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パイシチューと髪結い





「ディア様、大変申し訳ありませんが、本日は舞踏会に向けて外部の業者なども出入りしておりますので、外出はお控えいただけますでしょうか。もしもの事があるといけませんので」



ずっと部屋にいても良かったのだが、ディアはふと、十三年間暮らした王宮の中を最後に見ておきたくなった。


しかし、部屋を出ようとすると護衛騎士にそう止められてしまい、部屋の中に再び押し込まれてしまう。


悪いことをした訳ではないのに手厳しく叱られたような冷たさがひやりと胸の中に落ち、ディアは少しだけ萎縮して部屋の中に戻る。


指先は震えていないし涙も出ていないのに、震えた心がぐらぐらとディアを揺さぶった。

ディルヴィエも隣に居たのになぜだろうと考え、ディアは自分の胸にそっと手を当ててその内側を覗き込んでみた。



(……………そうか。私はどこかで、………騎士が少しだけ怖いのだ)




今更に一つ、そんなことを思い知らされて、伸ばされていた背筋が少しだけ揺らぐ。

するとそこに、部屋の扉が閉まった段階で、ディルヴィエがばしんと手を当ててくれた。




「……………ふにゅ」

「不確定な動きを防ぐ為に、敢えて高圧的な物言いの騎士を護衛にしたのでしょう。出口はこの扉一つではありませんが、どうされますか?」

「無理はしたくないのですが、書庫の前の廊下と、どこか王宮から正門の向こうが見えるような場所に、舞踏会迄に足を運べたならと思うのです」

「おや、庭園などかと思いましたが、そのような場所に思い入れがありましたか」

「書庫の前の廊下はノインに再会した場所なのです。……………そして正門からの景色は、私がこれからする事を、自分でもきちんと理解しておきたかったので、見ておこうと思いました。私が、とうとう自分の意思では一度も出られなかったあの門の向こうで、この国に暮らす顔の見えない大勢の人々がどうなろうとも、所詮は知らない人達なのだからと身勝手な決断をした私なりの、最後のけじめとして」




ディアがそう言えば、ディルヴィエは微笑んで頷いてくれた。



舞踏会に行く際に迎えに来るであろう騎士達に魔術をかけ、ディアの見るべきものを見納めてから、大広間へ向かうようにしてくれるらしい。


先程の騎士にはうっかり怯えてしまったが、そこでディルヴィエの魔術にいいように操られる姿を想像すると、ちょっぴり気が晴れた。



(本当は、ムクモゴリスにも会いたかったな………)



だが、今夜は第一王子の誕生日なのだ。

王宮には、舞踏会の前に是非にご挨拶をという国内の貴族達が続々と集まりつつあり、ムクモゴリスが姿を見せる区画は、王宮に不慣れな者達が迷い込まないようにと現在は出入りを禁止されている。



ディアは、もしこの国が今後ムクモゴリスにも暮らし難い土地になるのであれば、一緒に連れて行っていいかどうかを聞いてみようかなと企んでいるのだが、それはまたこれからの話だ。




今はまだ、ディアはこの国のものだ。


自分にとっては自分のものでしかないという矜恃はあれど、やはりこの身が属するのはファーシタルである。

だから、復讐の全てが終わって自由になったら、あらためて願える事をこっそり増やしてみよう。



というのも、それはノインから言われた事であった。

今夜の舞踏会で葡萄酒を飲む前に、これからやりたい事を沢山考えておくようにと。

とは言え、突然そんな風に言われたディアは、その場ではおろおろするしかなかったのだが。



「……………ああ、部屋に居たか」

「む。お出かけした筈の方が戻って来ました」



ディア達が部屋に戻ったのとほぼ同時に姿を現したのは、一度はこの国を離れた筈のノインであった。

ノインの司る資質は、祝祭の資質を大きく受けるものらしい。

それなのに昨日の殆どの時間をファーシタルへの対処に充てていたこともあり、リベルフィリアが明けた今日は、一度自分の城に戻らねばいけなくなっていたのだ。



「随分と早く済ませられましたね。夕刻以降で呼び戻されることのないよう、しっかりと執務を済ませておいて下さいと念を押した筈ですが」

「どこからか事情を聞きつけてきたのか、兄上が城にいたからな。今日いっぱいくらいは執務を代わってやるので、統括地の問題をしっかり片付けて来いとのことだ」

「リカル様が?」

「ああ。あの方がいれば、問題は起こらないだろう」



(……………もしかしてその方が、真夜中の王様なのだろうか)



