【どこかであったお話】 黒衣の騎士と小さなお姫様
「まぁ、あの騎士は黒一色なのね」
小さなベルローザがそう言えば、侍女達がどこか怯えたように視線を彷徨わせた。
どうしたのだろうかと思いそちらを見ると、一番年嵩の侍女がおずおずと申し出る。
「公爵閣下の養子ですわ。騎士としても優秀で息を呑むほどに美しい方だと言われておりますが、氷のような方ですよ。戦場ではそれはもう残忍で、笑っている姿など誰も見た事がないそうです」
「でも、優秀な者なのでしょう?という事は、それだけしっかりとこの国を守ってくださる方なのだから、そのように言ってはいけないわ。それに、あの黒衣の装いがよく似合っておられるのね。確かに美しい方だわ」
「美しいからこそいっそうに恐ろしいのです。ベルマ侯爵令嬢が足を痛めておられた時も、邪魔なので廊下の端に移動するようにと言っただけでした」
その一言で、ベルローザはその騎士に興味を持った。
あの侯爵令嬢が、足を挫いたので馬車まで腕を貸して欲しいと言うのは何もその時が初めてではあるまい。
ベルローザは、とても脆弱な体と引き換えに目がいいのだ。
「まぁ。でも、まさか人ならざる方だとは思いませんでした。高貴なる方、このようにお手を煩わせてしまうことをお許し下さいませ」
興味を惹かれた騎士と初めて対面したのは、その年のリベルフィリアの夜のことだった。
王宮で舞踏会が開かれ、体の弱いベルローザも今夜ばかりは美しいドレスを着て参加する事になる。
王宮でも滅多に姿を現さない第六王女に、人々はひそひそと何かを囁き合うばかりで近寄ってこなかったが、国王である父がベルローザを必要以上に冷遇することはなかった。
けれども、継承権を争う兄や姉達はそうではなかったようだ。
政治に疎いベルローザにはよく分からなかったが、多分、邪魔な妹を一人殺せば、継承争いに何らかの益があるのだろう。
離宮に閉じ込められるようにして生きてきた何の価値もない、体も弱く生きてもせいぜいがあと十年ほどの王女にかけるには過ぎた憎しみだが、それでもベルローザはよく命を狙われた。
生き残れているのは、ベルローザの目がいいからだ。
(だって、見えるのだもの)
毒の入ったグラスの横でひそひそとお喋りをしている妖精達や、暗殺者のいる木陰に向かって唸っている狼姿の精霊など、小さな頃からそんなものばかりを見てきたから、何となく危険を回避し続けてこられてしまった。
幼い頃に亡くなった母から、そのようなものが見えるということを人ならざる者達に気付かれてはならないと言われてきたので友達にはなれなかったが、不可思議な生き物達はいつだってベルローザを助けてくれた。
それでも、こんな風にお喋りをすることなんてないと思っていたのに。
「……………成る程。あれが案じるだけはある。目がいいようだな」
思わず、先の言葉を発してしまったベルローザは、黒衣の騎士が凍えるような水色の瞳でそんなことを呟いた瞬間、しまったと息を詰める。
正体に気付いてしまったことが知られていて、すぐさま不敬を詫びた方がいいと思ったのだが、そうではなかったらしい。
ここはきっと、気付かないふりをするべきだったのだ。
「私は、殺されてしまうのでしょうか?」
「そう思い至れるのであれば、俺と同じような者達には、その姿を見ているということを気付かれませんように。生誕の守護や祝福を持たず、その上でそれだけの豊かな祝福魔術を身に持つとあれば、……………この上ない餌となりますので」
「なぜ、私に臣下の礼をなされるのですか?」
「本日より、あなたの護衛騎士となったからですよ」
「……………私の?」
「陛下がそう命じられました。……………あれは魔術師ですからね、守り方は上手いがここまで国が歪むと、その守護にも限界がある」
黒衣の騎士は、淡々とそんなことを告げていく。
ベルローザは、一度も娘の名前を呼ばない父がなぜ自分に国内の筆頭騎士を付けたのか分からなかったが、何か事情があるのだろうか。
さすがに、継承争いに加わらないはみだし者を兄や姉達が嬲り殺しにするのは、国王とて体裁が悪いのかもしれない。
最近は身の危険を感じる頻度が上がり、困ったなと思っていたのだ。
それは今夜とて例外ではなく、ベルローザは、命を狙おうとした兄の手配した騎士に扮した誰かにバルコニーから引き摺り落とされるところであった。
悲鳴を上げたのになぜか誰にも気付いて貰えず、これはいよいよかなと思っていたのだが。
「私を、守ってくださるのですか?」
「ええ。そのように約束しましたからね」
「……………とても不本意そうですが」
