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輪の外側と雪の森




「ふぁ………!」



雪深い森を見回し、ディアは目をきらきらさせた。

今のディアの隣にいるのはヨエルだけで、こんな時にはいつも一緒だったリカルドや、元婚約者のお気に入りの騎士の姿はない。


このヨエルもリカルドの騎士ではあるが、これ迄の彼はディアの暮らす夜菫の棟の護衛騎士長を任されており、リカルドとディアが外出する際に護衛に付くのは別の騎士である事が殆どだった。


近くに配属されてはいたが、あまり顔を合わせる事はなかった人物だったのだ。


なお、婚約が破棄された段階で、ディアの棟の護衛騎士達は国の騎士団の人員に差し替えになった。

それまでディアの周りにいたリカルドの近衛騎士達は、今後、彼の新しい婚約者の警護にあたる。




見上げた空には青緑色の枝葉がかかり、雪と森の天蓋のようになっている。

雪曇りの空から落ちる柔らかな光にしゃりしゃりと煌めくのは、木の枝に育った森の魔術結晶石だろうか。


ファーシタルの森には妖精はいないけれど、それでもこの森に蓄えられた結晶石を栗鼠達が木の枝の上に持ち込み、リベルフィリアの飾り木のオーナメントのように細やかに煌めくのだ。




「綺麗ですねぇ」



思わずそう呟いてしまうディアに、隣の騎士はどこか呆れ顔だ。


ここは冬狩りの本隊からは少し離れた森の奥で、ディアの乗っている馬が反乱を起こしてしまい、二人だけで逸れたのだった。


はふと吐き出した吐息が、白く立ち昇る。

あまり森の奥深くに入り込むつもりはなかったので、ディアは手袋を付けていなかった。


馬から落ちないことを最優先した結果の装いなのだが、今回に限って、ディアを乗せた馬は上に乗った人間を振り落とすよりも、好き勝手に森を散策することにしたようだ。



(……………っ、)




先程のことを思い出せば、つきんと小さく胸が痛み、ディアは脆弱なその心模様に腹を立てた。

傷付くという心の動きはとても不愉快で、そんなものなど飲み込みたくはないのに。



先程から無言で隣を歩く騎士は、不機嫌そうな面持ちで、どこかに隠し持っている筈のおやつを所望するには適さない状態のようだ。



ディアは美しい森を見渡し、清廉な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。



先程迄の喧騒は遠のき、ひそひそと囁かれていた言葉はすっかり聞こえなくなった。



(無関心というのは、あのようなものなのだ………)



つい先程、始まったばかりの冬狩りは、男達の冬の遊興であるのと同時に、華やかな社交の場でもある。



舞踏会が女達の戦場であれば、ここは男達の戦場だ。


出立地点には、鮮やかな真紅の布を張り巡らせ、移動用の暖炉と火の鉱石を入れた火鉢があちこちに置かれたテントが設置され、寒い森に入ってもお目当の騎士や貴族達の勇姿を見守りたいというご婦人達が集まる。


