夏至祭の森と護衛の運用
その日、ノインは一人の魔物を伴って夏至祭の森に向かった。
同行したのは、ここ百年程仕えているシャムシールを司る剣の魔物だ。
たっぷりの牛乳を入れた紅茶色の肌に、透明度の高い水色の瞳に淡い金色の髪をしている。
リーシェックという名前のその魔物は、階位だけでいえば夜の食楽の系譜に現在属している者の中では第二席にあたるのだが、何かと問題を起こすので執務面にはあまり関わらない。
系譜の中では、騎士としての位階を得ている。
階位に相応しい容貌は伶俐な美しさということで、この男を知らずに好意を示す女達も多いが、大抵は手に負えずに離れてしまう。
ディルヴィエに言わせると、朗らかに見せかけておいて手に負えない傷を持つような男は、食楽の系譜の女達には手に余るのだとか。
真夜中の静寂や安寧、或いは夜の中でも終焉の界隈であれば良かったのだろうと話していた。
(そんな事は百も承知の上で、敢えて食楽の庭に来たのは本人だ。理解されること自体が煩わしいんだろう)
真夜中の精霊王の舞踏会に揃った夜の系譜の王達の中から、ノインを選んだのはリーシェックだ。
あの場に誰かを殺しに来たような気もするが、身に持つ呪いが気になって目を留めた際にあんまりな食べ合わせなのでと料理を食べさせている内に、気付けば部下になっていた。
「リーシェック」
とは言え、こうして呼び止め、同行を命じると胸に片手を当てて一礼した魔物を、今でも武官ではなく文官だと思う者は多い。
軽薄に見られることも多い独特の人懐こさと、戦闘などの行為に長けた者には見られない、眼鏡をかけているのがその理由だろう。
「俺をご指名ということは、護衛ですかね」
「まぁ、そのようなものだな」
「少し運動不足でしたので、国や街を殲滅するのであれば喜んでお供しますけれど?」
「…………護衛だ。くれぐれも、訪問先で問題を起こすなよ」
こちらを見て機嫌よく笑う瞳は、表情程には柔和ではない。
食楽の系譜に入るまでは、冷徹で残忍だと名を馳せていた魔物の瞳は、どれだけ表情を変えても、いつだってよく磨かれた剣先のように冷え冷えとしている。
(だからこそ、ディルヴィエはリーシェックをディアの護衛騎士に命じることには、反対しているのだろうが…………)
だが、この魔物の現在の主人としての目で見れば、リーシェックで間違いないのだ。
この魔物の気質に何の憂いもないといえば嘘になるが、それは、剣の魔物が任務に忠実かどうかとはまた別の理由である。
(ディアのことを気に入りそうだったしな)
なので、任命そのものは先日済ませてあり、今はこちらの準備が整うまでの間の待機期間中としていた。
一つ前の任務が長期のものだったので、次の任務が始まるまでの間の休暇期間とも言える。
「ふむ。行動を共にするということは、食事も込みの任務だろうな……」
「……………毎回思うんだが、俺はお前にそれなりに法外な給金を支払っているんだぞ。都度の食事に困る前に、使い方を考えて生活しろ。無償の忠誠なんぞ受け取ってないからな」
「はは、嫌だな。空腹になるのは代価なので、仕事に見合っただけの食事が必要だとご存じでしょうに」
「三年前に貪食の系譜の城を落とした際に、お前のその代価とやらの配分を観察していたが、充分に足りる筈だ」
食楽の系譜は、無駄を嫌いはするが、数ある夜の系譜の中でもどちらかといえば豊かな領域だ。
必要なだけのものを制限するつもりはないのでそう言えば、リーシェックは、黒い長衣を揺らしてぎくりとしたようにこちらを見た。
「あの頃より、負担が大きくなってきたんですよ…………」
「ほお。俺の資質にかかる食の呪いの負荷を、俺が見誤るとでも?」
「…………俺の主人は、変なところで神経質過ぎる。今度迎えるお嬢さんにも、きっとそういう部分は受けが悪い筈ですよ…………」
「放っておけ。そもそも、お前がいい加減過ぎるんだ。今日の目的地は、夏至祭の森だ。到着までの間に心を整えておけよ」
