【誰かのお話】 剣の魔物と苺のケーキ
魔術に長けた強欲な王がいると聞き、その国で足を止めたのはいつのことだっただろう。
見上げた空は曇り空と青空が斑らになっていて、天気雨の煌めきに青々とした森の木々が濡れていたので、夏だったような気がする。
砂の国の豊かなオアシスの中に佇むのは、瑠璃の王宮。
風にたなびく色鮮やかな布と、咲きこぼれる赤い薔薇の花。
そんな王宮の敷地内に薔薇園に囲まれた小さな離宮があり、リーシェックが護衛を任された小さな王女が暮らしていた。
その王女が生まれるまで、国を治めていた王は、多くの者達に愛された気のいい魔術師だったという。
王が再愛の妃との間に生まれた初めての子供の為に妖精達に生誕の祝福を頼んだところ、王の為にと集まったその土地に暮らす様々な妖精達が、我先にと潤沢な祝福を授けた。
しかし、過分な祝福は受け皿となる体が育っていてこそ祝福となり得るものだ。
必要とする以上の水を注がれた花が腐り落ちるように、その娘の体は簡単に壊れてしまった。
我が子の体を押し潰す祝福を必死に引き剥がそうとした妃も、仮にも祝福として差し出されたものを損なおうとした結果、その場で死んだらしい。
そして王は、数年も生きないだろう体になってしまった幼い娘に失望し、背を向けたという。
そこまでが、誰もが知っている話だ。
その事件を機に温和だった一人の王が冷酷で残虐になり、併合した国々から召し上げた側妃達との間に生まれていた健やかで優秀な子供達は、気紛れな王を満足させるために継承権を巡って競い合うようになった。
生誕の祝福に呪われた王女は、王が彼女を幽閉する為に建てたという離宮に閉じ込められたまま。
リーシェックが魔術王と呼ばれた一人の男に仕えたのは、砂の国を取り巻く様相がそこまで凄惨なものになってからだった。
「リーシェック。私に仕えて何年になる?」
「まだ二年ですが、それがどうかしましたか」
「そろそろ問題なさそうだな。………君には、私の娘の護衛をして貰おう。まだ護衛騎士を得ていない娘が、一人だけいてね」
「………まさかとは思いますが、あの寝たきりの子供ですか?」
「そうだ」
「剣を置くのに相応しい場所だとは思えませんが。………もしかして、俺を貴族の養子に押し込んだのも、その為ですか?」
「まずは、あの子の離宮を見てくるといい。私は、君を置くのにこそ相応しい場所だと思っている」
残虐さを気に入り主人とした魔術王の命令で、渋々その離宮を訪れたリーシェックは、牢獄の筈だった離宮が、魔術の粋を集めて作られた防護壁であることに気付いた。
(そして、この王女の命を削っている祝福は、主に植物の系譜の祝福なのか………)
となると、殺戮と戦いを好む剣の魔物を護衛に付けようとしているのは、継承争いの火の粉からこの娘を守る為ばかりではないのだろう。
幼い王女に授けられた祝福の多くが、リーシェックが持つ魔術との相性が悪いからだ。
(成る程。俺の持つ魔術で祝福を少しでも枯らし、娘の体にかかる負担を減らそうという魂胆らしい)
だが、リーシェックは、戦場に出て殺戮を行う為にあの王に仕えたのだ。
一日の殆どを寝台から出ずに過ごしている、生きているのか死んでいるのか分からないような子供の面倒を見る為ではない。
とは言え狡猾な主人は、剣の使い道は殺すばかりではないと訳知り顔で言うので、うんざりしながら任務に就き、やはり人間は愚かだったなと辟易しながらではあるが、少しだけその場に留まることにした。
(次に仕えるのであれば、人間はなしだな)
剣の魔物は主人を選ぶ魔物ではあるが、その忠誠は無償のものではない。
剣だからこそ、相応しくない主人に無駄に仕えることはないし、見限った主人をどうするのかはこちらの気分次第だ。
高潔さに聡明さ、残忍さや強欲さ、剣によって主人に望むものは違うが、それぞれの剣は己が主人に求めるものを明確にしている。
それが例えかつての主人であろうと、望ましくないものを排除することを厭わないのもまた、時には叛逆の切っ先となる剣というものの資質であった。
(……………だから、少しだけ。少しだけだ)
どうせこの子供は、あっという間に死んでしまうだろう。
そう考える思考は冷えていたが、普通の人間であれば見える筈のない妖精の足跡を見付けて微笑んでいる小さな子供は、いつだって不思議と穏やかな目をしている。