そんな観客達に誇るように、男達は狩りの為に誂えた豪奢だが実用的な仕掛けのあるコートを着て、新しい弓矢や剣などをさり気なく誇示する。


統制の取れた猟犬達に、手入れされた馬の美しさ。

王家では狩りの開始を告げる楽団を手配し、あたたかな飲み物や強い酒、婦人達の過ごすテントの管理も引き受けていた。


リカルドは、その手配の素晴らしさを賞賛され、隣にいる美しい女性との新たな婚約を祝われていた。

最終的にどんな獲物を持ち帰るかも含め、男達もまた実に巧みにこの社交場で踊る。




そしてディアは、リカルドが会話の輪に招き入れた時だけその場に存在していて、そこから外れた途端に見えなくなってしまった亡霊のような扱いを受けた。


リカルドの婚約を祝う貴族達も、ファーシタル王家と縁深い貴族達や王宮に仕える騎士達も、影の薄いディアには悪印象もない代わりにさしたる興味もないらしい。



しかし、ディアが近くにいると、彼等は楽しくはしゃげないのだ。


にこやかに会釈はしてくれるものの、ディアが近くにいるとすっとお喋りの音が消え、いつ立ち去るのだろうかという密やかな観察が向けられる。

皆は息を潜めて微笑みの仮面をかけ、どう扱えばいいのか分からない厄介者が通り過ぎるのを待っているのだ。



針の筵という居心地の悪さではない。

それは悪意ではなく、ただの見知らぬ相手への警戒である。



けれども、ディアは確かに歓迎されていなかった。




(リカルド様の婚約者という役名を失った私は、この国の人々にとっては顔のない人間なのだわ………)





しんしんと降り続ける雪は、周囲の音を奪ってゆくようだ。



リカルドの婚約者だった頃は、親しげに手を上げてディアを呼び止める人達もいた。

そんな人々はリカルドの新しい婚約者のマリエッタ侯爵令嬢と楽しげに話していて、感じよく控え目な人々は、今も昔もディアへの対処に戸惑う。



ディアはまだ殺されていないのに、ぎゅうぎゅうと背中から押し出され、この世界のテーブルから落とされてしまうような気がした。

そして、ディアが弾き出されてしまったテーブルの上では、楽しい祝祭が続いていて、みんなは幸せそうにくるくる踊るのだろう。




(……………いいな。私も踊りたかった)




手を伸ばし、あの舞踏会の夜に微笑みかけてくれた王子様の手を取り、お気に入りのドレスのスカートを翻してこの世界で踊れたならどんなにいいだろう。

そしてそこに、大好きだった家族がいれば、どんなに幸せだろう。




「……………ノイン」

「会話は魔術で閉じてあるが、迂闊にも程があるぞ」

「ふふ、護衛騎士の姿をしていてそんな風に一言も喋らずにいるのですから、音を魔術で閉じているのは明白ではありませんか」



ディアがそう微笑めば、漸く彼は自分が黙っていた事に気付いたようだ。


だとすれば、擬態が疎かになるくらい、何を考えていたのだろう。



「……………ノイン、亡くなった者達が死者の国から亡霊として戻れない場合には、どのような理由があるのですか?」

「どうしてその質問を今しようと思った?」

「この森を見ていたら何となく、でしょうか。…………こうして、大勢の方とお会いする機会はあまりないので、普通である事についても考えたのかもしれません。家族を遺した死者達は、死者の日になると亡霊としてこちらに戻ることが多いのに、私の家族は戻ってきませんでした。もしかすると、王宮には死者を呼び込まないような魔術が敷かれているのでしょうか?」



それは、この世の理である。


まっとうな死者は、死を司る王の管理する死者の国に落ち、魂が丸く綺麗に整うまでを死者の国で暮らす。

そして、年に一度の死者の日にだけ、死者の国から亡霊となって地上に戻ってくるのだ。



(……………でも、私の家族は戻っては来なかった)




死者達は、数年もすると生前の記憶を洗い流し、地上には上がってこなくなるという。

また、人ならざるものに殺されると、魂をそちら側の国に囚われてしまう事もあるらしい。



「私の家族を殺したのは、この国の騎士達です。………亡霊になれば地上には戻れた筈でしょう?最初は、家族は私の立場を悪くしない為に、こちらに戻らないのだと思っていました。あの日の真実を知っていますから。……………でも、そうではないのではありませんか?」

「ほお、なぜそう思う?」



ゆったりと馬を歩かせ、そう問いかけたヨエルの姿をした夜の王は、どこか人間を惑わせ破滅させる悪しきもののような目をしている。


それでも怯えはしない馬達を見ていると、ディアは、自分一人が、人間の領域を離れた場所に迷い込んでいるような気がしてしまう。



「……………ヨエルです。その、あなたが演じている騎士を、あなたはあの忌日に、花びらにして消し去ってしまった。忌日が明けても、王宮でヨエルに何かがあったと言うような騒ぎは起きませんでした。それに、普段の彼が、今はどのように暮らしているのかを私は知りません。ですが、そうしてあなたが彼の名前や姿を使っている以上、……………ヨエルはもうそこにはいないのではありませんか?」