夏至祭という言葉を口にした瞬間、リーシェックがふっと瞳を揺らした。
「…………もしかして、夏至祭の森だから俺を選びました?」
「さあ。そうかもしれないな」
何か言うかと思ったが、ただ微笑んで頷いたリーシェックから視線を外し、転移用の門に向かう。
ファーシタルの王宮を出たばかりのディアは、あの国の中に設けた経由地となる屋敷でまだ眠っている筈だ。
勿論、出掛けるのは真夜中なのだから。
「やあ、ノイン。久し振りだね」
冬のファーシタルから食楽の城を経由して夏至祭の森に到着すると、おっとりと微笑んで迎えたのは祝祭の王本人だった。
相変わらずあちこちにふらふらと出掛けているらしく、追いかけてきたと思われる侍従の顔色はあまり良くない。
どこか人間達の領域の神官めいたふわりと広がる白い装いは、ここが夏至祭の直轄地である森だからこそ。
自身の領地と夏至祭の夜にのみ、夏至祭の王サーレルは白い衣を纏う。
「それと、僕のお気に入りの剣の魔物が、僕の誘いを無視して、食楽の王に仕えたという噂は本当だったらしい」
「ご無沙汰しております、夏至祭の王。以後、俺には話しかけないで下さい」
「うーん。相変わらず、当たりがきついなぁ…………」
サーレルの、ふわりと曲線を描く短い金色の髪は、リーシェックのものよりはふくよかな色合いだ。
鮮やかな青緑の瞳は夏至祭の森そのものの色をしていて、立場上多くの高位者達とも面識のあるノインの目から見ても、際立つ美貌を持つ男である。
その美貌なので怜悧な印象にもなりそうだが、いつも穏やかに微笑んでいるサーレルを、初見の者の多くが優しい男だと思うようだ。
勿論そんな筈もないのと、旧知の顧客でもあるので、ノインは、サーレルが悲しげに肩を竦めてみせても溜め息を吐くばかりだった。
金糸の髪と青緑の瞳から太陽を思わせる色彩のくせに、ひと目見ただけで夏至祭の夜を思わせる男だ。
首筋半ばまでの短い髪の毛先が、けぶるような暗く鮮やかな光を内包している。
(……………同じように微笑むのであれば、リーシェックが面倒臭くて、こいつは腹黒く見えるというところだな………)
何しろ、サーレルは夏至祭の王である。
楽しく賑やかで、けれども悍ましく恐ろしい夏至祭を治める者が、ただの善良な男である筈がない。
より高位の知己もいるが、ノインの見知った者の中でも直接対立したくはない相手だ。
しかしながら、飛び抜けて面倒なのが商会の魔物なので、そちらとの交渉を終えたばかりのノインにとっては、せいぜいが、次なる面倒な調整と言ったところか。
(………だが、ディアをこちらの領域に引き取る前に、サーレルを黙らせておく必要がある)
本日の訪問の理由は、次の夏至祭の宴の料理の発注についてとしてあるが、そのような理由もあって、この段階でリーシェックを伴っての訪問としたのだ。
ちらりと隣に立っているリーシェックの表情を窺えば、剣の魔物はどこかじっとりとした目でこちらを見ていた。
一刻も早く帰りたいという顔をしているが、夏至祭の王とは何か因縁があると知った上での同行させたので、諦めて貰うより他にない。
目的地を予め告げてある以上、本人も納得の上だろう。
「今日は、夏至祭の注文の打ち合わせだってね」
「ああ。幾つか注文書に不備がある」
「おや。それは困った。次の夏至祭は少し特別だから、懸念点は潰しておこう」
サーレルに案内されたのは、水晶天井から見える森の天蓋も鮮やかな会議用の広間だった。
夏至祭の森という名称ではあるが、王であるサーレルはその中に見事な水晶の城を構えている。
外部の者を入れる空間は、人間達の好む温室のように硝子張りの壁や天井を多く用い、この部屋のように森そのものの彩りを装飾として生かしている事が多い。
木漏れ日の魔術石が連なるシャンデリアが細やかな光をテーブルに落とし、夏至の乙女達が飲み物を運んでくる。
普段であれば、椅子を勧められずとも勝手に座って茶菓子まで要求するようなリーシェックが、今日ばかりは珍しくノインの椅子の斜め後ろに立った。
