししてるの黒木くんだけなの。親御さんがいるご家庭に泊めてなんて言えないし。だから」


「いやいや、親の有無以前の問題でしょう。教え子の家に泊まるって発想がどうかしてます。狂ってます。多分、法律か条例に引っ掛かりますよ」


「そんな正論で封じ込めないでよ。私ほんとに困ってるの! もう行く当てがないの! 黒木くんしか頼れないの!」


「知るかっ。大体、俺を頼る前に先生の実家に帰るとか、友達の家泊まるとか、他にもっと手段あると思うんですけど」


「地方育ちだから、親も友達も近くに住んでないの。ほんとに頼れるの黒木くんだけなんだよぉ」


 家を追い出され路頭に迷った結果、この先生は俺しか頼りの綱がなかったらしい。


 なんというか、哀れだ。本当に哀れだ。


「だったら同僚‥‥‥他の先生の家に泊まったらどうです?」


「住所がわかんなくて」


「‥‥‥は?」


「他の先生の住所なんて分かんないよ」


 ‥‥‥あぁ、そういうことか。


 俺の家の住所は、個人情報として生徒名簿に記載されているはずだ。担任である花宮先生なら、知る手段があったのだろう。


 だが、同僚の先生の住所までは知る由がない。


 だから、俺のところに来たってわけか。


 俺はジトッと半開きの瞳で、胡乱な視線を向ける。


「花宮先生‥‥‥今更ですけど、職権濫用ですよねこれ」


「うぐっ」


「警察に相談にしたら普通に事件化しませんかこれ」


「て、てへっ♪」


 花宮先生は頭にごつんと拳を当て、あざとく小首を傾げる。いや、笑い事じゃねぇからな。


「はぁ‥‥‥まぁ、花宮先生が切羽詰まってるのは分かりましたけど」


「ほんとっ! じゃあ──」


「でも家に泊めるのは話が別です。ウチ、一Kで全然広くないですし、寝る場所とかだって」


「大丈夫。壁と座れる場所さえもらえれば、どこでも寝れるから!」


 花宮先生はグッと両の手を握りしめ、力説する。


 冗談ではなく、本気で寝れそうだなこの人。神経図太そうだし。


「それなら漫喫とか行ったらどうですか。座って寝れるなら、漫喫で十分かと」


「お、お金があればそうしてるよ」


「は? 漫喫行くお金もないんですか?」


「‥‥‥こちらが全財産になります」


 花宮先生はスッと財布を差し出す。


 中身を確認すると、諭吉はおろか英世の姿もない。全部合わせて、三五一円しか入っていなかった。


「今時、小学生でももっと持ってますよ」


 花宮先生は遠い目をしながら。


「滞納してた家賃を払うために、ほとんど全額使っちゃったの‥‥‥」


「滞納してた家賃払ったんですか?」


「うん。家にあるものとかほとんど売り払ってね」


「だったら、なんで追い出されてんですか。一応支払い義務は果たしてるじゃないですか」


「今月分が払えなくて‥‥‥」


 そういうことか。家を追い出されたにしては、荷物が少ないと思っていたが、滞納分を支払うために売ったのか。


 そして、今月分が払えず追い出されたと。


 そりゃ、きちんと約束を守らない人に家を貸したくはないだろうしな。大家さんの判断は間違ってない。


 俺は少し頭を悩ませたのち、小さくため息を吐いた。


「はぁ‥‥‥分かりました。全面的に先生の自業自得ですが、困ってるのは本当みたいなので、ウチでよければ泊まってください」


「ほ、ほんとっ! ありがと黒木くん」


 家に泊めることを了承すると、花宮先生は満面の笑みでほっと安堵の息を吐く。


 この狭い家に、ましてや担任の先生を泊めるなんて常軌を逸しているが。

 このまま、花宮先生を路頭に迷わせる訳にいかないからな。


 行く当てなくて公園とかで寝泊まりした結果、事件に巻き込まれたら大変だし。


 倫理観は狂っているが、俺の家に泊めた方が幾分かマシだろう。


「この際なので一つ聞いていいですか」


「うん、なんでも聞いて」


「先生って、公務員ですよね。ある程度の給料は貰えますよね」


「まだ新米だからそんなに多くはないけど、うん貰えてはいるよ」


「じゃあなんで家賃滞納なんてしたんですか? 減給でもされなきゃ、普通に払えるくないですか」


 ずっと疑問に思っていた。


 どうして花宮先生は家賃を滞納したのだろうと。


 教職である以上、ぼちぼちの給料はもらえるはずだ。福利厚生も、そこらの企業よりはちゃんとしているはず。

 であれば、普通に生活してて家賃を滞納するわけがない。