淡い雪風に、ばさりと騎士のケープが揺れる。

風を孕み雪を巻き込み、翻った森の色のケープは美しかった。




(この騎士を見ていると、…………考えるのだ)




ディアは、触れるべきではないものには触れずに生きてきた。


場合によって、その思考はディアの心を掻き毟り、多くの血を流すだろう。

それは困ると考えた冷淡な人間は、自分を甘やかして生き延びさせる為に、幾つもの不都合なものに触れずにいた。



「随分と気にかけるな。気に入っていた騎士だったか?」

「いいえ。…………ヨエルは、私の兄を殺しました。私の乳母と、住み込みで働いていた侍女達や、その子供達も。当時のヨエルはまだ若い騎士でしたが、意欲のある優秀な人物だったのでしょう。ただ、私はとても執念深い人間なので、私の家族を殺した方を気に入りはしませんでした」

「……………こいつは、お前の居住棟を任された筆頭騎士だった」

「ええ。いざという時に、手を下せる者として私の近くに配属されたのでしょう。………ノイン、私は死者のことを尋ねたのですが、ご存知ありませんか?ヨエルのような事もあるのなら、地上に現れた亡霊を害する手段や、死者を死者としない手段もきっと私が知らないだけであるのでしょう?」



ノインは気紛れだ。


いつもふらりと現れ、ふらりといなくなってしまう。

こうして、役目を持ちふいに姿を消せないような滞在を取るのは珍しかったので、ディアはその時間を無駄にしたくなかった。


ぐらぐらと揺れてくしゃくしゃになった心はさて置き、知るべきことを教えて貰っておかねばならない。




「……………そうか。だからお前は、俺と出会ってから一度も、この騎士の安否は問わなかったのか」

「この方にどのようなご事情や役割があれ、私にとっては家族を殺した方なのです。さしたる交流もないのに、そのような方を案じられる程に、私は善良な人間ではありません」


きっぱりとそう言ったディアに、ノインは薄く微笑んだだろうか。


先程までの空が翳るような重苦しい不機嫌さはなくなり、どこか上機嫌に、けれどもそれ故に人ならざる者らしい残忍さを薫らせ、手綱を離して持ち上げた片手をゆっくりとこちらに向ける。


まるで、ディアにその入れ物がどのようなものなのかを見せてくれるかのように。



「これは、外套に仕立て直してある。中身は抜いて壊したからな。死の国に行く余地はない」

「パンシチューにする際に、くり抜いたパンを捨ててしまうような事なのでしょうか」

「いいか、こういう場面では、言葉の選択肢から食べ物は除外しろ」

「なぜ叱られたのでしょう?」

「俺が羽織る時もあれば、系譜の臣下が羽織る時もある。そのようなものに過ぎん。それと、お前の家族は、教会の祝福を受けさせ一時的に教会騎士としての称号を与えた騎士達に、手を下させたようだな。地上に戻らなかったのはそのせいだ」



さらりと教えられた事に、ディアはゆっくりと瞬きをした。



(……………教会騎士として?)



「教会騎士に殺されてしまった者は、………亡霊として地上に上がれなくなるのですか?」

「死の王と生者達の交わした、古いしきたりだがな。災いを為す罪人を、亡霊として地上に戻さない為の措置だ」



その言葉を、ディアはよく考えた。

大切な家族が無残にも殺され、それだけでは足りずに、死者の日にも地上に戻れないようにされてしまった。



家族を喪って、死者の日にわくわくしながら窓辺でずっとその帰りを待っていた七歳のディアは、結局誰にも会えなかった。

もう家族の魂は次の生に向かってしまったのだろうと思い十年目を区切りに諦めはしたものの、それまでは毎年、死者の日はずっと窓辺で家族の姿を探していた。




(……………けれども、)



