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雪狩りと騎士




「ディア、冬狩りに行かないか?」

「解せません。なぜ婚約者ではなくなった婚約者が、こんなにすぐに遊びに来るのでしょう」

「すまないな、まだ私の髪の毛は残っているようだ。それでも良ければ、一緒にどうだろう」



その日、夜菫の棟を訪れたのは、婚約破棄をしたばかりのリカルドであった。


婚約の解消に同意したのは昨日のことだ。

それなのになぜ、一日も経たない内にここに来てしまったのか。

ぎりぎりと眉を寄せて振り返ったディアは、部屋の入り口に立っているリカルドを思わず凝視してしまう。


そんなディアに、なぜかリカルドは青い瞳を細めてにこにこと微笑んでおり、銀糸の髪と青い瞳に鮮やかな青色の狩り装束は、彼の整った容貌にとてもよく似合っていた。



細工物の得意なファーシタルでは、細工用の結晶石の輝きを確認出来ない新月の夜に好まれる手仕事として、レース編みや刺繍なども盛んだ。

その技術の粋を集めた王族の衣装なのだから、それはそれは美しいものになる。


ただし、刺繍はやはり、魔術の豊かな大国が扱う、アンシュライド領の妖精刺繍が最たるものであるらしく、ファーシタルの刺繍がその美しさに見合った高価なものとして流通する事は少なかった。


祝福や魔術を縫い込めないファーシタルの刺繍は美しいばかりで、身に付けるものからも魔術の守りを固めたいような高貴な人々の装いには向かないのだ。



手に持っていた本をぱたんと閉じると、ディアは呆れたような表情を心がけ、リカルドを見上げる。

読書ほどに考え事に向いた偽装はないが、そのお陰ですっかり考え込んでしまっており、リカルドの唐突な訪問に内心焦っていた。



ノインの姿は今日は見ていない。

気まぐれな彼の事だ。

このまま、ディアが殺されるまで姿を現さないことも考えられる。



「殿下、冬狩りであれば、婚約者様とご一緒してはどうでしょう?その辺りはどうか、婚約者様にこそご配慮して差し上げて下さい」

「勿論それで構わないのだが、君はやはりこちらに来た方がいい。狩りに出ないご婦人方は、母上とのお茶会になるようだ。私としては、大切な妹を狼達の餌にはしたくないのだが」

「……………狩りに行きます。ですが、この通り狼の餌にはなりたくありませんので、殿下は、婚約者様か、婚約者様の縁者の方と組まれて下さいね」

「つれないことだけれど、君の判断が正しいのだろう。そうするよ」



そう微笑んでみせたリカルドは、いつからかディアを妹と公言する事にしたらしい。


今朝の朝食の準備をしてくれた侍女達のお喋りからすると、どうやら王都では、第一王子がディアのお守りを終えて、やっと自身の幸福に目を向けたと思われているようだ。


婚約を解消されたディアに対しても思っていたよりも好意的だが、関心と応援はもっぱらリカルドのものである。



(成る程、だから妹だという訳なのかしら…………)



婚約解消の話を聞き出そうとして待ち構えているご婦人方のいる王妃のお茶会から、その可愛い妹を助け出しに来てくれたのも確かだろう。


だが、同時にこれは、リカルドなりの、婚約が破棄ではないと表明する舞台作りの一環でもある。


この通りディアは妹のような存在で、二人は婚約を解消しても仲良しだと周囲に示したいのだろう。

その周知さえしておけば、ディアが舞踏会の日に自ら命を絶ったとしても、リカルドにも予測出来ない事態だったと皆は思う。




(こんな風に笑いかけてくれていても、あなたは私を殺すのだ)



苦々しくそう思い、今回の冬狩りでは新しい弓矢を下ろすのだと教えてくれたリカルドに頷く。

選び捨てる側の人間は、いつだって穏やかで優しい。




これまでにも散々、ディアという人間の命の価値は揺らぎ続けてきた。


ノインと出会った頃に起きた最初の毒殺未遂は、当時、密かに王宮を出ようと画策していたディアへの牽制なのだと考えている。


あの時のディアは、リカルドの婚約者として生きてゆくよりも、自分はこの王宮から離れた方がいいのではと思っていた。

しかし、婚約者にした以上、自分がリカルドにとって何らかの事情で有用な存在だったことを失念していたのだ。


逃げないように手を打ったのか、こちらの意図に反する事をしないようにという意味で力を削がれたものか。



(あの頃のリカルド様が私を必要としたのは、ジラスフィ公爵家派だった者達を、私を庇護する事で取り込む為に必要だった期間だったような気がする……………)