思えば、出会った時からおかしな事を言う子供だった。
リーシェックの正体に気付いておいて、自分はすぐに死んでしまうので安心するようにと微笑んだこの子供は、いつだって与えられたものに満足しているように見える。
箱庭育ちのくせにお人好しなばかりではなく、皮肉っぽい考え方もするし、どこか達観しているような様子もあった。
だが、その時に手の中にある以上のものは、何も望まないのだ。
十日間生きることよりも、その日の朝に綺麗な薔薇が咲いた方が嬉しいと大真面目に言うような子供の目にはひと欠片の諦観もなく、呆れる程のちっぽけな取り分をにこにこしながら本気で喜んでいる。
きっと、その心ごと、この箱庭のような離宮の中に捕らわれていたのだろう。
「リシェド。見て下さい。今日は青みがかった綺麗な色の曇り空なんですよ。とても綺麗ですね」
「…………そうですか」
「リシェド。今日は体調がいいから、窓を開けられることになりました。こんなに幸せなことはありません」
「良かったですね」
「妖精の足跡の上に、花びらが落ちていたんです!何日も具合が悪くて起きられなかったので、この綺麗な花びらを見付けて嬉しくなってしまいました」
「障りが出るので、触れない方が宜しいかと」
「先日、私に毒を盛ったお兄様は、それが効率的なだけで、私のことは嫌いではないそうです」
「…………それを本日の良いこととなされるのは、さすがにどうかと思いますが」
話しかけられた時だけ、言葉を返す。
護衛対象の王女は、それを不快だと思う様子はなく、必要以上に会話を続けるつもりもないようだ。
一度も自分を訪ねたことがない父を恨む事もなく、周囲の貴族達の駆け引きを一歩引いたところから眺めて呆れながらも、その中の誰かに自分の持ち物を奪われても溜め息を吐くばかり。
何一つ欲しがらないから、少しずつ不思議に思い始める。
心がない訳ではなく、感情の揺らぎは豊かな人間だ。
にこにこと微笑むことが多いが、声を上げて泣いたことはない。
足下の悪い道でリーシェックが手を貸さずに転んでも、きっとこの王女は、この道ならそれは転ぶだろうと思うくらいだろう。
「…………お手を」
「まぁ。手を貸してくださるのですか?」
気付けばリーシェックは、自分からその王女に手を貸すようになっていた。
主人に命じられたこと以外は絶対にしなかったが、それでも、騎士としての役割はしっかりと引き受けるようになったのだと思う。
戦い殺すことばかりが愉快だったリーシェックにとって、それは、初めての、守る為だけを課された時間だった。
そこから更に何かが変わり始めたのは、真夜中に発作を起こした王女を、ただ見ていた夜のことだ。
最初の頃はそろそろ死ぬだろうかと思うくらいだったが、今では、手助けをしてやろうにも却って悪化させるだけなのでと、発作の時は敢えて必要以上には近付かないようにしていた。
過分な祝福に身を蝕まれているところに近付けば、それが元凶となる祝福を枯らすリーシェックであろうとも、余計な刺激になる。
だからと思い諦めて見ているだけの夜に、よりにもよってその王女は、こちらに気付いて嬉しそうに笑ったのだ。
「…………そこにいてくれるのは嬉しいです。死ぬ時に一人なのは、…………寂しいですから」
その頃になると、王女が体調を崩す日に限って、離宮で働く者達が不自然に姿を消すようになっていた。
仕事で呼ばれたから、用意しておくべき布や湯が切れたから、体調が突然悪くなったから、たまたま休憩時間だったから。
そんな理由を付けて、みんながいなくなる。
最初の頃は献身的に王女に寄り添う愛情深い者達もいたが、そういう者は、結果的に彼女を殺そうとする者達に排除されやすくなる。
一人また一人と減っていき、せめて危害は加えない人材をと選別しても、残ったのは寄せ集めのような無関心な者達ばかり。
だから、こうなるのも当然のことだった。
それなのに、なぜ、こんな惨憺たる状況で、ベルローザは嬉しそうに笑うのだろう。
誰も薬湯を運ばず、汗を拭く侍女すらいない真っ暗な寝室で発作の苦痛に体を捩りながら、そこにいてくれるだけで嬉しいと幸せそうに笑った姿を見て、リーシェックは途方に暮れてしまった。
