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門の向こうと最後の道





夕暮れになると、ファーシタルの王宮は壮麗な賑わいに包まれていた。



王宮前の広場には、国内の貴族達を乗せた馬車が乗り付け、王宮へと向かう真っ直ぐな道には歓談をする貴族達の姿がある。


正門には大きな花輪が飾られており、国旗の下には慶事を示す艶やかな赤い旗が夜風にたなびいていた。

はらりと降る雪がその赤に映え、ファーシタルの青い国旗の金色の刺繍も何とも荘厳だ。



左右対称に広がる王宮を望む人々は、どんな思いで王子の誕生日に向かうのだろう。


この国の未来を思って慶事に喜びに胸を弾ませる者もいれば、舞踏会そのものを楽しみに来ている者達もいるかもしれない。


第一王子の婚約の内定は既に国内で周知されていたし、王女達にはそれぞれ伴侶や婚約者がいる。

だが、第三王子にはまだそのような相手がいないからと、妙齢のご婦人達は張り切っているらしい。


この国では、祝いの場での出会いが好まれるので、可憐なドレス姿の女性達は素早く視線を交わして周囲の様子を観察しており、そんな適年齢期の女性達の親族や付添人達も、顔見知りの貴族達への挨拶に余念がない。


例え王子の婚約者にはなれずとも、この夜に素敵な出会いがあるかもしれないと胸を弾ませる者達も多いだろう。




(今夜の夜会には、ジルレイド殿下方は参加されないらしい)



予めディルヴィエから、諸々の調整の関係で何人かの者達が不参加になる旨を伝えられていた。


ジルレイドとその家族に、第二王子派で有名な伯爵家の者達。

第二王女とその婚約者に、婚約者の長兄と叔父。

或いはそれは、一人の音楽家であったり、事務官の青年であったりもする。



不思議な不思議な名簿を読み上げられ、ディアはそれが人外者達による、線引きなのだと知った。

一概にノインがという事ではなく、ファーシタルの今後を担う為に、その利権を巡って話し合った人外者達の都合で残される者達なのだ。



彼等になぜ今夜の舞踏会を欠席させたかというと、ディアが毒の杯を呷った後に、契約の締結の施行を確認に来る人外者達の気配に触れさせないようにする為である。


ディアの天敵だった第三王子は、死の精霊と、コルグレムの流通を担う商会を持つ魔物がそれぞれの取り分を主張した結果、舞踏会には出る事になったらしい。

商会の魔物は、良い仲介役になりさえすれば、多少、第三王子が欠けても構わないのだとか。



(それは実に、人外者らしい)



長命老獪な生き物達が、人間などというちっぽけな玩具や道具の為に、配慮をする事はない。

この国の人々は、そうして彼等につけ込まれてしまう形で、約束という名前の守護を捨ててしまったのだから。




薄っすらと下りた夜には星がまたたき、細い三日月は竜の目の月であった。

僅かにかかった雪雲はうっとりとするようなムクモゴリスの毛皮の灰色で、雪を降らせている部分だけが淡く菫色がかっている。



からからと、石畳を走る馬車の車輪の音が聞こえた。

途切れる事なくどこからか聞こえてくる音楽に、使用人の誰かが自分の仕事が終わった事を告げる、ちりんという霧影の水晶のベルの音。



窓から見下ろす王宮の外客棟へと続く大階段は、両脇にはふんだんに花が生けられ、階段の中央には鮮やかな青い絨毯が敷かれていた。


家族や婚約者のエスコートでその階段を上がる女性達の微笑みは、リベルフィリアが明けたばかりの日ということもあって晴れやかなものが多い。



そんな光景を外客棟の窓から眺め、ディアは遠くまで続く馬車の列に目を凝らした。


各家ごとに拘りがあるらしく、こうして見るとご婦人方のドレスにも劣らない華やかさであるが、貴色である白い馬車は王族しか使えない。



(あの、赤い旗を窓のところに掲げた淡い水色に金色の装飾のものが、マリエッタ様の侯爵家の馬車だろうか……………)



遠くの森はアンシュライドの森のようには光らないが、ここがディアを育んできたファーシタルであった。


とは言え、なだらかな丘陵地や森の中の綺麗な泉、王都の街並みの賑わいや音楽堂などをディアが見る事が出来たのは幼い頃までで、それからのディアはこの国を王宮でしか知らないようなものだ。



