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【そのまたどこかのお話】 とある竜の通り道




「今夜は、スープですか。もう少し嵩のあるものが良かったな」

「…………お前は、いい加減に夜食を作った夜にだけ戻ってくるのをやめろ」

「はは、俺の主人は我が儘ですね」

「どっちがだよ。…………西の自治領はどうなった?」

「今の政治体系では、遠からず自滅するでしょうね。ということで、軽く枝を落としておきました」

「……………は?」

「大切な葡萄畑があるのでは?今の愚鈍な王族達よりも、公益の重要さを知る辺境に追放された王家の方が上手くやるでしょう」

「俺は、葡萄の妖精達の話を聞いて来いと言ったんだぞ」

「ですが、ディルヴィエではなく俺を行かせたのは、武力行使が必要な場面があると思ったからでは?」

「だとしても、王家の交代ではなかったがな。………くそ。お前のせいで、あの国を盤上にして国崩しを行っていたかもしれない連中が、こちらを向くだろうが!」



ノインは顔を顰めてそうぼやいていたが、ビストは小さく笑って、この部屋の扉を開ける前から用意されていたグラスを取った。


グラスに映るのは、短い紅茶色の髪に青い瞳の自分の姿。

目の前の主人からは、系譜に見合った色だと言われる。

しかし、同じ種族の連中からは、竜というよりは魔物や精霊の面立ちだと言われることが多い。



「…………へぇ。この葡萄酒は初めてですね。美味いな」

「晩秋の星空と夜霧の葡萄酒だな。まだ畑は若いが、将来性を見て買い上げたメゾンだ」

「だから、この夜牛のスープなんですね。肉煮込みのスープが美味いと思うのは、ここに来てからですよ」

「お前が直前まで居たのは、ヘレベの王宮だろ。どんだけ雑な仕事をする料理人だったんだよ」

「あの国は、何でもトマト味でしたからね…………」



少し嫌な記憶が蘇り低く呟くと、ノインもそうだったなと肩を竦めた。


ビストが夜の食楽のより以前に身を置いていたのは、薔薇の木の精霊の守護を持つ南方の大国だった。

豊かな漁場を持つ港にはいつも活気があり、こちらの北方の国よりも遥かに早い夜明け前に朝のミサの鐘の音が鳴り響くような国だ。



(………目を閉じると、今でもあの国の夜明けを思い出すことが出来る)



青い海が鮮やかに映える白壁の建物群と、見事なモザイク装飾の神殿建築の美しい国だったが、唯一、料理のほぼ全てがトマト味になるという、ビストにとっては見過ごせない問題があった。

素材の味を生かした薄味の料理が多く、そうなると必然的に味付けはほぼトマト味になる。


それ以外は気に入っていたあの国を出たのは、料理が合わなかったからと言っても過言ではない。

秋闇の竜には美食家が多く、トマト料理も好きだが全てが同じ味となれば、話は変わってくる。



「それと、剣の魔物を拾ってきたようですね」

「お前までその言い方かよ。シャムシールだ。正式に主従契約を交わしてある」

「剣の中でも、食楽と無縁で、冷酷な気質だったはずですが、ここ二年ほどは狂乱の気配があると言われるくらいに荒んでいたようですよ。………主人でも死なせたのかもしれませんね」

「あいつに呪いをかけたのは、その主人だ。砂の宮殿の魔術王だな。調べさせたがまだ存命のようだから、死んだのは別の誰かだろう」

「であれば、娘かな。………少し前に、あの国の王の娘が夏至祭の連中が食い殺されたという噂があった筈です。あの国の王は人間の中でも、三席相当の階位の魔術師なので、どうか狂わずに済めばいいのですが」



そんな話をしながら煮込まれて柔らかくなったスープの中の肉を骨から剥がしていると、向かいの先のノインがやけに暗い顔をしていることに気付いた。



「…………何かありましたか?」

「兄上が、ろくでもない祝福を寄越したんだ。お前の主人は、その内、乳飲み子を伴侶にするかもしれないぞ」

「それの、どこかまずいですか?」

「ああ、くそ、竜に言っても無駄だったな………」



ノインはそう呻いていたが、相手が幼い内から伴侶として抱え込むのは何も竜ばかりではない。

いずれは伴侶にするとしても、そもそもが愛し子だということは精霊や妖精にもあることだ。


「案外、向いているんじゃないですか?何かの面倒を見るのは好きでしょう」

「言っておくが、結果的に見る羽目になっているんだ。……………ったく、リーシェックの奴はまた抜け出しやがったな」

「真夜中の精霊を殺すのはやめたようですが、まだ殺し足りない系譜の連中がいるのかもしれませんね」

「面倒なことになるから、夏至祭の王の周囲には近付けさせるなよ」

「…………ん?俺がですか?」

「その為に呼び戻したんだ。あいつを抑えられるのは、お前くらいだろ」

「いや、あなただってその気になれば簡単に出来ますよね?対外的には、食楽だけが魔術領域かのようにしていますけれど」



そう告げると、ふっと笑う気配があった。

ぼんやりとした部屋の明かりの中で、鮮やかな紫の瞳が光を孕むように揺れる。



「だからこそだ」

「…………まぁ、そうでしょうね」



(これのどこが、穏やかな気質の精霊だというんだ)