「戦場で敵を殺せと言われるならいざ知らず、このような任務を与えられたのですから、そう見えても致し方ないのかもしれませんね」
「それもそうですね。であれば、適当に放っておいて下さいな。この調子ですと、あなたの手を煩わせる時間はさして長くはないでしょう」
そう言えば、なぜか騎士の姿をした美しい人ならざる者は、僅かに驚いたように水色の瞳を瞠った。
その瞳の揺らぎがあまりにも綺麗で、ベルローザは嬉しくなってしまう。
特別な事になど何も触れられないままに生きて死ぬのだろうと思っていたが、このどうしようもない人生の最後に、こんな美しい生き物が側にいてくれるらしい。
(それだけで、何だか素敵だわ)
公爵家の養子だという彼は、先の大戦の英雄的な騎士でありながらも、正当な後継ぎのいる公爵家の持つ幾つかの爵位を贈与されることもなく、一介の騎士であり続けた。
第六王女の護衛役は戦の褒章として与えられたということになっていたが、本人の様子を見ていると押しつけられたのだろう。
だから当然、その護衛騎士は、ベルローザが発作を起こして体を丸めて咳き込んでいても、何の手助けもしなかった。
任されたのは護衛なので、暗殺者や暴漢は排除するが看護は任務に含まれていないらしい。
冷ややかでやや慇懃無礼な敬語でそう告げられ、発作が起きている最中だというのに、ベルローザは何だか笑ってしまった。
それでも、余程いい。
いつもはこんな何の役にも立たないベルローザを大事にしてくれている侍女達や、他の護衛騎士達は、こんな夜ばかりは不自然に姿を消してしまう。
彼等は、どれだけ誠意を尽くしても、所詮、大人になれずに死ぬと分かっている王女に仕えるのにうんざりしているのだ。
皆にも人生や暮らしがあるのだから、そろそろこの主人が死んでもいいのではと思うのも致し方ないことである。
だからベルローザは、そんな侍女達や騎士達の不実さには気付かないふりをしていた。
気付かないふりは、とても得意だから。
「でも、…………そこにいてくれるのは嬉しいです。死ぬ時に一人なのは、…………寂しいですから」
苦しい息の中からそう言ったベルローザに、護衛騎士が何と答えたのかはわからない。
気付けば発作は収まり、朝になっていた。
慌てて部屋の入り口に視線を向けると、ベルローザの黒衣の騎士は、表情ひとつ動かさずに冷ややかな目をしてそこに立っている。
ベルローザが目を覚ましたことに気付きちらりとこちらを見ると、優雅に一礼して部屋を出ていく。
まだ青白い朝の光に包まれ、ベルローザは今更ながらにそこに彼がいる不自然さに気付いた。
どんな扱いを受けているとは言え、ここは王女の寝室である。
本来であれば、一介の護衛騎士がそこにいる筈はないのだ。
けれども黒衣の護衛騎士は、その後もベルローザが発作を起こすたびにその場所に立っていた。
優しい言葉をかけるでもなく、苦しむベルローザに手を貸すでもなく、ただ立っているだけだったが、いつからかベルローザは彼がそこに立っているとほっとするようになった。
(もう少し。……………もう少しだけ)
あまり長くは生きられないけれど、もう少しだけこんな日々が続けばいいのに。
目を覚ます度に、なぜだかそう思う。
その手に触れたこともなければ、微笑みかけられたこともないのに、散々苦しんだ夜が明けた時に、彼がいつもの場所に立っていてくれるだけで良かった。
それは、真っ当な愛情の形をよく知らないベルローザにとって、初めて触れる歪な恋だった。
あと一年。もう一年だけ。
そして、そんなことを思いながら、六年が経った時、ベルローザは自分が思ったよりも健康になりつつあることを知った。
「リシェド、とても美味しいのよ?」
「結構です。俺は、食事というものにはあまり興味がありませんので」
「……………私があなたの正体を知っているからって、お茶とお茶菓子に付き合ってもくれないなんて」
そして、相変わらず冷え冷えとした目でこちらを見る護衛騎士に、その程度のことなら言えるようになった。
リシェドは、戦闘や戦に属する者らしい。
ベルローザの父であるこの国の王が主人で、そんな主人のことをリシェドはそれなりに気に入っているようだ。
だからこそ、何の面白味もない王女の護衛にされたことに苛立っているようだった。
何しろもう、六年なのだ。
その六年でベルローザの母違いの兄や姉の殆どは死んでしまい、王太子に選ばれた三番目の兄だけが生きている。
この兄は、唯一ベルローザを殺そうとしなかった優しくて強い人だ。
武勲を立てる王にはならないだろうが、慈悲と叡智を以って国を収める王になるだろう。
「……………そろそろ、俺の護衛も必要なさそうですね」
