【それからのお話】 食楽の従者と愛し子
『ディルヴィエ。どうかこんな私を見ても、人間達を嫌わないであげてちょうだい。…………ごめんなさい、私はお前にとって至らない母親ね………』
降りしきる雨の中でそう詫びた母に、ディルヴィエは何も言えないままに首を横に振った。
あれはいつの事だったか。
あの時も人間は、身勝手な理由で母を裏切ったのだ。
(……………こことは違う、雨のよく降る国だったな)
ごうっと、砂混じりの乾いた風が吹く。
雨の少ないこの土地の空には星が煌めき、裕福な人間だけが享受出来る噴水からの清廉な水音は相変わらずに響いていたが、かつては美しかった街は焼け落ち、この辺りにあった人間の集落は呆気なく滅んでしまった。
乾いた岩山に囲まれたこの小さな街には、ディルヴィエの母が守護を与えた、一人の人間の娘が暮らしていた。
その娘は、人間の集落の中では中堅どころの貴族の家に生まれ、音楽を奏でる事を生業としていたらしい。
長い麦穂色の髪と若葉色の瞳を持つ美しい少女で、この土地で収穫されるオレンジが好物だったという。
『あら駄目よ、あの子は私が見付けた可愛い子供なのだもの。こんなにも見目麗しい私の息子を見てしまったら、きっと私の事なんてすっかり放り出してあなたに夢中になってしまうわ。可愛いあの子が恋を得るのはいい事だけれど、可愛い可愛いあの子供を、同族には渡せないわね』
くすりと笑った母がそう言うのでと、ディルヴィエは今迄に一度も、この街を訪れた事はなかった。
雨の降る国で守護を与えた人間から裏切られた母がやっと見付けた大切なものを、どんな形であれ脅かしたくはなかったのだ。
がらがらと、焼け落ちた建材が瓦礫になる音がする。
窓の向こうは人間の戦が広がるばかりだが、それはディルヴィエにとってはどうでもいいことである。
奪い合い殺し合うその中に響く慟哭があれど、それは所詮見知らぬ国の見ず知らずの人間達で、どうなろうと構わない。
(私がここに来たのは、…………またしても愚かな人間が、私の家族を傷付けたからだ)
この夜、妖精の女王の守護を与えられて才能を伸ばした人間の子供は、戦乱の中にあった祖国を守る為だからという理由を掲げ、自分を幼い頃から庇護し続けてきた心優しい妖精の心臓を奪おうとしたのだった。
夜明かりに涙を落とすようにして、誰か私を迎えに来て頂戴と呟いた母の声を最初に拾ったのはディルヴィエで、勿論、すぐに駆け付けた。
そうして、心ない人間が母にした仕打ちを知ったのだ。
『母上。………我々の国に、帰りましょう』
『そうね。…………何だか、とても疲れてしまったわ。人間達との共存が上手く行っている者達もいるのに、どうしてなのかしら。私はいつも仕損じてばかりなの。……………大切な大切な、可愛い子供だったのよ。我が子のように慈しんで、いつかこの子が産んだ子供やその家族にも、守護を与えてゆこうと思っていたのに……………』
それが、資質の違いであるのは明らかだった。
多くの人間達にとって恵みとなるものを齎す一部の妖精と、災いになるものを齎す事もある夜明かりの妖精とでは、そもそも身に持つ資質が違う。
どれだけ同じようなものをと願っても、夜明かりの中の一部の妖精は、人間に寄り添うことには向いていないのだ。
戦火の中でちらりと視線を向け、色鮮やかなモザイクの床に倒れた人間の亡骸を見下ろす。
床に流れ出した血溜まりには窓から落ちる隣の屋敷を燃やす炎の色が揺れていたが、ディルヴィエは、無残に殺されたこの娘が哀れだとは思わなかった。
生まれたその日から祝福を与え、もう一人の母親のようにずっと見守ってきた妖精に対し、この娘は、酒杯に毒を混ぜて弱らせてから、その心臓を奪おうとした。
与えられた守護が一方的なら、まだ理解も出来る。
だが、この娘と母の関係は良好だったと聞いていた。
妖精の国にしかない宝石や、妖精の紡ぐ刺繍糸。
様々なものを欲しがる娘に、母がそれを与えなかった事はなかった筈だ。