 込み入った話だから聞き出せなかったが、もう乗りかかった舟だ。聞く権利くらいはあるだろう。


「‥‥‥そ、それは」


「それは?」


 俺がやまびこの要領で聞き返すと、花宮先生は苦虫を噛み潰したような顔で言い淀む。


 だが、覚悟を決めたのか、俺の目を見てゆっくりと口を開いた。


「‥‥‥競馬で給料全部溶かしちゃって」


「やっぱ出てってもらっていいですか」


 この人ただのクズじゃねーか。




 ★




「待って待って落ち着いて。上手くいけば、一億円を優に超える見積もりだったの! ただ、大穴を狙いすぎただけで」


「一億って、まさか三連単に給料全部注ぎ込んだんですか?」


「‥‥‥うん」


「普通に考えて当たるわけないでしょ。なに考えてるんですか」


「う、うぅそうなんだけどね‥‥‥。でも朝の占い一位だったし、なんとなく当たる気がして‥‥‥ってあれ? 黒木くん競馬のこと知ってるの? もしかして、黒木くんも競馬好き?」


「全く好きじゃないです。ただ、親の影響でちょっとだけ知識はありますが」


「そうなんだ‥‥‥」


 なんでちょっと残念がってんだよこの先生は。教え子が競馬にハマってたら大問題だろ‥‥‥。


 競馬は、馬の着順を予想して一喜一憂する賭博のことだ。

 三連単とは、一位二位三位の馬を全て予想して賭けるため、的中率は極めて低い。


 その分、当てた時の配当は高く、時には百円が百万円に化けたりするが。


「教職についてるんだから、ギャンブルなんかに手を染めないで真っ当に生きてください」


「‥‥‥私だってそうしたいけど、ギャンブルしか趣味がないんだもん」


 花宮先生は伏し目気味に口にする。


 二十代の女性がハマる趣味ではないと思うんだけどな。‥‥‥いや、俺の母親も二十代の頃にハマってたから、なんとも言えないか。


 俺は乱雑に頭をかくと、ため息を漏らしつつ。


「だったら他に趣味を作ってください。趣味を見つければそれに時間を取られて、必然的にギャンブルから距離を置けますから」


「む、無理だよ‥‥‥! そんな簡単に克服できないんだよ。魔力があるのギャンブルには!」


「じゃあ、条件です。金輪際ギャンブルはやらないこと。それが守れないなら、ウチには泊められません」


「‥‥‥っ。そ、そんな‥‥‥ひどい!」


「ひどくないです」


 がっくりと項垂れる花宮先生。ショックからか、どんよりと紫色のオーラが出ていた。


 だが、ギャンブルなんて続けてて良いことは一つもない。喫煙と同じだ。いっときの快楽があるだけで、あとで後悔する羽目になる。


「それに、先生は今回の件である程度ギャンブルには嫌気がさしたんじゃないですか?」


「‥‥‥まぁそうなんだけど。でも、新しい趣味って言われてもなぁ‥‥‥」


「趣味が難しいなら欲しいものはないですか」


「欲しいもの‥‥‥うーん、彼氏とかかな」


 花宮先生は天井を見上げながら、顎先に指を当てて答える。

 少し意外な返答に、俺は目をパチパチさせた。


「彼氏ですか?」


「うん。元々ギャンブルも街中でカップルがイチャイチャしてるのを見て、イライラを収めるために始めたのがきっかけだし」


「なんですかその拗らせた理由‥‥‥。つか、先生なら彼氏の一人や二人余裕でしょ」


 花宮先生は、客観的に見て相当な美人だ。


 スタイルはいいし、顔も小さい。目はパッチリ二重で、鼻筋は通っている。歳の割に、透明感があってあどけないし、栗色のポニーテールもよく似合っている。多分、制服を着れば普通の女子高生と見間違われるだろう。


 よほど選り好みしなきゃ、彼氏はすぐにでもできるはずだ。


「え、彼氏出来たことないよ私」


「本気で言ってます?」


「うん。高校までずっと女の子に囲まれた生活してたし、大学じゃ変に男性を意識しちゃって芋臭くなっちゃってさ。社会人になってからは出会い以前に、仕事で忙しいし。たまの休みも競馬とかパチンコとかだし」


「残念な人だったんですね先生‥‥‥」


「うわ、直球だなぁ」


 単純に出会いがなかったということだろう。


 視線を下げ、どんよりとテンションを下げる花宮先生に俺は告げる。


「でも、それなら尚更彼氏を作ってください。先生なら、その気になれば明日にでも作れますから」


「ほんとに言ってる?」


「はい」


「そう、なんだ」


 鏡見た事ないのか? 