それが、リーシェックが初めて触れた、何も欲しがらないベルローザの願い事だったのだ。
「夏の終わりに開かれる夏終いの舞踏会には、苺のケーキが出るのですって。この国では滅多に手に入らない果物だから、その為だけにでも参加する価値があると言われているみたい」
「俺にはその価値は分かりませんが」
「リシェドは、殆ど食事をしないのね。もしかして、この国の食べ物が口に合わなかったの?」
「と言うより、食事そのものに興味がないので、必要とされた時以外は、望んで時間を割くこともないでしょうね」
「まぁ。絶対に損をしているわ。美味しいものを食べると、とても幸せな気持ちになれるのに」
「俺はそうはならないと思いますよ」
少しずつ、少しずつ、その国の王子や王女が減っていった。
それは、この国の王の敷いた魔術の成就の日が近付いているということだ。
リーシェックとも以前よりも多くのことを話すようになり、手を差し出せば躊躇わずに重ねるようになったが、それでもベルローザは、リーシェックに、苺のケーキが食べたいとは言わない。
以前のように発作で寝込まなくなり、ベルローザは、とうとうダンスの練習すら出来るようになった。
多くのことが出来るようになっても、やはり食べることが一番好きなようだが、自分から何かを欲するということは殆どないままだった。
「では、その舞踏会では、俺があなたに、苺のケーキを取ってきましょう」
「まぁ。では、みんなが食べて、残っていたらね」
いい加減に腹立たしく思い始めていたリーシェックがこちらから差し出してもそう笑うばかりだったベルローザは、けれども、その苺のケーキを食べることはないままに、呆気なく死んだ。
(……………夏至祭の夜だった)
よりにもよって彼女は、人ならざる者たちが紛れ込む夏至祭の夜に一人で庭園に出てしまい、あの、妖精の祝福のせいで余計なものがよく見える目で、夏至祭の夜に人間達に悪さをしに来た生き物達を見付けた。
そればかりか、その中の一人をリーシェックと間違えて声をかけてしまい、彼等に姿が見えているということを知られたのだ。
夜の間中、死に物狂いになって探していたベルローザを夜明けと共に見付けたのも、ずたずたになった体を抱き上げ、苦痛を感じずに済むようにとその痛みを引き取ったのも、リーシェックだった。
夜明けと共に降り出した雨の音が響く中、文字通り身を引き裂かれた苦痛を感じながら、まだ微かに息の残るベルローザが目を開くのを待つ。
「………リシェド?」
「……………馬鹿ですか、あなたは」
それでも、開いているはずの瞳は虚ろなままで、残された息の間だけ意識を保てていたベルローザと、リーシェックの目が合うことは終ぞなかった。
彼女をこんな姿にした夏至祭の客の誰かが、妖精の祝福を集めた瞳が、隠れていた筈の自分達を見付けたことを不愉快に思ったのだろう。
瞳そのものが残されただけ幸いとも言えたが、見る為の機能は殆ど剥ぎ取られていたのだ。
少しずつ、少しずつ。
共に過ごすことで育っていった、リーシェックの中の何かを道連れにして、ベルローザの命が壊れていく。
無惨に魂までを食い荒らされた彼女を救うことは、もはやリーシェックにも叶わない。
このまま死ねば、彼女は、死の国にも行けずに壊れてなくなるだけ。
駆け寄ってきて、リーシェックが抱えているベルローザを見るなり絶叫したのは、リーシェックの主人であるこの国の王だろう。
背後で泣き崩れて運命を呪う怨嗟の言葉を吐く男の、彼に残された最後の愛する者を守れなかったリーシェックを詰る言葉を、ぼんやりと聞いていた。
その男が、娘が最後に願った言葉を、そのまま呪いに変えても、避けようとは思わなかった。
(……………結局、ここにいた誰一人として、彼女を守ることは出来なかった)
もし、夏至祭の夜に厄介な場所に迷い込んでも、そこにいたのがどれだけ残忍な生き物達でも、リーシェックを呼びさえすれば、ベルローザは助かったのだ。
剣の魔物で、主人からベルローザの護衛騎士に命じられていたリーシェックなら、彼女が呼べはどこにだって駆け付けられた。
それなのにベルローザは、リーシェックを呼ばなかった。
リーシェックが人間ではないことも、ある程度の階位にある人外者だということも知っていたくせに、ベルローザは、助けて欲しいとすら願わなかった。