ちょっとした愚痴や、妖精の叡智を借りる為の相談事に、夜会に出る為のドレスの相談など。
どれだけのものを。
ああ、どれだけの愛情を一人の妖精が与え、心を傾けてきたのかをこの娘は知らなかったのだろうか。
妖精の愛情は軽んじても良く、愛する者に裏切られても絶望しないとでも思っていたのだろうか。
あなたは妖精で、私は人間なのだから仕方がないのだと吐き捨てておきながら、自分が殺される時にはどうしてと呟いて泣いた卑怯な生き物。
自分とは違う者であるのだから弱き者の為に心臓を差し出すのは当然で、自分達とは違う生き物を自分が選ばないのは当然だと主張するのであれば、慈しんだ子供に裏切られた妖精の報復も当然のものとして受け止めるべきではないのか。
(こんなにも、人間は身勝手なものなのか…………)
母は、自分の得たものがこんな顛末だったからと言って、人間に愛想を尽かしてくれるなと言う。
だが、ディルヴィエにはもう、軽蔑してしかるべきな、弱く醜い生き物にしか思えなかった。
(何度目だ。如何に我々が人間とは共存に向かない資質とは言え、何度、この方を裏切れば気が済むのだ………)
体に魔術を宿さず生まれ落ち、生きる為の魔術を世界のあちこちから借りて生きているくせに、この矮小な生き物達の強欲さはあまりにも目に余る。
それなのになぜ、多くの高位の者達さえもが、こんな醜い生き物を庇護したがるのだろう。
「その頃の私は、そう思っておりましたから」
「……………まぁ、インジッタ様にそんな事をした人がいるのですね?そのお嬢さんがもし死の国から戻って来る事があるのならば、私が南瓜を投げつけます!」
余談だが、魂というものの循環に時間のかかる人間は、死ぬとまず死者になり、死の国に落とされる。
死者の日には亡霊となって地上に戻る事が許されており、生きている者達との再会も叶うという、なかなかに恵まれた待遇だ。
しかしそれは、人間があまりにも短い時間しか生きられないからこその一手間であり、魂に心残りを刻み易い人間にとっては、必要な待ち時間なのだと言われていた。
とは言え、人間達からしてみれば、二度と死の国から戻って来て欲しくない者もいる。
そんな者を追い返す為に死者の門を塞がれても迷惑なのでと、死の王は一つの運用を設けた。
目障りな亡霊は、何回か南瓜を投げつけると死の国へ送り返せるのだ。
(つまり彼女は、そうしようとしてくれているのか…………)
腹立ちのあまりにだしだしと足踏みをしている少女は、かつてディルヴィエが嫌悪した人間の娘で、今は娘か妹かという愛情をかける、大切な大切な子供である。
ディルヴィエが唯一の主人として認めたノインの伴侶だからこそ関わり、その結果目をかけた人間だが、こうして守護を与えたのは、ディルヴィエ自身がこの上なく気に入っているからでもあった。
「その言葉を聞いたら、母は喜ぶでしょうね。先日も会ったばかりなのに、次はいつ遊びにくるのかと何度も手紙を送ってきていますから」
「ふふ、以前にお会いしてから、もう十日も経っていますものね」
「……………会い過ぎですよ。私の母ですが、あまり甘やかさないで結構です」
「あら、私もインジッタ様が大好きなのです。ですがこれは、ノインが拗ねてしまうので内緒ですよ?」
「……………おい、聞こえているぞ」
「まぁ、不思議ですね。隣からノインの声がします」
「お前は、まだ串焼き肉を食べられた事を根に持っているのか…………」
この二人は今、ディア様曰くの冷戦期にあるらしい。
とは言えそれはとても一方的なもので、ノイン様は苦笑しつつ呆れているだけだ。
「生き物にとって、食べ物を巡る戦いはそれはもう壮絶なものなのですよ?略奪を許した私が浅はかでしたが、楽しみに残しておいた最後の一口を奪った邪悪な精霊めを、そうそう簡単に許したりはしないのです!………玉葱と大蒜の香辛料ソースのかかったお肉様を失った悲しみは……………くすん」
「ったく。それなら、新しいものをひと串追加してやる。それならいいんだな?」
「…………お肉が蘇るのですか?」