 これだけ容姿端麗でスタイル抜群なら、彼氏がいない方が不自然だ。


「一応聞きますが、彼氏にする条件とかってありますか?」


「え、そうだなぁ‥‥‥優しくて格好良くて、しっかり者で、家事炊事が万能で、面倒見が良くて、私を甘やかしてくれて、気立が良くて、私の話をちゃんと聞いてくれて、常に一緒にいてくれる人、かな。あ、あと歳下がいいな」


「すみません先生。やっぱ彼氏は諦めてください」


「明日にでもできるんじゃなかったの⁉︎」


 どこにいるんだよ、そんな都合のいい男。


 いくら花宮先生の容姿が優れてても、彼氏に求めるモノが多すぎる。これだけ条件があると、花宮先生に彼氏を作るのは難しいだろう。


 まず、格好良くての部分で大概の男が詰む。


「もう少し条件を下げてください。そんな男そうそう居ませんし。居たところで、普通カノジョ持ちです」


「あ、確かに」


「取り敢えず当面は彼氏を作ることに尽力してください。ギャンブルには手を出さないように」


「‥‥‥うぅ、わ、わかった。頑張ってみるね」


 かくして、ギャンブルから足を洗うことを条件に花宮先生を家を泊めることになった。



 ★



 花宮先生の所持金は三五一円。

 現状であれば、物理的にギャンブルができない金銭状況だ。


 一応借金という手段はあるが、花宮先生はその手段に気が付いていないようだし、下手に教えない方が良いだろう。借金までしたら、後に引けなくなりそうだからな。


 俺は財布から万札を三枚取り出すと、花宮先生に手渡す。


「受け取ってください」


「え? いいの?」


「はい。日用品がなきゃ生活できないですから。これで必要なものを買ってきてください」


「ありがと……パチンコで倍にして返すね」


「……」


「じょ、冗談だよ? さっき約束したばっかだし‥‥‥だから、そんなゴミを見るような目で見ないで?」


「ゴミを見てるんです」


「ひどい!」


「一応言っときますけど、先生の給料が出たら、ちゃんと倍にして返してもらいますからね。極力無駄遣いはしないようにしてください。もし俺の目を盗んでパチンコとかで散財しようものなら、あとで辛いのは先生ですから」