二回目の毒殺未遂は、リカルドが運命の恋人に出会った日の事だった。


そちらの事情を察するのはとても簡単で、あの夜の舞踏会には、どうしてもディアがいらなかったのだ。

動けなくするだけで事足りた一回目とは違い、二回目こそ葬ってしまっても良かったところだが、展開があまりにも短慮でも、彼の第一王子としての立場に差し障る。




そうして選び抜かれた最後の日が、婚約破棄後の最初の舞踏会だ。



その日には、新しくリカルドの婚約者となる侯爵令嬢のお披露目も行われるのだろう。

ディアが失意のあまりに死を選ぶには、なんとも相応しい舞台である。




(リカルド様は一年待った。晴れて婚約の解消も終わり、私の価値はこれで完全になくなった……………)




その日の為の準備は、こうして着々と進められてゆき、殺されるディアとてそれには無縁ではない。



(それなのにこうして思惑通りに狩りに参加するのだから、自分の足でも殺される為に歩いているようね…………)




そう考えるのも今更で、ディアの立場ではお茶会か狩りかのどちらかに参加するしかない。

結局、リカルドの騎士の一人をお付きにして冬狩りをすることになった。

その騎士をつけることで、あくまでもリカルドの誘いで参加する事になったという形は残すのだから、この国の第一王子はやはり抜かりない。



「ディア。では、また後で」

「………はい、殿下。お誘いいただき有難うございました」

「従姉妹殿と呼ぶべきなのだろうけれど、なかなか慣れないものだね。君に気を遣わせてしまったようだ」

「いえ、殿下が私の面倒を見て下さったのは、それだけの時間だったのでしょう」

「はは、これからもディアと呼べるといいのだけれど」



にっこり微笑みディアの頭を撫でると、リカルドは部屋を出て行てゆく。


扉の前でリカルドを待っていた騎士の姿が僅かに見え、気付いた騎士がこちらに向かってぺこりとお辞儀をするのが見えた。



(あ、…………)



その騎士を、ディアはよく知っていた。


リカルドと庭園の散歩をする時や、婚約者として共に冬狩りに出かけた時には、いつも護衛騎士として共に駆けてくれた優しい人だ。

昨年の秋に結婚し、もうすぐ子供が生まれるという。



ディアにとって、その人生と名前の紐付く、他人事には出来ない、よく見知った人の一人。

ディアが己の運命に抗って足掻けば、その運命を狂わされるかもしれない一人である。




ぱたんと扉が閉まった。

侍女達が、冬狩り用の服に着替えませんとと、ディアの周囲であれこれ喋っている。




(……………ああ、こんな時だ)




こんな時にディアは、息が詰まりそうになる。


全てを投げ出して、一人きりになって、あの優しい騎士もまた、ディアが舞踏会の夜に殺される事を知っているのだろうかと考える時間を得られたのに。


けれども穏やかに微笑み、侍女達に冬狩り用の服への着替えを手伝って貰うと、あたたかな森狼の毛皮で裏打ちした狩り用のコートを羽織った。


狩りに参加するとは言え、ディアは女性だ。

動き易いドレスではあるが、騎乗していてもはしたなくならないもので、尚且つ馬から振り落とされない事のみを重視した装いとなる。



窓の外を見ると、空は美しい灰色の雲に覆われていて、はらはらと雪が降っていた。

この様子では、森の中は降ったばかりの雪が積もっていて、ますます馬の扱いは難しくなるだろう。




(……………まさかここで?)



そう考えかけ、それはないだろうと首を振る。

ディアは、誰もがその悲劇を知る事になるような場所でこそ、死ななければならない。


婚約破棄の直後に冬狩りの森での事故などという疑惑の残るような場所で仕掛ける程、リカルドは愚かな王子ではない。


ファーシタルは小さな国で、王子達の関係は良好だ。

だが、継承争いも殆どないからと安心するにはやはり、王子という立場は衆目を集めるものでもある。

王座を狙わずとも、人間の心は脆弱で複雑で、目に付いた気に入らない王子を陥れてやろうという相手がいないとも限らないのだ。



いつだっただろう。

少しだけ考え込むように、リカルドがそんな立場について愚痴をこぼしていた事があった。



『困ったものだよ。私を後継者にと選ぶのは父上だけれど、私が王になるそれまでの日々をずっと、私は、顔の見えないあらゆる者達からその質を問われ続ける。例え彼等に継承者を決める権利はなくとも、彼等はそんな事は承知の上で、私達兄弟の誰が王位に相応しいのだろうかと天秤にかけ続けるのだ』