「その度に考えるのです。リカルド様がもし、私を普通の婚約者のように慈善事業に携わらせて下さったり、或いは他の貴族の方の領地に招かれたり、お友達を得て王都の有名な劇場やお菓子屋さんに行けることがあったのなら。…………そうしたら私はこの国を愛し、復讐などに手を染める事はなかったのだろうかと」

「だとしても、得られなかったものなど忘れてしまえ。ここから振り返ったところで、どうせお前にはもう手に入らないものだ。お前はこちら側で充分だろう」



その言葉は酷薄なようで柔らかく、ディアは微笑んで頷いた。



ヨエルの姿で隣に立ったノインは、部屋の前に控えていた騎士をどこかに追い返してしまうと、舞踏会の行われる大広間に向かうディアに付き添ってくれた。

ディアも、最後の時間をあの高圧的な騎士にエスコートされずに済み、ノインと二人でこの王宮を歩けることに安堵している。


舞踏会の会場では離れ離れになるのだが、もう人外者がどれだけのことを可能としているのかを知ってしまったディアは、実は案じられる程の怖さは抱いていないのだった。




あの窓の向こうの門の彼方に広がるこの国の自由を手に入れない代わりに、ディアはこちらを手に入れた。

なのでもう、あなたは私とは違うのだと切り捨てられても、ディアは寄る辺のない迷子ではない。


こうして大広間に向かうディアが纏うのも、同じドレスを何度も着る事が惨めだとされる場所に招かれながらドレスを新調して貰えなかった人間が最後に誇らしく胸を張れる素晴らしいドレスだ。



この舞踏会で、夜の国の王様に貰ったオーナメントの首飾りをかけ、羽根のように軽い靴を履いて妖精の刺繍のドレスで現れるのはディア一人しかいないだろう。

そのたった一つの特等を手にした人間が、かつて、楽しげな輪から自分を押し出した人達を今更怖いと思う筈もなかった。



そんなことを考えながら舞踏会の行われる大広間に向かったディアは、書庫の前の回廊や厨房前も通り抜けてしまい、後はもう大回廊を真っ直ぐに進むだけというところでぴたりと足を止める。



「……………どうした?」

「いえ、…………ここは、」



大回廊は、静まり返っていた。

大広間に向かうこの回廊は王族達も歩くので、左右の壁沿いに見事な銀水晶の燭台が立ち並び、そこには魔術の火が灯されている。


招かれて正門からの入り口をくぐる招待客達とは違い、王宮に暮らしているディアの入り口もまたこちら側だ。


しかし、王族達はもう会場に入ってしまい、しんと静まり返った回廊には奇妙な気配が落ちていた。




(……………誰かがいる?)



大勢の人達に囲まれたような囁きと気配に、ディアは思わず周囲を見回してしまう。

だが、ここにいるのはやはりノインとディアだけで、耳を澄ませると奇妙な囁きは聞こえなくなり、奥の大広間の喧騒が僅かに聞こえるばかりとなった。



それでも、あの燭台の影に誰かがいなかっただろうか。



もしくは、立派な装飾鏡の奥に、ひらりと翻った赤いドレスが見えなかっただろうか。

視界の端を横切る誰かの後ろ姿にぎくりとしたが、やはりそこには何もいない。

でもやはり、ここには大勢の何かが潜んでいるようにしか思えなかった。



「ディルヴィエの一族の妖精達だな。一族の王子が気に入ったという人間を見に来たんだろう。魔術による侵食が過分になるから這い出してこないようにはしてあるが、………そうか、お前にもその気配が分かるようになってきたらしい」

「…………不思議な気配にどきりとしてしまいましたが、ディルヴィエさんのご親族なら怖くありません。そしてもしや、ディルヴィエさんは王子様なのですか?」

「ああ」

「まぁ、妖精の王子様………むぐ?!」



何だか素敵な響きではないかとうっとりと呟けば、なぜかノインに頬っぺたを摘まれ、ディアは怒り狂った。


舞踏会に向けてこんなに美しく着飾った女性である上に、これから、人生で最後の満願成就の夜なのだ。


復讐に向かう際に頬が赤くなっていたりしたらあまりにも惨めなので、さっと頬を両手で押さえて威嚇すれば、ノインは、どきりとする程に艶やかに微笑んだ。



(……………あ、)