「そろそろ届く頃だな。……………ディルヴィエ?」
「ええ。到着したようですよ。ディア様、新しいものを受け取ってきますので暫くお待ち下さい」
「ふぁい!」
先程迄の暗い眼差しから一転、目をきらきらと輝かせて立ち上がるディアの姿に、くすりと微笑んで転移を踏む。
ノイン様の命を受けてサラムリードのオアシスに串焼き肉を買いに走らされた系譜の妖精からは、店の主人から、夜の食楽の王でなければ一晩に二度も持ち帰り用の販売はしなかったと苦言を呈されたと報告を受けていた。
取り零しがないようにと、少し多めに買い足したらしい主人の慎重さに呆れつつ、ディルヴィエは、受け取った串焼き肉を盛り付けた皿を手に、もう一度転移を踏む。
転移で踏み越える淡い暗闇を跨げば、あの日に、毒を飲まされ上手く歩けない母に肩を貸して連れ帰った際、その頬を濡らしていた涙を思い出した。
妖精には、その派生の方法と在り方に於いて、幾つかの種類がある。
樹木の妖精のように、母と呼ばれるものが実際に子供達を産み落とす妖精や、花の妖精のように姉妹達や兄弟達を増やす妖精がいて、事象や時間の座に属する妖精達は、同じ一族の領域の中で、それぞれの司る資質から個別派生する。
だから、インジッタはディルヴィエを産み落とした妖精ではないし、姉達もまた、人間の家族のように血を分けた親族ではなかった。
けれどもそのどちらもがディルヴィエが派生した時から側にいた大切な家族で、夜明かりの妖精達は、母と呼ばれる女王を中心にして、一族の結び付きがとても深い。
その中で育まれ、まだ心の動かし方の多くを知らなかった頃のディルヴィエには、慈しんだ子供を自分の手で殺さねばならなかった母が流した涙がとても堪えた。
(あの日の私は、自分が人間を慈しむ日が来るとは、欠片も思いはしなかっただろう)
妖精は愛情深い隣人であるが、約定を破った者を決して許さない。
それは、生き物としての妖精の資質なのだ。
母があの娘を殺すのは必定であったし、それでも、愛した子供をその手で殺めなければならなかったことを嘆くのも当然だろう。
人間はどうだか知らないが、妖精はそのようにして愛するのだ。
妖精だと知ってこちらを受け入れたのであれば、自分達とは違う者だと知った上でその手を取ったのではなかったのかと、我々は問うだろう。
(だから、……………ディア様が、母の救いになってくれて良かった。姉達や、弟達にとっても………)
人間を慈しみたかった母と、可愛らしい小さな生き物を大事にしてみたかった姉達、まだ人間をよく知らない弟や妹達。
夜明かりの妖精の中にも脆弱な人間との相性が悪くない資質を有する者はいるが、こうして人間を家族として受け入れるのは初めてだ。
何の妖精として派生したのかというそれぞれの資質とは別に、妖精という種族は弱きものを慈しみ、愉快な事が大好きである。
そんな輪の中に、家族を喪った一人の人間の子供が招かれたのだから、ディルヴィエの家族達が大はしゃぎしない訳もなかった。
『俺が城を空ける事もある。どこにでもディアを連れて行ける訳ではないからな。…………お前が後見人になれ。俺としては懐き過ぎそうで不本意でもあるが、お前の一族の中には人間を慈しみたいという欲求を持つ者が、お前を含めて何人かいるだろう。ディアのような気質の人間はそう多くはない。得られる時に得ておけというのも、俺の資質でな』
あの日、そう言って自身の伴侶となる者を預けてくれた主人がいたお陰で、夜明かりの妖精達は初めての愛し子を得た。
最初にディアを気に入っていたディルヴィエからしてみれば不本意な事だが、目を丸くしておろおろしていた無防備な子供を見た母があっという間に夢中になり、すぐに、かつて人間の恋人に手酷く裏切られた姉達もディアに夢中になる。
時折、自分の取り分が減らされ過ぎではと憮然とする事もあるが、幸せそうな家族の姿を見ているとまぁいいかと思うのだ。
(ノイン様の言う通り、得られるべき時に得られた事は、私達にとってこの上ない幸運であった)