ディアが朧げな記憶を辿り、王座についていた人の姿を思い出そうとしていると、思いがけずノインがその手助けをしてくれる。


「お前が、あの舞踏会の夜に持ち上げようとしていたのが、リカル兄上だ」

「……………王様を持ち上げようとした記憶はありません」

「おや、リカル様も王弟殿下になりますよ。ノイン様にとっては、上から二番目の兄君になりますね」

「持ち上げようとした……………方?」

「ダンスの際に躓いて転びかけただろうが」

「……………あの時に私が躓いたのは、謎めいた毛皮のもさもさで、精霊さんではありませんでした」

「あれが兄上だ」

「……………ほわ」



ノインの言葉を頼りに、ディアは思い出の中のその姿を必死に探ったが、何度ひっくり返しても出てくるのは、飛び跳ねる毛皮の塊のような不思議な何かだ。

ディアは、夜の国のお城ではおかしな生き物を飼っているのだなと思って抱っこしようとしたものの、思ったよりも重かった為に、六歳の子供には持ち上げられなかった。



(……………あれが、ノインのお兄様……………)



「もしかして、ノインもあのような姿になるのですか?」

「あれは夜の優雅さを司るからこその特別仕様だ。俺は、ああはならん」

「優雅……………?」

「……………それについては、俺達も理解出来ていない。深く考えるな」

「……………庭狸くらいの大きさでしたが、もさもさのふさふさ加減はムクモゴリスに似ていましたね」

「おい、その目をやめろ。俺は獣型にはならないぞ」

「まぁ、残念です……………」

「お労しい……………」



弾む毛玉の姿しか思い起こせないものの、あれが王族の一人であったのだとしたら、躓いた上に抱き上げようとまでした子供を不敬だと咎めなかったのだから、寛容な人物なのかもしれない。

また会えたら、是非にどこに目や鼻があるのかをじっくり確かめてみたいと考えていてふと、ディアは先程の騎士の冷ややかな対応に縮こまっていた心が柔らかくなっていることに気付いた。



最後の夜で、そしてエスコートしてくれる人もいないのに、王宮からの使いが訪れる気配はない。



貴婦人のドレスは高額なものだ。

なので勿論、今夜の舞踏会用の新しいドレスが部屋に届く事もなく、ディルヴィエ曰く、過去に仕立てたドレスのどれかを選ぶようにという指示であるのだそうだ。



「婚約を解消したのは数日前なので、新しいドレスが仕立てられていないとなると、色々と話の辻褄が合わなくなってしまうのですが、それは良いのでしょうか……………」

「聡明な第一王子という評判でしたが、全く以って信じ難い。あまりにも杜撰な計画だと言わざるを得ませんね。ドレスはこちらで準備しておりますので、そちらを着用下さい」

「こちらで…………?」

「ノイン様のご手配ですよ」



微笑んだディルヴィエに、ディアはゆっくりと振り返る。

なぜ壁の向こうに見たこともない厨房があるのだろうという謎の空間の向こうで、こちらの会話を聞いたノインが短く頷いた。


白いシャツにジレだけの姿になり丁寧に袖を折り上げているが、まさかこれから料理をするつもりなのだろうか。



「アンシュライドの妖精刺繍のドレスだからな。この国の人間の所有値で長時間近くにいると、多少指先が欠けるかもしれないが、その程度の異変であれば気にしなくていい」

「……………それは、人間にとってはなかなかの大惨事なのでは。もしかして、ドレスがぱくりとやってしまうのですか?」

「魔術汚染だ。人間は、抵抗値を超える魔術に触れることで、体の末端から結晶化や砂礫化する」



さらりと語られた言葉の恐ろしさに、ディアはこくりと喉を鳴らした。


ディアにとって、魔術抵抗値と言う言葉は知りえたばかりのまだ身に馴染まない響き。

殆ど例外なく、魔術所有値と同じ数値だというその抵抗値が低いという事が、人間にとってどれだけ恐ろしい事なのかを初めて思い知らされたような気がする。



それは同時に、この土地を出てはゆけないファーシタルの人間達の絶望を示した言葉でもあった。



どれだけハイドラターツの森を抜けて祖国に戻りたくても、ファーシタルの人間は魔術の潤沢な土地に出れば、石や砂になってしまうのだろう。

それでもと森を抜けた人はいたのだろうか。

砂や石になりながら、それでもどこかへ帰りたいと泣いた人もいたのだろうか。


それはもしかしたら、自分では開けられない王宮の正門を眺め、ここから逃げ出してどこかへ行けたらと考えて首を振った小さな頃のディアと同じ憧れなのかもしれない。



「だから昨晩は、私はノインから離れてはいけなかったのですか?」

「お前はまだ調整中だからな。夜の系譜に対しての抵抗値は上げてあるが、祝祭の夜の町には思いがけない人外者がそこかしこに潜んでいる。観光気分のどこぞの魔物や竜達のせいで、汚染炎症が出ても困るからな」