護衛騎士としては当然の位置取りだが、リーシェックの振舞いとしては珍しい。
(……………やれやれ。サーレルとの関係はそこまで拗れているのか)
これはサーレルとの間に相当の確執があるようだが、何分、リーシェック自身も扱い易い男ではない。
特別な理由などなく、ただ単に、どちらかの勘に障っているだけという可能性もある。
「……………それで、君は僕にどんな要求をするつもりなんだい?」
出された紅茶を飲んでいると、にっこりと微笑んだサーレルがそう切り出した。
こちらは仕事の話からするつもりだったが、個人的な興味を優先するあたりが夏至祭らしい。
「ファーシタルの人間を、食楽の系譜で引き取ることになった。商会や死の精霊には話を付けてあるが、お前の領域にかかる人間でもあるからな。興味本位に手を出すなよ」
「成る程。僕の性格だと、ちょっかいを出すと思って事前に釘を刺しに来た訳か。さては、君のお気に入りかな?」
「………こちらへの転属が終わり次第、伴侶にする予定だ」
「え。…………ファーシタルの人間をかい?」
「既に精霊の料理を与え始めている。こちらの系譜の管理下に保護したばかりだ」
テーブルの向こうでは、サーレルが目を丸くしていた。
本気で驚いているようだが、どこまでが本気なのかは怪しいところだろう。
ファーシタルでの一件は、箝口令が敷かれている訳ではない。
時間の座の最高位である真夜中の精霊に関わる問題は、どちらかと言えば多くの者達の興味を引く話題だ。
この男がそれを知らないとは思えない。
(表立って敵対したことはないが、…………ファーシタルだからな)
夏至祭は、無垢な者が好きだが、同時に罪人が好きだ。
無垢で愚かな人間をとりわけ好むので、ファーシタルの人間の犯した罪は、かつてのサーレルを大いに喜ばせたと聞いている。
これ迄の訪れがなかったのは、あの土地が真夜中の精霊の王の一人が管理する土地であり、死の精霊の獲物だったからこそ食指を伸ばさずにいたに過ぎない。
そうでなければ、このサーレルのような面倒な男が、ファーシタル程の素材で遊びにかからない筈もないではないか。
(加えて、今回の一件で商会の魔物の管理下にも入ったからな。今後も手出しはしないと思うが………)
「君が心配するってことは、その子は身寄りがないのかな?」
「ああ。だが、夜明かりの妖精を後見人に付けてある。お前の好きな天涯孤独の子供じゃなくなったからな」
「寄る辺ない子供を好む者は多いからね。早々に手を打ったってことか。残念だな。僕の祝福を授かれる条件を揃えているんだから、こちらで引き取ってあげても良かったのに」
「……………サーレル。手を出すなと言った筈だが?」
案の定、話題に上げたことでまずは興味を持たれたようだ。
ここ迄は想定内なので、ここから、何某かの言質を取り付けるという段階に入らねばならない。
すぐさま牽制すれば、こちらを見た夏至祭の王は鮮やかな色の瞳を細めて微笑んだ。
優しげな微笑みだが、たいそう邪悪に見えるのもいつものこと。
「正直な所、君は食楽だからね。多くの者達にとって失い得ない祝福を持つ代わりに、特別に悍ましい災厄にはなり得ない。…………でもまぁ、真夜中という時間の座がその代わりに恐ろしいかな。夜そのものを統べる真夜中の精霊には、僕とて頭が上がらない」
「だろうな。お前が祝祭でなければ、せいぜいがその程度の脅威だろう。だが、お前は王だからな」
そう言えば、サーレルはまたにっこりと微笑んだ。
見る者によってはこの微笑みを無害なものだと感じるだろうが、この男の気質を知っている者が見ればそうは思うまい。
夏至祭は、華やかで賑やかで、そら恐ろしく享楽的な祝祭だ。
乙女達が花輪を飾る儀式などもあるので、人ならざる者達のと接触を持たない人間の領域では、初々しく瑞々しい印象を持つ者も多いそうだが、こちらの領域ではそうもいかない。
夏至祭の系譜の者達は、陽気で朗らかだが、その反面、ぞっとする程に美しく残忍でもある。