「……………そうだったのなら、いいのです。有難う、ノイン。いつか知らなければと思っていた怖い事が、一つだけ怖くないものになりました」



ほっとして頬を緩めたディアがそう言えば、ヨエルの姿をした夜の王は訝しげに目を細める。

なので、良い話を聞けてすっかり嬉しくなってしまったディアは、ぴしりと指を立ててその理由を説明してやった。



「私はずっと、…………多くの方達にとって不都合な存在である私の大切な家族が、亡霊になった後までも、惨い仕打ちを受けていないかどうかを知りたかったのです。優しい両親や、兄や姉たちが、一人でこちら側に取り残された私を案じない筈がありません。もしこちらで見かけたら、すぐに匿わなければと考えていました。………それなのに会えないままでしたから、亡霊となった家族が、誰かに………」



誰かに、壊されてしまったりまた殺されてしまったりしていないか、怖くて堪らなかったのだ。

ふぐっと濡れた吐息を飲み込み、ディアは涙を飲み込んだ。



(そうか、私の家族は無事に死の国に行けたのだ。何をされるか分からない地上に出てこられなかったのなら、それ以上に安全な事はない……………)




「…………むぐ?!」


ぼすんと、大きな手のひらを頭に乗せられ、ディアは首がへしゃげそうになった。

慌てて苦情を言おうとして隣を見ると、そこに居たのは、青緑色の騎士服のヨエルではなく、雪の森の白さを冴え冴えと宿すような水色の髪の人外者だった。



「それを俺に尋ねたのは、残りの時間が少ないからか」

「かもしれません。ここから舞踏会の夜までなら、どんなに酷い事を知ってしまっても、何とか生き延びられるでしょうから」



からりとそう答えたディアに、ノインの紫色の瞳が静かにこちらを見据える。

ずしりと空気が重たくなるような眼差しは、高位の人外者特有のものなのだろうか。


あまりの冷たさに背筋を冷たい汗が滑り落ち、ディアを乗せた馬が落ち着きなく首を巡らせ、足踏みをする。



「……………ノイン。この子に機嫌を損ねられると、私はまた落ちてしまいます」

「………ったく、毎回、脆弱な生き物に乗りやがって」

「そこを責められても、種族的な文化と生活の発展における選択肢からのものなので…………っ?!」



不意に馬を寄せられると、ディアは伸ばされた腕に軽々と持ち上げられ、ひょいとノインの黒い馬に乗せられてしまった。


足の形を見せないように穿かされる、乗馬用のたっぷりとしたスカートがくしゃくしゃになり、慌ててじたばたしたものの既に移設されてしまった後だ。

ディアを回収され身軽になった馬は、せいせいしたようにディア達から離れてしまう。



「ノイン!あの馬は借り物の子なのです。森で迷子にしてしまったら………」

「逃げはしないから放っておけ。………適当に離れておけ。後で回収する」

「何を……………っ、」



まるで臣下に命じるような口調を怪訝に思い、振り返ったディアはぎくりとした。


いつの間にか、ディアが乗ってきた馬に、ぼうっと輪郭だけを窺わせる影のようなものが乗っていたのだ。

ゆらゆらと揺れる亡霊のような影は、すらりとした男性の形をしており、造作は掴めないものの騎士のような姿をしている。



「系譜の妖精だ。気にしなくていい」

「……………まぁ。妖精さんなのです?」

「……………気にしなくていいと言わなかったか?」

「は、羽もあるのですか?妖精さんを見たのは、初めてです…………!」



ディアはここでうっかり興奮してしまったが、ノインがひらりと手を振ると、その妖精は巧みに馬を操りあっという間に姿を消してしまった。



あまりの落胆にじっとりとした目で背後のノインを振り返ると、またしても片手でおでこをびしりと叩かれる。



「……………ぐるる」

「お前が本当に人間なら、その威嚇は二度とするな」

「森の生き物に対して、威嚇はとても有用な筈です。現にノインは今、私が威嚇をしていると理解したのでしょう?そして、乙女のおでこには敬意を払って下さい。赤くなっていたら許しませんよ!」