飢え乾いた心にはひたひたと水が満たされ、夜明かりの妖精の女王は今、次に会う時にはあの子にどんなおやつを用意しておこうかと、この上なく幸せそうに日々を過ごしている。
それは、どうか裏切らずに愛させてくれと願い、その願いを奪われ続けてきた母にとっての救いであり、そんな母の嘆く姿に人間を呪ったディルヴィエにとっての、漸く訪れた救済でもあった。
「お持ちしました。どうやらノイン様は、注文の本数を間違えられたようですが」
「時間が経てば、どの肉を食べたいか気が変わるかもしれないだろ。食欲というのはそんなものだ」
「ふぁ!ぜ、全種類盛りが!!」
「いいですか、ディア様。この場では一本までですよ。保存魔術をかけられるのですから、後のものは明日以降にしましょう」
「…………まぁ。お肉というものは、沢山頬張ってこそ、その尊さが煌くものなのでは………」
「おや、食べ過ぎで寝込まれたのはどなたでしたか?」
「……………仕方がありません。私は、経験から学べる賢き淑女でもあるので、その提案をお受けしましょう」
一昨日の夜に食べ過ぎで寝込んだ事を指摘されてしまい、そわそわと視線を彷徨わせているディアの姿に、やれやれと苦笑して好きな串を選ばせてやる。
選んだ串を嬉しそうに手に取った時の微笑みを見ていると、もう一本くらいはと思いかけてしまい、慌てて気持ちを引き締めた。
『ディルヴィエ、あの子は可愛いのよ。可愛い可愛い、私の大事な子供なの。だから、幸せになって欲しいのだわ』
そんな母の言葉を思い出すのは、やっとそうして慈しむ相手を見付けたからだろうか。
ここにいるディアは、価値観や気質を厭わず、同属に殉じろと命じる煩わしい繋がりも持たない。
こうして幸せそうに身を委ねてくれるディアは、ディルヴィエにとっての可愛い可愛い子供で、今ではディルヴィエにも、母が愛し子達にかけていた執着がよく分かる。
『お前は、真夜中の精霊の食楽の王に預ける事にしたわ』
そう告げた母に瞠目したのは、何百年か前の事だ。
夜明かりの中でも享楽の質を司るディルヴィエは、系譜の王である夜の精霊の誰かの従僕として身を立てる事は間違いなかったが、食楽の王ではないと考えていた。
真夜中の精霊の中でも、終焉や絶望、或いは孤独や静謐など。
ディルヴィエを預けるのであれば、他に幾らでも相応しい城はあっただろう。
たが、夜明かりの妖精の女王は、ディルヴィエを食楽の城に向かわせた。
食楽は享楽にも通じるという言い分に眉を顰めながら頷き、王がディルヴィエを引き取った事にも驚いたものだ。
(………この城に来たばかりの頃は、希少な冬明け芋の皮剥きに一晩付き合わせられて困惑もしたが…………)
まさか王自ら徹夜で芋の皮剥きをするとは思わずに動揺したものの、そんな暮らしにも慣れ、今はこうしてディアが増えた。
真夜中の精霊は決して穏やかな生き物ではないが、この城で暮らし始めたディルヴィエが不幸だった事は一度もない。
そんな日常を与えてくれた母が、今はディアに会う事を楽しみにしているのだから、その不思議な輪の結びには感嘆するばかりだ。
はぐはぐと串焼き肉を頬張っているディアを見つめ、ディルヴィエは満ち足りた思いで微笑んだ。
(ノイン様が向けるような愛情をとなると想像も付かないが…………)
だが、ここにいるのはディルヴィエのたった一人の愛し子なのである。
家族の輪に迎え入れたのであれば、それは妹か、娘か。
ディルヴィエが愛し子に向ける愛情は、幸にも母と同じ種類のものであったらしい。
姉達のように恋人としての執着を抱いていたらとんでもない事になっていたので、密かにほっとしている部分もある。
幸福でいて欲しい。
ディルヴィエにとってのたった一人の主人と、ディルヴィエにとってのたった一人の愛し子には、いつまでも幸せでいて欲しい。
そう願える事の幸運に、今日も胸を温める。
「むぐ。そう言えば今日は、お髭の夜露の妖精さんから、ムクモゴリスを撫でさせてあげるので、近所にあるお屋敷に遊びにおいでと言われました」