そこにいたのはヨエルではなく、美しい美しい夜の国の王様だった。



清艶な美貌に目を奪われ、顎先にかけられた指の温度に息が止まりそうになる。

そうしてディアの瞳を覗き込んだ美しいけだものは、まるで人間を唆す悪しきもののように甘い声で囁いた。




「いいか、お前は俺のものだ。どう足掻こうと、どれだけ逃げ出したくなろうと、もう二度とどこにもやるものか。この先の広間でどんな事があろうと、それを忘れるなよ?」

「私は、………私のものでもあります。復讐は私の為のもので、そればかりは誰にも譲れません。ノインの事がどれだけ大好きでも、ずっとその手を握っていたくても、私がここで見据えるのはあの人達で、私は彼等の運命を殺すでしょう。…………それでも、全てが終わったら私を連れて帰ってくれますか?」



そう問いかけたディアに、視線の先の美しい精霊が僅かに瞳を揺らした。


滲むような鮮やかな紫色は、光を孕んでひたひたと揺れ、ディアはその同じ色の瞳をじっと見上げていた。

あんなに酷薄な人ならざるものの目をして嗤ったくせに、たったこれだけの言葉でこの人はたじろいでしまうのだ。



なんて困った生き物だろう。

祝福と侵食を深められ、ディアはもう、この瞳の色までもが同じ色になってしまったのに。



「………お前は清々しいくらいに強欲だな」

「これからのことも、望んでしまってもいいのでしょう?それに、これくらいなら、困った魔術の理とやらにも触れないのではありませんか?」

「………ああ。お前は俺が連れて帰ってやる」



その一言だった。


その一言があまりにも嬉しくてぱっと笑顔になってしまい、ディアは、慌てて口元をもぞもぞさせる。

真正面にいたのだから勿論見逃す筈もなかったノインは静かに目を瞠り、なぜか口元を片手で覆った。




「……………やれやれだ」

「解せぬ……………」




くすくすと、影の向こうで誰かが笑っている。

ディルヴィエの縁者だと聞いたディアはもう怖いとは思わず、大好きだった母や姉達の笑い声の聞こえていた懐かしい屋敷を思い出した。



ところが、そんな柔らかさをひび割れさせるように、どこからともなく聞こえていた笑い声がざわりと遠のき、ひそひそとした冷ややかな囁きに取って代わる。

視線の先の美しい夜の国の王様の輪郭が揺らぎ、はらりと落ちて揺れたのはファーシタルの騎士のケープだった。



こつり。

その靴跡が歩み寄れば、ディアは小さく息を詰める。

ヨエルの視線を辿り、広間の方から歩いてくるリカルドの姿を認めた。




「ヨエル、ここからは私がこの子を連れて行くよ。ディア、今夜からは従姉妹どのとして、エスコートしよう」



艶やかな湖水青の盛装姿は、華やかなファーシタルの刺繍を淡い木漏れ日色のクラヴァットが引き立て、やはり惚れ惚れとする王子らしい美貌である。

豊かな銀髪は輝かんばかりで、青い青い瞳でこちらを見て微笑む。



ディアがもし、夜の国の王様を知らずにいたら、きっとこの人に恋をしただろう。

報われずに咽び泣き、惨めに打ち拉がれて殺されただろう。




“……………ディア”



柔らかな声で名前を呼び、頭を撫でてくれた優しい従兄弟が、あの夜の決定にも関わっていたと知らずにいたなら。




“ディア、ほら、君の好きな花を持ってきたよ”



振り返って微笑んだ人の柔らかい眼差しに、恋はしなかったが心が揺らいだ日々があった。

それがどれだけ偽物だと知っていても、ディアの世界にある優しい形をしたものがそれしかなかった頃、リカルドは確かに優しい従兄弟だったのだ。



一緒に馬に乗せてくれて森を散歩した夏の日に、小さな団栗を拾ってくれた晩秋の夕暮れ。

ディアは、彼との間にある透明な壁を拳で叩き、どうして家族としてこの人を愛させてくれないのだと咽び泣いた事もあった。




(けれど、私は私の為にあなた方に復讐するのだ)



だから、そんな遠い日々の願いはもう息絶えていて、どんな理由があれ、身勝手に他者を破滅させる人間は、でもやはりとは思わなかった。

優雅に体を屈めてリカルドにお辞儀をしたディアに、なぜかリカルドは悲しげに微笑む。



従姉妹であっても、ディアには家名がない。

辛うじて残された公爵令嬢としての肩書は一代限りのもので、当代のジラスフィの所有するかつての家族の土地や資産には、手を触れる事も許されていなかった。



屋敷に残された遺品などは、全て処分された。

父が愛していた木香薔薇はすぐに蔓が伸びてしまうからと根元から切られてしまい、花を咲かせていなかった水仙は、あの嵐の夜に踏み荒らされ、庭の整地の為に引き抜かれてしまったという。


