【王様のブランチ放送記念】 収穫祭のお化けと小さな葡萄タルト
さあさあと音を立てて、朝から細やかな雨が降っている。
収穫祭の朝は思っていたより暗く、気温差に曇った窓硝子に縁取られた灰色の景色はどこかひやりとするような陰鬱さであった。
季節本来の気温よりも肌寒いのは、たまたま天候が悪かっただけなのだろう。
絶対にそうに違いない。
ふと、霧がかってきた庭園を眺め、その扉にかけられた麦穂のリースに目を止めた。
この祝祭のリースには複雑な飾り編みがあり、実はちょっとだけ手に取ってみたい可愛さなのだ。
(とは言え、そんな事は出来ないけれど……)
いつか、可愛い収穫祭のリースを手に入れてみたい。
そんなしょうもない願いを密かに隠しているのは、ディアくらいなのだろうか。
麦穂色にふくよかな紫や赤の差し色を花や木の実で添えて、漆黒のリボンをかけるのがファーシタル流の収穫祭飾りで、誰もが見慣れたもの。
だが、そんなリースを個人的に手に入れるには、ディアの立場はいささか特殊過ぎた。
(欲しいものは沢山ある)
収穫祭のリースに、リベルフィリアのオーナメント。
色鮮やかな絵付けのお菓子の缶に、綺麗な絵本や、貴族の女性には地味だと失笑されてしまった小さな絵柄を一点だけ入れた可愛らしいハンカチ。
きらきら光る結晶石は、宝飾品に加工せずに石ころのようなままのものが綺麗だと思う。
文官の女性が持っていた、上品な紺色のリボン飾りも素敵だった。
そんなことを考えかけて欲望でいっぱいになりかけたが、とは言え本日のディアには、暗い部屋の隅を覗いてはぴっと竦み上がってしまうような悲しい理由があった。
(な、なぜ、祝祭の火で災いを祓うという収穫祭の日に、首無しお化けの話なんか聞いてしまったのかしら………)
それは、ほんの少しの好奇心から始まった。
朝食の後に出かけた収穫祭のミサで、ご令嬢達が沈痛な面持ちでひそひそと話し合っていたので、何か良くないことでもあったのだろうかと耳を澄ませてしまったのがいけなかった。
かつてファーシタルで問題になった曰く付きの絵本に描かれていた首無しの怪物が、なんと、収穫祭の夕暮れから夜にかけて王宮の中に現れるというではないか。
それは、ディアが、子供の頃から一番苦手な怪物だったのだ。
初恋が夜の国の王様という、人ならざる者耐性はそれなりと自負しているディアだが、唯一苦手なものがその絵本の怪物である。
ディアにだって女性らしく繊細な一面もあるので、断固お断りしたい怖いものがあるという可憐な一面も持っているのだ。
(よりにもよって、あの話の怪物だなんて………!)
ファーシタルの教会では、子供用の躾け絵本を数冊刊行していた。
信仰の学びを絵本の形で簡単に学ばせようと作られた物なのだろう。
貴族は寄付金のお礼に貰えるもので、市井の国民達は教会でのミサの日に子供達が自由に読めるようになっているのだとか。
そしてその中の一つに、大人の言いつけを破って異形の生き物の現れるような場所に出かけてゆき、それ故に身を滅ぼす子供達のとびきり怖い物語があった。
探し物のお化けという題名のその絵本は、人ならざる者達が登場するのなら何でも面白いに違いないと、わくわくしながらページを捲ってしまった幼いディアの心を容易く滅ぼした、恐ろしい作品だった。
絵本を読んでいる途中でぎゃわんと泣き出したディアは、慌てて駆け付けてきた兄に抱き上げられてあやされて何とか泣き止んだが、成長した今もあの日の思い出は色褪せずに記憶に焼き付いている。
恐らくは、とんでもない技量の絵本作家が、これでもかと想像豊かに物語の中の悍ましい怪物を再現してしまったのだろう。
おまけに、子供向けのお話の作り方には長けていなかったと思われる聖職者達は、このくらいならいいだろうという恐怖の線引きを正しく理解していなかった。
かくして、ファーシタルの子供達の心に消えない傷跡を残した問題作は三年ほどで禁書となり、まさかの禁書扱いが却って物語への恐怖感を高めるという負の連鎖を生んで今日に至る。