それもまた、人間の性なのだろう。

派閥の者達はそれは鮮やかに。

そして無責任に無意識に、それを成す民衆達も時には大きな悪意となる。



『そうすると不思議な事に、気に入ったものへの思い入れとしての執着と自我が生まれる。………弟達が優秀であるからこそ、そして私達が良い関係でいるからこそ、私は、王位を継ぐ王子であり続けなければならないんだ』



幸いにも、ファーシタルの他の王子達は、王位を継ぐ事を望んでいない。


武芸に秀でた第二王子は、軍部の統括の立場を望んでおり、今は将軍の下で様々な経験を積んでいる。

緻密な戦略を練る事には向かないが、所謂、将としての質のある情深い御仁だ。


リカルドが、あれと議論したら勝てる気がしないと苦笑交じりに褒めている第三王子は、この国の資源の管理と流通に王族の立場で携わる事にこそ興味があるようで、商人達との駆け引きもお手の物。

しかし彼には、典型的な末っ子らしさもあり、長兄のリカルドが大好きだと公言してはばからない。

また、政治などの清濁併せ呑む駆け引きには、苦手意識があるようだ。



(そのような意味に於いて、リカルド様はやはり、王位を受け持つ王子様なのだろう…………)



弟王子達もまた、人望厚いファーシタル自慢の王族だが、ディアの目で見れば、彼等が長けているのは国の維持ではない。

王には王というものの、向き不向きがあるのだった。



(リカルド様は、柔和で聡明な優しい方で、………広域の状況の把握が早く、狡猾で非情な一面もある)




そんなリカルドだからこそ、ディアが二度目に倒れた時の動きは早かった。


直前にディアが飲んだ異国の葡萄酒を調べさせ、香り付けに使われていた香草が、この国の民の体質には合わないのだという調査報告をいち早く公表した。

その調査には確かに嘘はなかったが、あの日にディアが飲んだ葡萄酒には、雪水仙の毒も入っていたのは間違いない。




(あなた達には見えないし、あなた達には分からない香りが、……………私にだけは分かってしまうから)




それが、魔術の所有値の差なのだと、ディアはノインから教えられた。



ファーシタルの民にとっては無味無臭の毒も、ディアの所有値であれば、織り上げられた魔術の香りと甘さを感じてしまう。

そして残される魔術の痕跡から、婚約者としての距離で共に過ごせば、その毒を手配したのがリカルドである事も、ディアには分かってしまうのだ。



「ディアラーシュ様、そろそろリカルド殿下の騎士様が、お迎えに来られるそうですよ」

「ええ、こんなに暖かくして貰ったのだから、もういつでも出られるわ」



そう微笑めば、侍女達も微笑んで頷いてくれる。

彼女達はみな、ディアに対して特別に踏み込み心の距離を狭めはしないものの、気のいい女性達ばかりだ。



「ふふ、それにしてもリカルド様は、やはりディアラーシュ様が可愛くてならないのですねぇ。ディアラーシュ様の方が兄離れが出来ていて、ようございました」

「本当ですわ。リカルド殿下は穏やかで生真面目な方ですし、王女様方は年の近いシドリア王子に懐いておいででしたから、本当はお寂しかったのでしょう。ディアラーシュ様がいてくれた事で、すっかり甘やかされておしまいになって」

「まだ、ディアラーシュ様がこんなに小さかった頃は、私達がお世話をすると言っても、リカルド様や王妃様が離して下さらなかったのですよねぇ。懐かしいですわ」

「あら、今も変わりませんよ。暇さえあればこちらに来てしまうのですから。マリエッタ様が、そんな殿下をご理解下さる女性で良かったですよ」

「マリエッタ様も、弟君と妹君がいらっしゃいますからね」



楽しげに話す侍女達に、それは、ジラスフィ公爵家から連れ帰った子供が、何も気付いていないかを確かめる為の親密さだったのだとは言えなかった。

それだけではなく、旧ジラスフィ公爵派の者達に取り込まれないよう、リカルドは徹底的にディアを可愛がった。


国王や王妃も、ディアが何も知らないようだと分かると、安堵にも助けられたのか、実の娘のように可愛がってくれている。



(国王夫妻やリカルド様が私を溺愛するので、他の王子達や王女達もそれに倣い、私の周りには常に彼らの誰かがいて、それ以外の人達との接触は制限されていたに等しい……………)