「許さないとして、どうするんだ?また唸って威嚇でもするつもりか」

「ふっ、甘いですね。これでも私は、数日後に大切な予定があるので、森の生き物が荒ぶった時用に、水筒に激辛香辛料酒をたっぷりと詰め込んで持ち歩いています」

「やめろ」

「なので、今度私のおでこを攻撃したら、容赦しませんよ!」

「面倒な生き物だな………」



呆れたようなその呟きに、どこか遠くで獲物を見つけた男達が鳴らしているぴいっと鋭い笛音が重なる。

そちらを見たノインが煩わしそうに片手を振れば、めきめきと音を立てて森が形を変えてしまう。



「…………まぁ」

「道を離しただけだ。こちらに来たところで、魔術の道には入れないがな」

「ここは、普通の道ではないのですか?」


道というには雪深い森の中だが、そう尋ねたディアにノインは静かに頷いた。



(……………あ、)



いつの間にか、少しだけ凍えかけていた指先は暖かくなっていて、ディアはノインの胸に背中を預けるようにしてすっぽりとその腕に収まっていた。 

恐らく、ノインの馬は普通の馬ではないのだろう。

先程からずっと、落ち着いた様子でゆっくりと歩いてくれている。


そして、そんな事が気になるのも悲しいのだが、なぜかノインの腕の中はとてもいい匂いがして、ディアは我慢出来ずにくんくんしてしまう。



(いい匂い……………)




いい匂いがして、暖かくて、とても安らかな気持ちだ。


ノインの作ってくれる料理には毒が入っていないけれど、こうして二人きりでいるからといって、それは、ディアの身の安全が保障されている訳ではない。

それなのに、ディアはなぜか、とても安らかな気持ちで夜の王様の腕の中にいた。



「……………大丈夫ですか、ノイン。飽きてしまっていて、私をくしゃりとやりたくなったら、次の対価を考えるので教えて下さいね」




ディアがそう言ったのには理由がある。



二人が出会った日、ディアは確かにノインを倒してしまったものの、そんな事でこの生き物がディアに懐いてしまう事はなかった。

それに、冒険物語にはありがちな展開で、叡智をもって試練に打ち勝ったことで、人ならざる者を使い魔として従えられた訳でもない。

あれは所詮物語で、実際に現れた人外者はそこまで優しい生き物ではなかった。



それでもノインがこうしてディアの近くにいるのは、二人がとある契約をしたから。



高位の生き物の気紛れで成り立っているような儚い約束に過ぎないが、ディアはあの日、激辛香辛料酒の衝撃から立ち直ったノインから、対価を支払うことを条件に一つだけ願いを叶えてやると言われたのだ。




(だから私は、この夜の王様と取り引きをした…………)




ノインはディアの提示した願い事に頷き、完全に気分次第ではあるものの、その願いを叶える為に、ディアを訪ねてくれるようになった。



とは言え相手は、ディアのような人間には縛りきれない高位の人外者である。


ディアは、この野生の生き物が荒ぶらないように、ディアとの約束に飽きてしまった場合は、追加の対価の支払いと契約の更新についての話し合いをして欲しいと伝えていた。


実際にノインは二度ほど飽きてしまい、ディアはなぜか、夏至祭の日に窓を開けておくように言われたり、第二王子を主導に行われている、ファーシタルの有する森の管理についての情報を伝えたりした。



(ハイドラターツの森の情報を訊かれた件については、次に大規模な不作があった場合には開拓される予定の土地だから、ノインも警戒しているのかもしれない………)




不思議なことに彼はまだ、既に一度夜の国の王の身許から森を切り出してしまったこの国の住人達に対し、何の罰も与えずにいた。



とは言え、その不敬を許したような様子もないので、人ならざる者には彼なりの流儀や時期があり、その瞬間を待っているのかもしれない。




(……………でも、ノインがこの国に与えた庇護のようなものを、少しずつ引き剥がしていっているのは確かだわ……………)