遺憾ながらその絵本が世に出ていた時代に幼い子供だったディアも、遠い日に一度読んだことがあるだけの絵本の呪縛から逃れられないままの哀れな犠牲者の一人であった。
だからこそ、こんなことを考えてしまうのだろう。
(…………まさかとは思うけれど、………本当にファーシタルの王宮に語り継がれた実話だったり…)
ごとん。
「わぎゃ!?」
よりにもよって、そんな時に限って、うっかりテーブルの端に置いてあったに違いない読みかけの本が床に落ちたりするのだろう。
誰もいない筈の部屋で突然響いた物音に、ディアはへなへなと床に座り込んでしまい、そのままぶるぶると震えた。
家族を殺した人達の手で王宮に引き取られ、日々毒殺の危険の中で生きていても、怖いものは怖い。
絵本に登場した首無しの怪物は、うっかり出会ってしまった標的の家に、毎日失くした首を探して尋ねてくるのだが、そんなものは知らないと言って追い返すと、なぜか戸棚や抽斗の中から怪物が探している首が出てきて、それを知った怪物がお前が犯人かと怒り狂うという、この年齢になってから振り返ってもあまりにも酷い話であった。
主人公の子供は、大人達の言いつけを破って森に入り怪物に出会ってしまうので、大人の忠告を軽んじると手に負えないような怖い目に遭うという内容にしたかったのだろう。
しかし、幼気な子供達にはあんまりな展開である。
抽斗の中からそんなものが出てきたら恐怖のあまり死んでしまうし、出会ったら最後という感じで毎日訪ねてくる怪物の行動力もかなり怖い。
(こ、ここは、王宮の中でも奥の方だし、あまり人も多くないからきっと大丈夫…………。……………っ!?だ、大丈夫じゃなかった!!怪物が現れても、誰も助けに来てくれないのだわ……!!)
夜菫の棟を守る騎士達は、怪物が現れたりしたらあっさりディアを見捨てるだろう。
助けに来てくれる人や、守ってくれる家族はもうディアにはいない。
そんな事に重ねて気付いてしまい、ディアはもはや涙目であった。
「…………ノイン」
こんな時こそ来て欲しいノインの姿はなく、となると、得体の知らないものに夜の国の王様をぶつけてみよう作戦も決行しようがないではないか。
きっとノインがいれば怪物などは寄ってこない筈なのにと、ディアは口惜しさでいっぱいになる。
悲しみのあまりその名前を呼んでしまったが、やはり近くにはいないようだ。
とは言え、いつまでも床に座ってはいられないだろう。
よろよろしながら立ち上がると、床に落ちた本を拾い上げて机の上に戻した。
しかし、こんな時は寝室に逃げ込むのが一番だと隣の部屋に移動しようとしたところで、窓硝子に映った自分の影に驚いて息絶えそうになってしまったりと、その後も散々な目に遭ってしまう。
(ど、どうして普段は何とも思わないものまで、こんなに怖くなってしまったのかしら………)
一人で冬至の日の王宮を歩けるくらい、普段のディアは、そちらの分野への恐怖耐性が高い。
日々の暮らしがそれどころではない危険に晒されているからなのだが、加えて、ノインと出会ってからは更なる謎の安心感に包まれている。
ディアに危害を加えるのであればノインであって、通りすがりのちょっとした怖いものなどは忍び寄りようがないと考えていたのだ。
(それなのに……!!)
「なぜ、私にあんな話を聞かせたのだ………」
それなのに今は、机の上から本が落ちただけでこの有様である。
あの躾絵本の記憶を揺り起してくれたご令嬢たちを呪ったが、それで怖さが緩和される訳でもない。
部屋に誰かいてくれればもうリカルドでもいいと思いもしたが、収穫祭の今日だからこそ王族達は忙しい。
収穫祭を祝う舞踏会に向けて、あれこれと面倒な準備や社交があるのだ。
昨年とは違い舞踏会には参加しないディアの暮らす夜菫の棟は、いつもよりもひっそりと静まり返っていた。
(誰かが一緒に居てくれれば、怖いものが現れても囮にして逃げられるのに………!!)