他の王子達や王女達は、両親や兄の対応から、家族の全てを喪ったディアを、大事にしてやらなければならないと感じたようだ。

元々、優しい気質の子供達ばかりだったこともあり、ディアはいつだって末の妹のように大事にされてきた。


けれども、その愛情が一定以上の線引きを超えそうになると、すかさずリカルドがディアを連れ帰ってしまうのだ。


皆は、リカルドは可愛い妹を取られたくないのだと微笑ましく思っていたようだが、あれは、自分の家族がディアに与える愛情と執着を巧みに調整していたのだろう。




ディアは、王宮で飼われている亡霊に過ぎず、殺すべき時に殺せなくなっては困るのだから。



(でも、私はそれを知っていて良かった…………)



わいわいとお喋りをしている侍女達に囲まれ、ディアはいつかの日の、リカルドの冷たい声を思い出す。




夜は深く艶やかな暗さで、さあさあと雨の降る秋の日。


いい子だねと頭を撫でて本を読んでくれるリカルドに、これからはこの人達を愛さなければなるまいと奮起したディアが、第一王子の部屋を訪ねようとした夜の事だった。



『このまま問題がなければ、やはりいつかは殺す事になるだろう。誤ってこちらに届けられてしまったとは言え、ジラスフィの血の者はやはり残せない。………せめて、ディアが、我々の期待に添うような役割くらいは果たせば良いのだけれどね』



冷たい冷たいリカルドの言葉に、そうせざるを得ないと苦しげに呟いたのは、誰だったか。

ディアはそれ以上の事は聞いていられず、読んで貰おうと思った絵本を持ったまま、抜け出してきた部屋に戻った。


そうか、自分は生きていてはならないのだなと考えて悲しくなり、その夜は一人で色々な事を考えた。

暗くて長い夜は恐ろしく孤独で、あの舞踏会でこちらを見た王子様のことを何度も思い出す。



けれども彼は、ディアを助けてはくれないのだ。




「…………ディアラーシュ様」

「………ごめんなさい、ぼんやりしてしまったわ。馬から落ちないようにしなければと、少し気負ってしまって」

「あらあらまぁまぁ、絶対に落ちないで下さいまし。ほら、お迎えの騎士様がいらっしゃいましたよ」

「……………まぁ」



ファーシタルの騎士服は、青緑色の華やかなものだ。

銀糸の髪が多いファーシタルで、王都の騎士団の騎士たちは、家柄に受け継がれた血筋の関係からか、容姿的にも整った者達が多い。


こうして立てば、短い銀髪を掻き上げてしまい、はらりと一筋だけ額に落とした美貌の騎士は、女性達がほうっと甘い溜め息を吐くのも頷ける。


有事の際には、流星雨の日に採掘される銀色の鉱石を切り出して作る甲冑を纏うのだが、本日はただの狩りなので、襟元にふさふさとした銀狼の毛皮を使ったケープを羽織っているくらい。