親しみやすい微笑みで獲物を手招きして、祝祭の夜に引き摺り込んでしまう事も少なくない。
(祝祭の系譜の中では、夏至祭が最も扱い難い………)
だが、サーレルは王なのだ。
賑やかな宴や、華やかな祝祭を好む夏至祭の系譜の生き物達にとって、祝祭が最も力を強める夜の食楽というものの存在は大きい。
「まぁね。僕の系譜の者達は、僕が君と仲違いをしたと知ったら、大騒ぎするだろう。泣いたり暴れたり、そういう感じになる系譜だからね」
「だったら、面白そうだからという雑な理由で、俺の領域の者には手を出すなよ」
「はいはい。そうしておくよ。君はきっと、この忠告をする為にわざわざ僕の森に来たのだろうし」
「系譜の者達にも言っておけよ。何かがあったら、次の夏至祭の宴の料理の味は保証出来ないぞ」
「…………精霊は陰湿だなぁ。祝祭はきちんともてなさないと災いになるから、やめて欲しいんだけど」
そう言って溜め息を吐いてはいたが、サーレルは念の為に伝えておくよと呟いた。
サーレルは、享楽的な振る舞いや残忍さをも持つ王だが、愚かな男ではない。
問題が起こった際に被る被害を考え、ディアへの興味は取り下げたようだ。
(やはり、この段階で夏至祭の森に来ておいて良かったな。…………厳密に誓約の魔術を結ぶのは難しいが、この程度の口約束は取り付けておく必要がある)
夏至祭の王には、寄る辺ない者達を守護するという役割があるのも良く知られたことだ。
保護というよりは拐かすようなものだが、居場所を持たない者たちにとってはその経緯などどうでもいいのだろう。
そのような時も引き続き無垢なものを好むので、こちらの界隈の知識の浅いディアなどは、本来であれば恰好の標的だった筈だ。
多くの場合は小さな子供などが対象になる条件をあの年齢で揃えてしまう稀有さが、どれだけ身を危うくするかは言うまでもない。
とは言え目的であった言質は取ったと一息吐いていると、テーブルに頬杖を突いたサーレルが、リーシェックの方を覗き込んでいた。
「そう言えば、君はまだ、その呪いを解かないのかい?」
「どうでしょうねぇ。呪われるというのも、なかなか珍しい体験なので。それと話しかけないでいただけますか?」
「何かを悼むのであれば、もう少しいい形があると思うけれど?」
「はは。俺はあなたが大嫌いなので、訳知り顔で批評されるのはうんざりなんですが」
「おや、これは困った。ノイン、僕はどうやらリーシェックに嫌われたようだ。これでも昔馴染みなんだけれどな」
「まず間違いなく、お前の絡み方のせいだろうな。………本題に入るが、このいい加減な注文は何だ?」
リーシェックと揉められても時間の無駄なので本題に入れば、サーレルはテーブルの上に置かれた書類を取り上げ、くすりと笑った。
「どれどれ。…………ああ、楽しい気持ちになれる、見た目が綺麗な凄く美味しいもの。こういう注文をするのは、妖精達かな。いいじゃないか、宜しく頼むよ」
「ほお。全て予算も未記入だが、いいんだな?」
「……………それは、ちょっとまずい。真夜中の系譜には、高価過ぎる食材があるだろう?」
「それなら、もう少し具体的な注文に直してこい。そこを手直しするなら、一度受理済みの注文書だが、予算の調整も受け入れてやる」
「ほら、こういう男なんだ。ノインなんかやめて、僕の剣になれば良かったのに」
「仕事中なので、話しかけないでいただけますか?」
リーシェックとサーレルが互いに微笑んでいるので、傍目から見ているとより冷え冷えとした応酬に見える。
とは言え、このままサーレルに構わせておくと余計なことを言いかねないので、そろそろ黙らせる頃合いだろう。
「その注文書だけ、後から送り直せ。それと、夏至祭の夜には、森と庭園を開いておけよ」
「夏至祭の夜の宴に相応しい料理の支払いの分だけはね。ああそれと、君が求婚する子の条件を聞く限り、割と面倒な連中はみんな興味を持ちそうだよ。夏至祭で僕に紹介して貰うまでに、誰かに取られてなくさないようにね」