剣として生まれて、たった一人の愛した者にすら望まれずにむざむざと喪う自分は、どれほど惨めなのか。
だがそれは、愛する者の守り方を間違えたと、こんな形で思い知らされた後ろの父親も同じだろう。
人間としては規格外の魔術師である彼もまた、娘が助けを呼べばそれを救うだけの力はあったのだから。
(それでも、………俺も、この男も、ベルローザが願うにすら値しないもののままだった)
リーシェックの主人であるこの男は、娘にかけられた祝福を解く魔術を動かすのに必要なだけの魔術師としての階位を得るべく、継承権を餌に他の子供達を殺し合わせ、魔術の贄とした愚かな男だった。
祝福と相殺させるには、災いや怨嗟しかない。
だからこそ、祝福に殺されかけている娘を、血族同士の殺し合いのテーブルにこっそりと載せておき、他の子供達の殺し合いで祝福を削り取らせることもまた、この男の計画だった。
だが、それでもまだ、普通の人間には多過ぎた祝福が、ベルローザの体には残っていた。
発作を起こして死にかけるほどではなくなったが、夏至祭の夜の向こうに、見付けてはいけない者達を見付けてしまうくらいには。
(とうとう最後まで、…………一度も俺を呼ばなかった)
その絶望が染み込む心が冷え込む一方で、ベルローザから引き取った痛みが、もろもろと崩れ落ちてゆく。
彼女がどこにもいなくなるようで必死に手繰り寄せたが、やがて、ベルローザから引き受けた痛みは全て消え失せた。
「……………ダンスくらい、………あなたが願えば、何曲だって踊ったのに」
けれども、それもきっと、リーシェックがもっと早くに言うべきだったのだろう。
望んでくれと、呼んでくれと、彼女に願うべきだったのだ。
望み方を知らないベルローザに、呼んでもいいのだと教えてやるべきだった。
でも、その願いはもう二度と、叶わない。
もう二度と。
リーシェックが初めて愛したものは、無残に引き裂かれて消えた。
あの夏至祭の日から、どれだけの月日が経っただろう。
耐え難いほどに長くも感じられたが、剣の魔物としてはさして長くもない日々。
次の主人は、夜の食楽の王だった。
そしてそこでも、リーシェックは、よりにもよって守る事を命じられている。
「お嬢さんは、何で水を飲む前には必ず臭いを嗅ぐんですか?」
「…………まぁ。そのようにしていましたか?」
「見る相手によっては気付かないくらいですが、俺はそういう仕草を前にも見たことがあるので」
「ファーシタルにいた頃、よく毒を盛られていたので、無意識に雪水仙の香りがしないかどうか確かめてしまったようです。もう、そんな心配はしなくてもいいのに、なかなか抜けないものですね」
どこか飄々とそう言ってのけたのは、リーシェックの今の主人がやがては伴侶にする予定の人間だ。
遠い日にこの心の中にいた誰かのように、妖精の足跡を見ることは出来ず、それどころか祝福を一つ宿すだけでも調整が必要になるくらいに魔術所有値が低い。
それなのに、毒を盛られていたらしいとなぜか微笑んでいたベルローザの面影が重なった。
「で、これは何です?」
「ノインに作って欲しい、お料理のリストです。食べたいものがあったら言うようにと言われたのですが、苺のケーキは絶対なのですよ」
おまけに、願うことを躊躇う様子は殆どない。
それどころか、どちらかと言えば、己の欲求にはかなり貪欲な人間なのだろう。
「おっと。………この花びらには触れないように。屋敷に入れるくらいの階位の妖精が、運んで来たんでしょう。お嬢さんの体には障りますからね」
「この花びら一枚でも、良くないものなのですか?」
「妖精の通り道に敷かれた花びらは、釣り餌のようなものですからね。奴等はなかなかに狡猾な真似をする。お嬢さん程に所有値の上限が低いと、連中に攫われるとあっという間に食われますよ。ディルヴィエの守護があるので、実際にはそう簡単に攫われないでしょうが」
「……………絶対に触りません」
「ええ。そうして下さい。…………それと、一応は護衛ですからね。何かがあったら、俺を呼ぶように。ノイン様が菓子を焼いたときにもそうしてくれて構いませんよ」
「私のケーキは、二度と渡しませんよ!」
食事の楽しみを知ったのは、皮肉にも前の主人がかけた呪いを背負ってからのことだった。