「うわぁ高利子だ……」


 俺が温度を帯びない冷たい声色で告げる。


 まぁ、本気で倍にして返してもらう気はないが、ちゃんと時が来たら渡した額は返してもらう。


 タダで金を渡せるほど、聖人じゃないからな。


 俺は腰を上げて立ち上がると、


「じゃあ俺はこれからバイトに行ってきます。家を出るときは、そこにある合鍵を使ってください」


「あ、うんわかった」


「俺の私物勝手にあさらないでくださいね」


「し、しないよそんなこと!」


 見られて困るものは特にないが、念のため忠告しておく。


 荷物を肩にかけ、玄関に向かう俺。

 スニーカーに足を滑り込ませていると、不意に人影が差し込んだ。


 見れば、花宮先生が俺の背後に立っている。


「なにしてるんですか?」


「お見送りだよ」


「いや、そんなの大丈夫ですけど」


「え、そうなの? 私の家だと誰かしらがやってたからつい」


 家庭内ルールってやつか。

 花宮先生の家では、誰かが家を出るときに見送りをする暗黙の了解があったのだろう。


「そうですか。じゃあえっと行ってきます」


「うん。いってらっしゃい。アルバイト頑張ってね」


 花宮先生に見送られ家を出る。


 一年以上一人暮らしだった分、少し変な感じだ。思えば、家の中で声を出すことも結構珍しい。


 上手く語彙に表せない感じがむず痒いが、家に誰かいるってもの悪くないと少しだけ思う俺だった。




 ‥‥‥


 ‥‥‥‥‥‥


 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥




 バイトが終わり家に戻ると、焦げ臭い匂いがした。


 一瞬、キッチンの火を消し忘れたのかと焦燥に駆られたが、すぐに花宮先生が家にいることを思い出す。


 ほどなくして、花宮先生が俺のもとに駆け寄ってきた。


「お、おかえり黒木くん」


「どうしたんですかその格好」


「黒木くんからもらったお金で、エプロン買ったの。ほら、料理するなら必要だと思って。変かな?」


「いえ、変じゃないです。似合ってると思います」


「そっか、よかった」


 エプロンか。自炊はよくする方だが、まともに使ったことがないな。家庭科の調理実習の時くらいか。


 エプロンを買うってことは、花宮先生は料理に対して真摯なのか、それとも──。


「なんか焦げ臭い匂いしませんか」


「あ、えっと、うん、それなんだけどね。火加減がうまくいかなくて、気づいたら肉が真っ黒で、その……」


 察しはついていたが、原因はそれか。


 俺はキッチンに足を運び、一通り目を通す。火が止まっているのを確認してから、換気扇を回した。


「火を使う時は換気扇を回してください。じゃないと匂いが蔓延します。あと危険です」


「換気扇……。そ、そうだよね。ごめんうっかりしてた」


「先生、料理とかあんまりしない感じですか」


「……す、するよ。うん、自炊大好き」


「自炊好きな人は、声が上擦らないし目が泳ぎませんよ」


 この様子じゃ、料理は得意じゃないんだろうな。あと、嘘も苦手なんだろう。


 俺に詰め寄られ観念したのか、花宮先生は正直に吐露する。


「‥‥‥うん、ごめんね、ホントは全然料理したことないの。でも泊めてもらうわけだし、ご飯くらい作らないとって思ってやってみたんだけど」


 花宮先生は、申し訳なさげな表情で電子レンジから皿を取り出す。そこには、黒く焦げた肉が木っ端微塵に置かれていた。


「‥‥‥これは?」


「ハンバーグになれなかったモノ」


「料理経験ないのに、そこそこ面倒なやつチョイスしましたね」


「黒木くんの好みわからないから、男の子だったらハンバーグ好きかなって──え、あぁ! だ、ダメだよ食べちゃ! お腹壊しちゃうよ⁉︎」


 俺が一欠片皿から取って食べると、花宮先生は分かりやすく狼狽する。吐き出す様に指示してきたが、俺は食道へと流し込んだ。


 なるほど。確かにこれはハンバーグになれなかったモノだな。


 何も教えられずに食べたら、なんの料理か当てられない。


「俺結構貧乏舌なので全然食べれますよ。腹も丈夫なんで」


「で、でも」


「捨てちゃ勿体ないです」


「‥‥‥じゃ、じゃあ私が食べるから! 黒木くんはもう食べないで!」


 花宮先生は、皿を後ろ手に回し、俺から遠ざける。

 だが、俺は隙をついて花宮先生から皿を奪い取った。


「いや、常人が食べたら間違いなく腹壊しますよそれ。俺じゃなきゃ消化できません」


「そんな代物だったら余計食べさせられないよ⁉︎」


「とにかく、それは俺が食べます。先生はお風呂にでも入っててください。全体的に汚れちゃってますし」


 花宮先生の顔や腕には料理の最中でついたと思われる汚れが散見される。

 俺に言われて気づいたのか、花宮先生はハッとしていた。


「あ、ほんとだ‥‥‥」


「そういうことなので」


「でも、それはほんとに食べなくて大丈夫だからね? もう食べ物というかダークマターって感じだし」


「わかってますよ。先生が風呂場に行ったらこっそり捨てるつもりなので」


「そうなんだそれなら安心‥‥‥って、今言っちゃダメだよそういうことは! 台無しじゃん!」


 花宮先生は安堵したのか不満なのかちょっとよくわからない表情のまま、着替えを持って風呂場に向かう。


 俺は花宮先生の姿が見えなくなったのを確認してから、残りのハンバーグを食し始めた。


「‥‥‥まぁ、初めてならこんなもんだよな」



 ★



 花宮先生が作ってくれたハンバーグを食べ終えた後、俺はキッチンに立っていた。


 花宮先生用の夜ご飯を作るためだ。元々は俺と花宮先生用で考えていたが、俺はもう胃袋的に十分だしな。さっとオムライスでも作っておくとしよう。


 自炊歴は六年以上あるせいか、随分と小慣れたものだ。俺がオムライスを作り終えると、それから少しして花宮先生が風呂場から出てくる。


 普段はポニーテールにしている髪がしっとりと水気を含んでいて、胸元のあたりまで伸びている。


 温まった身体はほんのりと上気しており、少し‥‥‥いやかなり艶かしかった。


 今更だが、教師と同棲ってヤバイだろ。色々と。


「お先にお風呂いただきました。黒木くんも今から入る?」


「え、あぁ、そうですね。お湯冷めちゃうんで」


 いや、いいのか? 