「余計なお世話だ。それと、あいつを夏至祭の宴に連れて行くつもりはない」
「そうれはどうだろう。夏至祭近くの季節は、僕の領地に連れて来ておいた方がまだ安全だと思うよ。夏至祭が近くなると、あちこちで古い魔術の約定や封印が緩み始めるだろう?羽目を外すのは、なにも夏至祭の系譜の者達ばかりじゃないからね。…………そうだよね、リーシェック?」
「夏至祭の王は、どちらかの腕がいらないらしい」
リーシェックが剣を抜く前に、怖いなぁと笑ったサーレルが姿を消してしまったので、ノインは額に片手を当てて深い溜め息を吐いた。
夏至祭の王は、どうやら最後の最後に余計な一言を残していったようだ。
「………あいつとの関係は知らんが、祝祭に影響が出るような削り方はするなよ」
「黙らせるのは吝かではありませんが、わざわざ追いかけはしませんよ。面白がらせるだけですからね」
「念の為に聞いておくが、何かが拗れた際に、俺が介入する必要はあるのか?」
そう訊けば、なぜかリーシェックは目を瞠ってこちらを見るではないか。
いつも飄々としているこの魔物が、こんな風に驚くのは珍しい。
「……………まさか、俺があれからの不利益を被るようであれば、手を貸していただけるんですか?」
「あのなぁ、俺はお前の主人だぞ?………ただし、手を貸すのは、お前が回避のしようがない場合のみだ。祝祭によっては難しい相手もいるが、夏至祭であれば、最も王としての権能を高めるのは真夜中になる。実際には、あいつが思う程、俺一人の手ではどうにもならないという訳じゃない」
「あなたが、そういう申し出をするのはちょっと意外でしたね」
「だろうな。だが、今はお前の戦力を欠くのは惜しい」
「あ。さては、お嬢さんの為ですね………」
「寧ろ、他にどんな理由があるんだよ」
「そりゃ、俺の主人として、忠義に厚い部下を守る為とか、色々あるのでは?」
「残念だが、そこで切り出せる筈だった分は、お前がこの前の視察から持ち帰ってきた清算で空になったようだが?」
「………あの土地は、珍しい料理が多かったんですよ。そもそも、その為の視察でしょう」
視線を彷徨わせたリーシェックに呆れつつ、ちゃりりと鳴ったリーシェックの眼鏡にかけた鎖に目を留めた。
(剣の魔物だ…………)
主人を持ちそれに仕えるという嗜好は魔物の中でも特異な資質だが、戦いなどに身を投じることの多いものを司る魔物が、目が悪いということは本来考えられない。
であればあの眼鏡にも、何かの理由があるのだろう。
とは言え、それがこちらに不利益を齎す要素でさえなければ、ノインにとってはどうでもいいことだ。
仕事に支障がなければ何の問題もない。
無言で先程の問いかけの答えを待っていると、気付いたリーシェックがふっと微笑み、胸に片手を当てて深々と一礼した。
わざとらしい仕草だが、司るものに付随する要素としていつもことの男の所作は美しい。
「俺は剣の魔中でも古参の方なので、直接削ぎ落しにかかれば、夏至祭の王程度なら抑えられますよ。………ただ、あの系譜は絡め手が得意ですからね。こう見えて俺はとても繊細なので、そちらの要素から切り崩しにかかられると、遅れを取ることもあるかもしれませんね」
「……………やけに素直に答えたな」
「どうせ、あのお嬢さんの為に必要な確認でしょう。であれば、懸念点も伝えるのは当然では?」
「その場合、切り崩されかねない懸念点がどこにあるのかも尋ねることになるが、いいのか?」
そう問いかけると、リーシェックは薄く微笑んだ。
「あ、それは嫌です」
「…………おい」
「その代わり、あのお嬢さんには、いざという時は、どれだけ不利な状況でも絶対に俺を躊躇わずに呼ぶようにと伝えておいて下さい。俺は剣なので、殆どの状況ではその場に居さえすればどうにか出来ますが、………使うのを躊躇われるとそうもいきませんからね」
そう言うからには、そのようなことから仕損じた何かがあったのだろう。
微笑んだリーシェックの瞳に過ぎった感情から僅かに何かが伺い知れたような気がしたが、掘り下げるのは面倒なのでただ頷くに留めた。