ディアはただ、所有値が低いという事は、この世界に溢れ返る魔術というものの煌めきや香りを認識出来ないという事ばかりなのだと考えていた。


(ここまで、生存そのものに響くような情報を継承していないなんて、それは言い逃れもしようのない罪だわ。この国の王族は、国民を何だと思っているのだろう…………)



どれだけ禁忌で戒めても、ファーシタルは閉ざされた国ではない。


外部業者は徹底して管理していたにせよ、国の外という情報は遮りようもないだろう。

森の外に一歩踏み出せば命を落とすような秘密を握り、どうしてそれを捨ててしまえたのか。



「それを知らないというのも恥ずべき事ですが、ファーシタルの民は、この国を出ようとすれば抵抗値の低さで死んでしまうのではありませんか?」

「死ぬだろうが、それ以前の問題がある。この国の民を呪っている死の精霊は、ファーシタルの外周の森を彷徨い歩くのが趣味でな。自分が不在の時は、系譜の妖精達に森を見張らせている。ファーシタルという国として定められた境界を出た瞬間に待っているのは、魔術汚染ではなく、そいつによる報復だ」

「……………ほわふ」



そこまで厳密な刈り取りがあるのだとしたら、国境域の調査をしていたジルレイド王子以下の騎士達が、この国の異変に人外の要因を見るのは必定と言えた。

リカルドによるディアの粛清があまりにも急だと感じたが、そのような声を封じる為にも、一刻の猶予もないのかもしれない。



(……………まるで子供だわ)



声が届かない筈もないのに蓋をして、そんなものはないと言い張る。

どうしてこの国はこんなにも頑丈な目隠しをしてしまったのだろうと、ディアは嘆息した。

或いはそこにも、もしかしたら呪いの翳りがあったのかもしれない。



(例えばそれが、ファーシタルの人間達から夜の国の王様の守護が取り上げられて喜ぶ、死の精霊の計略なのだとしたら)



相手は人ならざる者達なので、そんな駒取りの様相も示していたのかもしれないと考えるのもあながち極端ではないような気がして、ディアはひやりとした。



「ディルヴィエさん、死の精霊さんは、ノインをくしゃくしゃにした激辛香辛料酒で滅びるでしょうか?」

「階位としてはノイン様の方が上ですので、そうなるかもしれませんが、死の精霊が崩壊する際には辺り一帯が死の土地となります。その影響を受けるのは勿論ディア様も例外ではありませんし、かの方のご伴侶は、人間にとっては悪しき妖精として名高い黄昏の妖精ですから、あまりそのような試みはなされない方が宜しいかと」

「むむ、思っていたより難敵です……………」

「おい、死の領域には手を出すなと言わなかったか?」

「……………その精霊さんの憎しみがあまりにも根深いような気がしたので、念の為に対策を立てるべきかなと思ったのです。その方にとっても、契約の転換期なのですよね?より多くの取り分をと画策されることはないのでしょうか?」

「画策も何も、真正面から暴れているな」

「……………まぁ」



ここまでのディアの中の死の精霊は、何となく陰鬱な雰囲気だが、理知的で老獪という印象であった。

ノインが警戒している死の魔術との結びというものも、その辺りに付随するのではと考えていたのだが、どうやら思ってた印象とは随分異なるようだ。



「だがまぁ、俺との契約は締結しているからな。残すはこの国の第三王子を巡る、商会との交渉だ。全ての魔術が結び終えていないのも煩わしいが、あいつの言動にはこちらの足場を崩すような余地はない」

「まぁ、カルレド様が焦点なのです……………?」

「商会に渡れば馬車馬のように働かされるだろうが、そちらの方がまだましかもしれないな。………確かあの王子はお前と同じ年齢だろう。気になるのか?」



そう問いかけられ、ディアは目を瞬いた。

この王宮に連れて来られてからは第一王子の婚約者であり続けたディアにとって、第三王子は憎き仇敵と言っても過言ではない。



(異国の美味しいお菓子を私の分だけ買い忘れたり、商人が持って来た素敵な果物が、女官長や宰相の奥様の分まであるのに私のものだけなかったり……………)