 咄嗟に答えてしまったが、逡巡する俺。


 花宮先生が入った風呂に入るとか、絶対いけない気がする。


 でも、家主は俺だしな。俺が風呂に入れないのはおかしな話だ。

 実家じゃ、妹の入った風呂に入ってたわけだし。べ、別にそれが花宮先生になったくらいどうってことはない。


 俺は、バクバクと早鐘を打つ心臓を宥めながら、着替えを手に取るとそそくさと風呂場へと向かう。


「あ、そうだ。レンジの中にオムライス入ってるんで良かったら食べてください」


「え、作ってくれたの? ありがと」


「スプーンはそこにあるので好きなの使ってください」


「うん、わかった」


 花宮先生は、目をキラキラと子供ように輝かせる。俺はそんな先生を傍目に、風呂場へと向かった。




 ★




 少し悪いことをしている気分だったが、何事もなく風呂を済ませ部屋に戻る。いつもより早めに風呂を上がったのは、変に意識してしまったからだろうか。身体の火照りをいつになく感じる。


 何はともあれ、しばらくはこの状況が続くのだ。早いところ慣れないといけないな。


 風呂場を出てキッチンを見ると、そこには花宮先生が立っていた。


「なにしてるんですか?」


「洗い物。‥‥‥あ、オムライス美味しかったよ。黒木くん料理得意なんだね。ちょっと意外かも」


「まぁ自炊歴はそこそこあるので。代わりますよ洗い物」


「ううんこのくらい私にやらせてよ。料理はてんでダメだけど、洗い物は得意なんだよ?」


 俺が洗い物を代わろうとするが、花宮先生は場所を譲ろうとしない。


 家に泊めてもらう側の立場として、何か仕事をしないと気が済まないのだろう。手際はいいし、ここはお言葉に甘えておくか。


「じゃあ、お願いします」


「うん任せて」


 花宮先生に洗い物を任せ、俺は部屋に戻る。

 普段行う家事が減った分、時間が余ってしまった。


 有難いことだが、いざ時間が余るとやることがない。普段はバイトと家事炊事、宿題で大体一日が終わるからな。


 そう考えると、俺って結構無趣味な人間なのか? 