またしても仲間外れのディアだが、今年はもはや舞踏会どころではない。
現れるかもしれない怪物から、身を守る為の手段が必要なのだ。
そう考えながら、くすんと鼻を鳴らした時の事だった。
「…………何だその格好は」
「ぎゃ!!」
突然、背後から声がかけられた。
部屋の中に自分以外の誰かの気配が突然現れたのだ。
既に恐怖心でいっぱいだったディアは、息が止まりそうになってしまう。
「また、何か騒ぎを起こしたんじゃないだろうな?」
ノインがとても遠い目をしているのは、ディアが怪物に見付からないように毛布の砦の中に隠れていたからだろうか。
だがこれは立派な装備でもあるので、馬鹿にしてはいけないものだ。
「…………ノイン」
「………どうした?」
「か、怪物があらわれれるそうです」
「言えていないからな。………怪物?」
「首がないと言うくせに、自分の首をこちらの家の中に隠してから難癖をつけてくる、恐ろしい怪物なのですよ………」
「………ほお。その手の事をするのは、侵食系の妖精だろうな。黄昏の系譜か」
「ぎゃ!実在してる!!」
「…………実在していないと思っていたのに、怖がっていたのか?」
怪訝そうに問いかけるノインは、毛布ごとディアを抱き上げてこちらの顔を覗き込んでくる。
美しい紫の瞳を見たら少しだけほっとしてしまったが、少しだけ、決して味方とは言えない相手に弱味を晒してしまっていいのだろうかと考えた。
迷いはしたが、結局ディアは、堪えきれずに全てを打ち明けてしまった。
怖いということを、誰かに伝えたくて堪らなかったのだろう。
そして、言ってしまってからひやりとしたディアを待っていたのは、体を折り曲げて震えるように笑い出したノインであった。
「……………笑い事ではないのですからね」
「まさかとは思うが、子供向けの絵本の内容を、………本気で信じたのか。………っ」
「わ、笑い過ぎです!!…………むが!?」
こちらは震えるくらいに怖かったのだと抗議しようとしたディアは、愉快そうに笑っていたノインに鼻を摘まれてむがっとなると、更に怒り狂った。
しかし、ディアが本気で抗議すればする程、ノインは笑ってしまうようだ。
たいへんな悪循環に、ディアは屈辱の思いで震えるしかない。
「…………ったく。名前を呼んだので何かと思えば」
「………まぁ。名前を呼んでしまいました?」
「誤魔化そうとしても、誤魔化せないからな?」
やれやれと肩を竦めたノインが、どこからともなく取り出したのは、宝石のように美しい小さな葡萄のタルトだ。
二口くらいでいただけそうなタルトが、白いお皿の上に二個載せられている。
「…………タルト」
「このタルトに、収穫祭の災い除けをかけておいてやる。俺が作ったものだからな。黄昏の系譜程度の連中は近付けもしなくなるぞ」
「タルト………」
「………食い気よりも、怪物除けだろうが」
「は!そ、そうでした……」
「対価だが、………今夜は、収穫祭のリースには絶対に触るなよ」
「…………まぁ。リースに触れてはいけないのですね」
今年の舞踏会は欠席だが、舞踏会前の小さな社交の席には招かれていたので、その時にどこかの扉にかけてあるリースにそっと触れてみようと思っていたディアは、それを聞いてとてもがっかりした。
案外、ノインはそんなディアの願いを知っていて、対価としたのかもしれない。
だが、これは対価なのでしっかりと頷いた。
「…………今日は俺も忙しいが、少しだけこちらにいてやる。その間に食べておけよ」
「はい。美味しくいただきますね」
きっと、ノインも今夜は収穫祭の夜の舞踏会があるのかもしれない。
華やかな大広間や夜の国のお城で、美しい女性と踊ったりもするのだろうか。
そんなことを考えながら、ディアは瑞々しい葡萄を使った美味しいタルトを頬張る。
(………もう一度、去年みたいにノインと踊ってみたかったな)
その時のディアはまだ、知らなかった。
その日の夕方には帰っていったノインが、王宮の庭園にかけられていたリースに巣食っていた悪い妖精をこっそり取り除いてくれていたことを。
あの時のご令嬢達が怪物の話をしていたのは、実際におかしな影を見かけた者がいたからであったらしい。
教会の者達に睨まれてすぐに立ち消えてしまった噂だったが、けれどもあの収穫祭の日には、確かに良くないものがすぐ近くにいたのだ。
「俺が捕まえた時には、まだ首はあったけれどな。ファーシタルの人間は無防備だから、どれかを選んで食おうとしていたんだろう」
「い、言わないで下さい!!知りたくありません!」
ファーシタルでの最後の舞踏会を控えたとある日、気紛れなノインに突然そんな事を教えられ、ディアは震え上がった。
人間は繊細な生き物なので、またあの絵本の事を思い出させられては困るのだ。
おまけに、該当する生き物がいると知ってしまった後ではないか。
(……………それに)
そして、とてもとても葡萄タルトが食べたくなってしまい、ディアはひっそりと打ち拉がれる。
それに気付いたのか呆れたように眉を持ち上げたノインがどこからともなく取り出したのは、あの日と同じ葡萄のタルトだった。
「一個だけだぞ」
「タルト…………!」
「相変わらず食い気しかないのは、どういうことなんだろうな…………」
美味しいタルトを口に押し込まれ、幸せな思いでもぐもぐする。
ただし、首なしの怪物が現れたらいけないので、ノインには眠るまで側に居て貰おう。
10月30日放送の「王様のブランチ」にて、BOOKランキング内でご紹介をいただきました。
SHIBUYA TSUTAYA様にて本作をご購入いただいた皆様、応援有難うございました!
 