思い出された意地悪の数々に、ディアはがすがすと床を踏み荒らした。

いきなりの事に、ノインとディルヴィエが目を丸くしているが、あの王子は、ディアの家族を殺した人達とはまた別の理由で滅びを願う仇敵だ。



「あの方は、是非に死の精霊さんに差し上げましょう。商会で働けるだなんて、カルレド様をご機嫌にするばかりです!私は、唯一の心の癒しだったムクモゴリスを先に餌付けされたことを許してはおりませんよ!!」

「これは随分と恨みが深そうですね……………」

「その理由はどうなんだ……………」



確かに、当時は六歳だったカルレドはジラスフィ公爵家の粛清については無関係だろう。


また、今回のディアの一件も、リカルド達は第三王子にまではその情報を卸してはいないような気がする。

長兄が大好きなカルレド王子は反対こそしないだろうが、政治的な駆け引きを不得手とする末王子には、この種の秘密はいささか重荷であるような気がするのだ。



「……………しかし、あの方がご機嫌で暮らしてゆくことは、やはり許し難く………。幸い、もう礼儀作法などを口煩く言う方もいない身分ですので、今夜の舞踏会用のドレスで、どしんとぶつかることにしますね……………」

「この王宮の連中は、それなりの対価は支払うことになる。お前は寧ろ、余分な動線で動くな」

「素直に喜べないその指示は何なのだ……………」

「どちらに転んでも、あの王子はどちらかの物だ。不用意に魔物や精霊の獲物に手を出すなよ」

「私の獲物が…………」



ディアは少しの悔しさにぐるると唸ったが、未だ、死の精霊に譲渡される可能性もなくはないのだろう。


見慣れない綺麗なお菓子や美味しそうな果物も、むくむくもこもこのムクモゴリスとの触れ合いも、そんな些細な事とは思うだろうが、ディアの恨みは深い。



そのほんのひと匙の欠落に耐え切れず、生きているのが耐え難い夜もあったのだ。





「……………まぁ!いい匂いがしてきました」

「昼食はシチューのパイ包みだ」

「パイです!」



くらりと揺れるようにけぶった幼い日の悲しみは、美味しい匂いに容易く霧散してしまった。



焼き立ての紅茶パンとパイシチューという簡単な食事なのだが、ディアは、昨晩のリベルフィリアの町でパイシチューを売る店に目が釘付けになったもののお腹の空き容量が足りないという悲しい事件があったばかりなので、この上ない御馳走に感じてしまう。




「こちら側には入るなよ。出来たらそちらに持って行ってやる」

「そこにあるのは、……………ぜり」

「葡萄のゼリーだ。生クリームは載せるか?」

「…………ぐぅ。そのままがいいです」




あまりにも残酷な質問に震えているディアに、ノインは素早く昼食の準備をしてくれた。

綺麗な小麦色に焼けたパイを崩してシチューの中に入れると、とろとろさくさくを心から堪能していただく。




(……………私は、ノインのお兄様が大好きだわ)




こうして、雪の日の午後に何でもない事のように一緒にパイシチューを食べられる時間をくれたから、それだけでもう充分に。


紅茶を淹れてくれるディルヴィエは、本来は人間と同じようなものを食べないらしいが、系譜の王であるノインの作る料理は別なのだそうだ。


とは言え、このようにしっかりとした食事ではなく、スープやマフィンのようなものを少しずついただくようで、それも、夜の国での舞踏会の夜などの特別な日に食べるのだとか。




ノインは優しかった。

食事の間中、あれこれとディアの面倒を見てくれるし、舞踏会の為に髪結いもしてくれるという。


葡萄ゼリーを食べながら、真夜中の精霊達や他の時間を統べる精霊の話を聞かせて貰い、ディアはまだ見たことのないこの世界の色々なものについて考える。



(私も、精霊になれたら良かったのに…………)



亡霊が元気に動けるのがどれくらいの期間が上限なのかは定かではないが、精霊達の時間の感覚は、人間に比べると随分とゆっくりであるらしい。

ディアがノインと過ごせる時間は、どれだけ思っていたよりも長くても、ほんの瞬きの程。



その先のノインの側には、誰がいるのだろう。



食後のお喋りで、ノインがとある料理人と共に高位の魔物が出した試練の魔術儀式を乗り越えた話をしていた時のことだ。

ディアはふと、ノインが料理好きなのはそんな人が友人だからなのではないかと思い、尋ねてみる。


「その、魔物さんの魔術試練の儀式で一緒に戦った料理人さんとは、その後も会ったりするのですか?」

「どこぞで、魔物を怒らせて殺されたらしい。あの一件の後でその男の店に食事に行ったんだが、試練の後からあいつの料理はどこか気が抜けた。その前の引き絞られたような技量を思えば興醒めでな。その後は二度と会う事はなかったな」