あの家はもうディアのものではなくなり、今は、横暴で狡猾な簒奪者と言うこともなく、評判の良い統治を行う穏やかな気質の貴族の一家が暮らしていた。



だからここで、空っぽで剥き出しのディアは、リカルドに臣下として最上級の礼を取る。




「今晩は殿下のお祝いの場にお呼びいただき、誠に有難うございます」

「君はすぐにそうやって、私の勇気を挫いてしまうのだから困ったものだね。さぁ、一緒においで」

「殿下、マリエッタ様は宜しいのですか?」

「彼女は既に、婚約者として会場に共に入ったから、向こうで待っているよ。ディア、もう上位貴族の入場はあらかた終わってしまった。君を待っていたんだ」

「まぁ。私がゆっくりと歩いてきたので、迎えに来て下さったのですね。ご心配をおかけしました。こうしてひっそりと歩く事のない場所でしたので、絵画や彫刻など、あらためて見惚れてしまったものがあったのです」




差し出された手を取り、リカルドの腕に手をかけさせられる。

婚約者だった頃と変わらないようでいて、リカルドがディアの手を導いた場所は、身内の女性をエスコートする際に許される少し浅めの位置だった。



すらりと伸びた背筋は美しく、この夜に囲まれた国の中で咲き誇る一輪の白百合のようだ。

きっと彼はこれから従姉妹を殺そうとしている人には見えないのだろうと思っていたが、その清しい美貌は鞘から引き抜かれた剣のような冷酷さも伺わせる。


そこにある明確な結実の気配は、確かにディアを殺すだろうというものであった。




「……………ヨエルとは随分と仲良くなったようだね。ここに来る迄に、彼とどのような話をしたんだい?」

「当たり障りのない事ですよ。窓から見た馬車の行列や、回廊のステンドグラスのこと。それから、今夜はとても賑やかだと話していたのです」

「彼は忠実な騎士だ。そして我々は、彼等の良き主人でなければならない。…………いいかい、ディア。彼は君の望むような答えはくれないだろう。困らせてはいけないよ」



それは、とても静かで柔らかな声だった。

手をかけたその腕の温度を指先で感じ、ディアは、ひくりと引き攣りそうになった目元を意識して引き締める。



(……………私が、ヨエルを唆して何かをするとでも思ったのだろうか)




「………殿下、私がヨエルにお願いしたのは、今夜の舞踏会に向かうまでの間に、王宮の正門が見えるところを歩いて欲しいという事だけですよ?」

「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。………マリエッタは、君にいささか乱暴な事を言ったね。もしそれを君が不愉快だと思うのなら、私に解決出来る事があるかもしれない」

「ご存知のように、マリエッタ様からご提案いただき、初めてお話をさせていただきました。あの方とのお話で、私が不快になる事などあるでしょうか。あの方にはあの方なりの矜恃と責務があり、私はそれを理解しているつもりです」



こつこつと響くのは、リカルドの靴音だ。

ディアの華奢な舞踏会用の靴は、床石に触れてもかつりとも音を立てず、それが何やら不思議でもあった。



(……………そうか。この人が、知らない筈もなかった)



あの朝は、いずれは正妃となるマリエッタが、ディアの部屋に残ったのだ。


王妃やマリエッタがディアを警戒せずとも、そこに護衛を残す程にディアが警戒されずとも、王子としてのリカルドの為に、ディア達がどのような会話を持ったのか耳を澄ませていた誰かはいたのだろう。



ディアはディルヴィエが妖精だからこそ、二人の会話を把握しているのだと思っていたが、扉の外に控えていた騎士達にもそのやり取りは筒抜けだったのかもしれない。



(知るということは、知られることなのだ)



それは、ノインから教えて貰った魔術の理で、今のディアにもよく当て嵌まる言葉であった。

或いは、知るためにこそ配置されたのがマリエッタで、ディアはまんまと反応を観察されていたのだろうか。



ひたりと、冷たい汗が背中を伝う。




(恐らく、リカルド様は気付いたのだ。……………私が知っているということに……………)