とは言え、その後、正式にディアの護衛に付けたリーシェックが妙にディアを構う様子を見ていると、剣の魔物がいつでも引き剥がせる筈の呪いを背負い続けている理由は、何となく察せられた。
恐らくこの部下は、似たようなものをどこかで喪った事があるのだろう。
そしてノインは、それを見越した上でリーシェックをディアの護衛騎士にしたのだった。
(それくらいの執着と守護が、…………いつかどこかで必要になる。それが、これからディアが生きていく場所だ)
復讐を終えてファーシタルを離れてこちらの庇護下に入れば、全てが安泰ということはない。
それどころか、ディアがこの先向かうのは、魔術をろくに動かせもしないような人間の命を容易く奪いかねない場所だ。
その身を守る為の手立ては、どれだけ周到でも過剰とは言えない。
「という事だ。何かがあった場合は、遠慮なくリーシェックを盾にしろ」
「はい。ではそうしますね。よく分かりませんが、きっと人間よりは遥かに丈夫な筈ですし、魔術的に凄い何かもある筈なので、すぐさまリーシェックさんを呼びます」
後日、ディアに有事の際の注意喚起をすると、思いがけない程あっさりと了承された。
同席していたディルヴィエによると、慣れない魔術の叡智に圧倒されているので疑問なく受け入れられたのか、先日、リーシェックに楽しみにしていたタルトを盗まれたからのどちらかが理由だろうとのことだった。
「………念の為に訊くが、俺も呼べるんだろうな?」
「ノインをですか?………ええ。いざという時には呼べると思います」
「ディルヴィエはどうだ?」
「あまり危ない場所にはちょっと………。その場合は、リーシェックさんかノインを呼びますね」
「…………おい」
「そのような目で見られても、私のせいではありませんよ。………ディア様、私もある程度は丈夫ですので、有事の際にはきちんと頼って下さい」
ディルヴィエに対する認識には腑に落ちない部分もあったが、数日後に、栗鼠妖精を見ようとして庭の外に出てしまったディアが沼地の精霊に遭遇した際には、何も躊躇わずにリーシェックを身代わりに沼に落としてきたのでそちらの運用は問題なさそうだ。
泥だらけになったリーシェックは泣きながら浴室に籠っていたが、そちらも、咄嗟の判断でディアを守る為に前に出れるのであれば、やはり相性としては問題ないのだろう。
「そうか。問題は、俺が作る料理が必要以上に増えることだけか…………」
「やれやれ、またリーシェックにディア様用の料理を盗まれましたか」
「ディアには………」
知らせるなと言おうとしたが手遅れだったようだ。
どうやらディルヴィエと一緒に厨房に来てしまっていたらしいディアが、戸口でわなわなと震えている。
暗い目で、また沼地の精霊が現れたら容赦なく盾にすると呟いているので、こうなればもう、宥めずに放っておいてもいいのかもしれない。
「良かった。良かった。お嬢さんは今日も元気ですね」
「ま、また私のケーキを取りましたね!ノインが、おやつに用意しておいてくれた物なのですよ!!」
その翌日も似たような騒ぎが聞こえてきたので、どうやらこれは、リーシェックなりにディアを気に入っているということなのだろう。
まるで息をして動いていることを確かめるような切実さを隠した構い方に面倒臭ささを覚えつつ、ノインは深い深い溜め息を吐いた。
「……………という事は、俺またケーキを作り直すんだな」
「でしょうね。あの男の隠された料理を探し出す能力は、呆れるばかりのものですからそろそろ諦めては?」
「くそ、あのケーキはかなり手間がかかっていたんだぞ………」
「それは、残念でしたね」
そしてやはり、皺寄せはこちらにくるようだ。
2022.02.25
『長い夜の国と最後の舞踏会 2 ~ひとりぼっちの公爵令嬢と真夜中の精霊~』発売となりました。
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