ディアを迎えに来たリカルドの近衛騎士の一人は、王宮でも知られた美しい男だった。




「お迎えに上がりました、ディアラーシュ様。本日は、私がお供させていただきます」

「ヨエル………あなたが来たのね」

「おや、私以外の誰が、ディアラーシュ様をお守り出来ると言うんですか」



胸に手を当てて優雅に一礼してみせたヨエルに、ディアは、ふはと溜め息を吐いた。


この護衛騎士が生真面目で口煩いことを知っている侍女達は、からからと笑いながら退出していった。

ディアとヨエルは手厳しい教師と生徒のような関係なので、侍女達はこれからのディアの時間を思ってか困りましたねぇとくすくす笑っている。




「……………取り敢えず、馬から落ちない事は確定しました」

「どうしてお前はいつも、乗せておいた馬から軽率に落ちるんだろうな」

「仕方がありませんね。馬は揺れるのですから」

「落ちないのが、普通だという事を知らないのか?」

「………他の方々の普通は存じ上げません。自分に素直な私でありたいのです」

「物は言い様だな。…………それと、狩りに出るくらいなら何か食っておけ。何だこの軽さは」

「………っ、は、離して下さい!淑女は気安く持ち上げていい生き物ではないのですよ?!」

「乗せても乗せても馬から落ちる生き物は、淑女と言わないのは確かだな………」

「お、おのれ……………!」



怒り狂ったディアはじたばたしたが、騎士の姿を取っていても相手は高位の人外だ。

子ムクモゴリスのようにひょいと片手で持ち上げられ、なぜか長椅子の上にぽとんと落とされる。



「…………狩りに行くのではないのですか?」

「まずは食事だな。……ったく、昨晩は兎も角、今朝と昼はどうしたんだ」

「………ぐるる」



あまり聞かれたくないことだったので、ディアは空気を読まないノインを威嚇しておいた。

なお、危険な生き物への対処は、森番の騎士から先に威嚇したもの勝ちだと聞いていたので、そう心がけている。

ムクモゴリスと人型で少々輪郭は違うが、同じ森の生き物なのは間違いない。



「……………まぁ」



ことんと音がして、長椅子の前のテーブルに置かれたのはほかほかと湯気を立てている肉団子のクリームソース煮だ。


クリームソースにはファーシタルの特産品である森葡萄の蒸留酒の香りがして、黒すぐりのジャムを添えてもちもちの黒パンといただく。

おまけに隣には、赤大根と雪夜人参を細切りにした酢漬けの和え物もあり、ディアは綺麗な彩りに眼を瞠る。



ノインをそろりと見上げ、ディアはさっとパンを手に取った。



腰に手を当てて立ったままこちらを見ているヨエル姿のノインが何も言わないので、続けてさっとスプーンを持ち上げると、今度は出された料理をぱくりと口に入れ、ディアは無言で身悶えた。



(……………美味しい!)



黒パンは軽く焼いてあり、塗られたバターがじゅわっと溶けている部分が堪らなく美味しい。


あの邂逅の日から、ノインはディアに何度も料理を作ってくれるようになった。

そんなノインが作る料理はいつも、ディアが食べたことのない家庭料理のようなものだったが、心がほろほろ解けてゆくような美味しさなのだ。



「…………やれやれだな。それを食ったら出るぞ」

「………むぐ。…………パンは一切れなのですか?」

「パンを増やすなら、タルトはいらないな?」

「タルト………?」



ディアは、木苺のタルトまでを美味しくいただくと、いつの間にか用意されていた紅茶も綺麗に飲み干し、全ての食事を用意してくれたノインに、丁寧に頭を下げた。



「ノイン、美味しいお食事を有難うございました。その、対価は………」

「二時間は耐えろよ」

「……………ぐぬ」



それはつまり、冬狩りの場に出て、雪の森の中を二時間は彷徨わなければならないという事なのだろう。

歩いてもいいのであれば吝かではないが、馬に乗るとなると話は別である。



もっと手っ取り早い対価はないのだろうかと眉を寄せて無言の訴えを発していると、なぜかノインは、ディアの部屋にあった水差しを手に取り、中の水の匂いを嗅いで顔を顰めているではないか。



「……………削っておくつもりのようだな。まさか飲んでないだろうな?」

「まだ飲んではいませんが、今日ばかりは私も気付きませんでした」

「だいぶ抑えてはある。判断力を鈍らせておきたいんだろう」

「まぁ…………」




(だから、……………リカルド様はこの部屋に来たのだろうか?)




ちらりと外を見て、王宮の敷地の向こうに広がっている深い森の色を眺めた。

そこでは、冬狩りに参加する第一王子を始め、ファーシタルの貴族達が狩りの装いに身を包み、楽しげに馬を駆っているのだろう。




そこにディアは、どんな顔で加わればいいというのだろうか。




出来ればこの状況で外部との接触は減らしておきたいところだが、準備不足だと思えばリカルドは計画を変えるかもしれない。



(……………それでは困るのだ)




ふうっと息を吐き、ディアは立ち上がった。


しかし隣の騎士は、ディアが帰りたがった時用のおやつの準備をするのはやめて欲しい。

これから向かうのは、ディアを殺そうとしている人の主催の狩りの場であり、遠足ではないのだ。







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― 新着の感想 ―
[一言] これからの怒濤のざまぁが楽しみです( ・`д・´)
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