 バイトで貯めた金も生活費以外にほとんど使ってないしな。


 今度ゲームでも買おうか。


 ‥‥‥と、そんなことを考えながら意味もなくスマホをいじっていると、「ふわぁ」とあくびが漏れて出た。


 今日はバイト長かったし、花宮先生が家に来るしで濃い一日だったからな。


 思った以上に身体が疲れているのだろう。


「もう寝る?」


 俺が目尻の涙を指で抜き取っていると、洗い物を終えた花宮先生が気を利かせてくれる。


 現在時刻は十時を少し超えたところ。寝るにしては早い時間帯だが、今日はもう就寝してもいいかもしれない。


「そうですね。ちょっと早いですけど、もう寝てもいいですか?」


「うん。もちろん」


「じゃあちょっと待っててください。確かここに、来客用の布団一式があったはずなので」


「え、布団あったんだ! 座って寝る覚悟してたのに」


「あれ本気だったんですか‥‥‥」


 俺は半ば呆れながら口にする。


 来客用もとい、妹が家に来た時用の布団があって良かったな。

 ほんと。


 俺は布団一式を持ち上げると、可能な限りベッドから離れた位置に敷く。


 これなら、どれだけ寝相が悪くても接触することはないだろう。


「じゃあ、電気消しますね」


「うん、おやすみ黒木くん」


「おやすみなさい」


 電気を消すと、部屋が一気に暗くなる。暗順応が不十分な状態でベッドにつき、俺は瞑目した。


 ‥‥‥。


 ‥‥‥寝れるわけないだろ。


 睡魔こそ十分にあったが、担任の先生がすぐそこにいる奇天烈な環境ですぐ寝れるほど、俺の精神はタフではなかったようだ。


 これ、明日は寝不足確定だな。


 俺はそう思いながら、羊をゆっくりと数え始めた。






 なんだかんだ羊を数えることに効果はあるのか、五〇〇匹を超えたあたりから記憶がない。


 日の日差しをカーテン越しに感じて起床した俺は、ぼんやりとした視界のまま天井を見つめていた。いや、正確には見続けることを強要されていた。


 というのも、身動きが取れないのだ。


 なぜか俺のベッドに花宮先生が潜り込んでいて、べったりと粘土みたいに密着している。


 いい匂いがするし、局所的に未知の柔らかさを感じるしで、思春期男子を殺しに来てると言っていい。


「は、花宮先生‥‥‥起きてください」


「‥‥‥ん」


「ここ、俺のベッドです。寝る場所間違えてます」


「‥‥‥」


 そして困ったことに、いくら起きるように促しても起きてくれない。


 朝に弱いタイプなのだろう。


 一瞬起きたかと思えばすぐ二度寝してしまう。


 一体、いつ俺のベッドに潜り込んだのやら。多分、トイレか何かで起きて寝ぼけたまま、こっちに来たんだろうけど。


 あぁ、前途多難だな。これからこんな生活がしばらく続くのか。


 俺はドッと肩の荷が重くなるのを感じながら、しばらく白い天井を見上げた。ほんと、人生って何が起こるかわからないな。





【おまけ】



香織かおりさん。今って何月の何日でしたっけ」


「んーっと、一月一七日だね」


「ですよね。一月一七日ですよね」


「それがどうかしたの?」


「‥‥‥」


「え、なんでそんな冷たい目をしてるの?」


「はぁ。一体いつまでウチにいるんですか‥‥‥。十二月には出てくって約束しましたよね?」


 花宮先生がウチに泊まるようになってから、時は流れ現在一月の中旬。花宮先生がウチに来たのは十月の中旬のことだ。


 つまり、もう三ヶ月以上経過している。


 にも関わらず、我が家には花宮先生が住み着いたままだった。


「‥‥‥えっと‥‥‥お金が貯まらなくてさ」


「もう三ヶ月です。そんな言い訳が通じると思いますか」


「そ、そのはずだったんだけど。(とも)くんが趣味の一つにソシャゲをお勧めしてくれたでしょ?」


「しましたけど‥‥‥え、まさか」


「‥‥‥限定って言葉に弱いんだ私」


「おい」


 俺は額に手を置き、深々と頭を抱える。


 当初は花宮先生をギャンブル依存症から脱却させるために、彼氏を作ることを勧めたが。

 それが一向に上手くいかないので、スマホで出来るソシャゲをこの前勧めたのだ。


 花宮先生はハマりやすい体質なのか、それ以降暇な時はソシャゲに興じるようになったのだが。


 その結果が課金に手を出してしまったらしい。


 それだけはするなと、口を酸っぱくしてたんだけどな。俺の監督不行き届きだ。


「だ、だってお正月限定なんだよ⁉︎ この機会逃したら二度と手に入らないんだよ⁉︎」


「はぁ‥‥‥。香織さんはもっと金の使い道を考えてください。貯蓄しないとダメじゃないですか」


「うっ‥‥‥わかってはいるんだけどね」


「仕方ありません。こうなりゃ最終手段です」


 俺は腰を上げると、貴重品が入っている収納に足を運ぶ。


 花宮先生は、不思議そうに俺を捉えながら。


「最終手段?」


「はい。プライバシーに関わることなのでしたくなかったのですが、これから香織さんの通帳は俺が管理します。あとキャッシュカードとクレジットカードも没収です」


 俺は花宮先生の通帳もといカードを手に取る。これまではプライバシーに関わる問題だから触れないできたが、これ以上はもう見過ごせない。


 三ヶ月だ。一ヶ月そこらで終わると思った同棲生活が、気がつけば年を越している。


 家の中でも先生扱いは嫌だからって、名前で呼ぶようになったし。花宮先生も俺を名前で呼ぶくらいには親密度は上がっている。‥‥‥そろそろ、同棲生活を解消しないと取り返しのつかないことになりかねない。