じわじわと綺麗な布を汚してゆくインクのように、ファーシタルの土地は今、ゆっくりと枯れていっていた。



いっそ穏やかな程のその災いは、どのような形でこの国を苛むのだろう。

人間のディアには想像もつかないが、ノインは時折ひどく愉快そうにこの国を眺めている。



そうして、ゆっくりと翳り落ちてゆく月のように、この国が暗くなってゆけば、またいつかあの日が来る。




(いつかまた、………この国は、夜の国の王様から森を奪わなければいけなくなる)




その時に、小さな子供ではなくなってしまい、おまけに第一王子の婚約者でもなくなったディアは、どれだけ目障りな存在となるだろう。



前回の開拓が中途半端に終わったのは、森に育つ魔術の結晶石の質が落ちるという事態になったからだ。

調査の結果、木々が失われた事による環境の変化が原因だと判明したが、それでもどこかには、古い森を治める夜の王を恐れ、ディアの存在に何かを見出す者達がいるかもしれない。




(だとすれば、…………彼等が、国を不安定にしかねない存在となった私を排除するのは、やはり今なのだろう)




結果として、ノインの行いが自分を殺すのだと思えば、こうして穏やかな気持ちで身を任せている時間は何という皮肉だろうか。

おまけにこの人外者は、自分の行いがじわじわとディアの首を絞め、やがては殺してゆくものだと理解している。



(だから多分、………これがあなたなりの、ジラスフィへの罰でもあるのだろう)




この国をゆっくり殺してゆく中で、真っ先に殺されるのはディアだ。

それに気付かない程、夜の国の王は愚かではない。




「…………そうだな、対価を一つ追加するか」

「最初の約束通り、体が欠けるようなものはお断りしますからね」

「水筒を振るな、水筒を。そもそも、そのドレスのどこに隠し持って来たんだ」

「外套の裏側に、武器用のポケットを作ってあるのです!」

「それを俺に話した時点で、台無しだがな」

「……………な、なぬ」



うっかり武器の隠し場所を自白してしまったディアがふるふるしていると、ノインはなぜか、ディアに、リベルフィリアの日には部屋から出ないようにと申し付け、それを新しい対価として取り上げていった。



「リベルフィリアは忙しいので、俺を煩わせずじっとしていろ的な要求でしょうか?」

「かもしれないな。その翌日の余興の前に、自滅されても困るからな」

「…………さすがの私も、殺されると分かっている日の前日に、どこかに遊びに出かけたりする程の楽天家ではありませんよ?それに、リベルフィリアは、家を出ずに家族で過ごす日なのです。部屋を出て、行きたいような所もありませんから」




ノインは、一度もディアに、ここから連れ出してやろうだとか、殺されなくてもいいように助けてやるとは言わない。


そんな事を悲しく思ったのは少しだけで、ディアはすぐに、同じような姿形をしていても、ここにいるのは人間とは全く違う生き物なのだと理解した。

どんなに人間と隣り合わせに生きていたとしても、人間とはまるで違う。

そんな生き物に、同族に対して望むような願いをかけてはならない。



だからディアは、人間にとって都合のいい願いをノインにかけることはやめてしまい、対価で繋いだ願い事が終わるまでは、ただの観客のように接している。



「それで、最後の舞踏会では、大人しく殺されてやるだけにしたのか?」

「あなたが、それでは退屈だと我が儘を言うので、さてどうしたものかなと考えてはいます」

「……………赦しは、しないのだろう?」

「ええ。私は、多くの人間がそうであるように、とても執念深い生き物なので、慈悲深くはなれそうにありません。…………そんな自分が惨めに思えても、それでもやはり、……………私には諦めきれないものが沢山あるのです」




はらはらと雪の降る静かな森の中で、ノインは、そんなディアの言葉を静かに聞いていた。


やがて、冬狩りが終わる頃合いになると、先程の妖精がいつの間にか仕留めた獲物を持って馬を返しに来てくれたので、ディア達は森で逸れた上に獲物なしという汚名を着せられることだけは避けられたのだった。











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