けれどもそれを悟らせない事くらい、ディアにはもう出来るのだ。

出来なければ、家族や使用人の全てを目の前で殺された後に、自分を殺そうとしている人の婚約者であり続ける事は出来なかった。




「……………君は、私からは何も取りあげようとしないのだね」



しかし、リカルドからは覚悟していたような問いかけはなかった。

それは溜め息のような言葉で、はらりと風に花びらが舞うようにどこかに悲しみが宿り、そして少しだけ落胆してもいた。



なぜこの人は落胆し悲しむのだろうと、ディアは不思議に思う。

これからディアに齎される悲劇を憂うというよりは、そうせざるを得ないことを呪わしく思うかのように。



(今更だわ…………)



そうだ。

今更ではないか。

ここからはもう、誰も救われはしないのに。




「まぁ。私が、殿下から奪えるものなどあるでしょうか」

「私は君から庇護を取り下げたのに、そうして膝を折り、臣下としての礼までをも私に向ける。ディア、私に聞きたいことはないのかい?この夜を越えれば、…………私は、こうして君の問いかけに答える機会を失うだろう。これだけの時間を共に過ごしてきて、君は一度も、それはなぜなのだろうと私に問いかける事はなかった」




(……………なんと身勝手な人なのだろう)



それは、あなたの為の質問ではないかと言いたかった。


結局は殺すものの為に心を問う行為が、どれだけ傲慢で残酷なのかを彼は知らないのだろうか。

だからディアは、あなたに問いかけるべきことなどありませんと答えるつもりだったのだが、ふと、一つだけずっと分からなかった事を思い出した。




(なぜリカルド殿下は、私を婚約者にしたのか)




小さな子供なのだから、例えば、後見人でも良かった筈だ。


それなのに彼は、当時から婚約者候補であったマリエッタを待たせる形で、ディアを婚約者とした。

王命や侯爵家との間に密約があったにせよ、リカルドと同じ年齢のマリエッタが女性として待つにはあまりにも酷な時間とも言えよう。




瞳を閉じて開いた。

どのような形で下がらせたものか、周囲にはもうヨエルの姿はない。

ここから、大広間までの少しの道のりを、ディアはリカルドと二人きりで歩くのだ。



「……………では、なぜですか、殿下」

「…… ほら、君はそうやって最後まで私を締め出すだろう?何を問いたいのかすら、明確にはしない」

「あなたはきっと、私が思う以上に何も出来ず、何も得られなかったことをご存知ではないのでしょう。何をお伺いするべきかすら、私は知らないのかもしれません。……………殿下、私はあなたになぜなのだろうという疑問を抱いても、その言葉の輪郭すら持たないのです」

「けれども、君は知っている筈だ。…………私や、この国が君の家族を殺した事を」




曖昧にしようもない問いかけにごとりと落ちたのは、重たく長い沈黙であった。

リカルドの表情は揺らがず変わらず、ただ、ディアだけがその重たく硬い沈黙の前で立ち尽くしている。


気付けばディアは自分の足元を見ていて、その意識を引き戻すように、そっと腕に触れたのはリカルドの方であった。




「……………その理由を、話して下さるのですか?」

「君が望めば」

「詳らかにしても、誰にも優しくない事ばかりではありませんか。それが国の為だと知っていたので、私は口を噤みました。それ以上の言葉なく、どのように割り開いてもそれ以外の言葉もないと考えたのです」



こちらを見ているリカルドは、やはり穏やかな目をしている。

如才なく微笑み、優雅で上品な第一王子のままの彼からは先程の悲しみや落胆は拭い去られ、欠片の揺らぎも感じられなくなっていた。



「それでもと私が君に話すのであれば、それは君が最初から全てを知っていたからだと考える故にだろう。騎士達は、君がバルコニーの植木の陰で眠っていたと話していた。何にも気付いていないと。それでも、君が王宮に来る迄の経緯には、不確かで曖昧な決断がそこかしこにある。あの時にその場にいた誰かが、君に有利な判断を下したと思わざるを得ないんだ。であれば誰かが、君にその事実を伝えたのかもしれないね」

「……………まるで、私が生き延びて残念だったと仰られているかのようですね」

「そうは言わないよ。実際に私は、君がこの王宮に来たことも、そして私の婚約者だったことも、そうならなければ良かったとは思っていない。……………ただ、君が私に何も問いかけず、私を憎みもしないことがずっと気懸りではあった。そうだね、……………それはずっと、私が君の中に見ていた私の不要だ。その諦観であれば、憎んだこともあるかもしれない」



ディアは淡く微笑んだ。


なぜなのだとリカルドを揺さぶり、問い質せば、それはディアの寿命を縮めただけだろう。

このまま空っぽで死にゆくならいざ知らず、望む人の手を取れた今だからこそ、在りし日の自分の決断を後悔するつもりはなかった。



(こうしていればあなたが手に入ったかもしれないと、私が後悔する筈もない)