「え、まま、待って! ダメ! ダメだよ! カードはいいから! 通帳だけは返して!」


 花宮先生は慌ただしく立ち上がると、俺から通帳を取り返そうと躍起になる。


 何をそんなに必死になっているのやら。微々たる額しか入っていない通帳を今更恥ずかしがることないだろう。


「別に入ってる額が少なくても何にも思いませんよ。分かってることですし」


「ち、違うの‥‥‥とにかく返して!」


 珍しく必死な花宮先生を見て、俺は少し怪訝になる。


 つい好奇心がそそられ、俺は通帳の中身に目を通した。


「え?」


「あ、だ、だからダメって言ったのに‥‥‥」


 通帳に記載されてある金額を見て、俺は思わず目を丸くする。


 生活費以外ほとんど貯蓄してある。冬のボーナスって言うのか? それが結構支給されていて、トータルすると百万円近くあった。


 これだけあれば、家を借りるのに不足はない。生活用品を揃えるのも余裕だろう。


「え、えっと‥‥‥これはやっぱりお返しします」


「あ、うん。ありがと」


 俺はしばらく硬直状態に陥った後、通帳とカードを花宮先生に返す。浪費していないのだから、俺が管理するのはお門違いだ。


「‥‥‥」


「‥‥‥聞かないの? なんでお金あるのに家を借りないのかって」


「聞いていいんですか?」


「出来ればまだ聞いてほしくないけど」


「じゃあ聞かせてください」


「聞くんだ⁉︎ そこは聞かないでほしかったんだけど!」


 花宮先生は、視線を右往左往させる。


「聞かせてください」


 俺が真剣に目を見つめると、花宮先生の頬がほんのりと上気する。彼女は、前髪を指でクルクルといじって心を落ち着かせていた。


「‥‥‥私が初めて倫くんの家に泊めてもらえるようにお願いした時、ギャンブルから離れるって条件出されて、彼氏を作るって話になったでしょ?」


 俺が首を縦に振ると、花宮先生はジッと俺を上目遣いで見つめて。


「それを達成するために、倫くんの家に住まわせてもらうのが一番近道なの。‥‥‥だから、それで色々と理由つけてお金がないフリをしてたという訳です」


 俺の体温が急激に上昇する。身体の隅から隅まで熱を帯びら感覚。


 この人、ホントに聖職者なのかな‥‥‥。


 俺はあさってに視線を逸らすと、ボソリと消え入りそうな声で。


「‥‥‥それ、もうほとんど告白ですからね」


「え、嘘っ。オブラートに包んだつもりだったんだけど‥‥‥あははは」


 花宮先生は沸騰したように顔を赤くする。


 本人は平静を装っているつもりだろうが、タコみたいに真っ赤だ。二人して、なに顔を赤くしてるんだろう。ほんと。


「まぁ、近道ならしょうがないです。貯蓄を隠してたことは許します」


「あ、ありがと」


「でもその代わり、引っ越しますからね。いつまでもこの家で二人暮らしじゃ狭いですし」


「え、それって──」


「嫌ですか?」


「ううん嫌じゃない! 嫌じゃない! じゃ、今日、不動産屋さん行こ」


「はい。‥‥‥あ、でも家賃の半分は出してもらいますからね」


「半分だけでいいの? 全部でもいいよ?」


「先生って、貢ぐタイプですよね」


「え、そうなのかなぁ」


 俺と先生の同棲生活はしばらく続きそうだ。

お読みいただきありがとうございました。


【おまけ】についてですが、構想の段階で予定していた結の部分に当たります。ただ、書いているうちに分量と時間が取られてしまい、ストーリーを繋げられず【おまけ】という形で掲載させていただきました。

構想では、妹が家に来て修羅場っぽくなる話とか、花宮先生が合コン行く話とか、デート回とか、学校回などのイベントを通じて徐々に惹かれ合う形を考えていたのですが書き切れませんでした。短編なのに詰め込みすぎました。ごめんなさい(^_^;)


そんな拙作ですが、良かったら下部にある★で評価よろしくお願いしますm(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[良い点] 好き好き好き好き好き
[一言] 相手に気持ち伝わったので、ばれて人生終わる前に主人公が卒業するまでは別々に暮らそ?
[良い点] 短編で完結してますけど長編化しちゃって良いと思いますw むしろ長編で読みたいです。 [一言] まあ、競馬は三連単ならまだ……win5に全財産ぶっ込みじゃなかっただけマシじゃないかと……w
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