かと思えば、ノインは、そんな人外者らしい酷薄さにどきりとさせたりもするのだ。

高位の人外者らしい言動の冷ややかな侮蔑に触れると、そうして切り捨てられる事への怖さも感じずにはいられなかった。





(だから私は、最期まできちんと私であり続けよう)




ディアが、契約で交わした文言を入れ替え、やはり自分は死にたくなくて、けれどもこの国の人々には復讐したいのだとノインに縋ったとする。


彼はそんな惨めさを愉快がるかもしれないし、その通りに力を貸してくれるかもしれないが、そんな無様な選択をしたディアに失望していなくなってしまうかもしれない。




復讐はディアの矜恃だ。

ディアがディアの心を生かす為の我が儘なのだから、勿論、ディアが対価を支払う。




窓辺からはらはらと降る雪を見上げ、小さな頃に家族で過ごした日々を思い出そうとしたが、何でもない穏やかな日々のことはうまく思い出せなかった。




やがて、午後も遅くなると舞踏会の準備が始まった。

ドレスの着付けはディルヴィエが手伝ってくれて、何だかとても大切にされているかのようなそわそわとした思いで支度を終える。



「ノインは、髪結いが出来るのですね………」

「真夜中の正式な舞踏会では、王ではない王族は髪を上げるからな。見ている内に出来るようになった」

「そうなると、舞踏会では自分でやることもあるのですか?」

「いや、最近は魔術擬態で髪を短くしていることの方が多いな。料理をする際に解くのが煩わしい」

「……………料理をするのに」



(……………一体何を司る精霊なのだろう)



もしや夜食の精霊だったりするのかもしれないとごくりと息を呑んでいると、出来たぞと言われて鏡の中の自分を見つめる。



「……………まぁ!」



そこにいたディアは、いつもの堅苦しい舞踏会用の髪型ではなかった。


きっちりとした纏め方ではないのだが上品で、ゆったりと巻いた毛先をはらりと落とすような結い上げが何とも繊細で艶やかではないか。


すっかり嬉しくなってしまったディアは、色々な方向から鏡を覗き込み、椅子の上で小さく弾んでしまう。

ノインが用意したというドレスも、青さの滲むような紺色の生地に白灰色の糸を使った祝福石や宝石を縫い込んだ妖精刺繍が素晴らしく艶やかだ。

まるで夢見るような夜の色は、裾の部分で菫色のアンダードレスの裾を見せるような作りになっていて、ふわっと夜明けの色に足元がけぶるような彩りであった。



舞踏会のドレスらしくしっかりと深くくれた襟元には、ディアの宝物であるオーナメントの首飾りがある。

肌に触れるその煌めきを見るだけで、あの町のリベルフィリアの煌めきが蘇るよう。


あまり好きではないのだがその場に相応しく軽く化粧をし、出して貰った靴に足を入れる。

しっとりと肌に馴染むような素晴らしい履き心地に、ディアはご機嫌で足を持ち上げた。



「まぁ、何て履き心地が良いのでしょう!」

「魔術を敷いてあるからな」


この靴であれば、一晩走っても足が痛くならないと聞き、ディアは呆然としてしまった。


潤沢な魔術をこのようなことにも使い、人外者達は一体どんな舞踏会をしているというのだろう。

しかし考えてみれば竜でも訪れられる規模の宮殿は大きいそうなので、会場に着くまでにかなりの距離があるというような危険も孕んでいるのかもしれない。



鏡の中には、寸分の隙もないくらいに装いを整えたディアがいる。

そして、瞼を閉じればあの嵐の日に声を殺して泣いていた少女も、確かにここにいるのだった。


「……………ぎゃ?!」



ふいに、後ろにいたノインに首筋を指先で撫でられ、ディアは椅子の上で飛び上がった。

慌てて首を両手で隠してふるふるしていると、ノインはどこか満足気に淡く微笑む。

その満腹になった獣のような微笑みに、ディアは少しだけ考えた。




(そう言えば私は、ノインがこの国の人達にどのような報復をするのかを、何も知らないのだわ……………)



ファーシタルの行方が少しだけ気になったものの、目を閉じてそっとその思いを押しやる。

それはきっと、亡霊になってから見る事になるのだろう。


今はまだ、生きている間にするべきことを考えよう。










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