「明日までには排除しておきましょう」
「……………なぜ、突然のお掃除計画なのですか?」
「いいか、ディア。妖精が、異性を自身の屋敷や部屋に招き入れるという事は、求愛の一種だ。そいつには二度と近付くな」
「………ムクモゴリスは……」
「ディア様、私が次の休みに西の森にお連れしましょう。ムクモゴリスの家族がいるそうですから」
「は、はい!!」
「おい、何でお前が俺より先に提案するんだ」
「おや、私は彼女の後見人ですよ?」
そう微笑めば、ノイン様はやれやれと苦笑した。
(けれども私が何よりも感謝するべきなのは、母が私をこの方に出会わせてくれたことと、ノイン様が私をこのように育てて下さった事だ………)
ここで暮らすようになってから出会った真夜中の精霊の中で、誰の臣下になるかと問われればもう、ディルヴィエは真っ先に食楽の王だと答えるだろう。
城に参じた小生意気な妖精が、たかが酒のレシピの為にファーシタルの人間との取引に応じた王を軽視していた事を知っていた筈なのに、彼はずっと、鷹揚に接しながら様々な事を教えてくれた。
勿論、困ったところもある人だが、王たる王だと思っている。
「……………ディルヴィエ、ソースを作るぞ」
「唐突にどうされました。この後は、重要な執務が幾つかおありでしょうに」
「まぁ、どんなソースを作るのですか?」
「この串焼きのソースを見ていて考えたんだが、果物の甘みを生かした濃厚なソースで、レシピを一つ増やせそうだな」
「……………ノイン様。ソース作りをされるのは結構ですが、時期をお考え下さい。本日は、真夜中の王との会談があります」
「兄上も、少しぐらい待てるだろう」
「ノイン様?!」
がたんと席を立ってどこかに転移してしまった主人に、ディルヴィエはがくりと項垂れた。
そんなディルヴィエの腕に、ディアがそっと気遣うように触れる。
「その、私も一緒に、ノインを連れ戻しに行きましょうか?」
「いえ、………これはもう、あの方の病気の一つですから対処には慣れておりますよ。それと、この隙に二本目に手を伸ばしておりませんか?」
「こ、これはちょっとしたてちがいです………」
慌てて手を引っ込めているディアに小さく溜め息を吐き、伸ばした手でそっと頭を撫でた。
そうするとディアはまだ、どこか途方に暮れたように目を瞬き、ほろりと喜びや安堵を滲ませるようにして口元をもぞもぞさせる。
(私の愛し子が、私の愛するものを選ぶ子供で良かった)
そう考えるのは、妖精としての身勝手さだ。
だが、古くから人間の最も親しい隣人とされてきた妖精として生まれ、多くの悲劇の顛末を見てきたディルヴィエは、どこまでも身勝手に高慢に、そう考える。
例えば、ファーシタルの民達にとっての人外者は、恐ろしく得体の知れない脅威なのだろう。
とは言えこちら側からしても、容易く約定を破り、それでいて恩寵ばかりを願う人間達は、不可解で邪悪なものである場合も多い。
異なる種族だからこそ。
そうして折り合わず、こうして、稀にぴたりと輪として繋がる。
その稀有なる幸運に感謝し、ディルヴィエは大事な一族の愛し子に微笑みかけた。
「ディア様。先触れもなくご到着されていたらしい御客人を、こちらに置いてゆきます。ノイン様を連れ戻して来ますので、少々お待ち下さい。あの方を執務室に送り込んだら、ゆっくりとお茶をお淹れしましょう」
「はい!ふぁ、もふもふのお義兄様です!」
こちらに気付いて挨拶に来ていたのだろう。
失礼しますと一言告げてから、床の上からぴょんと弾んだもさもさの黒い毛皮の精霊を持ち上げ、ディアの隣の椅子に乗せておく。
毛皮の塊にしか見えないが、真夜中の精霊の王族の一人である。
加えて、独り身のノインを長年案じており、義妹であるディアをとても気に入っている御仁だ。
これ程の護衛もあるまいと失礼な事を考えながら、残された串焼き肉を皿ごと取り上げ、ディルヴィエは踵を返す。
さて、これからは、新しいレシピの開発に夢中になってしまう主人を連れ戻すいつもの仕事だ。