「そうね。お兄様が正式に立太子されたから、もう私が命を狙われることはなさそうだわ。この年まで生きたのなら、そろそろどこかに嫁がされるかもしれないし」
「…………そうですね」
その時、リシェドが少しだけ困ったように頷いたから、ベルローザはきっと儚い夢を持ってしまったのだろう。
その年の夏至祭の夜に、王宮での宴を楽しむ人々の間を縫って姿を消したリシェドを追いかけて、長らく一人で足を踏み入れることのなかった夜の庭園に出てしまった。
噎せ返るような薔薇と、夏や夜の香り。
そこかしこに陽気に騒ぐ妖精達がいて、王宮の広間にいる人間達には見えないありとあらゆる人ならざる者達が浮かれ騒いでいる。
それもそうだ。
何しろ今夜は、人ならざる者達にとっても恋の成就が訪れる夏至祭の夜なのだから。
(夏至祭の夜に人ならざる者と踊ると、その相手と恋が出来るらしい)
古い伝承などを記した本に書かれていたそんな迷信を信じて、ベルローザは、人ならざる者達の夜会の中に足を踏み入れた。
なぜなら、ベルローザにはリシェドではないとある公爵令息との婚約の話が持ち上がっており、リシェドとダンスが踊れるのだとしたら、この夜が最後だと思ったから。
だから、せめて最後にと追いかけてしまった。
そして、探していたリシェドを見つけて声をかけた。
リシェドだと、思ったのだ。
まさか、よく似た髪色の高貴な生き物が他にもいるとは思わず、そのような者達が見えているのだと、振り返った良くない生き物に知られてしまうとは思わなかったのだ。
「……………馬鹿ですか、あなたは」
ざあざあと、雨が降っている。
その雨の音を聞きながら、ベルローザは誰かに抱き抱えられていて、地面に座り込んだその人の膝の上に頭を載せていた。
体がとても冷たいので、外回廊の床ではなく寝台に寝かせて欲しい。
(雨音が聞こえるのに体が濡れていないみたいだから、屋根の下にはいるみたいだけれど…………)
「リシェド?」
「それは、……………俺の本当の名前ではありません」
「ええ、そうでしょうね。……………とても暗いけれど、まだ夜なのね。あなたがよく見えないわ」
「もう夜明けですよ。……………ただ、あなたには見えないだけでしょう」
「それは、困ったわ。眼鏡でも作って貰おうかしら」
「……………あなたは、俺の主人でもないのに」
「……………リシェド?」
「だから、俺を呼ばなかったんですか?」
頭がぼうっとして、考えが上手くまとまらない。
だが、そう問いかけたリシェドの声にどこか切実なものがあったので、きちんと答えなければと思った。
「そうね。私は、あなたの主人じゃないわ。……………だから、あまり良くないところだったし怖いものもいたから、そんな場所には呼ばない方がいいと思ったの」
「やっと…………」
「やっと?」
「……………やっと、あの男の願い通りに、あなたを生かせる国になり、あなたの病も落ち着いたところだったのに」
あの男と言うのが誰なのか分からずに困惑していると、何だか眠たくなってきた。
どこかで誰かが泣いているような気がして、その内にばたんと大きな音が聞こえ、取り乱したようにベルローザの名前を呼ぶ人の声が聞こえた。
それが父の声のような気がしたのは、きっと気のせいだろう。
ずっと末の娘を避け続けた父が、ベルローザをそんな風に呼ぶことなどないのだから。
そんな人が、リシェドを罵り、ベルローザの名前を呼んで泣き叫ぶ訳がない。
いや、誰もそんな風には呼ばない。
誰かに名前を呼ばれたのは、もうずっと昔のことだから。
「……………でも、充分だわ。私が死ぬ時に側にいてくれて有難う。リシェド。……………これからも元気でいてね、食事は嫌いだと話していたけれど、時々は美味しいものを食べて、楽しいことを沢山してね」
「……………余計なお世話です」
「ふふ。そうね。……………でも、有難う」
よく見えないくせに開いていたらしい瞳を閉じると、誰かの震える手が、そっと瞼の上に触れた。
そこで今更、一度も触れたことのなかった護衛騎士の手のひらの温度を知ったことに気付いて、ベルローザは小さく微笑む。
(なんだ。ちゃんと、温かいじゃない)
そして、たった一人だけベルローザの離宮に残ってくれた美しい護衛騎士の膝を枕にして、長い長い眠りについた。
最後の最後に酷い目に遭ったが、こんな風に幕を引けるのだから上々なのだろう。
何も出来ず誰にも愛されなかった役立たずの王女の最後にしては、恵まれ過ぎているくらいだ。
(だって、やっとリシェドに触れられたのだもの)
人生の最後に願いが叶ったのは、きっとベルローザの日頃の行いが良かったからに違いない。
大好きな人とは、とうとう踊れないままだったけれど。