不要と言えば確かにそうだろう。

ディアは、ここにあるものを必要としたいと願い続けていたのだが、結局最後までそれは、いずれこの手で破滅させなくてはならないもののままであった。


ディアは答えずに、リカルドの言葉の続きを待った。

この辺りは長年隣にいたことで、今は彼が話したいのだと汲み取る事が出来る。

こんな関係でありながら不思議なことに、二人はなぜだかそのような感覚がぴたりと合った。



(……………ほんとうに)


そう、本当に。

リカルドがディアの家族やディアを殺す人でさえなければ、ディアは、この従兄の冷酷さも愚かさもその全てを受け入れたのかもしれない。



「この国が、ジラスフィ公爵家の粛清を決めたのは、我々がこの国の外には出ていけない体質を持ち、尚且つ、この国の成長に見合うだけの食料が国内で確保出来ないと判明したからだ」

「その為には、森を切り拓くしかなく、森を切り拓くにはジラスフィの発言がその障害であったということでしょうか」

「……………迷信というものはね、思っているよりもずっと深く、人々の心に根を下ろすものだ。それは信仰にも近しく、だからこそこの国の教会では、存在しない者達へ傾倒し過ぎることを戒めてきた。理想も夢想も心を豊かにはするし、風習として根付いたものの全てが悪ではない。とは言え、国民の首を絞めるおとぎ話は手放さなければ。……………おとぎ話を愛する事が出来た穏やかな時代はもう去った。それがどれだけの痛みを伴うのだとしても、我々は前に進まなければいけなかったんだ」



(知らないということは、与えられないということ)



リカルドの言葉にまた、ディアは少なからず衝撃を受けた。


この人たちは確かに残忍で、ディアの愛する者を全て殺してしまった。

真実に触れている者が近くにいたのだから、その話を取り上げなかった罪もあるかもしれない。

だが、彼等をそこに追い込んだのは先の時代の大人達でもあるのだ。



(……………王や宰相達は或いはご存知なのかもしれない。でも、この国にはもう誰も、おとぎ話の中の人外者達が実在していたことを知る人が残っていないのかもしれない……………)




「……………リカルド様は、おとぎ話を信じていたかったのですね」



ディアがそう言えば、かつての婚約者は静かに青い瞳を瞠った。

暫く言葉を失い、ややあって薄く苦笑する。



「かもしれないね。私は、君達の一族が好きだったし、子供の頃はよく叔父上と一緒に竜の話をしたものだ。…………いつか外遊でこの国を出て、その人ならざる者達が暮らすという外の国を見てみたいと思っていた。……………だが、ファーシタルの民がこの国から出られないのは、呪いでも何でもない。外の土地の気候などに馴染めない遺伝的な疾患を持ち、この土地でしか暮らせない者達が集まり興された国であるからこそ、我々はどこにも行けずこの土地で生き延び繁栄してゆく為の政策を執らなければならないのだ」



であれば、殺すのか。

知らないという事で与えられないままの欠落を抱き、それでも最後にその判断を下し、ジラスフィの未来を奪ったのは彼等自身なのだ。

そしてディアも、ただ自分の為だけにその人達の未来を奪う。



ふと顔を上げると、もう二人は大広間の入り口に来ていた。

しかし、扉を守っている騎士達が第一王子に頭を下げても尚、リカルドはその入り口で無言で立ち尽くしていた。

広間に入ろうとせずにいる王子に、騎士達が困惑したように気配を揺らした。



「……………もういいのかい?」

「殿下?」

「私はまだ、君に満足のいくような回答を与えられていないのではないかな」

「…………では、最後にもう一つだけ。殿下はなぜ、私を婚約者にしたのでしょう?」



動かないリカルドを訝しむ騎士達の手前このまま立ち止まってはいられず、二人は大広間の中に進んだ。

かつかつと床を踏むリカルドの靴音が響き、色とりどりのドレスの貴婦人たちがお辞儀をし、壮麗なシャンデリアが煌めく。



向こう側へ行ったら、始まりだ。

今宵の、ディアがこの王宮で迎える最後の舞踏会が始まり、ディアはここで殺される。



ディアは、大事な薔薇のオーナメントにそっと触れると、その舞台に向かった。








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[気になる点] 何が気になるって、この先が気になるよ!おおお、超クライマックスっぽい! [一言] 明日の夕方が待ち遠しい!
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