この呪いが食楽の系譜のものだったからこそ今の主人の目に留まり、呪いの代価としての食事だと言った筈なのだが、なぜか初対面から食べ合わせの指導が入った。
そんな精霊を新しい主人にしてもいいかもしれないと考えたのは、リーシェック自身には声をかけたくせに、その要因となる呪いの経緯には全く興味がなさそうだったからだ。
それに、どちらにせよ、剣を振るうだけ空腹になるこの呪いのせいで、食べ物を手に入れ難い環境に身を置くのは難しい。
そんな理由で選んだ主人だったが、いつの間にかリーシェックは、ノインに付き合わされてあちこちの店を引き回されたり、試作の料理などを食べさせられている内に、食事そのものが気に入ってしまった。
今ではもう、食べられれば何でもいいとは思わなくなった。
それどころか、あんまりな料理となると、空腹でも避けることもある。
寧ろこのあたりは恩恵というよりは、食楽に仕えている弊害だろう。
(今はもう、この主人が気に入っている。と言うか、…………まぁ、主人としてということであれば、今迄で一番だろうな)
その理由は、夜の食楽の王の城に集まる連中を見ているだけでも、何となく納得出来た。
自分も相当に面倒な気質だと思うが、そんなリーシェックの目から見てもそこそこに面倒な者達が多い。
けれどもそんな同僚達が、夜の食楽の王を中心にぴたりとはまるのだ。
そして、そんな主人が連れて来たのが、この脆弱な人間である。
いずれは真夜中の精霊として取り込むつもりだろうし、既に瞳の色などは変化してきたそうだが、未だにその履歴故の魔術への耐性のなさが足枷となっていた。
「食い意地が張っているのは悪いことじゃありませんが、お嬢さんの体で欲張ると、また寝込みますよ」
「幸いなことに、私は寝込むことにはとても慣れているので、美味しいケーキを優先するかもしれません」
「やれやれ、ディルヴィエの使い魔と同じ主張ですね」
そう言えば呆然としていたが、この人間は笑ってしまうくらいに貪欲なのだ。
(初めて見たのは、真夜中の精霊王の舞踏会でのこと)
その舞踏会でリーシェックの主人が作ったのは白いクリームに赤い苺が鮮やかなケーキで、リーシェックはなぜか、そのケーキばかりは手を出すのが躊躇われてぼんやりと遠くから見ていた。
ずっと昔に、ベルローザに食べさせてやれなかった、苺のケーキ。
それは、夜の食楽の王に仕えるようになってからだいぶ経っても、リーシェックの中に残る棘のようなものだったのだろう。
そして、何も食べてはいけない筈なのに、そのケーキをなんとか食べようとしてテーブルの下で飛び上がっていたのが、ここにいるディアだった。
何がどうなって夜の食楽の王がその子供を選んだのかについては、若干の罪悪感を覚えるものでもある。
だが、あの時に苺のケーキを幸せそうに頬張っていた青い瞳の子供が、自分を殺そうとしたもの達の手から逃れてここにいるのだと思うと、たったそれだけのしょうもないことで救われる何かがあるのだ。
「……………少しも似ていないのに、どうしてでしょうね」
小さく呟き、その言葉を聞き取り損ねて首を傾げている新しい護衛対象ににっこりと微笑みかける。
離宮に押し込められていた、哀れな子供。
青い瞳をしていて、すぐに寝込んで、けれどもそこから先は少しも重ならない。
それどころか、目の前の少女はもはや瞳の色も同じではなくなってしまった。
だから、ベルローザとは少しも似ていないし、何かを感じるほどには重なりもしない筈なのに。
それでもなぜか、この役目を命じられたことに救われる何かがある。
ディルヴィエに後見人に任せ、夜明かりの妖精達を大喜びさせた主人は、きっとそんなことはお見通しの上でリーシェックにこの仕事を任せたのだろう。
「お嬢さんなら、きっと何かがあった際には、俺を躊躇わず呼ぶでしょうね」
「ノインのお菓子が焼き上がった時は、呼ばないかもしれません」
「そこは、もう少し慈悲深く生きてもいいと思いますよ」
「そもそも私の為に焼いてくれたものなら、一つ残さず私のものなのです……」
「やれやれ。お嬢さんは、強欲ですねぇ」
「強欲……?」
いつか、こうして守るようになったあの時の子供が、この名前を呼ぶだろう。
その時にまた、リーシェックの中で何かが変わるのかもしれない。