小さく息を吐き、けれどもそのまま食事を続けた。


夜の食楽を収める王は、食事というものの階位が夜にこそ上がる土地が圧倒的に多い為に、夜の最高位となる真夜中の精霊が管理を得たが故のひと柱だ。

そして、多くの生き物にとって、生きていく上での健やかな食事は無視し難い要素となる。


食事そのものに興味を持たない一部の者達を除けば、殆どの者達がその障りなど受けたくはないだろう。

また、摂取という括りになれば、どれだけのものが食楽の魔術のテーブルに上げられるかは言うまでもない。


それを嗜好品とする生き物がいれば、毒も汚泥も祝福としても障りとしても扱える。

更には、中毒などの障りや疫病の領域の魔術さえもがこの男の手の上なのだと知る者は限られていた。


今回拾われてきたシャムシールのように、本来は食事を摂らなくてもいいが、持ち手の影響を受けることで食事とは無縁とは言えなくなる者達も多い。

完全に飲食と無縁の生き物でない限り、食楽の魔術領域からは逃れられないのだ。



(それに、高位の者達程に、料理や菓子、酒類などに拘ることが多い。長命種の娯楽は少ないからな)



また、当人がそれを受け流せても、国を治める王や系譜の王となれば、その系譜ごと呪われるのは避けたいだろう。

国民や臣下達からすれば、その呪いに我慢がならない時に退けるべきは王となる。

何せ、食楽に牙を剥けば、かけられた呪いは永劫に解けることはない。



夜の食楽の王の敵を滅ぼすのは、一滴の葡萄酒かもしれないし、己の身内かもしれない。

これは、そういう生き物なのだ。



「………いつまで食ってるんだよ。悠長過ぎるだろ。魔術証跡でも繋いであるのか?」

「一応は。それに俺の方が器用で階位も上ですからね」

「お前が夏至の系譜じゃなくて幸いだったな」

「あの系譜の軽薄さは嫌いですが、そうだったとしても、俺の方が先にあなたに仕えているんですが?」

「………おかしな理由で不機嫌になるのをやめろ」



うんざりしたような声音に苦笑し、やれやれと肩を竦めた。


何よりもこの夜の食楽の足下を固めるのは、ここに集まる者達が多いからだろう。

単純に食楽の王の気質ということではなく、そもそも、食環境の充実は働く者達にとっての大切な条件の一つとなる。

かくいうビストも、食楽の領内に逃げ込んだ経緯は、料理が間違いないというしょうもない理由だった。



「この立場は譲れませんよ。上手い食事に加えて、真夜中の精霊の領域には豊かに暮らせる資質がこれでもかと揃っている。安眠に静謐に優美。音楽に芸術に文学。そして好めば終焉や享楽まで。夜そのものを厭わない限り、ここに勝る住処はないでしょう。幸いにも、俺は秋闇なので真夜中とは親和性が高いですからね」

「………尤もらしいことを言いながら、皿を差し出すのをやめろ」

「ただし、今夜は量が足りません。枝払いをしてきたばかりなので」

「…………どれだけの枝を払ったんだよ。面倒事を避ける為の派遣だったんだぞ?!」



そこで、ふっと繋いだ魔術の糸が揺れた。



(………思っていたより荒れているな)



本来のシャムシールなら、こんな風に繋がれた魔術の気配を見過ごす筈がないのだが、喪った何かが、それだけあの男の中から多くのものを奪ったのだろう。

或いは、それだけの変化を齎したのだ。



(まぁ、竜も愛する者や庇護する者を喪うと、簡単に死ぬからな………)



そんなものなのだ。

それを最初から理解しているかどうかで、喪うかどうかが変わりはするが、とは言えよくある話である。

そして、その苦痛を呑み込み生き延びるのか、抱えきれずに死ぬのかは、どちらかと言えば運次第だろう。



「あなたの拾ってきた魔物の状態が良くないので、連れ戻してきます。二杯目はもう少し量を多めにしておいて下さい」



それだけを言い残し、顔を顰めたノインにくすりと笑い、窓から飛び立った。


人形のままでも充分に制圧可能だが、夜闇の中ではこちらの姿の方が簡単に用事を済ませられる。



(…………食事をしたら、昼までは寝るか。久し振りにこの城に戻ってきたから、朝食は仕方ないとしても、昼食は抜かせないな)



そんな事を考えながら翼を広げると、主人でもあり、そろそろ友人にもなりかけている食楽の王は、ぶつぶつ言いながらも何を作ってくれるだろうと考えて微笑んだ。






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